コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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清冽なデビューを飾った主演キャサリン・クリンチは、シアーシャ・ローナンに続くアイルランドの超新星
本作については当サイトの新作評論コーナーに寄稿したので、こちらのレビューでは補足的なトピックをネタバレ込みでいくつか書くことをあらかじめご了承願いたい。
まずはコットを演じた映画初出演にして主演のキャサリン・クリンチ。2010年にダブリン郊外の村で生まれたが、評論でも触れたように母親は世界的に活躍した音楽グループ「ケルティック・ウーマン」の結成メンバー。本作が2022年2月のベルリン国際映画祭で子どもが主役の映画を対象にした部門のグランプリを獲得したほか、アイルランド国内のアカデミー賞では史上最年少の12歳で主演女優賞も受賞するなど、国内外で高く評価されている。アイルランド人女優のシアーシャ・ローナンも「つぐない」で13歳にしてアカデミー助演女優賞にノミネートされてから順調に国際的スターへの道を歩んだが、キャサリン・クリンチもローナンに続く存在になるのではと同国内外で期待されている。
評論の準備で本作の成り立ちについて調べるうち、アイルランドにおける言語の状況、たとえば第一公用語のアイルランド語よりも第二公用語の英語を日常的に話す国民のほうが多いといったことなども知った。アイルランド映画といえば「ザ・コミットメンツ」「ONCE ダブリンの街角で」「シングストリート 未来へのうた」など大好きな作品もたくさんあったのに、話されているのが英語だということを特に何とも思わなかったのは、今更ながら自分の想像力が足りなかったと反省した。そうした歴史的文化的背景があったからこそ、英語で書かれた原作小説をアイルランド語映画として再構成したコルム・バレード監督の挑戦が同国民に広く支持されたのだろう。
強く印象に残っているシーンとして、評で挙げたもの以外に、コットが全力で走る映像がスローモーションになるのもBGMと相まって感情の高まりを表現し、シンプルながら効果的な演出だと感心した。
そして、あの素晴らしいラストシーン。状況は原作小説を忠実に再現しており、コットの一人称語りの最後の一文はこう書かれている。
“Daddy,” I keep calling him, keep warning him. “Daddy.”
ここでのhimはコットを抱きかかえているショーンを指す。特筆すべきは、彼女が初めて(そして作中では唯一)ショーンを「ダディ」と呼んでいること。実の父親ダンが怒った表情で追いかけてきたことを(気をつけてと)警告する意図で、ショーンに「ダディ」と呼びかけたのだ。それまで、ショーンのことが次第に好きになりながらも何と呼べばいいのか、どういう距離感、関係性で接したらいいのかわからずにいたコットが、人生の大きな選択をしたことを端的に示す秀逸なラストだと思う。その後、めでたくキンセラ家の養子になるのか、あるいは実家に連れ戻されるのかは、原作と同様映画でも観客の想像に委ねられているが、それもまた長い余韻を残す要因になっているのだろう。
あのひと夏、少女は愛に包まれて
大自然の中で大家族と暮らす少女。
世界名作劇場を実写化したような光景が浮かぶ。
アイルランドのある田舎町。木漏れ日や風景の美しさは特筆もの。
その中で、元気ハツラツ娘が躍動するのがお決まりだが、原題通りの“クワイエット・ガール(=寡黙な少女)”。
上に姉たち、下に弟。
母親は妊娠中、父親はろくに愛情も示さない。父親が現れると家族は静まり返り、明らかにDVの疑いが…。
学校でも独り。男子がぶつかってミルクをこぼすも、何も言えない。
家にも学校にも居場所が無い9歳のコット。
母親が出産する事になり、コットは夏休みの間だけ親戚の家に行く事に。
何だかこれ、不条理に感じた。姉や弟は家に残るようで、コットだけ。
姉たちは母親の手助け、弟はまだ幼いからかもしれないが、要は厄介払い。
それくらい、コットは家族から見られてもおらず…。
ショーンとアイリンのおじおば夫婦。
おばさんは優しいが、おじさんはぶっきらぼう。
最初は馴染めず。夜、お漏らしも…。
