弟は僕のヒーローのレビュー・感想・評価
全37件中、1~20件目を表示
色々と考えさせられる作品
配信(DMM)で視聴。
色々、考えさせられる映画だった。弟は障害を持っている。
お兄ちゃんのジャックは弟を大切にしてYoutube動画に紹介するほど。
しかし、思春期に好きな女の子に嘘をついてしまったことが街、家族
街で大騒動。お兄ちゃんの嘘もわからなくはないが、やはり嘘はだめ。
しかし、家族のフォローが温かいし、後味がいい作品。映画館で観ようか
迷って見逃したが配信で観て良かった。
My brother chases dinosaurs が大切
家族に障碍者が居る事は別に大声でひけらかす事ではないでしょうが、必死で隠さねばならないことでもない筈です。でもどこか恥ずかしく感じ、目を伏せていたい気持ちも分ります。ダウン症の弟ではなく、そんな気持ちの兄に焦点を当てたのがよかったな。でも、原題 "My brother chases dinosaurs" の邦題がこれでは余りにお粗末ではないでしょうか。
【本当はダウン症の弟が好きなのに、世間体を気にして兄が付いてしまった嘘。彼はその為に多くの友人を失いそうになるが家族の支えで、弟の素晴らしき個性に改めて気づき、世間にメッセージとして発信する物語。】
■ジャックは、小さい頃は初めて出来た弟に大喜びするが、両親から弟のジョーは”特別な子”と言われる。ジャックが成長する中で、”特別”の意味を知り、思春期を迎えたジャックは”弟は死んだ。”と嘘を言ってしまう。
ジャックはジョーが取ったYou Tubeの再生回数が2000回を超えた事から、更に赦されざる嘘を付くが、直ぐにバレて彼は高校で独りぼっちになってしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作が響くのは、ジャックが幼き時はダウン症の弟ジョーの事が好きなのに、思春期を迎え弟の存在を”恥ずかしい”と感じ、”弟は死んだ。”更にジョーが取ったYou Tubeの再生回数が2000回を超えた事から更に嘘を付いてしまい、好きなアリアンナを始め、家族や友人から軽蔑されるも、彼の真意を知る器の大きい両親及び2人の姉から掛けられる、温かい言葉と態度である。
・そこからは、ジャックの家族の絆が感じられるし、ジョーに対してもジャックの両親は決して悲観的な態度は取らず、逆に”ヒーロー”であるジョーの存在及び個性を尊重する姿が描かれている。
ー ダウン症の少年の姿と彼を支えるゲイのカップルとの関係を描いた哀しき名作「チョコレートドーナツ」とは今作は真逆の作りをしている。
何しろ、実話がベースである事が嬉しい。-
<幼き時から思春期に至る過程で、ジャックがジョーの事が好きなのに徐々に世間の目を気にして、ジョーの存在を否定する言葉を発する複雑な表情が、何とも切ない。
そして、ジャックは自身が付いた嘘で追い込まれて行くのだが、彼を救ったのは懐の深い両親と二人の姉が両親が一緒に成るきっかけとなった駐車場で行ったキャンプで、(雨が降って来たので)車の中で彼に掛ける温かい言葉であった。
そして、ジャックは自らの過ちに気付き、昔から抱いていたジョーへの真意”ヒーロー”と言う言葉を思い出し、ジョーの肩を笑顔で抱いたYou Tubeを撮るのである。
今作は、思春期の少年、ジャックを演じたフランチェスコ・ゲギの繊細な演技の魅力溢れた、且つ家族愛に溢れた作品であると思います。>
きょうだいがいるってこんなに素敵なことなんだ!
イタリアの家族の結びつきの強さ、おおらかさと愛にまずは心があったかくなる。そして家族全員(叔母も祖母もみんな)が新しい子どもの到来を待つ気持ちは御子イエスを待つかのようだった。
ダウン症の子どもは愛嬌があってとてもかわいらしい。モデルになっている人もいる。でも親含めて家族の気持ちを考えると辛くなる。ダウン症でなくとも何らかのプレゼントを神さまから生まれつきもらっている子は人間世界・社会では辛い状況におかれる。どんな家庭にもいる。見えなくしているだけだと思う。
可愛いね。カギ十字Tシャツを着て、お兄ちゃんに「だいすきだよ」と言うスーパーヒーロー!ここはもう誰でも泣けてしまう。
産まれてきた弟がダウン症で、弟を大切にしつつ、周囲の人々とどう接す...
