「女流監督ならではのロマンチックたっぷりな展開。オカルト色を押さえて、呪術の本質を人の心の弱みを突く暗示と催眠であるとクールに規定しているところに好感。」陰陽師0 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
女流監督ならではのロマンチックたっぷりな展開。オカルト色を押さえて、呪術の本質を人の心の弱みを突く暗示と催眠であるとクールに規定しているところに好感。
●はじめに
安倍晴明生誕1100年記念賭して製作されたのが本作です。夢枕獏の小説シリーズ『陰陽師』を原作としていますが、本作は夢枕の全面協力の元、晴明が陰陽師となる前の青年時代を完全オリジナルストーリーとして描がかれていました。
実は、若い頃から魔法ファンタジー作品ファンだった佐藤監督は、40年前に日本SF大会の会場で、原作者の夢枕と知り合い懇意に。やがて夢枕から『陰陽師』の映像化を要望されるまでになったのです。それだけに佐藤監督は晴明に関する年表を何年もかけて作り上げたり、美術や衣裳など細部に至るまでの考証には一切手を抜くことはなかったそうです。
●ストーリー
呪いや祟りから都を守る陰陽師の学び舎であり行政機関でもある「陰陽寮」が政治の中心となっていた平安時代。青年・安倍晴明(山﨑賢人)は天才と呼ばれるほどの呪術の才能をもっていたが、陰陽師になる意欲も興味もない人嫌いの変わり者でした。ある日、彼は貴族の源博雅(染谷将太)から、皇族の徽子女王(奈緒)を襲う怪奇現象の解明を頼まれます。衝突しながらもともに真相を追う晴明と博雅は、ある若者が変死したことをきっかけに、平安京をも巻き込む凶悪な陰謀と呪に立ち向かうことに…。
●解説
呪術で国を治めていた平安時代。本作の晴明はまだ「陰陽師見習い」という扱いです。天文や占いをつかさどる陰陽寮の学生(がくしょう)に設定されていました。両親を殺された過去が、心に影を落とすニヒルな一面を持ち、才気がほとばしり、生意気な面も。のちのスーパーヒーローであっても、まだ未熟なところがあった方が、映画の主人公としては面白いとと思いました。だから月とすっぽんくらい身分の違う後醍醐天皇の孫に当たる源博雅が最初晴明にアポナシで相談にやってきても、全く媚びようとしません。
本作の背景としては、平安時代の身分制がいかに厳しかったかが何度も語られます。当時の日本の人口600万人を僅か165人の上級貴族が独占的に統治する時代では、僅かな身分の違いでも、目上の貴族を立てることが絶対視されていたのにも関わらず、晴明は全く無視していたのです。
それでも博雅は、晴明の才気に折れ込み、やがては唯一気の置けない存在同志になっていくのです。これは原作者やファンを意識し、探偵ジャーロック・ホームズと助手ワトスンのような相棒の関係を大事にしたものと思われます。
ところで戦国の世や江戸時代と比べ資料が少なく、想像を膨らませやすい時代性を逆手にとり、美術も人物造形も現代風で遊び心たっぷりです。なかでも大胆なのが、冒頭で現代語で語りますとナレーションで宣言してから、開き直って台詞は現代語にしているところです。これでストーリーが凄くわかりやすくなったものの、さすがに外来語の使用は、プロデューサーに懇願されては避けたそうなのです。(いくつか残っていたけど)
また美術面でも、原作小説は闇の世界を連想させますが、本作では明るい色彩を多用しています。特に徽子女王の登場シーンは、極彩色に溢れていました。衣装担当の伊藤佐智子によれば、草木染のなかには蛍光色が入っているそうなんです。派手な色に修復されたバチカンのシスティーナ礼拝堂のように、平安京も本当はもっと鮮やかだったと思いをはせることでしょう。
●感想
陰陽師の物語というと、ついついバケモノとの派手な呪術バトルや異次元の異様な世界を思いつきがちです。けれども本作では、人智を越えた摩訶不思議な世界に追い込む呪術とは、すべて暗示や催眠術を駆使して相手の潜在意識を自在に操ったことに過ぎないという説明に徹していました。そのため晴明は、術に対して至ってクールで、術をかけるものが対象者のどんな心の弱みを掴んで暗示にかけてしまうのか、論理的に分析を重ねていくのでした。その態度は陰陽師というよりも、探偵か刑事を連想させるものです。
身近な例としてあげるなら、前回のアメリカ大統領選挙におけるトランプ前米大統領をめぐるフェイクニュースがあげられます。。あの大量のフェイクニュースのように「ウソを流して人をコントロール」することは、一種の呪であるといえます。あの時の応酬は、「呪術合戦」なんだといえそうです。フェイクニュースが飛び交う今日。本作は意外と時宜にかなった展開ではないでしょうか。平安時代の物語という先入観を覆すものを感じました。
それと女流監督ならではのロマンチックもたっぷりな展開なんです。博雅と徽子女王は相思相愛の関係でしたが、身分の違いをお互いに意識しすぎるあまりの互いに好意を打ち明けられずにいたのです。そんな関係を知ってか知らずか、帝は博雅をお召しになり、徽子女王への直筆の親書を渡すように命じます。博雅は親書の中身はすぐアレだと気付きましたが、命ぜられるまま徽子女王に手紙を渡してしまうのですね。それくらい当時の身分の違いは絶対で、たとえ天皇の孫にあたる博雅でも帝の命は絶対だったのです。
そしてかなり高貴な身分だった徽子女王も同様でして、帝からの文は絶対で、たとえ一度でも開封して帝の言葉に目を通したら、もうノーとは言えず、帝の思いを受け容れざるを得ませんでした。
徽子女王は愛する博雅に怒りをぶちまけます。なんであなたがこれを届けてきたのかと。そして徽子女王は怒りから金竜に化身し、いずこかに飛び去ってしまうのでした。こんな悲恋を綴れるところが、女流監督ならではでしょう。
やがて晴明の手引きもあって、ふたりは心の世界で再会することとなります。その時のお互いの恋する思いと帝の命という現実との板挟みの中で、二人が語る台詞の数々が、よくできたメロドラマのようで、陰陽師映画らしからぬ演出でした。
演技面では、憂いを帯びた晴明役の山崎賢人も悪くありませんが、相棒の博雅役の染谷将太が抜群にうまいと思いました。貴族ながら道化もこなす好人物を演じ、主役を引き立てたところがよかったです。
追伸
そして、なんと言っても見ごたえ満点なのが、佐藤嗣麻子監督による全編を彩るVFX。目に見えない呪術の妖しさと。“和”の美しさが見事に融合。折しも、山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」が凱旋公開中ですが、世界に誇る。「VFX夫婦」の映像美バドルが楽しめるのは、この連休ならではです。