またここでも結局居場所は無く、短い夏休みが長く感じる独りぼっちと寂しさを抱えていたが…。
余計なサイドエピソードなど一切無い、シンプルな物語。
これは9歳の少女の視点という事が分かる。見るものや範囲も狭いが、そこには…。
“クワイエット・ムービー”でもある。コットの性格や心情とリンク。作品も寡黙(ただ静かな作品ってだけじゃなく、説明的な描写もほとんどナシ)だが、たっぷりの詩情や情緒溢れる。
その中で紡がれる物語も、はっきり言って展開はすぐ分かる。が、それがとても心地よいのだ。
髪を解かしてくれるおばさん。
ちょっと怖そうだったおじさんも不器用ながら優しさを見せてくれる。
牛の乳搾りを手伝ったり、さりげなくテーブルの上に置いてくれた小さなクッキー。
じんわりじんわり、その温かさが滲み伝わってくる。
コットも少しずつ少しずつ、心を開き、話をするように。やはりただ寡黙なだけの子ではなかった。そうさせていたのは…。
ある時コットは知ってしまう。おじおばがずっとある悲しみを抱えている事を。
二人の間には息子が一人いたが…。今も悲しみと喪失を埋められない。
コットも心に孤独の穴が空いていた。おじおばも心に悲しみの穴が空いていた。
その穴を埋め合うかのように。
まるで本当の親子のようになっていく。
本作は何と言っても、キャサリン・クリンチ無くして成り立たなかったであろう。
本作で映画デビュー。デビューどころか、演技も初めて。そう思わせない演技力と透明感とフレッシュさ。
…などと使い回された形容ではある。が、本当に本当にそうなのだから仕方ない。
“THE少女”。アイルランドからまた一つ、ダイヤの原石が。かつてのシアーシャ・ローナンを彷彿。大成して欲しい。
おじおば役も好演。
監督のコルム・バレードも本作で長編劇映画デビュー。これまで子供や家族を題材にしたドキュメンタリーを手掛け、その手腕が活かされた。
少女の成長と自己の解放、“家族”になっていく瞬間…。
見ていて誰もが思った筈。コットがずっとここで、おじおばと暮らせたら。
あっという間のひと夏。帰る時が。
どうしてこうもひと夏って、郷愁感じるのだろう。胸かきむしられるのだろう。心が切なくも、温かくなるのだろう。
帰ってきてからの家の居心地の悪さ。
家の雰囲気も家族との関係も何も変わらないかもしれない。
が、コットの中では確かに何かが変わった。
もう独りじゃない。私を愛してくれる人たちがいる。
本作のラストシーンは映画史に残るだろう。
帰るおじおばの元へ、髪をなびかせながら、ダッシュするコット。
おじは抱き上げ、車内では涙を流すおば。コットが囁いた言葉。
このひと夏を忘れないだろう。
大切にされることの大切さ
大家族の中で居場所のない少女が、親戚の家で一夏預けられて生活する物語。
「成長の物語」というよりは「生活の物語」という感じの穏やかで、静かなテンポの作品でした。
人によっては「眠たい作品」かもしれないです。
ラストシーンは一抹の不穏さもありますし、養子になったらいいのになぁと感じましたけど、その後のコットの人生はどうなるのか観た人の想像に委ねられている気がします。
個人的には養子にもらわれるのが一番幸せだと思うのですが、仮にあの冷たい家で過ごすことになったとしても、一夏の体験はコットの心に貴重な自己肯定感を芽生えさせてくれたと思います。
子供は親を選べない。
原題の「物静かな少女」のとおり主人公のコットは口数が少なくあまり感情表現しない子供だ。およそ子供らしくないおとなしすぎる彼女のその性格は明らかにその家庭環境に原因があった。
牧場を営む夫婦のもとに生まれた彼女には上に姉が三人と下に一人、さらにもう一人を母親は身籠っている。しかしそんな子だくさんでありながら父親はまともに牧場の仕事もせず毎日飲んだくれ、賭け事に明け暮れていた。乳飲み子を抱える身重の母親は子供たちへの世話もろくにできず、ほとんど育児放棄に近い状態だった。
コットの姉たちも放置されひねくれて育ち、その中で大人しいコットは自然と口数の少なく感情もあらわにしない少女として育っていた。
母親が出産を控え夏休みを機会にコットは親せきの家に預けられることになる。そこは同じく牧場経営するアイリーンとショーンの夫婦二人だけが暮らす家だった。
アイリーンはとても子煩悩な性格らしくコットに対して最初から惜しみない愛情を注ぐ。ショーンはコットに対して最初は打ち解けない時期があった。それには訳があったのだが、次第にショーンもコットに対して心を開いてゆく。
