型破りな教室のレビュー・感想・評価
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「子供を国の歯車にする教育」との指摘に考えさせられる
紹介されているように実話に基づくドラマで、主人公の教師フアレスと、廃品回収業の父親を持ち数学の才能を発揮するパロマ・ノヨラは実在の人物。雑誌「WIRED」に掲載されたフアレスとパロマを取り上げる記事がきっかけになり、映画化の企画が立ち上がったという。哲学に興味を持ち図書館を訪れた生徒を哲学書コーナーに案内するスタッフの役で、パロマ・ノヨラ本人が出演している。
映画中盤、フアレスは校長先生とビールを飲みながら対話する場面で、メキシコの教育についてこんな指摘をする。学校は100年前から変わっていない。ベルを鳴らし制服を着せて、「静かに」「整列しろ」「手を挙げろ」を命じる。子供たちを国という機械を動かすただの歯車にする教育だ、と。
これは少なからず日本の教育にもあてはまる批判だと痛感した。もちろん戦前、戦中に比べて改善された部分も大いにあるだろうが、個性や自主性を伸ばすことより、型にはめて社会や組織のルールに従順な“常識人”に育てることを重視する傾向が根強く残っているように思う。自分の小学生の頃を振り返っても、「整列しろ」「手を挙げろ」と言われて何の疑問もわかなかったが、言われてみればそれも軍隊のように上の命令に下の者が従うというルールの刷り込みだったのかと、今さらのように気づかされた思いがした。
フアレス先生の理念が、教育や子育てに携わる多くの人に届くといいなと願う。
導くことの素晴らしさ
詰め込み教育への問題定義と挑戦を描かれている。主人公の先生ごスペシャリストではなく、自主学習からのチャレンジ。無理やり覚えさせるのではなく、やる気を産み出すコーチングを教師が行う姿に理想の教育者が見える。
子供が家で勉強していると親が止めさせようとする世界の話
2011年、当時のメキシコにおける治安の悪さを象徴するかのように、本編のドラマとは関係なくずっと銃声や悲鳴が聞こえている作りで、今年公開の『関心領域』みたいと思ったが、『関心領域』と違うのは、この構造が物語後半の展開に直接関わってくるところ。
先生や生徒の台詞の中に、人生の教訓になりそうな哲学的な内容が多かった印象。
納得できることもあれば、それはどうかなと思うこともあった。
個人的に一番同意した部分は、学校の教師が「生徒に舐められたらダメ」というのに対し、主人公の教師・セルヒアが「僕とは正反対の意見ですね」みたいなことを言う場面。
昔あったCMの台詞で「教師は嫌われるのが仕事」というのがあったが、個人的にこの意見には反対で、まず教師は生徒から好かれて尊敬されることを目指すべきだと思う。
その方が教師の伝えたいメッセージが生徒に浸透しやすいと思うのだが。
やる気のない生徒が、セルヒア先生の型破りなやり方で授業に夢中になっていく場面は、2021年公開のデンマーク映画『アナザーラウンド』の授業シーンと比べると、説得力が弱かったように感じた。
というか、『アナザーラウンド』の授業シーンは、映画史に残る名授業だと個人的には思ってる。
両作共通のメッセージは「教師は生徒が興味を持つような授業をしろ」ということで、そこを否定する教師はいないと思うが、それって実はものすごく難しいことなのでは?
たぶん、そこそこ儲かっているお笑い芸人ぐらいの人を惹きつける能力が必要で、日本全国数万人の教師全員にそれを求めるのは厳しいものがあると思う。
努力すべきだとは思うけど。
本作のような映画でありがちなのは「通常の授業のやり方を全否定して、こっちのやり方が正しい」という見せ方。
子供は多様で、勉強のやり方の合う・合わないは人それぞれだ思う。
「セルヒア先生の型破りな授業」より「定番の授業」の方がやりやすい子供もいると思うので、今までのやり方を全否定するのではなく、こういうやり方もあるよ、ぐらいの描き方の方が良かったように思う。
この映画で不幸だと思ったのは、親が子供の勉強を否定してしまうこと。
子供が家で勉強していたら、日本だったら泣いて喜ぶ親ばかりだと思う。
親が子供を自分の所有物と思っているから、こういうことが起きるのかなと思った。
でも、自分の将来を楽にするために子供を作る親は、日本にも多い印象。
クリスマスには重かったかな
10数年前のメキシコの話ではあるが、100年以上前の日本もこんなもんか?学校行くより勉強より仕事、家事手伝い、親兄弟の面倒。学べる時は学びたくなく、学べない時は学びたい。
型破りというか、詰め込み型ではなく自分で考えて学ぶ指導方。自分で考えるって後になってからも忘れないし、壁にぶつかった時も柔軟な気がします。
しかし、ニコに課した問題は子供には、あの環境下では正しい方を選択するのは難しいだろう。
フラグ立っていたけど、何とかなるかなって思ったけど、現実はこうなるよなぁ。
「誰が最初に間違える?」
今年298本目。
新宿武蔵野館で。
誰が最初に間違える?
