「無敵キャラ、ちーちゃん!」毒娘 cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
無敵キャラ、ちーちゃん!
真っ赤なちーちゃんが、怖すぎる。大きな鋏を振り立て、全てを容赦なく切り裂く。それでいて、時に見せる眼差しは無垢な小動物のよう。残酷すぎるトラブルメーカーでありながら「ちーちゃん」などと「ちゃん」付けで呼ばれていること自体、不可思議だ。主人公一家も、すぐさま「ちーちゃん」と当たり前のように呼び始めてしまう。あの子とかアイツではなく、ちーちゃん。ちーちゃんは、ちーちゃん以外の何者でもない。冒頭から「ちーちゃんがいる!来る!ヤバい!」とハラハラするのに、ちーちゃんの無敵っぷりに、すぐさま惹かれてしまった。
そんなちーちゃんに、おびえながらも立ち向かうヒロイン・萩乃。仕事を辞めて家に入り、夫の連れ子・萌花と穏やかな関係を結び、平凡でも穏やかな生活を手に入れた、はずだった。そんな彼女が、少しずつ感情を取り戻し、自分を解き放っていく様が清々しい。がまんや遠慮、気遣いだけは越えられない壁が、その家にはあったのだ。
血みどろなストーリーでありながら、白い羽毛や綿毛が画面いっぱいに舞い散るシーンの美しさが忘れ難い。ちーちゃんにやられる輩は、たいてい白い服、そして白い部屋。鮮血が、花びらのように飛び散る。破壊は、再生の前兆だ。前半の萌花は、写真の中の実母と同じ、黄系統の服を着ている。彼女の父・篤紘は、娘が提案した黄色ではなく、青のセーターをリクエストする。父親にふさわしく、自慢しやすいセーターを着るために。萌花や萩乃の服の色味が少しずつ変化していく一方で、変わらない篤紘のクズぶりが露呈していくのは、男性にはいたたまれないかもしれない。
ふと思い出したのは「ウーマン・トーキング」。性加害が当たり前のコミュニティから、出ていくのか闘うのか、女性たちがひと夜をかけて対話を重ねる。一方萩乃たちは、交わす言葉さえ持っていない。共に行動し、時を過ごし、ぶつかり合うことで、少しずつ繋がり、言葉を手に入れていく。
ラスト、萩乃と萌花は初めて互いを名前で呼び合う。そのとき、かすかに風が吹く。萩乃の背後で揺れる濃い紫のカーテンは、家のベランダで揺れていた白いシーツを対比的に連想させ、さらには、黒沢清監督の「トウキョウ・ソナタ」のラストで揺れる、白いカーテンをも思い起こさせた。
家族をぶっ壊しながらも家に執着する、ちーちゃん。周りを大きく揺り動かし、解き放つほどに、ちーちゃんの闇は深くなっていくのだろうか。一方で、出来合いの家を手放した、萩乃と萌花。それぞれに歩む道は険しいが、これまでよりはずっとよくなる、はずだ。