「信じ過ぎないよう踏みとどまること」ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ nanikaさんの映画レビュー(感想・評価)
信じ過ぎないよう踏みとどまること
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映画が問いかけるのは、信じることが行き着く狂気がもたらす暴力の無意味さ、不毛さ。劇中ドラマは舞台劇風でいかにもつくりもの然としており、リアルさを追求した演技にも思えなかったのだが、こと暴力のシーンには不意を突かれた。耐え難いほどのリアリティに息が詰まり、相手を問い詰める狂気の宿った眼差しに戦慄し、角材とバッドでのいつ終わるとも知れない殴打の末、白いセーターに血が滲むシーンには思わず目を背けた。世界を平和にしたい、社会を変えたいと願い、真面目に変革を訴えていたはずの若者たちが、信じるもののために容赦なく暴力を振るった挙句に人を殺してしまう姿には、連合赤軍リンチ殺人の当事者、テロ行為を進んで行ったオウム真理教の信者たちの姿を重ねた。
映画の中で内田樹は、「(当時)大義名分を与えられると他人に対して容赦なく暴力を振るうことができる人間がたくさんいること」に恐怖を抱き、「普通の子が暴力的なことを平然とやる。それがふっとキャンパスで会うと普通の子に戻っている」ことに驚嘆したと述べている。実際のところ確かにそうだったのだろうが、彼らはすでにもう「普通の子」ではない。暴力を肯定・行使した時点で、何かを強く信じるが故に暴力に訴えても仕方がないと思いそれを実行に移した時点で一線を越え、もはや後戻りのできないところに足を踏み入れている。映画に加害者が登場しないのはそういうことだと思う。そう思いたい。
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