瞳をとじてのレビュー・感想・評価
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「ミツバチのささやき」は世界で一番好きな映画です
24-024
日本のホテルのマッチが出てきた!
寡作のスペインの巨匠、ビクトル・エリセの作品。
冒頭、1990年に撮影されたが未完との設定で「別れのまなざし」の導入部で始まる。1947年、パリ郊外の邸宅「悲しみの王(トリスト・ル・ロワ)」が舞台。一番魅力的だったのは、モロッコ出身のスペイン系ユダヤ人、フェラン・ソレル(Mr. Levy)、彼は上海で生き別れた、ただ一人血のつながっている中国系の娘ジュディスを探すためにフリオ・アレナス(フランク)をやとう。二人の会話には、フランス語、英語、スペイン語だけでなく、カタラン:カタルーニャ語(まるで、イタリア語のように聞こえる)も、それから召使の使う中国語まで出てくる。国際的。しかし、字幕では表示されることはない。冒険譚の始まりに違いないが、画面は重厚で、濃密な空気で満たされている。フェランは、ゴッホがアルルで描いた(アルジェリアからフランスに来た)「ズアーヴ兵」に少し似ていた。
次の中間部分では、最初の劇中劇に出演していた人気俳優フリオが撮影途中に失踪し、その監督を務めていたフリオの親友でもあるミゲル・ガライが探して突き止める話が続く。失踪してから行方の知れないフリオを探す2012年のテレビ番組に、ミゲルは協力することになる。ミゲル自身も、フリオがかつて付き合っていた恋人や、彼の娘を探し出し、話を聞いて回るものの、大した収穫は得られず、グラナダ海岸の自宅に戻る。この部分は、まるでテレビドラマのよう。カメラも対象に近い。ミゲルがフリオの失踪する時の姿を想像するところが出てくる。そこだけはモノトーンで、幻想的。
驚いたことに、フリオの失踪を追った番組を見た視聴者から通報があり、ミゲルの自宅から遠くない海辺の修道院付属の高齢者施設にフリオはいるらしいことがわかる。彼は記憶を失ったまま、器用だったのか、漆喰塗りやら、車椅子の修理など、施設のお手伝いをしている。医師の診断により、彼は慢性のアルコール中毒による健忘と知れる。むしろ、それは放浪の結果に違いない。彼は、船に乗り込んで、世界を回っていたようだ。
最後に、ミゲルは、施設でいつもタンゴを口ずさんでいるためガルデルと呼ばれているフリオに、彼の娘も連れて、半年前に閉鎖されていた映画館に頼みこみ「別れのまなざし」の完結部分を投影してもらう。その中で、フリオ(フランク)は、上海からジュディスを連れてきてフェラン(Mr. Levy)に会わせていた。この場面、場内からはすすり泣きの声も聞こえた。さて、フリオは自分を取り戻したのだろうか。
私は、この映画全体が、ビクトル・エリセの自伝なのだろうと思った。彼が作りたかった映画の一部の再現と、彼の日常の暮らし。さまざまな事情が介在して、エリセの多くの長編映画の制作はうまくゆかなかった。トリスト・ル・ロワ邸や、上海への冒険譚はもちろん、フリオの娘が学芸員をしているプラド美術館ですら、その題材であったのかも。劇中劇の部分では、エリセは、フェランの姿に投影されていた。
中間部では、ミゲルの活動は、実はエリセのそれに由来するのだろう。彼の雌伏の時、短い文章を書くことを主な仕事として、トマトを作ったり、漁に出たり、イヌを連れて歩く生活をしながらも、映画のことは片時も忘れなかったに違いない。では、失踪したフリオとは、一体何だったのだろうか。そうか、フリオもまた(ある程度まで)エリセの反映なのかも知れない。自分を見失ったフリオが高齢者施設に引き取られた時、持ち込んだ数少ない身の回り品の中に、日本のホテルのマッチがあった。エリセもまた、世界を放浪したかったのだろう。実際に日本のホテルには来たことがあったようだ。
静か過ぎる3時間
今でも映画は奇跡を起こせるか
ビクトル・エリセ監督の久々の長編作品。「ミツバチのささやき」の日本公開から約40年、前作「マルメロの陽光」からも約30年たち、突然の新作発表ということで、まず驚いた。忘れていた懐かしい名前を思い起こされたような感じ。
冒頭の映画内映画から、屋内の二人での会話シーンが静かにゆったりと続き、つい眠気に襲われる。含意のあるセリフが続くが、ところどころ聞き飛ばしてしまった。しかし、後半、探していた友人らしき人物がいると知らせが入ってからは、一気にサスペンスフルになり、登場人物の一言一言、ふるまいの一つ一つに目と耳を集中させるようになる。
編集者のマックスが「ドライヤーが死んでから、映画の奇跡はなくなった」といったことを言うが、ラストの映画館のシーンは、ゴダールの「女と男のいる舗道」でアンナ・カリーナがドライヤーの「裁かるるジャンヌ」を観ながら涙する、あの有名なシーンを思い起こさせる。
