「三跪九叩頭の礼を強いられる悲哀」梟 フクロウ 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
三跪九叩頭の礼を強いられる悲哀
17世紀中盤の朝鮮王朝を舞台にしたサスペンスでした。時の朝鮮国王・仁祖の皇太子である(昭顕)世子は、清国に人質に取られていたものの、8年ぶりに帰国が許されて清国の使者とともに朝鮮に戻って来る。そんなところから物語は始まりました。この辺りの朝鮮史に暗いので、少し調べてみたのですが、元々漢族の明国に従属していた朝鮮でしたが、中国大陸で女真族(満州族)の後金(後の清国)が勢力を伸ばし、やがて明国が滅亡して清国が中国全土を支配することになり、その過程で朝鮮の立場にも大きな影響があったことが、本作の物語の底流にありました。
そもそも世子が清国の人質になるきっかけになったのも、いまだ明国が存在した1936年に清国側から従属を迫られた仁祖が、それを拒否した結果清国に攻撃され、その戦い(丙子の乱)に敗北したことが原因でした。本作でも、「南漢山城の屈辱」という話が何度も出て来ましたが、仁祖をはじめとする朝鮮王朝の首脳部は、南漢山城に40日余り立て籠もって清国軍と戦ったものの結局は降伏し、「三跪九叩頭の礼(皇帝の前で跪き、手を地面につけながら3回額を地面に打ち付ける一連の動作を3回繰り返すこと)」で清国の皇帝ホンタイジに従属の意を示し、世子や大臣の子女を人質に差し出すことや、明国との戦いに援軍を送ること、貢物を献上することなどという屈辱的な条件を飲まされます(三田渡の盟約)。その後1644年に明国が滅んだことで人質を取る必要がなくなったため、前述の通り1645年に世子は朝鮮に戻ることを許されることになり、本作の物語も幕を開けることになります。
本作でも描かれていましたが、世子は清国に人質に取られていたことで清国にシンパシーを持ったのか、もしくは清国の強大な力を知ったのか、いずれにしても明国を滅ぼして飛ぶ鳥を落とす勢いがあった清国の気風を朝鮮にも取り入れようとしたようです。一方国王の仁祖は、南漢山城の屈辱の恨みがあるのか、はたまた息子とは言え清国の威光を背景にした世子に王の座を奪われるのを恐れたのかは分かりませんが、両者の関係は急速に悪化し、清国から帰国して僅か2か月後に世子は死んでしまいます。この世子の死は、朝鮮王朝の正式な記録である朝鮮王朝実録にも記録があり、毒殺を思わせる状態だったと記載されているそうで、本作はそうした記録から創造された物語でした。
ようやく本題に入りますが、主役のギョンスは盲目の鍼医者であり、その腕を買われて宮中に取り立てられます。この辺りのシチュエーションは、アニメの「薬屋のひとりごと」と似ていて、平民がひょんなことから宮廷に仕えることになり、その技量がトップに評価されるという流れは、非常に似通った感じでした。ただ「薬屋のひとりごと」の場合、ミステリー要素はあるもののラブコメ要素もある可愛いお話ですが、本作は主人公がいつ殺されるか分からない状況に置かれるスリリングな展開になって行くので、その後の展開はだいぶん異なる様相を呈していました。
開明的で心優しい人物像に描かれた世子に見込まれたギョンスは、出世の糸口を掴んだかに思えましたが、前述の通り世子が突然亡くなってしまったため、彼の運命は急転します。朝鮮王朝実録に書かれたように、世子が毒殺されたことを知り、その黒幕の正体を知ったギョンスの運命や如何に?一番の見所は、チラシにもある目に針を刺されようとする場面でしたが、このシーンを始め、非常にスリリングな展開が多くて楽しめました。
ただ、朝鮮史を知らない者が観るとビックリ仰天する話だったのですが、何せ正史にも記載されたことを元にしているお話だけに、韓国人にとってはそれほど意外な展開ではなかったのかも知れません。それでもチラシなどによれば、本作は韓国で大ヒットしたようで、各種映画賞も受賞したとのこと。
ヒットの理由はなんだったのか?その辺りを考えてみると、ひとつは史実を踏まえた上での歴史ミステリーは、日本のみならず韓国でも人気があるんだろうということ。本能寺で信長が討たれてしまうことが分かっていても、繰り返し信長の物語を観てしまうのと同じことですね。また本作のフィクションではあるものの、主人公であるギョンスの物語が非常に起伏に富んでいて面白かったこともあったと思われます。
一方で私個人が思ったのは、大国の意向に翻弄され続ける朝鮮の歴史に、改めて愕然としました。近世以降を振り返っても、明国に従属し、明国が滅亡すれば清国に従属を強いられる。さらに19世紀になって日本が台頭したかと思えば、20世紀前半は日本の支配下に置かれてしまう。そんな日本が戦争に負けて「光復」が訪れたかと思えば、米ソ対立の先兵にされてしまい代理戦争までする羽目になり、いまだに民族統一は果たされぬまま。こうした朝鮮史には日本も大いに関わっているだけに、大国の事情で仁祖と世子の父子の対立が生まれ、やがて世子が毒殺されてしまう悲劇という話を聞くと、世子のみならず、仁祖にも悲哀を感じてしまうところでした。
勿論本作で描かれた彼らの人となりには多分にフィクションが含まれているので、本作を観ただけで一概に史実の全てを理解できる訳ではありませんが、日本で言えば江戸時代の初期に、朝鮮半島で何が起こっていたのかを知るきっかけになった本作は、非常に印象深いものでした。
そんな訳で本作の評価は、★3.5とします。