「私小説的映画」ジャンプ、ダーリン himabu117さんの映画レビュー(感想・評価)
私小説的映画
映画『ジャンプ・ダーリン』ドラマ的高揚感もないままに、ラストに突入してゆく。この映画は一体何を言いたいのだろう、そう考えてしまう。つまりこの映画は、私小説なのだ、だた自分に起きたことを時系列に並べただけ。そう考えると納得もできるのだが。
結論は、私小説的映画
こう説明しないと、なんか納得できない作品。
主人公が、同棲中の彼と別れるところから、映画は、始まる。
同棲相手は、同性。
男同士で、別れのきっかけは、エリートの彼に対して。
主人公は、役者を目指すことを諦めて、ドラッグクィーンに成り下がっていること。
なんか、でだしから、どうでもいいことなんですが。
ドラッグクイーン自体も日本では、あまり馴染みなく。
まあ、ゲイで女装して、口パクで踊ったり歌ったり。
そんな程度の認識しかないので。
出だしから、ハズレの映画の感が。
映画は、盛り上がりを見せるかと思いきや。
彼氏と別れた、主人公は、認知症の祖母のもとに転がり込む。
一人暮らしの祖母。
ん〜ここで、独居老人と老いのテーマかと思わせるのもつかの間。
ドラッグクイーンをなじられた主人公は、一発奮起。
役者への道の再チャレンジかと思わせるのですが。
有名ゲイディスコのドラッグ・クイーンにチャレンジ。
なんか、よくわかんないよな。
ドラッグ・クイーンのどこが悪いの、極めてやる。
そんな、開き直りなら喝采を送れるんですが。
なんか、そんな吹っ切れた演出もなく。
ただ、ながれのままに。
映画的盛り上がりはどうなるのですか、と問いたくなる展開。
はあ、これは、あくまで私小説の世界なんだと。
それを描いてるだけなんだと。
そう思わないと、見てられない作品。
老いのテーマはどうなるのか。
これも、祖母との生活で、映画のもう一つの重要なテーマとなる。
しかし、認知症で、自分の意志がはっきりしなくなる祖母。
その、祖母は、自分らしくいられないならと、死を選んでしまう。
おそらく、製作者の実体験なのだと。
これも、賛否両論ですね。
作家の野坂昭如さんも、老いて自ら死を選択するのもありだと、発言したこともありましたが。
ご本人がなくなられたのは、老衰。
難しい問題なんですが。
だれでも、老いはやってくるので、目をそむけるのは。
あるキリスト教団体の老人ホームでは。
人生の最後は、その人にとって、一番美しい時間でなくてはならない。
そんな理念をあげておりますが。
これもまた、綺麗事のような気がして。
老いは、醜くなる容姿、薄れてゆく記憶と意志。
人それぞれ程度が違いますが。
そんなに美しいものではない。
となると、自然に老いを受け入れられればいいですね。
映画のように、自ら死を選ぶということは、したくはないものです。
となると、この映画は、あくまでも私小説的世界だと。
自分の中では、そう結論づけました。