今、この時代でも映画は奇跡を起こすことはできるのだろうか。エリセ監督は、この作品でそう問いかけている気がする。しかし、この作品にアナ・トレントが出演し、あの決定的な一言を口にするということも、十分に奇跡的なことだと素直に思える。
ただ、前半の冗長さと後半のやや性急なところをうまく中和させて、作品全体として調和したトーンになっていれば、大傑作となっていただろうに、と残念な気持ちもある。
またこれもある意味未完なのか
エリセの新作
映画館で観れる
アナが出る
震えた
映像詩人の作品は感想が出そうで出ない
理屈は無くただ好き
でも全作品観てるわけでもない
私的オールタイムベストNo.3の『ミツバチのささやき』
『エル・スール』(エンディングに物足りなさを感じてたら未完だったと後で知る)
『マルメロの陽光』(冒頭数分で挫折してそれきり)
『ライフライン』(チクタクチクタク 良い)
海辺の村に帰ったシーンで右に画面がスライドする場面
デジャブ感があった
あぁ自転車で駅についてホームで待つシーンの手法だと家についてから気付く
エリセは今までの自身の中で叶わなかった創造の産物を集大成させたように思う
そしてアナを“5歳のアナ”に引き戻して、少しでも時間を取り戻してあげようとしたのかなと思う
オマージュで覆いつくす晩年になってのクリエイト作品は郷愁をもたらすけれど
正直それは私の求めているところではない
でも今の御年で出来うる限りの
一つの長編作品を生み出した
ただエリセ本人が本当にこの物語で満足しているのか問いたくなる感じだった
ロードムービーのようなミステリーのような…
人生後半の旅路
ひとつの映画という時の流れにシンクロする神秘体験
この日のために、今日は何も予定を入れず、一日二人で過ごしました。
二人で旅した神島にて何かを暗示するかのような神秘体験があり、その翌年に金神社にて結婚し、新婚旅行は久高島へ。
以来、28年の歳月という記念日に、わたしたちの思春期である学生時代の頃に一生の思い出となる映画を同時体験しており、そのひとつが #ミツバチのささやき だ。
そして、今日、そのビクトルエリセ監督の新作 #瞳をとじて をこの日に観ようとなった。
内容はよく知らないまま観たけど、当然映画は映画としてよかったことはもちろんのこと。
わたしたち二人にとって、やはりこの監督とアナトレントも、同じ時を経ており、そうした時間的な距離感、同時代体験など、日本とスペインという地理的距離感もゼロで、シンクロしまくったのでした。
舞台も、わたしたちが局面している高齢者介護施設だったり、親と子の特別な想いや感情、時代の流れ、すべてが重なる。
それをまた、映画を通じて深く体験させられました。
その後、実家へ寄り、金神社へご挨拶しに。
旧正月以来の初詣として、おみくじもここで初めてひきました。
新しい一年、どうぞよろしくお願いします、と。
色々考えさせられた作品
ビクトル・エリセ作品は初見だが、初見でも過去作品のキーワードがシーンごとに出てくるので問題ない。
こんな作品もありなんだと唸らされたし考えさせられた。素晴らしい作品を観る事が出来感謝。
ただ、時間はやはり長いし、30年前に公開した時の世界と今の世界は違う。ビクトル・エリセには今何を伝えたかったのかラストにメッセージを残して欲しかった。垣間見る事はできなかったのは残念。
2024年ベスト洋画作品にはあがるだろうし、私は候補に入れたい。
人生と老いについても考えさせられた作品でも
ある。
カルテの記録が人生のすべてじゃない
劇中映画「別れのまなざし」
瞳をとじて
神戸市内にある映画館「シネ・リーブル神戸」にて鑑賞 2024年2月13日(火)
スペイン生まれの映画監督、ピクトル・エリセの31年ぶりの長編映画「瞳をとじて」
背景
劇中映画「別れのまなざし」は1947年という時代設定。
スペイン内戦(1936年-1939年)で台頭、軍人フランシスコ・フランコによる独裁政治となっていた。政治的抑圧、閉鎖経済政策がおこなわれ国民は困窮した。本作は内戦後の混乱が続いているスペイン社会を描いている。
「ミツバチのささやき」に当時5歳で主演に抜擢されたアナ・トレントが、50年ぶりに同じく“アナ”の名前を持つ女性で出演したことも話題に。
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ストーリー
劇中映画「別れのまなざし」 冒頭部分
邸宅「悲しみの王(トリスト・ル・ロワ)」にはヤヌス像があり、ユダヤ人ミスター・レヴィ(Mr. Levy)とフェランが住んでいる。
フランク(フリオ・アレナス(ホセ・コロナド))を呼んだ。フェランは高齢となり、行方不明となった娘ジュディスを探して連れてきてほしいと依頼する。