産まれてきた弟がダウン症で、弟を大切にしつつ、周囲の人々とどう接するか逡巡する、兄の様子。
最初は些細なウソをついたつもりが、ウソに上塗りを再三重ねてゆき、
街中を巻き込んだ大騒動にまで。
自業自得でもあるでしょうし、思春期の機微でもあるでしょうし。
一方で、
イタリアらしく、家族を大切にして会話が多いところ。
その明るさ、懐の広さに、救われる印象でした。
兄ちゃんがヒーローになるまでの成長物語
ジャコモ・マッツァリオールが記した《自身の弟と自分のついての著書》を、ステファノ・チパーニ監督が映画化。
映画が終わって、館内が明るくなってお客さんたちが立ち上がったとき、
(僕以外には2人ずつのお客さんが二組、つまり館内には5人の客がいたわけだが) 、
みんな無言で立ち上がって顔を見合わせていた
面白かった?
わかった?
うーん・・
という表情。。 僕も含めて。
予告映像や、観に来た我々の期待に反して
弟くんの出番よりも兄ジャックの心象風景が、たくさんのエピソード群となっていたからだ。
《兄ひとりの物語》が、この作品の中心を占めている。
兄の姿に映画のほとんどの尺が費やされている。
弟よりも兄が描かれている。
なるほどと思った。
そこが終演の瞬間、あてが外れて本作のテーマがよくわからなかった理由であり、意外ではあるのだが、
そここそがこの映画の(原作の) 主題なのだと、あとから判った。
この映画、弟はほとんど出演しないのだ。
・・・・・・・・・・・・・
「迷った時期」、これは僕ら誰しも覚えがあるだろう。
ダウン症の弟と距離を取るために、町の高校には行ってみたものの、まったく馴染めずに相当の無理をしている兄ジャックの様子が、この映画の「核」。
街での彼は「心、ここにあらず」で、
「ただ弟からも、両親からも、姉たちからも距離を持ちたい」と願うだけの、兄の心象風景なわけだ。
たぶん原作者ジャコモ・マッツァリオールは、自らの実体験を家族小説に著したのだろうけれど、文才としては少し未熟かな。
そして長編映画は今回初めて手掛けたという、ステファノ・チパーニ監督も、映画作りの編集の腕としてはまだまだなのだろう。
・
でも
観終わって、ひと晩たってから映画の構造がわかった
①導入:弟の誕生
②主題:回避と逃亡
③副主題:両親
④結:ジャック
で、
②の《主人公の街の高校での生活》が、
尺が長い。とてつもなく長い。
だから観客は戸惑った。
しかしある意味ではそのエピソードなんてどうでもいいことなのだ。
主人公ジャックの《目》は
・マリファナに奪われ、
・初めて見るタイプのガールフレンドに目を奪われ、
・ロック・バンドの世界に奪われ、
・環境破壊への抗議活動に奪われている。
あの時間は冗長で散漫で、観る側は疲れるし、飽きてくる。
でもその個々の内容はどうでもいいことなのだ。
あれは思春期独特の、ジャックの目に映っていた光景だから。
だから
観客は目を閉じていても良いし、薄目で流し見して飛ばしてしまっても構わない。
要は、目の焦点が合わなくなっていて、自分がどこに居るのか分からなくなっているひとりの高校生の、永遠に続くのかと思われる、「終わらない迷いの時間の塊」がそこにある。
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ジャックを見つめる両親と叔母がいる。
「大人になったな」とジャックに告げる父親。
「許すのは親の義務だ」とも。
よく出来た両親だけれども、あの大人たちも、実は、成人した僕たちレビューアーがここまでかかってようやく体得してきたように
あの両親もたくさんの試練と挫折に鍛えられて、やっと「大人になった」その境地に至っているはずだ。
