あんのことのレビュー・感想・評価
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杏ちゃんを応援したくなった‼️
衝撃やったー😳ストーリーはなんとなくわかってはいたがここまでとは思わなかった💧。
まさかのラストも良い意味で期待を裏切ってくれたし、どこまでが事実なのか調べたくなりました😢。
母親の胸糞の悪い事👎(それほど演者さんは素晴らしかった)杏ちゃんが可哀想で可哀想で仕方なかった。
施設に乗り込んできた後、社長の「一緒に考えよう」は杏ちゃんに気持ちが入って一緒に泣いてしまいました😭嬉しい言葉でしたね。
多々羅さんは裏はあったけど杏ちゃんのためにやってくれた事に嘘はないと思うし、3人でラーメン食べるシーンは自然と笑みがでてました。
演者さんも主役はもちろんサブでも佐藤二郎さんと稲垣吾郎さんじゃないですか〜😆ダントツで安定‼️。
二郎さんはちょい強面の刑事さんお似合いでした。
吾郎ちゃんはスマートな記者さんパッチリはまり役でさすがでしたね、ちょい演技に昔と比べると違和感あった気もするが気のせいだろう(SMAPでは吾郎ちゃん推しなので(笑))。
と主役の河合優実さんね、シーン最初の頃から後半になるにつれて素直だしまっすぐだし優しいし健気だしめっちゃ応援したくなったほど役にはまってました☺️。
衝撃はあったがとても面白かったです…が、人と観に行くにはオススメはしないかな。
不幸をパッケージにしてエンタメにした作品
不幸をパッケージにしてエンタメにした作品。映画ってそもそもエンタメなのでそれでもいいのだけど、肝心なのは没入できるかできないかだと思う。この映画はいちいち気になるところが多くてダメだった。特に母親がオーバーアクト。ないでしょ。これ。悪徳介護事業者や怒鳴り込んでくる部外者の対応もないと思う。面識のない人んちのドアを叩いて子供を強引に預けて男に会いに行く親とか現実的にいるの?しかも育ててるし。教育を受けられなかったからどうしたらいいかわかんないっていうのはわかるんだけど、さすがにないと思う。
持ち上げて落とす
杏が死んだのは確かに自責の念だったかもしれない。そのきっかけはいつも母親、シャブをうちたくなってしまうのは母親が邪魔するから。結局育った環境(ベースの部分)にいつも引き戻されてしまう。悲しすぎる結末。コロナのせいではない、助けてもらって頑張って持ち上がったのに落ちてしまった。酷すぎる生い立ちなのにときより見せる杏の笑顔が印象的だった。刑事の犯した罪は杏が身売りした相手男性と大差ないのでは?自業自得なのにヨガ教室が閉鎖されそこに通う人の心配をするのはおかしい。刑事が失態を犯さなければ確かに杏はまだ生きていたのかも。でもそうならば映画化はされなかった気がする。河合優実は素晴らしい女優です。
せつない
性加害の問題など、昨今いろいろ悲しい話が表に出てきているので、こういう境遇の方もいるだろうな、と納得してしまう。
ただただ悲しく,切ない。淡々と描かれていて、とてもよかった。
多々羅のしたことは、ジャニー喜多川氏と似てるかな、と途中思った。ジャニー氏は、多分全ての子に手を出していたと思うけど。
個人的には,本来なら,子供の保護は政府がするべきことなんだと思う。コロナのせいで"仕方ない"ではなく、本来は政治がこういう子供を救うべきと思うけど、そういうシステムがないもんなぁ。。。
「記事にした自分が悪い」なんて、桐野が思うことじゃないのに。
稲垣吾郎さんのコメント
「人は生まれながらに誰かと繋がり生きていく権利を持っている。」
にとても共感。権利なんだよね。うん、うん。
わたしは飛び降りる直前のシーンで、
「あ、人って一人じゃないんだ。そして、一人では生きていけない、ってことを認識しないと。」