生まれて今まで子供らしく親に甘えることも許されずに育ったコットにとって、自分を子供として当たり前のように接してくれる夫婦との生活、その彼らの温かみを肌で感じるようになると心因性のおねしょ癖もピタリと治ってしまった。そして夫婦との生活の中でコットは徐々に感情をあらわにし、その表情には自然と笑顔も見られるようになる。夫婦はコットを実の子のように愛し、コットも二人を実の両親のように愛した。
しかしやがてラジオが夏休みの終わりを告げる。コットは自分の家に帰る時が来たのだ。本来自分の家に帰れることはうれしいことのはずが、彼女は家に帰るのをためらう。
実家に戻ったコット、相変わらず父親はろくでなしのままでショーンたち夫婦に無礼な態度を取り、姉たちも親せきのショーンたちに挨拶さえできない。すでに家庭崩壊しているこの家にコットを残すことに後ろ髪をひかれながらもショーンたちは去っていく。そんなショーンたちの車を走って追いかけるコット。
車に追いついてショーンに抱きつくコットの目には後を追いかけてきた父親の姿が、それを見て思わずダディと声が漏れるが、あらためて彼女はショーンを抱きしめ彼をダディと呼ぶ。その姿を見て涙するアイリーン。とても感動的なシーン、であると同時に厳しい現実を突きつけられる。
コットはショーン達夫婦の子供にはなれないのだ。あのどうしようもない父親がすぐさま追いついて二人を引き離すだろう。
彼のような人間は子供を満足に育てられないくせにプライドだけは高い。牧場経営が順調で明らかに自分たちより裕福な暮らしをしてるショーンたちを彼は毛嫌いしていた。それはアイリーンがお金を送ろうかと聞いたとき、コットの「パパが怒るかも」という言葉からもわかる。
虐待をやめられない親に限って児童相談所に子供を取られたくないというのに少し似ている。
本作は子供を失った夫婦と親にも甘えられない寂しい少女とのひと夏の心の交流を描いた心温まる作品であると同時に現代社会でも続く貧困やネグレクトなどによって子供たちが抱える深刻な問題を浮き彫りにした作品といえる。
邦題に「はじまりの夏」などとついているが本作はそんな牧歌的な内容には収まらない生っちょろい内容ではなく子供たちの厳しい現実を描いた作品である。
コットを演じたキャサリン・クリンチはとても繊細な演技というか、むしろあれはけして演技では出せない独特の存在感を醸し出していた。美しい容姿だがどこか儚げ、いつも不安を抱えた表情、あの年齢特有の頼りなさげな少女像を見事に体現していて素晴らしい。まさにこの時期の彼女自身の瞬間を切りとったような無二の存在感。けしてこれは演技力などで再現できるものではないだろう。それはこの時の彼女にしか出せないたたずまいだからだ。
「ミツバチのささやき」のように子役が時折素晴らしい存在感を放つ作品があるが、それはけして演技では出せないその子役独特の魅力からくるものなのだろう。
本作は彼女をキャスティングした時点で大成功といえる。正直、彼女を見てるだけでも二時間持つのではないかというくらいの存在感、それに加えて自然の美しい映像と秀逸な物語。
公開当時評判の作品だっただけに期待通りの作品だった。今回配信での鑑賞だったが劇場公開を見逃したのを後悔した。
まあまあだった
コットが最後まで一貫して誰にも心を開かず、笑顔を一切見せない。心を病んでいるのではないだろうか。見ていて苦しくなる。親戚の二人は彼女を引き取ることになるのだろうか。そうなって欲しい。
映画や物語としてはこれでいいのだろうけど、子どもには安心してリラックスできる環境であって欲しい。心を開いたコットはどんな様子なのだろう。実親の元では愛着障害が起こって、貧困でもあり、厳しい環境だ。
オフビートな一期一会。
「そんなにあったら、アイスクリーム6個くらい買えるわ」
「いいんだ。甘やかしに来てるんだから」
少女は現実を受け入れ、少女の周りも愛が枯渇していない事に気づき、少女は、強く生きる事を揺るぎなくする。まだ、始まったばかりだが、新たな一期一会が少女の未来にはきっと存在する。と感じた。
教育の必要性を「ハイジ」でデフォルメしている。鳥肌が立った。
傑作だと思う。
以下
ネタバレあり
秘密の花園を大いにリスペクトしている。
オフビートな一期一会だったが
自ら