逃げた過去も、逃げたかった辛い現実も、嘘をついたことも、迷ったことも、
両親たちも経てきたはずなのだ。
親として、
ジョーの誕生や、
上の娘やジャックへの配慮や、
必ず思春期の成長過程においてはその人生に躓くであろう息子の成長を受け止められるだけの広い胸。
それが培われてきたのだ。
そういえば
僕が高校生のとき
「僕にはなんにも無い、僕は空っぽなんだ」と悲痛に叫んだとき、母が
「そうかも知れないが、お前には『無』が満ちている」と言ってくれたことを思い出す。
「大人になったな」とジャックに告げる父親。
「許すのは親の義務だ」とも。
演説をして自らの嘘を告白する息子に呆れ果てて失望し、息子を独り置いて帰ってしまった両親が
またスタンスを整えて息子の元へ戻ってくる。
見落としてしまいそうだが、親たちの物語としても優れている。
ジャックも大人になって親になった時、この言葉を子供たちにかけるに違いない。
ドキュメンタリーではなく、あとから味わい深く、観客の共感が湧いてくる「青春文学作品」だったのだね。
ダウン症の家族を持つ家族が、その心持ちをわかり合う映画。
ダウン症の弟がほとんど出演しない不思議な映画。
·
素晴らしい家族愛に感涙!
ダウン症の弟を持つお兄ちゃんが主人公で、
お兄ちゃんの成長物語が軸となって展開していく。
このお兄ちゃんが思考・行動がきっかけで、
痛烈なバッシングを浴びてしまうのだが、
お兄ちゃんの気持ちもわからなくもない。
そして、お兄ちゃんが悪いのではなく、
お兄ちゃんにそう思わせた&行動させたのは、
大人によるところが大きいと思った。
やはり子どもは育った環境や教育によって、
人となりがつくりあげられていくのだと感じた。
しかし、間違いを本人に気づかせることができるのも
大人、特に家族であろう。
ただ、本作のお兄ちゃんはダウン症の弟が
ヒーローだと自身で気づくし、
そこには本当の親友の存在も大きかった。
全く期待せずに観たが、観てよかった。
泣けた!
ステキな家族
思春期って、洒落っ気や、自分より優れているように見える人間への憧れが出てきて、理想像と現実との間でもがき苦しむお年頃。
でも、その人の根幹となる部分は、おそらくめったに変わらないのだろう。
大事なことは家族会議で決める、会議中は誰も臆することなく意見を出し合える確固たる信頼関係、両親のポジティブな考え方…私が目指したかった家族像を見た気がして、涙が出た。
ともだちはとてもいい奴だった
ただ、横断歩道を渡るだけなのに、こんなに感動するなんて。
追記
二度目の鑑賞。前回に続いて、お兄ちゃんの演説(?)のシーンには胸を突かれた。
それを責める彼女の言葉は至極もっともだが、兄と同じ体験をしたことのない他人が言えるものなのかなあ、という気はした。たぶん当事者にしかわからないものはあるのだろうと思う。
24-017
ネガティブに捉えるのか、
ポジティブ日程捉えるのか❓
ハンディと思うのか、
個性と受け入れるのか❓
兄として弟をどう受け止めるか❓
思春期と初恋が入り混じったら
やらかすよねぇ😅
イタリア人の陽気な姿勢に救われました。
イタリア語ってトーンが明るい
PERFECT DAYSや家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だったに出てる吉田葵さんもそうなのだが、ダウン症の役柄を実際にダウン症を持つ役者さんが演じることで、よりストーリーに現実味を持たせることができると共に彼らの純真な笑顔や無垢なところを広めることができるのではと感じた。
原題を直訳すると
『私の兄は恐竜を追いかけます』となる。
この場合の恐竜とは、弟のことなのかな?
追いかける=夢中という解釈で、夢中になる対象としてヒーローなのかな?