君達が必ず持っている物がある"可能性だ"。
サンダンス映画祭映画祭観客賞受賞、納得です。
2023年メキシコ興業収入1位、300万人動員。
海外の良作は偶然の出会い(セレンディピティ)で嬉しい。
事実は強い!感動してしまった
金八に代表されるこの手合はかなり苦手だが惹き込まれた。映画的に見やすく受けのよいトピックで構成したとしても、結果数字を残したというのが説得力あり。不可欠な紙の勉強を自発的に行ったのなら凄すぎるかも。
生徒の大半はプロ子役ではないらしいし、セルシオと校長もスター性が無いのもよいし😆実勢社会に呑み込まれたニコとルペでアクセントも付けた(コレは事実なのかな?)
革新的だけでは教師は泳げない、弱そうな校長だけど理解者がいて良かった。
メキシコのリアルと世界共通の子供たちの無限の可能性
そう、子供たちの無限の可能性(ポテンシャル)は世界共通だ
そして、その可能性を大人の都合で型にはめて、数字で評価して
個々の個性や可能性に蓋をしようとすることも世界共通だ
数字で判断するのは社会や先生のエゴであり職務怠慢だが
個人個人と正面から向き合うことは先生にとってはとてつもない
エネルギーであることは間違いない
武田鉄矢さんの金八先生に当時中学生だった私は感動したものだ
それでも、「こんな先生はいない」とも思っていた 現実味は感じなかった
確かに日本では幻だったかもしれないが、映画の中の生徒も先生もひたすら
人間らしいリアルさにあふれている
それが、メキシコという国のリアルさも相まって、静かに闘うメキシコの先生の
子供たちへの愛情と、個々の生徒の抱える「現実」から打ちのめされるリアルに
見ている我々は感情を揺さぶられる
ただ、全員の生徒を救う事は出来ないこともリアルだが映画の中では
救われない生徒にも、「救い」が描かれていて涙が溢れながらも心が救われた
「誰がボスかを判らせてただ従わせればいい」
「あなたにその本はまだ必要ないでしょ」
「テスト対策の勉強だけ効率よくすればいいんだ」
私達の周りにあふれる、子供たちを「殺す」言葉にあふれる中
「君たちには無限のポテンシャルがある」
「宇宙飛行士にだって、哲学者にだって、彼女の夢を支える無二の男にだってなれる」
死んだ目の子供たちの目に光が輝く言葉がそれらをはじき返す力になっていく
彼女の名前が刻まれた小舟を、校長先生と一緒に海原に押し出すシーンが好きだ
生まれたばかりの末っ子の面倒を見るために試験を受けに行けない子供の目には
ちゃんと光が残っていることを描いているシーンが好きだ
ずっと、学校の外から、不思議そうに校庭の生徒の様子を見つめている子供が
最後に門の前に立って中をのぞいているシーンが好きだ
そして私が一番好きなのは、校長先生だったりする
いい映画だった
ゴミ山さえもが美しい。
「教育とは、生徒が自発的に成長することを促す営みである。」という信念で、型破りな授業をして、最低と見放された子供達の潜在力を開花させた実話に基づく物語。結果ではなく、知ることの喜びに目覚めた子供達の人としての素晴らしい成長の過程が何より美しく、そうなると、貧困の象徴であるゴミ山さえもが、空の青さとの対比で白く輝いて見えてしまうところが、なんとも不思議でした。(以下ネタバレありです。)
例えば、ゴミ山での金属収集で生計をたてている病弱な父の身体を労りながら、仕事を手伝うパロマは、授業を受けて、以前は思いもしなかった宇宙工学者への夢をもちはじめます。また、兄の手伝いをしながら、いずれはギャング団の一員になる道を辿っているニコは、自分が神秘的な法則に支配されている宇宙の一部であることを実感し、ギャング団に入ることをためらうようになります。さらに、自分で考えることの楽しさを知った子沢山の母子家庭の長女ルペは、大学の図書館に通って哲学の本を読みあさるようになります。この三人を軸に物語は進むのですが、三人だけでなく、学ぶことの楽しさに目覚めたこどもたちの目は、犯罪や麻薬と隣り合わせとは信じられないくらい、みんな明るく輝いていたのが、とても印象的でした。