ハグをする様になった。
どこか懐かしい記憶を呼び覚ます、愛おしい作品
ブルーグレーがかったようなアイルランドの広大な風景。
澄む空気に映し出される光がその時々を伝え、冒頭の生い茂る草の場面からふと息を吸いこみ鼻の奥で感じてみたくなる何かがある。
いつも自分の存在を消していたようなコットは、母の出産を理由に親戚に預けられることに。
それはショーンとアイリン夫妻の元で自然光のようにやさしく寄り添う家庭を知っていく特別な時間だった。
そこには陽気な友人たちとの交流、周りの人々を惜しみなく助ける姿、夫妻が支え合い哀しみを越え現実に向き合う様子があった。
そして、アイリンが柔和なゲール語とまなざしで教える〝自分を慈しむこと〟。
ショーンがどこか自分に似たコットの不器用さや寡黙さを対話で肯定し、行動で教えてくれたこと。
自分では選びようもない9歳のこどもの生活環境から初めての感情に触れた体験でコットには笑顔がうまれ、雨粒のきらめきに目を止め、ことりのさえずり、家畜の声に心躍り、川のせせらぎに安らげるようになるのだ。
ラスト、別れのシーンのコットの疾走と放つ〝daddy〟の2つの意味に胸がつまる。
変わらない日常を丁寧に過ごし、愛をもって接することを知った今までとは違うコットが確かにそこにいた。
片方だけではない。
両方を知ったコットは誰よりも強くやさしくなれる。
あの柔らかな響きなカウントを耳の奥にこだまさせてきっと彼女の人生は今始まる。
開かない扉の前に立つようなコットの憂い、夫妻に出会って愛を知り瑞々しくほころんでいく様子をキャサリン・クリンチがピュアな素質のままで魅せ、夫妻を演じる2人が苦悩を秘めながらも寛大な人間性で接する姿が温かくずっしりと心に沁み込む。
成長のなかで感じたことのある機微は人それぞれだ。
その記憶のかけらがじんわりとどこかに重なるときこんなふうに切なく胸が疼くのだろう。
80年代はじめのアイルランドの田舎町。 子だくさんの夫婦に、またひ...
80年代はじめのアイルランドの田舎町。
子だくさんの夫婦に、またひとり子どもが生まれる。
年長の少女コット(キャサリン・クリンチ)は物静かで、父親からは邪険に扱われている。
母親が出産を控えた夏休み、コットはさらに田舎で暮らす伯父伯母夫婦のもとに預けられることになった・・・
というところからはじまる物語で、はじめはコットも伯父伯母夫婦も慣れない仲だったが、伯母はなにかにつけてコットの居場所を与えてくれるようになる。
というの、夫婦には息子がいたのだが、事故で失くしてしまったからだった・・・
物静かな少女コットのひと夏の出来事が、フィルム撮りの柔らかい手触りの映像で綴られていきます。
水汲みや郵便物の確認などの些細な家事がコットの居場所を与える・・・
家族なのだから、ちょっとした家事やなんかを子どもたちもやった方がいいよね。
ま、大人の眼の行き届いている範囲で、ということになるのかもしれませんが。
で、思い出したのは、自分ちののこと。
店舗兼住居で両親は商売をやっていたのだが、わたしの下に3つ違いの妹がいて、その2年後に弟が生まれた。
商売をしていると、家事・育児は大変で、弟が生まれたばかりの頃かもう少し後かは忘れたが、わたしの妹は田舎で暮らす母の姉のもとに預けられた。
伯母のもとには同じ年頃の姉妹がいたので映画とは異なるのだが、妹の田舎の伯母のもとでの生活もコットと同じようなものだったのかしらん。
と、そんなことを思い出した次第。
映画は、瑞々しい映像で綴られる何気ない日常の物語。
全編、アイルランドの言葉がしゃべられており、ラジオなどからは英語が流れるあたりが興味深い。
「THE QUIET GIRL」という原題に『はじまりの夏』とつけた日本タイトルは秀逸。
ラストショットにつながるポスターデザインも秀逸。
ラスト3分号泣 今年暫定1位
ラスト、このまま見送るのか、、と思ったら一気に走り出し夏の思い出が走馬灯で、、。
そして伯父さんに抱きつくコット。助手席の叔母さんは後ろ向きながら号泣。
実の父親が歩いてくるのが目に入りこれから待っている現実込みで言い放った「dad」、そして目の前にいる最愛の「dad」。
こんなん、泣かないほうが無理です。
走馬灯は全て美しいシーンで、特に好きなのは伯父さんが死んだ息子の部屋の窓から外を眺めるところ。
途中、伯父さんと海に行ったとき、「人は沈黙をすぐ放棄する」というセリフもすごく良かった。