今は母と共に上海に住んでいて「チャオ・シュー」と名乗っている。写真を差し出すと扇子を使って視線を強調する舞踊のポーズ「上海ジェスチャー」をしている。
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劇中映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が失踪した。当時警察は、近くの崖に靴がそろえられていたことから投身自殺と断定。結局、遺体が発見されることはなかった。22年が過ぎたある日、元映画監督でフリオの親友でもあったミゲル・ガライ(マノロ・ソロ)は、事件の謎を追うテレビ番組「未解決事件」の出演依頼を受ける。
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番組プロデューサーのマルタ・ソリアーノ(エレナ・ミケル)はミゲルに取材する。
海軍の兵役で出会った、マドリードで再会した。若いころの二人の写真がある。フリオが好きなポジションは、ゴールキーパー。彼と私は第2級の受刑者でした。
逮捕の理由は?「治安紊乱罪と、扇動罪および不法集会罪です。当時のよくある罪状だ。フリオは無関係だったが、私と同居していたので連行された。」
マルタはフリオの娘、アナ・トレント(アナ・アレナス)に取材を申し込んだが断られてしまったと言い、アナの電話番号をミゲルに通知。
アナはミゲルと喫茶店で再会「父が生きてる夢を何度か見た。」
番組の終了後、「フリオによく似た男が海辺の施設にいる」という思わぬ情報が寄せられる。「未解決事件」を見たと、ベレン・グラナドス(マリア・レオン)から、プロデューサーのマルタへ連絡があった。ベレンはとある老人介護施設に勤務している女性だった。
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深夜バスに乗ったミゲル。とある海辺に面する老人介護施設に向かう。
それらしき男がいるという。修道女シスター・コンスエロ(ペトラ・マルティネス)は、行き倒れた男を「ガルデル」と名ずける。よくタンゴを歌っていることから。
確かにその男はフリオのようだ。ただフリオは、記憶喪失の状態であることがわかった。
ミゲルはしばらくこの施設に滞在することにし、施設のシスターたちも合意。二人だけの時間となった。
ガルデルが、古いタンゴの曲を口ずさむと、ミゲルはその続きを口ずさむ。ガルデルは喜んだ。
ペンキ塗りの仕事があると、ミゲルはそれを手伝った。
水兵時代に習ったロープの結び方をやってみせると、ガルデルもそれはできる。
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そんなある日、ミゲルはアナを再び呼び寄せて、父であるフリオが寝ている部屋へひとりで向せる。シスターたちとミゲル、ベレンはそっと見守っている
「私はアナよ」・・・「私はアナよ」・・・ 記憶が戻らず返答はない。
静かにそう言うのが精いっぱいであった。
ミゲルにはひとつの案があった。「別れのまなざし」の後半を上映しようと企て、記憶が戻るのではないかと仮説
マドリードに戻りたいというアナを引き留める目的もあった。
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保管している親友マックス・ロカ(マリオ・パルド)に連絡し、「別れのまなざし」のフィルムを送ってもらう。
施設の近くに、最近閉館された映画館があり、そこで上映されることになった。
映画館の支配人はアナとガリデルは最前列の席に並んで座るようにしたのは「親子」の関係だからである。
シスター二人、ベレンとマルタが後ろ座席に並んで座った。
そうして「別れのまなざし」(後半)が始まったのである。
邸宅「悲しみの王(トリスト・ル・ロワ)」に向かうフランクとジュディス(チャオ・シュー)をフェランに見せるためである。
フェランは面会を果たすことができたのだがフェランは病で瀕死の状態
フェランは布切れを取り出し、花瓶の水を使い湿らせて、娘のチャオ・シューの顔を拭う。化粧が剥がれる。素顔が見たいんだろう。
そこで倒れてしまい、死んでしまう。父は目を開いたままであったが、チャオ・シューはやさしく父の顔に手を当て、目を閉じた。
あまりにもかなしいフランクとチャオ・シューがそこにいる
「別れのまなざし」上映終了
「瞳をとじて」上映終了
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感想
スペインの映画 ピクトル・エリセ監督の作品「みつばちのささやき」「エル・スール」
楽しませてもらえたことに心から感謝します。
ムーチャスグラシアス! 大岸弦
上海ジェスチャー
映画愛!