と、ふと思った。私はずっと自立しないと、と一人で頑張ってしまっていたんだけど。杏も、誰かれ構わず、頼れる人を探せるくらいだと良かったんだけど。
頼っちゃいけない、と思わされているところから、世の中狂ってきているのかも。
「お金があれば生きていける」と、思わされているところも一緒。
追記
今、TVドラマ見て思ったけど、ドラマの方がよっぽどかわいい。事実の方がだいぶ酷いことの方が多い。犯罪の内容も、人間性も。前に、警察内での横領などを題材にした映画の時も、「実際はもっとひどいから」と、教えてもらったことがあったなぁ。
感謝はしても尊敬はしないという距離感を持つことで、家族の呪いは少しだけ和らぐ
2024.6.13 アップリンク京都
2024年の日本映画(113分、PG12)
2020年6月1日に朝日新聞に掲載されたある女性の顛末をモチーフにつくられた社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本は入江悠
物語の舞台は、都心のどこか
14歳のときから母・春海(河井青葉)に強要されて売春を繰り返してきた杏(河合優実)は、ある日、客の男(山口航太)がシャブを打ったあとにぶっ倒れてしまう事件に遭遇してしまう
逃げ出すこともできずに警察の厄介になるものの、そこで担当になった刑事・多田羅(佐藤二朗)はおかしな男で、突然取調室でヨガを始めてしまった
多田羅は「サルページ赤羽」という名前の「覚せい剤から立ち直るためのセラピー」を個人的に運営し、そこで「覚せい剤から立ち直ろうとする人々」の復帰を支援していた
杏はそのセラピーに足を運び始め、多田羅の紹介で介護職に就くことになった
だが、初任給はかなりピンハネされていて、わずかな収入も母親に奪われてしまった
そのことが原因で杏は再び覚せい剤に手を出してしまい、多田羅は母親から分離させなければ難しいと考えた
杏は多田羅との約束を守って家出をして、シェルターに住むようになる
今度は多田羅の友人のジャーナリスト桐野(稲垣吾郎)の紹介で「若草園」という施設で勤めるようになり、さらに日本語学校にも通うようになる
徐々に笑顔を取り戻しつつあったある日、多田羅がセラピー参加者・雅(護あきな)への猥褻行為が発覚して逮捕されてしまう
さらに、コロナ禍の直撃に遭ってしまい、施設は非正規雇用の一時休職、日本語学校も休学となってしまう
そんな折、シェルターの隣人・三隅(早見あかり)から強引に子ども(稲野慈恩)を押し付けられてしまうのである
映画は、子育て以外は実話ベースになっていて、母親に売春を強要されたことや、親身になってくれた刑事が実はセクハラ常習者だったというところは事実になっている
それでも、事件の発覚の時系列(自殺後に逮捕)などが映画向けに改変されていて、あくまでも「モチーフ」として、完全再現を目指してはいない
本当に救いようのない映画になっていて、希望に見える部分はフィクションになっているので、現実はもっと悲惨であるように思える
孤独と孤立の違いが描かれていて、孤立状態が長く続くほど、孤独というものが強調されていくように見えてくる
杏を死に至らしめたのは、ざっくり言えば「それでも母を刺せない弱さ」であり、幼少期の思い出が「祖母を神格化させている部分」もあるように思う
俯瞰してみれば、杏のこの状況を作り出しているのは祖母(広岡由里子)であり、毒親の連鎖が続いていたように思える
母は杏を「ママ」と呼ぶのだが、それは目の前にいるはずの母は母ではないという意味になるし、母親らしきことをしてこなかったことに対する当てつけのように思える
そうして、繋がってしまった親子の絆というものが呪いになって、杏を縛り付けていたのである
いずれにせよ、コロナ禍を忘れないという思いと、あの渦中で杏のようにひっそりと死んでいった隣人がいるというのは衝撃的であるように思う