夏は親戚ん家で。名作。観賞後に予告編を見ただけで感動がよみがえる。日本語タイトルが気に入っている。つけた人の感動と想いが伝わってくる気がする。【追記、再鑑賞した】
これから毎年夏休みをあの家で過ごせば全然ラッキーで、冬休みと春休みも行けばいい。うん、それがいい。 っていうかそれがベストじゃね?コットにも、親戚にも、家族にも。
パパがコットにもっと愛情を注げばいいと思うのだが、パパが心変わりすることは期待できそうにない。パパはムリでも学校が楽しくなったり、姉妹ともっと仲良くなったり、夢中になるものと出会うかもしれない。
主演の子はカワイイというより、ふつうに美人顔だと思った。
僕はこの映画の日本語タイトルが気に入っている。きっとこの日本語タイトルをつけた人はこの映画を見て感動し、コットがキンセラ夫妻と過ごしたこの夏からコットの新しい1歩が始まったんだという想いをタイトルにして 「コット、はじまりの夏」としたのだと思う。
ホントは締め切りに追われて、ああ時間がない、もうこんなんでいいや、なんて感じで付けてたら笑える。
◆脚本と監督の演出が素晴らしいということについて
夏休み、あの家でキンセラ夫妻の愛情に包まれて過ごした日々がコットを変えていく。きっと自分は愛されてもいいんだという自己肯定感が芽生え、心が動き出し生まれ変わったように新しい1歩を踏み出したコット。しかし、その変化はわずかだ。コットはもの静かだし、夫妻も口数が少ない。、コットのわずかな変化は見逃してしまいそうになる。僕にその微妙な変化を気付かせてくれるのは、ひとえに脚本と監督の演出の賜物だ。自慢じゃないが、僕はこの映画に限らず人の心の機微みたいのを見逃すことには自信がある。観賞後に他の人のレビューを見て自分の鈍さとアホさに感心することが頻繁にある。最近 特に感性が鋭く繊細になったとも思えない。そんな僕が気付くのだから監督と脚本の力に他ならない。
【追記】2024(令6)/4/26(金) 再鑑賞
新宿のシネマカリテでまだやってたので再鑑賞した。とくにワクワク、ドキドキしたりするようなことが起こらない静かで穏やかな映画なので、退屈だと云えば退屈である。だけどそれを全部見ておかないと最後の感動が得られない。睡眠不足で見ると絶対に寝てしまうのが分かっていたので体調を整えていった。
原題は 「An Cailin Ciuin」 (ゲール語 物静かな少女)で、英語版のタイトルは「The Quiet Girl」。
今日はこのあと「ゴジラ X コング」を見たのだが、「コット」を見たせっかくの感動も吹き飛ぶ怪獣プロレス映画。 「コット」 を見た日は、そのあと特別なことや激しい運動などせずに、ミルクティでも飲んで穏やかに過ごしたほうがいいと思った。買い物とか軽い運動ていどにとどめる。「ゴジラXコング」は面白かった。
王道なのだがいいなぁ
日曜日にいつもの映画館②で
割と入っていて7割くらいが女性だった
この映画館は3月いっぱいで閉館だと
シネアートから続いてきた駅東口のアート系単館がなくなるのは寂しい
妻との初デートはシネアート 17歳のカルテ
過去のオラよ なぜそれを選んだ
なんかシラフでいけなくて缶ビール2本引っかけてから行ったんだった
懐かしい
で映画
たまたま休暇を取っていた平日のNHK朝番組で紹介されていた
もう1本紹介されていた落下の解剖学の方に興味があったが
こちらが先の上映 あらすじを読んでグッときた
正解 よかった
時代はいつ頃の話だろう 携帯電話とかSNSが出てこないことや
車の感じから1970年くらいの話かと
アイルランドが舞台かと思ったが言葉は英語ではないのか
ちょっとした違和感 いわゆる伏線を後追いで
しかもいいタイミングで回収してくれるのが心地よい
・預けられた家には子どもがいないのか
・オジさんの激怒
・壁紙の柄
・シャツの右前
最初は主人公との距離感を測りかねてぶっきらぼうなオジさん
だんだん心を通わせる 王道なのだがいいなぁ
ラストシーンは落涙スレスレ 2回のDADというセリフ
よく分からないままの部分もあるがまぁそれはそれでよいかと
・隣の席の子の牛乳を飲もうとする
・オヤジが途中で乗せた女性は誰だっけ
ラスト前のエピソードは心底心配 よかった~
いい映画だった 次は落下の解剖学だな
