「今は過去から続き、未来は今から始まる。」瞳をとじて humさんの映画レビュー(感想・評価)
今は過去から続き、未来は今から始まる。
22年前に失踪した親友フリオを探すことになる男・ミゲル。
曖昧な記憶のかけらと未完成の映画のシーンを辿りながら、来る日も来る日もフリオに想いを寄せることが、ミゲル自身をみつめるきっかけになり突き動かされるように一筋の奇跡を求めていく。
友情、愛情、家族、栄光、華やかさの裏に封印したものを走馬灯のように巡らせ、さらにみつめる現実。
せまりくる忘却の光が親友を包み去る前にと願い、ささやかなたのしみもある平穏な日常を離れてまで抗い探るのは、ミゲルが歩んだ人生と終盤に残された時間への意識があってこそだったのだろう。
懐かしい海風にはためく真っ白な洗濯物の向こうに、漆喰を塗る2人がいる。ハシゴの上の彼らは無心で湿り気のかけらもなく明るい空気と同化してみえる。
もしかしたら、この青空が時をさかのぼらせ、全ての憂いを吹き飛ばしてくれたのかと思うほど清々しい。
その光景に身をのりだすような期待を抑えながら次のシーンを見守ると、あちこちに飛んだ白い塗料をつけたままの2人が揃って食卓に着いていてわずかに私の緊張の糸が緩んだ。
しかし目の当たりにするのは、変わらず叶わぬ疎通。
目配せしてみたミゲルの心中が伝わってきてがっくりとする。
だが、奇跡が起きなくとも幸福な安堵が確かにそこにあることにふと気づく。
さっき微笑んでいたシスターの気持ちや、故郷の親と過ごす時の私の気持ちに近いことにも。
するとようやく、内心唖然として観ていた冒頭の劇中劇、〝悲しみの王〟に出てきた彫刻が私に語り出す。
過ぎ去っていくこの人生の全てを、授かったいのちでかみしめ、祈りにも似た閉じた瞳の奥でみつめれば、静寂のなかに必ずなにかがみえる、と。
ミゲルとフリオの未来もここからだ。
そこに連れて行く為、エリセ監督が沈黙の歳月の満ち潮にのせて創り上げた消えない軌跡。
いまこそこの世に遺さんとするものの重み、私なりに触れることができた温もりの深さに、ありがたさでいっぱいになるのだ。
修正済み
共感ありがとうございます。
自分自身を見つめ直す事になる・・その通りだと思います。あの時、ああ感じた自分が確かに存在していた・・そう考えるとTV取材、貸倉庫からの引っ張り出し、更にアナトレントまでアナの役名で出す、監督の意図が理解出来る気がしました。
すいません。かばこさんへのコメントのコピペになります。すぐ下にコメントがあったので、私の考えを。
エリセ監督は「省略」を忘れた訳ではないと思います。
「ミツバチのささやき」(カメラマンの死去)も「エル・スール」(後半部分未製作)も本人の意図と違う理由で省略を余儀なくされています。(私のレビューに書きました)
30年振りに「省略」せずに撮れた結果、確かに長くなったとは思いますが、最近の無駄に長い映画とはちょっと違うかな、と思っています。
こんにちは
いつもながら素晴らしいレビューですね。
コメントをありがとうございます。
ビクトル・エリセは、私には合わないようです。(でも、ミツバチのささやきは昔見て良かったと思いました。)
私にはこの映画でずっと「老い」が描かれていたように思えました。
共感&コメントありがとうございます。
なるほど、ミゲルの行動は確かにそのように理解できますね。また、監督の生きざまと重ねることで見えてくるものもありますね。ただ、勉強不足で監督について何も知らず、過去の作品も未鑑賞で、なかなか本作から汲み取れるものがなかったです。いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
コメントありがとうございました。
そうゆう見方もあるのですね。わたしにはわかりませんでした。
映画監督との相性もあります。2回目の鑑賞をしたいとは思いません。私とは肌が合わないみたいです。
コメントありがとうございます。
私は早い段階で糸が切れてしまった様で、ストーリー的には盛り返したのもわかるのですが動きのない映像の退屈さばかりが気になってしまいました。
こちらこそコメントをありがとうございました! ご覧になる映画の選択がいつもまっとうで(きちんと内実のありそうな映画を選んでおられる)、かつ常に感性をなるべく研ぎ澄まして、詩的に映画を捉えようとされている誠実な鑑賞と批評の姿勢につねづね共感いたしております。
漆喰塗りのシーン、清々しくてよかったですよね!「老人と犬」とか「並んで紐を結ぶ二人」とか、「バディもの」の香りが強くて和みました。で、絆を結ぶようにタバコをバンバン喫いまくり、ライフルと愛馬を歌う……昔懐かしい男の友情の感覚は西部劇のそれか。
あと僕も作中作はあんまりおもしろくなさそうな感じで、ちょっと当惑しました(笑)。