このような世の中で生きていけるのは、自分のことだけ考えて、心配するふりをしている三隅のような人間であり、さらっと「お墓参りできないのですね」と自尊心を傷つけない程度に距離を置くところが恐ろしくもある
映画の主題は多田羅が語る最後のセリフであり、「現実逃避すら拒まざるを得ない絶望」というものが、このような顛末を引き寄せてしまうのかな、と感じた
重いけど惹き込まれる
鑑賞後、深い余韻が残る作品でした。
前半の希望の糸を手繰り寄せながら前を向いて生きようと上り坂を登り始める展開と、後半の下り坂を転げ落ちるような絶望に次ぐ絶望のコントラストが印象的な構成でした。
主人公のあんが今そこにいそうな息遣いで演じられていて、劇場内は満員で没頭できないかもと言う不安をよそにあっという間に作品の中に引き込まれました。あんの母親も怪演で性根から毒親という感じがして非常に説得力がありました。
少し残念だったのは、あんを取り囲む何人かの人物たちや演出の描写が雑というかアンビバレントだったこと。
稲垣吾郎は佇まいがSMAP稲垣吾郎すぎて、もう少し見た目やカラオケの歌をさらに下手に歌うようにするなどベテラン週刊誌記者に寄せたら入り込めたのにと思いました。
また、子供を勝手に預けたシングルマザーが最後はさらっと改心したのは脚本上話をまとめに行きたかったのでご都合的に入れられた気がしてしまい、そこに至る背景が説明不足な感じがしてしまいました。
さらに、あんが必死に子育てをする描写は良かったのですが、部屋に真新しそうなおもちゃがたくさん置いてあるのがあんの経済力からして違和感でした(あのおもちゃ達が1つ数千円以上するのになと思って見てしまいました)。
あんのクマの濃い風貌や安物のデイパック、心の機微の見せ方などあん自身には非常に丁寧に演出が施されていたように感じたので上記が余計ににちょっと残念に感じましたが、あんにフォーカスするそぎ落とした結果なのかもしれません。
終始カメラワークは少し1歩引いて、あんの日常を覗き見てるような感じで撮影されており、過剰な演出もなく、とても良かったです。それ故に、ブルーインパルスが舞う空や最後の手帳のメモがはらりと落ちていく演出的なシーンが引き立っていたように感じます。
コロナ禍のニュース映像やブルーインパルスの飛ぶ空は自身の記憶も呼び起こしてくれるものであり、たった数年前の出来事でも随分忘れて生きてしまっていることを再認識させてくれました。
そういった意味で、観客とあんのライフストーリーの接点をうまく作っていた作品だと言うふうに感じました。
総じて見て良かったと思える作品であり、普段無意識に対岸の岸の出来事と捉えてしまっている社会問題をグッと近くに引き寄せてくれるような力強い映画でした
連鎖
実話を元にした映画です。
いつも明るくニコニコしていて恥ずかしがり屋で、周囲から少し引いて、もじもじしているような女の子だったそうです。
伝えたいと思った。
でもそれは、様々な決めつけや偏見に苦しんだであろうご本人を、更に苦しめるかもしれない。
葛藤の中、最大の共感で寄り添いながら作られたこの作品からは、精一杯生きた主人公の人生が、とても愛おしく伝わってきました。
わたしの力では、世界を変えることはできないし、今生きて苦しんでいる、たくさんの杏を救うこともできない。
でも、目の前のほんとに小さなことを積み重ねることはしていきたいと思う。
誰にだって起こりえる瞬間の、あとほんの少しの勇気になることだってあるかもしれないから。
今目の前にいる誰かが、もしかしたら彼女ではないかと想像して、たとえ小さ過ぎることでも、できることをしていけたらと思いました。
一つだけ気になったのは、難しい問題だろうと思いますが、お母さんにも寄り添う必要があるのではと感じました。
