劇場公開日 2024年4月19日

「尼崎育ちの想い」あまろっく 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0尼崎育ちの想い

2024年7月27日
PCから投稿

あまろっくとは尼崎閘門の通称。

工都の号どおり経済成長期に尼崎市の工業地帯は地下水のくみ上げによって地盤沈下をおこしゼロメートル地帯となって水害が多発した。そこで治水および高潮対策と臨海部の船舶利用を両立させる目的で設置されたのが国内最大級の尼崎閘門だという。

親父はぐうたらだがそれを詰られると「おれはあまろっくだから」と弁解する。動かずに護る存在──というような意味だろう。そんな父娘の愛憎が描かれる。

『ちゃらんぽらんで役立たずでほんま迷惑なおっさんやったけど、あたしはお父ちゃんにずっと守られとったんや』という江口のりこの台詞があるとおり、鶴瓶はわれわれの予想どおり&鶴瓶が常に充てられるキャラクターどおりの、ダメと思わせつつ最終的には好人物だった──と回収される父役だった。

日本のドラマや映画では「拙さを厭わずにほのぼのに全振りしてしまう追懐」がよくつかわれる。

たとえば本作では、松尾諭演じる父が釣りをするシーンがあった。(父は壮年期を松尾諭が、老年期を笑福亭鶴瓶が演じた。)
「見とけよでっかい鯛釣ったるからなあ」と言い「来たぞ」と言って釣り上げると、空き缶が釣れて父母娘が「ははは」と笑い合うのが「幸せだったあの頃」の回想になっていた。

わたしはそのシーンを見て、な・ん・な・ん・だ・こ・の・ベ・タ・は。と思った。

鬼才きどりの日本映画じゃないから、全体的にはさほど腹は立たなかったが、なんなんだこのベタは──とは思った。
そしてなんなんだこのベタは──と思う日本ドラマ・映画の演出はすごく多い。

サザエさんの歌詞に「お魚くわえたどらねこ追っかけて素足でかけてく陽気なサザエさん」という一節があるが、ときとして日本の映画やドラマはそういう「拙さを厭わずにほのぼのに全振りしてしまう追懐」を真顔でやってしまう。この歌詞は「みんなが笑ってるお日さまも笑ってる」と続くが、現実に主婦がどらねこを追っかけるという局面があったとして、あなたはそれを面白いと思いますか?

言いたいことが伝わったかわからないが「拙さを厭わずにほのぼのに全振りしてしまう追懐」を見せられるとわたしは全身に鳥肌がかけめぐるわけである。

また「ダメと思わせつつ最終的には好人物だったことが明かされる」という人物像は、わりと常套なキャラクタライズであって、たとえばビッグフィッシュ(2003)でアルバートフィニーが演じた親父もそういうキャラクターだった。
この比較はかこつけだが、ベタな回想をティムバートンが使いますか──という話である。

そんな、なんなんだこのベタはと鼻白むシーンが再三あって苦痛だったことに加えて、配役の違和感もハンパなかった。

笑福亭鶴瓶の再婚相手が中条あやみである。65歳設定の鶴瓶の再婚相手が20歳設定の中条あやみである。
現実でも年の差婚はあるわけだから、好きに設定すればいいのだが、鶴瓶の嫁さんが中条あやみって、どう見たって飛躍しすぎ。

が、役者たちは頑張っていた。日本の映画・ドラマでは作品のクオリティが低くても役者は頑張っているので、ここの江口のりこも中条あやみも悪くなかったが、ベタや違和感のなかで結局役者の頑張りがかき消された。

とはいえ監督は志をもってこれをつくっている。

『監督の中村は「数年前、関西を直撃した台風で『尼崎市は【尼ロック】のお陰で被害が少なかった』という記事」を目にしたことを述べ、小6まで尼崎で育った中村も尼ロックについては何も知らず、「尼崎市民でも知らない人がほとんど。なんのアピールもせずただそこにいるだけで家族を守っている不器用な父親のようだと思った」と語っている。さらに、「阪神淡路大震災からまもなく30年をむかえる節目で、苦境の中から立ち上がる家族の姿を伝えたい」とコメントしている。』
(ウィキペディア「あまろっく」より)

震災の節目というのも「被災者の想いに寄り添うマーケティング」になっていてレビューサイトの評価はいずれも悪くないが、個人的にはだめだった。

尺にすると1、2分だが三回でてくる江口のりことコンビニ店員のシーンだけが面白かった。(コンビニ店員役の寺田光という子がとても巧かった。)

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津次郎