今年はウディ・アレンの「サンセバスチャンへようこそ」もそうだったが、老境の映画監督が「映画愛」を全面に描いて、さらに自らの人生の再検討をしている作品に出合う年のようだ。本作も、エリセ監督の「もうひとつの可能性ある自らの人生と映画についての決着」を描いたように思える。
物語は、失踪した友人でもある俳優フリオを探すミゲル監督のロードムービー的な、仕立て。しかし、31年も映画監督としてのブランク、さらにデビュー作のヒロインだったアナ・トレントが、「ミツバチのささやき」の役名と同じアナとして出演するという、スクリーンに描かれる虚構が現実と合わせ鏡のようになっている。
さまざまな名作映画への目配せやオマージュ、そしてデジタルなんかじゃなくて「フィルムであることが必須」という思い。閉鎖したフィルム上映の映画館でのクライマックス。エリセ監督の「映画の葬送」に思えてならない。
エリセ監督の復讐?
前情報なく鑑賞したもので、オープニングからの流れは「映画館間違えたのかな?」と確認してしまいました。
本作は約3時間と冗長で、無駄な情報も多く、前半あそこまで長回し使って後半そんなに端折るか?など疑問符もつく出来栄えです。でも、それは人生も同じ。無駄なことや、間違いがあって味わい深くなるものです。映画を愛するものとして、どんな映画にも寄り添っていきたい。ポジティブに観たいと思っています。
前半の薄暗いイメージから後半のスペインの海沿いの風景が目が眩むようで良かったです。トマトを紡ぎながら、魚を採り、犬と暮らし、音楽とともに眠る主人公は羨ましい。演じている方も、相応のお歳ながらセクシーな演技でした!
エンディング、ちゃんと語らないのはエルスール未完になってしまった監督の世間への復讐かな?と思ったり思わなかったり。
長い映画でしたが、味わい深い人生のようで、観て良かったです。
映画への思慕
欧州映画らしい
作品紹介を読んで、男の失踪を追うミステリー要素のありそうな展開に興味を引かれて観賞。
でもちょっと違った・・・
【物語】
舞台は1900年代のスペイン。
マドリードのあるTV局の“未解決事件”を取り上げる番組で、22年前に映画撮影中に主演俳優が突然姿を消した事件を取り上げる。
その映画の監督であり、いなくなった人気俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)とは戦友の関係でもあるミゲル(マノロ・ソロ)が番組制作者に呼ばれる。ミゲルは取材に協力し、番組に出演し、フリオと過ごした青春時代と自らの半生を振り返る。
番組の終了後、「フリオによく似た男が老人施設にいる」という情報が寄せられ、ミゲルはすぐに駆け付ける。
【感想】
全体を通じて言えるのは、欧州映画らしい、情緒感溢れる作品であること。
ただ前半は、(これも欧州映画に良くあるパターンだが)延々と登場人物2人が同じ場所で話し続ける会話劇。これが、どうも俺は苦手で段々息苦しくなってしまうし、今回はこちらのコンディションが良くなかったこともあって、ウトウト・・・
後半、フリオの噂を聞いたミゲルが施設に駆け付けるところから急に物語が動き出して、やっとスクリーンに入り込むことができた。
作品紹介などを読んでミステリー作品的な展開? と思ってしまったが、 そういう作品ではなかった。本作はスペイン映画だけど、フランス映画とか好きな方にはスンナリ入って行ける作品だと思う。
逆にハリウッド映画のような刺激強めの作品をお好みの方には向かないかな。
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