全ての人が前向きで誠実で、気持ち良い話でした。少しでも、こんな時間が長く続くことを…
家族っていいな
アレッサンドロ・ガスマンが演じる父親がとても素敵。家族をあたたかく見守り、支え、包みこむ。こんなお父さんだから、ジャックもジョーものびのびと成長するんだなと納得。
もちろんイザベラ・ラゴネーゼの明るくてチャーミングで力強い母親、ロッシ・デ・パルマの演じたジャックの恋の相談役でパワフルな叔母、どちらも大人としてきちんと子どもたちに向き合っている。
ジャックが小さな嘘をついたことから始まった裏切りも、お父さんの愛情がしっかりとフォロー。大好きなお兄ちゃんのためにジョーが鉤十字のTシャツを見せたときが一番良かった場面。
実話を元にした物語。YouTubeに公開されたショートムービーが反響を呼んで小説の執筆につながり映画化された作品。
悟空@ドラッグストア駐車場
思ってたんとちょっとちゃうかったけど、変にお涙頂戴よりはええかな。とはいえもう少しジョーのこと描いて欲しかったかな(^^;;受容は外野には絶対にわからない。簡単には言えない。
②G-5
障がいのあるきょうだい物語の一つ
イタリア版『ワンダー』という評があるけれども、きょうだいの性格はかなり違っていて、ジャックという同じ名前の親友が障がいのある主人公を裏切って苦しむという展開に共通点があるように感じた。あるいは、『ギルバート・グレイプ』でも、障がいのある弟が可愛くて面倒を看たいけれども、自分の人生の可能性の縛りに感じる本音をぶつける場面もあったかなと思う。障がいのあるきょうだいへの心情は様々に描かれてきた。比較的障がい者への差別が少ないとみられているイタリアでも、同じような問題はあるのだな、と思った。学校では、障がいのない子どもたちと一緒に生活しているようだし、教師による評価にも配慮がみられることが窺えた。家族が心配して下校時にそっと蔭から見守っている姿は、日本のテレビドラマ『たったひとつのたからもの』とも共通していると思った。当事者を出演させているところが良かった。ただし、ダウン症者が知的障がいになる確率は100%ではなく、例外もあることは、あまり知られていないようである。
(広義の意味の)ヤングケアラー問題を扱う問題として良作。
今年40本目(合計1,132本目/今月(2024年1月度)40本目)。
(ひとつ前の作品は「燈火(ネオン)は消えず」、次の作品は「劇場版 君と世界が終わる日に FINAL」)
※ 年に3日も特別有休が付与されるのに、それを毎年「使い切らないといけない」のは厳しいものですね。ということでその消化で見た作品です。
福祉行政には「きょうだい児」という概念があります。ある親に子が2人以上いるとき、一人(複数)が障がい者であるとき、健常者の子のことを「きょうだい児」といいます(「きょうだい」は「兄弟」と書くが、兄弟姉妹に関係せず用いる)。この映画のように学校でいじめの対象になったり、広義の意味でのヤングケアラー問題が発生しうるということで知られます(特に結婚に際して避けられたりといったことは「現在の日本においても」存在します)。
※ なお、重度身障であってもテレワークによって健常者とほぼ同程度稼げる程度の状況であるなら使われることはない(せいぜい、親なきあとに「きょうだい児」が年に1回来るか来ないかくらいの話)ものの、この映画は年齢層がそうではないですからね。
ストーリー自体は実話とのことで、イタリアという日本とはまた福祉行政の制度がまた少し違う国において、一般的な病気(小児がん)や難病ほかではなく、よく知られた病気ではあっても意思疎通が難しいとされる「ダウン症」を扱ったことに意義があろうというところです。
私がみたときはやはり問題提起のタイプの映画は客入りも少なかったのですが、そのこともあってゆっくり見られたのは良かったです。
この映画のようにダウン症の子であれば「きょうだい児」の問題は一方方向にのみ通常存在しますが、重度身障といっても知的能力に問題がない場合、「差別を受けていないだろうか…」と当事者が案じる「逆きょうだい児問題」というのもあって、それも論じるべきだったのではなかろうかと思いますが、本作品はこれが実話であり、ダウン症という設定である以上これを表立って扱うことはできない(不可能)である点は理解でき、そこはもう仕方がなかろうというところはあります。