メキシコの人質ビジネスや、麻薬犯罪を題材にした映画は数知れず、第1次トランプ政権による「壁建設」に至っては、メキシコ人がアメリカ人に比して劣っているかのような印象操作が行われているような感さえありましたが、本当にそうなのでしょうか?「1から100までの数の和」をわずか数秒で解いたパロマの計算方法は、レンガ職人の子として生まれながら「歴史上最高の数学者」と言われたガウスが小学生時代に発見した方法と全く同じでした。つまり犯罪と麻薬に汚染されているのは確かに事実かもしれませんが、それは長い歴史の違いがあってのことであって、ホモサピエンスとしての潜在的な能力は多分アメリカ人や我々と何ら変わるところはなく、天才の潜在的な発生確率は、同じなのではと思います。
また貧困のためその才能を社会で生かすすべを持たないという状態は、果たして本当に悪なのでしょうか?知る喜びだけではダメなのでしょうか?ルペが授業で「中絶の是非」の論議をするにあたりミルの「最大多数の最大幸福」(ベンサムのそれより倫理的な側面を重視しているそうです。)を引用し、「彼ならこの貧窮をみて中絶賛成と言うと思いますが、世話をしている可愛い弟たちがもし生まれなかったら・・と考えると、私は簡単に賛成とはいえません。」といった考えを述べます。そしてその考えは彼女の最後の選択に繋がっているように思うのです。その選択をしたときの表情が、たまらなく美しく見えました。
学びの力と人の可能性、そして社会の壁
『型破りな教室』は、子どもたちが持つ無限の可能性を描きながらも、社会の壁がもたらす現実の厳しさを強烈に突きつける映画でした。
観終わった後、頭の中で矛盾した感情が渦を巻き、すぐには言葉にできない余韻が残ります。
希望と絶望、喜びと悲しみと怒り、これらが同時に押し寄せ、深い問いを投げかけてくる映画です。
主人公の教師が実践する教育スタイルは「問いを起点に学びを引き出す」というものでした。生徒の知的好奇心や内なる意欲を刺激し、彼ら自身に思考し、学ぶ方法を見つけさせるスタイルです。
ティーチングではなく、コーチング。既存のカリキュラムを無視し、教科書に頼らない型破りな方法による子供たちの劇的変化は、既存の教育システムを明確に否定しています。
そのアプローチによって、子どもたちは学びの喜びを知り、好奇心が目覚め、才能が花開いきます。そして自分の未来に無限の可能性を感じるようになります。
しかし、それを許さない現実が立ちはだかります。貧困や教育の価値を知らない親たち、麻薬取引など治安の悪い地域環境。その中で、学ぶ力や秘めた可能性ではどうにもならない「社会の壁」が、子どもたちの未来を奪おうとします。
映画の最後に引用されるアインシュタインの言葉――「私の学びを妨げる唯一のものは、私が受けた学校教育である」――は、まさにこの映画のテーマを象徴しています。
教育システムが可能性発揮を邪魔せずに、引き出しサポートするものになるにはどうすべきか。この問いは、映画の舞台であるメキシコだけではなく、私たち自身の社会にも当てはまるものです。
『型破りな教室』は、学びの力の無限の可能性を信じる一方で、それを阻む社会の現実を赤裸々に描き出した作品です。その矛盾が、私たちに「では、どうするのか」と問いかけてきます。そして、観終わった後も頭の中で問いが残り続ける。そんな映画でした。
倫理と論理
メキシコ北東部にあるマタモロスの小学校に型破りな教師がやって来て、子供たちの成績を全国最低レベルのからトップレベルに導いた話。
出産の為に辞めた教師に代わり、元中学校教師のフアレスがやって来て、生徒たちに教科書とは関係ない問いかけをして巻き起こっていく。