【大家族、学校でも居場所の無い口数の少ない少女が一夏を、親戚夫妻と過ごすことで、自分の心を解放していく様を静的トーンで描き出した作品。ラスト、少女が農場を去る親戚夫婦を追い掛けるシーンは沁みます。】
■1981年の夏、アイルランドの郊外の町で暮らす9歳のコット(キャサリン・クリンチ)は出産を控えた母親の負担を軽くするため、父のダン(マイケル・パトリック)に連れられショーン(アンドリュー・ベネット)とアイリン(キャリー・クロウ)夫妻の家で暮らすことになる。
◆感想
・序盤から静的トーンで物語は進むが、コットに笑顔はない。家庭でも学校でも居場所がなく、父ダンからはツッケンドンに接せられ、そのせいか、夜尿症も・・。
ー コットを演じたキャサリン・クリンチの幼いながらも端正な笑顔無き表情が、切ない。-
・ショーンとアイリン夫妻の家に着き、特にアイリンは優しく彼女に接する。
夜尿をしたときにも、叱ることなく、優しく風呂に入れ足の指まで丁寧に洗ってくれ、丁寧に髪を梳いて貰ったり。
・ショーンもぶっきら棒ながら、言葉の裏に隠された優しさを示す。
ー 何気なく、コットの横にスコーンを置いて上げたり、郵便受けまでコットを走らせ郵便物を取って貰う。長い脚のコットは足も速くショーンは”凄いぞ!前より10秒も早くなった。”と褒めてあげるのである。少し誇らしげなコットの表情。
更に、コットのために新しい服を買いに町に連れて行くのである。ー
■その後、親戚の老人が亡くなった時に葬儀に参列した後に噂好きのオバサンとコットが帰る時に知った事実。
それは、ショーンとアイリンの息子が犬を追い掛けている時に、肥溜めに落ち亡くなっていた事。アイリンの髪が一晩で白髪になった事。
・夏休みの終わりが近づき、コットはいつもはアイリンと汲みに行く水汲み場に一人で行くが、バランスを崩し・・。アイリンがコットが居ない事に気付き、走って来てずぶ濡れのコットを抱きかかえる姿。
ー 彼女が、如何にコットを愛しているかが、良く分かるシーンである。-
■故に、風邪を引いてしまったコット。家に帰る日を少し遅らせて、看病するアイリン。だが、家に帰る日はやって来て・・。
家に着くと、母と生まれた幼子が居るが、父はいない。(普通は帰りを待っているだろう!)父は酒を呑んで戻って来て、コットに対しては相変わらずツッケンドンな態度。
そして、ショーンとアイリンが車で帰るシーン。
コットは郵便受けまで走った時のように、長い脚で二人を追い掛けて走り、気づいて車から降りて来たショーンに抱き付くのである。
助手席では、アイリンが涙を流している・・。
<今作は、大家族、学校でも居場所の無い口数の少なかった少女が一夏を、親戚夫妻と過ごすことで、自分の心を解放していく様を静的トーンで描き出した作品である。
彼女は、ショーンとアイリンと一夏を過ごした事で、成長した事が切ないラストシーンで鮮やかに記された作品でもある。>
<2024年3月2日 刈谷日劇にて鑑賞>
マイペースの静かな少女が、自分の意志で歩き、やがて走り出すようになるまでの一夏の体験のお話。観ている内この少女を応援したくなく気持ちが心の中に芽生えてくる、そんな作品です。
ポスターから受けた爽やかな印象が頭にありまして
作品紹介を読んだところ、親戚の家に預けられた少女の
ひと夏の物語。 うーん。気になるかも。
というわけで鑑賞したのですが … ・_・
何とも不思議な味わいの作品だったかと。・-・ハイ
家庭の事情で夏の間、知り合いの家に預けられること
になった一人の少女のお話 です。
少女の名前はコット。9才。
人より飲み込みが遅く あら
行動もワンテンポ遅く あらら
自分の世界に浸ることが好きな少女。…ふむ。
自分に自信が無くて
周囲の目を気にして
父の声に怯えるように
姉の蔑みの視線を浴び
オドオドしながら暮らしている。
コットはそんな女の子。 …うーん。
親戚夫婦の家での生活が始まった。
夜にトイレに行けずに漏らしてしまったり
牧場の牛をおっかなびっくりお世話したり
水汲みに行った先の泉に落ちてしまったり
失敗するコットを、親戚夫婦は叱らない。
落ち着いて自分の行動が出来るようになり
借りた子供服が男の子用だと気がついたり
離れたポストまで郵便物を取りに行ったり
オドオドした女の子が、次第に変わっていく。
顔にも表情が現れるようになっていく。
ゆっくりと、心が育っていくコット。