生きるのは難しく、一人では乗り越えられないこともたくさんあるから、少しでも負の連鎖を正の連鎖に変えていけるように、支え合って生きていければいいなと、夢みたいに思いました。
無垢
すごい作品を観てしまった
上映中、ほとんど泣いていた。
あんが、日記を買ったり(盗まなくて良かった…)ぎこちなくはにかんだり、一歩引いてた所から少しずつ周りに馴染むようにがんばったり、そんな一挙一動に心を酷く揺さぶられ、とにかく涙が止まらない。
もう、彼女を愛さずにはいられない。
それくらい純真で、周りの優しさを素直に聞き入れスポンジの様に綺麗なものを吸い込んでいく。
奪われた少女時代を取り戻すように勉強し、働き、日記に丸をつけ、自然に笑えるようになっていく。
どんぐりころころなんて、他愛のない言葉も全て拾い上げる。
あんなに実の親から虐げられていても、腐るところなく明るく染まっていく。
アパートでカーテンを開けた瞬間、光があんを射し込み「すご…」そっと呟く。
しかし、悪いものも諦めたように吸い込んでいくのだ。
周りの大人達の勝手な優しさや裏切り、搾取、世界情勢、それらのピースが全てハマってしまった時、あんは真っ黒になってしまう。
最後に放たれた「恩人」の言葉。
一瞬、報われたと思ったがそうではないのだ。
あんの生涯はそんな陳腐な言葉で片付けていいものではないのだ。
青い空にはインパルスが。
そして、あんを「ママ」と呼び依存する寄生虫毒母は上映中脳内で50回くらい刺しておいた。
崩れるのは一瞬
序盤の「お前がクスリやってんだろ」という佐藤二朗の取調べで、意外とコミカルなのかと。
まぁ、そんなワケないですよね…
劣悪な家庭環境の中、多々羅のサポートによって徐々に抜け出す術を知る杏。
河合優実の表情変化が素晴らしく、初めて笑顔を見せた時にはまだ数十分しか杏を知らないのに涙腺が緩んだ。
介護施設の所長もいい人だったし、サルベージで身の上を語った杏の肩を抱く多々羅が暖かくて…
だからこそ、多々羅が根っからの悪人とは思えない。
もちろんやったことは最低だが、すべてが下心からの演技ではないと感じるのは、自分の願望だろうか。
杏のことを時折「ママ」と呼ぶ母など、基本的に登場人物の深層までは明かされない。
このあたりは解釈の分かれるところだと思う。
桐野から、予告にある「正義感と友情に揺れる」様子が見られなかったのは残念。
多々羅が逮捕された後のフォローくらいしろよ。
早見あかりの役どころも、それまで交流があったかも分からず、最後のアレは逆に軽薄に映る。
ただ、彼らに悪意はないし、自分がそうならない自信もない。
個人的には、原さんや子供と接する杏が好きだった。
お年寄りだけなら祖母と重ねたのかと思うが、子供への接し方も愛に溢れていた。
あの生い立ちであれなのだから、本当に優しいコだったんだと思う。
また『サマーフィルムにのって』や『愛なのに』のような河合優実が見たいが、次回作もヤバそうだな。
蜘蛛の糸を這い上がれ無かったあん
こう言う作品、今迄数限りなく観てきましたが、どの作品も、最後は何かしかの救いが有りましたが、この作品、私には全く有りませんでした。初めてです。敢えて言えば、主人公の母親が、泣いてる子を追い出すのに、役所を使ったのが、主人公には救いを感じたかも知れませんね。佐藤二朗さん、初めてです、この佐藤二朗さんを観たのは。圧巻でした。
「蘇り彼女が残した物」生まれ死ぬまで何も無い、そして墓も無い
ギャンググースなど手掛けた入江悠監督作品
主演は河合優実、パワフルな演技の刑事役の佐藤次郎、「十二人の刺客2010」で悪役で好演だった稲垣吾郎が記者役として脇を固めます。実話が元で作られた作品で
小4で不登校、12歳で体を売りシャブの中毒で売人でもある21歳のあんの生涯を描いた作品。