日本とはお国柄の違いや環境の違いはあるし、そういう国の最底辺だから通じた様なところもあるだろうし、流石にそれだけでいきなりトップレベルまではないだろうにという都合の良さというか極端さを感じるつくり。
パロマの凄さもイマイチ伝わって来ないし…というか現在20代中頃ということですよね。小学生としての天才レベルだったのか、現状どうなんでしょうね…。
かなり面白かったけれどなんだか色々と物足りなさも感じた。
最高の教師は子どもの心に火をつける
予告を目にした時から鑑賞予定リストに入れていた本作。教育現場での感動のドラマを期待して、公開2日目に鑑賞して来ました。
ストーリーは、アメリカとの国境付近にあり、貧困と犯罪に苦しむメキシコのマタモロスで、教育底辺校と言われる小学校に赴任してきた教師・フアレスが、やる気のない同僚と設備の整わない学校という逆境にもめげず、型破りな授業で子どもたちの探究心をかき立て、全国トップクラスの成績に押し上げていくというもの。
貧困家庭、ヤングケアラー、治安の乱れなど、混沌とした社会情勢の中で満足のいく教育どころか、まともな生活さえままならない子どもたち。本来なら、そんな子どもたちを家庭や学校や地域や国が全力で支えるべきなのですが、家庭にそんな力はなく、教師たちも完全に意欲を失い、地方行政にも何ひとつ期待できません。かろうじて国は危機意識をもち、学力検査による競争原理を持ち込み、教師のモチベーションを報酬で上げようとします。しかし、教育を数値化された結果でしか見ようとしないのは、いかにも現場を知らない役人の考えそうな短絡的発想で完全な悪手です。これがかえって現場の教師を腐敗させていきます。
そんな中、担任のフアレスが行う授業が、子どもたちに学ぶ楽しさに気づかせます。つまらない暗記や点数から解放され、知的好奇心を満たそうとする子どもたちのいきいきと輝く目がとても印象的です。一見遠回りのようで、実はここにこそ教育の本質があるように思います。本作は2011年にメキシコであった実話がベースのようですが、それから10年余、彼の教育理念がどこまで広がったのか気になります。
では、日本はどうかと考えると、決して他人事ではないように思います。疲弊して心身の健康を損なう教師、欠員補充がなく担任不在の学級、保護者の訴えに怯える学校、事なかれ主義が蔓延る職員室…こんな沈みかけの泥舟に乗りたい若者がいないのは当然で、日本の教育も今や崖っぷちにあるように思います。しかし、日本にだって、この泥舟の穴を塞ぎながら必死で漕ぎ続けている、フアレスのような教師がいるはずです。ファレスの思いが校長を揺り動かしたように、教師の熱い思いが子どもだけでなく、同僚や保護者にまで広がり、この国の教育が少しでも改善されるといいと思います。
劇中、パロマの父がフアレスに対して、「無責任な夢を見させないでほしい」と口にします。夢を諦めて悲しむ我が子を見たくないのでしょう。その思いも十分に理解します。しかし、夢を与えない教育こそ、よほど無責任ではないでしょうか。教育は、夢の実現を保証するものではなく、夢を与え、それに向かってがんばる子どもたちに寄り添うものだと思います。
教育に関する有名な言葉にこのようなものがあります。
「平凡な教師は言って聞かせる。 よい教師は説明する。優秀な教師はやってみせる。 しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。」
フアレスは間違いなく最高の教師です。
キャストは、エウヘニオ・デルベス、ダニエル・ハダッド、ジャニファー・トレホ、ミア・フェルナンダ・ソリス、ダニーロ・グアルディオラら。
子供達から「学ぶ」機会を奪ってはいけない
学ぶことの楽しさを知り、将来の夢を抱くことができるようになった子供達に幸あれ。
