「取りあえず世界観は統一されているけれど・・・」陰陽師0 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
取りあえず世界観は統一されているけれど・・・
「陰陽師」と言えば夢枕獏、夢枕獏と言えば「陰陽師」と言われるくらいに夢枕獏の代表作となった同作を原作とした作品でした。過去にも映画やドラマなどいくつもの映像化作品がありましたが、滝田洋二郎監督、主演・野村萬斎で映画化された「陰陽師」、特にその第1作はMyFavoriteベスト10に入るほど好きな作品でしたので、本作を楽しみにしていました。前宣伝では、本作は一角の陰陽師なる前の青年・安倍晴明を主人公にしたという設定で、そのため題名にも「ゼロ」と付いている様子。シャーロック・ホームズで言えば、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮をした「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎(1985年制作)」的な存在なのかなと思いつつ観に行きました(分かりにくい譬え、すいません🙇)。
早速その内容ですが、貴族の間で晴明が「狐の子」と噂され、序盤で意地悪な貴族が「そこにいる蛙を殺してみろ」と晴明を挑発し、実際晴明が呪術を使って蛙を殺してみせ、貴族たちが尻尾を巻いて逃げ去るという下りは、野村萬斎版と全く同じ(野村萬斎版は蛙ではなく蝶々でしたが、実は蛙も蝶々も実際には殺していないことになっています)。これじゃあ青年期の晴明を主人公にした意味がないじゃないかと感じたところでしたが、まあ20年以上前のワンシーンを使うことで、晴明の人となり、人物描写を観客に伝えるという導入部分としては、効果的なシーンだと判断されたのでしょう。いずれにしても、冒頭部分は良く言えば物凄く親切設計で、初見の観客にも”陰陽師”という存在や、平安時代当時の貴族社会というものの説明が分かりやすくなされており、誰も置いて行かないという監督の意図は充分に伝わってきました。
また本作の特徴として、陰陽師が扱う呪術を、一種の催眠術であると定義していたところがありました。この点は原作にも野村萬斎版にもなかったと思われる要素で、呪術を合理的に解釈する世界観が、筋立て全体に統一的に遍く適用されていたのは評価出来るものでした。ただこれを是としてしまうと、戦闘シーンの位置付けがかなり軽くなってしまうというか、物語が矮小化されてしまう結果も生んでしまったように感じられたところでした。
また最も気になったのは、晴明のキャラクター設定でした。蛙の件で前述したように、冷静沈着で既に一角の陰陽師になっている晴明と、敵にたぶらかされてカッとなるまだ青臭い晴明が混在していて、今ひとつ「ゼロ」を実感できなかったところが残念でした。天賦の才を一部魅せつけるのはいいとしても、もう少し「ゼロ」感がないと、野村萬斎版とあまり変わらないんじゃないかと思ったところでした。晴明27歳の時のお話だったので、既にいい大人と言えば大人なのですが、「ヤング・シャーロック」のように思い切って子供時代の晴明を描いた方が良かったんじゃないかとも思ったりして、いろいろと腑に落ちませんでした。まあ山崎賢人を主演に据えることを前提とすると、子供時代の晴明の話は創れないという事情もあったのかも知れませんが。
逆にいい意味で予想を裏切ったのは、敵が蘆屋道満ではなく、登場すらしなかったこと。終盤までラスボスの正体が明かされずヒヤヒヤしましたが、突然の道満登場シーンがなく、ちゃんとした筋立てのお話だったのには胸をなでおろしたところです。
最後に俳優陣のお話を。主役の山崎賢人は最近大活躍ですが、「キングダム」や「ゴールデンカムイ」ほどにはアクションシーンが少なく(だって陰陽師だもの)、それでいて他の出演作の印象が強いため、どうしてもそのイメージに引き摺られてしまうことになりました。そういう意味で、”陰陽師”という、どちらかと言えば静的な役柄に、躍動感あふれる彼を主役に据えたのはちょっと微妙かなと思わないでもありませんでした。どうせ山崎賢人を主演にするなら、野村萬斎版とは全く違う、躍動感満載のアクションヒーローとしての晴明を描いてた方が良かったとも思います。
一方源博雅役の染谷将太は、貴族らしくナヨっとした部分を見せつつも、得意の笛を奏でる時は凛としていて、適役だったのではと感じました。マドンナ役(?)の徽子女王を演じた奈緒は、透明感が溢れていてこちらも素晴らしかったと思います。というか、徽子女王の情念が物の怪を呼んでいたりと、夢枕獏的な晴明世界を最も体現していたのは、実は彼女だったような気もします。
そんな訳で、大きな期待を持って観に行った本作ですが、ちょっと腑に落ちない部分が多く、評価は★3とします。