その姿を見ている内、次第に観ている側の心にも
ゆっくりと愛おしさが増えていく感じがした。
◇
帰宅してからの事。ふと
"窓際のトットちゃん" が思い浮かんだ。
性格は、似ていない。
全く と言って良いほど似ていない。 ・-・;;
けれど
” もしも ” の世界として
トットちゃんにあれだけの行動力が無かったなら
トットちゃんの両親が別の夫婦だったなら
トモエ学園に通っていなかったなら…
この作品のコットは、もう一人のトットちゃんの姿なの
かもしれないなぁ と、そんな風に感じてならない。
◇
人生の中で、転機になるコトが誰にでもどこかにある。
コットにも転機が訪れる。
本人が転機と思ったかどうかは分からない。
けれども、親戚夫婦に預けられた一夏の体験は
この少女に足りなかったモノを埋めてくれた。
愛情を受けること。
行動すること。
周りの人をを知ること。
知ろうとすること。
夏休みが終わり、家に戻る日。
送り届けられ、立ち去ろうとする親戚の夫婦を
走って追いかけ、しがみつくコット。
” ありがとう ”
” 帰らないで ”
” 連れてって ”
その姿が健気で愛おしい。
少しだけども、確かに
成長したコットの姿がそこにあった。
そう思えるラストシーンだった。
鑑賞後にじわじわと、暖かい気持ちが広がっていく
そんな作品だったかと思います。
※年齢を重ねた人ほど、優しい気持ちで観られる
作品なのかも。そんな風にも感じます。・-・
◇あれこれ
■タイトル
原題 An Cailin Ciuin (訳:静かな少女) ※google翻訳先生
邦題 コット、始まりの夏
どちらにも味わい深さが感じられる気がします。・_・♪
■ヒロインの子
9才の子にしては少し大きい気がしたのですが
実年齢は12才なのですね。なるほど。
今作での役がとても大人しい主人公だったので、次はもっと
違った作品での演技も観てみたいです。
■同じような状況を描いた作品
70年代ころの漫画に、似たような雰囲気の作品があったような
気がしているのですが、思い出せません。・_・; ウーン
少女漫画だったかなぁ…。モヤモヤしてます。
◇最後に
預け先から戻る日。
面倒見てくれた夫婦の車を全力で追いかけたコット。
私道からの出口の扉のところで追いつき
おじさんの首にしがみつく。
そしてさらに,コットを追いかけてきた父。
コットを持て余しているような態度があからさまだった
人物なのだが、どんな心境の変化があったのだろうか
ラストの後、コットと彼女を取りまく人達の人生が
どのように変化していくのだろうか。
この登場人物たちのその後をあれこれと想像しています。
◇だそく
※ ラストシーンで追いかけてきたコットとおじさんの会話
” 行ってしまうの? ”
” …うん コワーイおじさんが追いかけてきたからね ”
” 私を連れていって。牛の世話はまだ出来ないけど、きっと覚えます ”
” バカなこと言ってんじゃないよ クラ… いや コット ”
…。
だから蛇足だと…。
すいません。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
雑多な世に居場所を求める魂が震える名作
この映画は、観客に徐々にコットの人物像を想像させながら、彼女の世界に好奇心を引き出していく素晴らしい展開があります。
物語の冒頭で、コットが家出してベッド下に隠れた際、マットレスのおねしょの跡がうっすらと見える描写に、監督の手法の優れたものを感じました。
静かで寡黙な主人公が、環境が変わることで原石のダイヤモンドのように輝く姿を描くことで、観客は彼女の内面に共感を覚えるでしょう。言葉以上に多くの感情が存在し、それが静寂の中で語られることがあります。コットの大家族や親戚のキンセラ家との夏休みは、静かながらも心を揺さぶるものでした。
のとやがな農場で過ごす時間は、若い男の子を失ったアイリンとショーンの温かな愛情が重要な要素となり、お互いの心を開き、心の空白を埋め合い、生きる喜びを共有します。この映画は、家族の付き合いにつまづく人々に日常の尊さを教えてくれるものです。
監督のコルム・バレードは、アイルランドの田舎町を繊細に描写し、自然な風景を美しい撮影技法で表現しています。特に、コットが井戸水を汲むシーンは、おぼれる緊張感を伴いながらも無事である結果を伝える脚本はうまく、エンディングでは涙が溢れました。静かな雰囲気の中、胸が熱くなります。