治安が悪く、生活にゆとりがなく、金銭もメンタルもギリギリで生活しているような親を持った子供達にとって、セルヒオ先生との出会いは、初めこそ不安があったかもしれないが、超ラッキーだったことだろう。
生きるていくだけでも精一杯な地域での学校教育について
日本の熱血教師が活躍する学校ドラマは数多観てきたつもりだが、国が違うと自分の経験で予測できる展開とはかなり違い、全く先が読めなかったところが面白かった。
まさに「事実は小説より奇なり」。
小学生ですでに人生を諦めている子達にまず興味を持たせ、学ぶことの楽しさを教えることが大切なのは誰でも理解しているとは思うが、実際には本人だけでなく親や家族、学校の協力がないと潰されるだけで、相当強い意志や根回し、周囲の協力がないと難しい。
特に貧困と腐敗が蔓延しているマタモロスのような地域では志を持った教師が孤立することは目に見えており、本作の場合は唯一の救いは校長が味方になったことくらいで(日本のドラマだと反対派に教頭がいて、校長は温かく見守るだけだけど)、物語はどういう結末に向かって行くのかと言うより「こうなってくれ」とか「こうならないでくれ」とか祈りながら観ていた。
生徒にはあきらめないように根気と工夫で指導するが、教師も挫折しながらもう一度奮い立たち上がって行く姿が心を打たれる。
そしてテストの成績が出てると子供達は本当に学びたかったんだという事がわかり、文字情報だけなのに涙を誘う。
「型破りな教室」ってなんか「GTO」や「ドラゴン桜」みたいなのを連想させることが目的のタイトルだとしたら、配給会社はそんな小細工をせず、もっと内容に自信を持ってオリジナルのタイトル「Radical」のままでいいと思った。
いまだにPCが来てないってほんとに国や行政自体が腐ってる。
哲学者になりたかった子はなんとかしてあげたかった。
子供達の演技が本当に上手かった。
ゴミと死体が身近なメキシコ。
スラムのダメ学校に居る天才と、自主性を優先するルール無視の先生がそれを開花させる所が実話らしいです。
メキシコのギャングの話は掘れば思わず目をそむける写真がぽんぽん出てきます。朝起きると街に死体が転がってるのは日常だそうです。そういう状況が日常なら慣れるもんなんでしょうか?
なんか寧ろちゃんと学校行って勉強したいと思うかもしれない。ただ貧しい現実がそれを許さないんだろうなぁ。映画のなかでもそんな現実に引き裂かれる子供達が切ない。
メキシコも日本も、今の教育は基本優秀な兵隊を作るためのプログラムです。指示に従う事、規律、均一化が絶対で個性を伸ばす事は二の次ですわ。しかしあまりに自由にし過ぎても常識平均値は下がりまくるわけでアメリカで日本は芸者富士山、中国の一部とか思ってる人が普通に居るらしい。
まあ、興味無ければしょうがないが常識のレベルをある程度で一定にする事も重要だとも思う。
厳しい現実
勉強したい子どもがいて、自由に学ばせたい教師がいても、それを阻む親や環境がある。
勉強したところで何が変わるわけでもないという、マイナスからのスタートの子供たちが、セルヒオに出会ったことで学ぶ楽しさを知り、いきいきとしていくのが素晴らしい。
太っちょイジりされる校長先生もいいキャラしてる。あの校長だったからあそこまで出来たんだろな。
しかし実話ゆえ全てがうまくいくわけはなく、どうしても現状を変えられない子がいるのがもどかしい、自分の可能性を知ってしまったから余計に。
現実はやはり期待通りにはいかないもんだ。
それにしても教育委員会ってのはどこも一緒だなぁ。
子供たちを第一に考える教育委員会はこの世に存在しないのだろうか?
こんな先生に会いたかった
先生のキラキラした瞳が印象的。
無反応の生徒を徐々に引き込んでいくその力が素晴らしい。
可能性ブラボー!
ただ、色々な要因が重なってものすごく眠くなってしまった・・・
映画のテンポが自分には合わなかったのか?