採点に関しては以下が気になったところです。
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(減点0.3/映画の趣旨を考えたときの映画の「鑑賞代金」について)
・ ヤングケアラーの当事者の子にとって、それを証明する方法はない(まさか「きょうだい」児とはいえ勝手に身体障がい者手帳などを持ってくることはできない)点は理解するものの、この映画の「ある程度のターゲット層」としてそうした子が想定される以上、自己申告制(仮に虚偽によるものであったとしても、性善説に立ったとして)でもよいので、「映画の趣旨を鑑みれば」何らかの施策が欲しかったです。
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※ その割に、スペイン映画で「スペイン語学校に通っていることを証明できたら300円引き」とかという映画もあったりするので、どういう「割引施策」があるのかよくわからないのが困ったところ…。
兄目線で見てた…
ダウン症の弟の存在を、とっさに素直に正直に話せず、最初に開示できなかった故にウソを重ねることになる苦しさ…
私自身はきょうだい児ではありませんが、上記の状況で兄が四苦八苦する姿をみてるうちに、私は兄に感情移入して観ていました。
ヨーロッパでネオナチを騙ることのヤバさを理解しきれていないのだけど、
高校で全員に否定され敵意を持って対峙される様子を見て、兄がそうするに至った経緯を見てよ!と思って苦しかった。
広場で告白できたあと、両親含めた家族すら、全員が彼を置いて立ち去るところ、苦しくなった。
障害者が身内にいることにより自らの内に溜まっていくしんどさを、「差別してはいけない」という鉄壁の正論を盾に否定されたら、
きょうだいは、その苦しさをどうすればいいのか…
現実では、この映画のように結果的に良い方向に進んでいくこともなく、兄のような人は独りで苦しみ続けてしまうのではないだろうか…
そうなったら、たとえ家族がきらいではなくても、自分を守るために家族と距離を置かざるをえなくなったりするんだろうな…
広場でマイクを手にして弟について最初に語ったことは兄の本心だと思う。
弟への愛情。
でもときにそれを上回る、弟の存在ゆえの苦しさ…
結果的には家族にとって大切な話をするあの場所で、「親だから味方」と伝えていたが、
あの場で1人置き去りにされたことは、自分だったらものすごく傷付けられ親を恨んでしまうかも…
兄にあの親友がいてくれて良かった。
芯がしっかりしていて、不良に憧れず家業のバイトをしっかりやり、ヤバい方に踏み出したとき警告し、でも、傷ついて戻ってきたとき一緒にバスケして仲直りしてくれる友。
親も姉たちも、自分の立場しか見ていなくて、兄の状況を理解も寄り添いもしてないように感じられた。
それでもアレが家族。
自分が生まれた家族って選べないのがしんどいよね…
ただ「家族として互いに尊重し大切にし合えるか」は、
障害の有無は関係ないと思う。
個人的には、親が愛情で結ばれている家庭の子は、周りの人間と上手くやっていけるようになる気がしている。
ポスター?で「イタリア版 『ワンダー 君は太陽』」と言われてるけど、弟が(障害/難病)で困難抱えてるゆえに兄/姉が葛藤抱えてるという設定以外共通点はなく、深みも感動も全然違う。
本作しか観てない人はぜひ「ワンダー 君は太陽」を観てみてください。
どちらに訴えるってね。
ダウン症の子供たちに訴える?
ダウン症の子供や弟妹をもつ兄弟姉妹に訴える?
それ以外の健康な家族に「ダウン症の子供が生まれると…」みたいに訴える。
主人公の僕ジャックがダウン症の弟ジョーを隠したいって思う思春期の恋や恋愛相談を親や姉妹が受けてくれて嘘はいけないとアドバイスしてくれるイタリアの家族っていいなって思わされた。
しかし、最近の世界の10代の女の子は日本以外は政治や環境問題に傾倒する子が普通の男の子に恋されるんですか?日本とちょっとズレがありますね。
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