物語にはアイルランドらしい哀愁が漂い、感情が収まらなくなります。
この家には秘密は無いの
先日、館の設備点検日に当たり休館で観られなかった「コット、はじまりの夏」をシネマカリテで。
父親はギャンブル好きで、牛さえ賭けで失ってしまい子沢山で生活は苦しい。
両親や姉達からも疎まれている寡黙な少女
コットが母親の出産(何人目、6人?)までの間、親族のショーンとアイリン夫婦に預けられる。(口減らし?)父親はコットを預けるとさっさとコットの衣類の入った鞄さえ降ろさずに帰ってしまう。
アイリンは優しくコットに接するが、ショーンはどことなくよそよそしい。最初は戸惑うコットも二人の優しさに触れて心を開いていく。しかし、牛舎の掃除をしている間に行方が判らなくなったコットをショーンは激しく𠮟る。それにはある理由があった。近所の葬儀の帰りに、近隣の余計なお世話のオバサンからその理由を知らされる。
母親の出産も終わり、夏休みも終わるのでコットは家に返される。相変わらずコットに冷たい空気が流れる中、帰ろうとする二人を追ってコットは走る。そして、…。
ドアの外側に固定されたカメラで室内を撮る、水面のリフレクションを利用するなどちょっと変わったアングルでのショットが見られる。派手な音楽もなく、農家の静かな生活を映し出していた。
静かな映画だった。涙のラストの後で、コットが心静かな生活を得られていたらいいな。
余談 いつも言ってる事だけど、アカデミー賞は受賞作より候補作(ノミネート候補含む)の方が心に残る作品が多い。
本作も第95回アカデミー賞国際長編映画賞候補作である。
無口で不器用な少女が親戚に 預けられた日々
親戚の家でも 心を開けない、ネクラな少女。
あまり馴染めなかったのか。。。
しかし 親が迎えに来た日に 実は
そこの生活が気に入っていいて 戻りたくないと 駆け出す。。。
良かったね、
真の意味でのお父さん。でもあのエンディングは・・と最初思いましたが、子どもにとっては思い通りになる事は少ないのだと、次第に思い当たりました。
秘密の花園系自然治癒モノと考えても、静かさが際立つ作品でした。“沈黙の機会を逃した”いい言葉と思います、気まずい沈黙の時間、それは決して不要な時間ではないと感じます。
イヌと仲良くなるシーン欲しかった、ヨーゼフの如く。
温かな眼差し
預け先で、コットに初めて会った時のアイリンの温かな眼差しに早くもウルウルしてしまった。
余計なことを言わずに、子どもにとって必要な衣食住を整えていくアイリン。寡黙だが、コットをよく見て包み込むショーン。
親でなくても、信頼できる大人がいれば、子どもは成長していくのだと、強いメッセージを受けとった。
ラストシーンで、思わず抱きつきパパと何度も囁く姿に遂に涙腺崩壊。追いかけてくる父親の姿に心配になったが、コットは今までのように言いなりにはならないだろうと思った。
コットは確たる自分を見つけ成長していった「はじまりの夏」だから。
静かで、温かい映画
アイルランド×田舎というテーマに惹かれて鑑賞…🇮🇪
chatherine clinchさん演じる主人公コットの美しさ、透明感、繊細さに引き込まれます。
仔牛に粉ミルクをあげるシーンで、人間が粉ミルクを飲んで、この子には母乳をあげたらいいというコット…。なんて優しい子
最後のショーンと別れ際に抱きしめ合うシーンはとても好きです。
1980年代のアイルランドの田舎のインテリアや洋服も可愛いくて温かくて、好きでした。
アイリンやショーンに出会って、コットが掬われて、本当に良かった…。コット、いい子すぎるよ…。
コットの目線で、コットの繊細な気持ち、感情が見事に描かれている。
主人公のコットがめちゃくちゃ可愛いくて美人!生まれた境遇が大家族で、貧困で、コット自身の存在が見いだせないまま。。。一夏、親戚の夫婦に預けられて、自然に触れて、二人がコットの存在を認めてくれる。。。静かにあたたかな時間がながれる。。。言葉はいらない。。。井戸の水が澄みきってて煌めいてるのが新鮮で。。。私達、観てる者にもヒシヒシと伝わりました。コットの目線で、コットの繊細な気持ち、感情が見事に描かれている映画だと思いました。オススメ
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