しっかり観ていたら星4かも。
実話の方のドキュメンタリーが観てみたい。
貧乏で可哀そう、なんて思ったら貴方の負け、日本の問題と捉えるべし
圧巻の感動作です。実話に基づく映画の場合、その実話が感動的だからいい映画としたら実に片手落ち。いい話をベストな映画化で仕上げたからいい映画となるべきで、無論本作は後者です。メキシコはマタモロスが舞台、調べたらメキシコの東側でメキシコ湾に面した最北部、要するにアメリカ合衆国と国境を接した人口50万人超の都市のみならず、アメリカ側テキサス州のブラウンズヴィルを含めた一つの経済圏だそう。ですが、この貧困の苛烈な現実が2011年の時点だそうで驚くばかり。本作での問題の根底はすべてこの貧困に由来するもの。中南米諸国の混迷は多少でも知ってても、メキシコですらこの現状とは凄まじい。とは言え7人に1人は貧困と言われる日本ともども、貧しい政治の帰結であって到底他人ごとではない。
元気いっぱいの、タイトル通りの型破りな教師の奮闘によって、子供達
(小学6年生・12歳)の生き生きとした成長を描く。よくあるタイプと言えばそれまでですが、主役の教師を変人として描かず、押し付けがましくなく、説教臭くもない描き方が奏功し、嫌味なく感動の域に連れていってくれます。人物配置はこの教師・フアレスと体制側と思わせて実は協力を惜しまない校長チュチョ。クラスの約30名程からメインとして描かれるのが3人に絞られ、ゴミ拾いで辛うじての生計を立てる父親の娘パロマ、彼女に思慕を抱くもギャング集団に属する少年ニコ、そして母子家庭で4人目を妊娠した母を助ける少女ルぺとなり、本作でのヒール役は市の教育委員長?となる布陣。
シリアスな現場ですが、作品の優しさの象徴として校長・チュチョの激しく太った体型と憎めない禿げ頭が計算された上で描かれます。ドーナッツを見つめる目の優しさを上手く捉え、その体型も子供達の成長に大いに役立つ仕掛けが巧妙です。パロマは美形ですが、その激しい貧困ぶりを一切恥じる事もなく、堂々としている所が圧巻で、病弱な父親をほとんど乞食同然でも愛してやまない描き方が凄い。ロバにクズ載せて学校まで父親と来るなんて、これがフツーなの? ここまで人間出来ていれば凄いですよ。彼女の賢さは天才レベルですが、あっさり身を引く有り様には手も足も出ないのが悔しい。とは言え、ラストにはその実力を発揮出来たからいいけれど。
対して、幼い兄弟の世話をしながらも、哲学への興味が湧きあがるルぺはその意欲を自ら閉ざしてしまうのが辛い。赤ちゃんを連れてまで試験会場に来るのを願ってましたが、叶いませんでした。自分のしたい事を見つけた幸運には感謝ですが、それを貫く事を環境が許さない切なさには胸が苦しくなります。そして兄が既にギャング集団ゆえ、多分麻薬でしょう、その運び屋を担わされているニコに対しフアレスは「自分で決めろ」と本人に委ねるも、最悪の結果を迎えてしまう。日常の生活圏に死体がある精神的タフさって、私には理解が及びません。パロマと一緒に海の向うのヒューストン宇宙センターを望遠鏡で臨む一時が至福の時でしたでしょう。
知識より自ら考える力を先に備える教育で、実際に国内でもトップクラスの成績に上がったのですから文句は言わせません。フアレス先生の口にするキーワードは珠玉の名言がぞろぞろで、ポテンシャルは誰でも持っているが使うか否かは本人次第ってところは感動的です。受動的な知識ばかりを詰め込んだ日本の教育の弱点は、今年の数多の選挙での行動にストレートに現れてしまいました。自らジャッジしないで、ネットでの潮流に乗っかる軽薄さです。他人のより自分自身の可能性をもっと信じましょう。
映画は当然にエンドロールで実際のご本人達の写真を映し出します。ルぺやニコは実はどこにでも居るハズで、それを見つけ引き出すってのはそんなに難しいのでしょうか? 無論、難しくしているのは貧困に比例しているからで、それを企む政治ってのは要するに国民を従順なままにしておきたいのです。世の先生方に本作を是非観て頂きたいって、先生方はクソ忙しい状況に漬け込まれてますからね、そう言う悪巧みを見破らなくてはなりません。
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