生い立ちが不幸な主人公のあん演じる河合優実は腕にシャブの跡だらけ、目に大きなくまを作り痛々しいですが、そこにエネルギッシュな佐藤次郎が加わり、稲垣吾郎がカラオケでブルーハーツの情熱の薔薇を歌ったり、ハモリを入れたりとさり気ない歌手らしい演技もあり一瞬、作品に希望の光が差しますがこれが現実と言わんばかりに冒頭から終わりまで状況は変わりません。この作品にハッピーエンド、バットエンドなど存在せず、現実を描いたまでと思いました。
作中、あんが祖母にケーキを買って来たり、多々羅に手紙で感謝を告げるシーン、そして最後の墓は無いの一言は心に残り涙し、生きている者は真面目に強く生きなくてはと言うメッセージにも思えました。入江監督は「ギャングース」でも不幸な主人公達を描いており、今回の稲垣吾郎の様に「アンブロークン」のMIYABI、般若とアーティストも起用していてギター演奏もラップも無しでちゃんと俳優として扱うのが素晴らしいと思います。「ギャングース」は報われる所謂、ハッピーエンドですが幼児虐待、高齢化社会など日本の闇もしっかりと描写に入れています。「あんのこと」と「ギャングース」では真逆の結末ですが何れも日本の現実を捉え、力強い作品が多く大好きな監督です。
商業的な映画が多い中、「あんのこと」の様に
ちゃんとお金を払いたい映画が増えたらと心から願います。
物語~結末
映画開始早々に誰も居ない薄暗い街を虚ろな表情で歩く主人公のあん。
既に幸せな結末にはならない予感が伝わり、シャブの中毒であり売人である事が描かれ
家に帰ると足の踏み場も無いゴミ部屋に売人で得た金を強請る母親、足の不自由な祖母。
父親は見当たらず、冒頭の予感が絶望と言う確信に変わる。そんなあんは、逮捕される事を機に佐藤次郎演じる刑事、多々羅に出会う。リストカットを即座に見抜く鋭い洞察力を持ちながら取調室で呪文を唱え、机の上でヨガを始める奇想天外な刑事の行動にあんはお手あげ。股間を探りコンドームに入った白い粉を差し出す。煙草は吸わないあんに対し「煙草位吸っておけ!バカヤロー」と浴びせると
この人もシャブ中なの?と思う位にぶっ飛んだ行動る反面、生活保護申請など真摯にサポートする姿にあんは徐々に心を開き、刑事主催の更生セミナーに通う。その後、刑事の紹介で介護施設に働く事になるがこれはあんが将来、祖母を介護したい意向による事だった。
早々に施設ではわざと、飲み物をこぼす老人(老害)も登場し老人介護の闇も描かれ。
そう簡単に上手に進まないと思いきや、足の不自由な祖母の面倒に慣れているあんは、何も気にせず仕事をこなす。
初給料を貰い(真っ当な)日記と祖母にケーキを買う。セミナーで多田羅がシャブを使用しない日の日記に〇をつけろと言う言葉に従うが日記は平仮名ばかりだ。同様に祖母にケーキを買って帰る健気なシーンは心を打たれますが、それを早々に酔っ払い、男を連れた母親が破壊し初給料も奪われてしまいそうになる。ハンカチに赤い血。
あんは家を出て自立する覚悟を固める。
給料の不当な扱いからあんは、セミナーに取材に来る桐野の紹介で違う介護施設に移る。
給料を強請りに母親が職場に乱入する事もありながら施設の人々は追い出す事はなかった。
あんを暖かく迎える職場、新しい住まい、セミナー以外にも新たなに学校に通う。全く新しい生活に生きる喜びを得たあん。
セミナーで手紙を読むシーンは小学生で食べる為に万引きを繰り返し不登校。12歳で母親の強要で売春と不幸な生い立ちを告白しながら多田羅に感謝を伝える姿は目頭が熱くなります。
セミナーに通う人達を取材すると言う記者、稲垣五郎演じる桐野はあんに接近する。(実際は多田羅の不正行為のリークがあった為に通っていた)記事にする為と言うより、純粋に多々羅とあんに惹かれた様子で三人で過ごす描写が多くあります。桐野は取材を続けセミナーに通っていた女性から多々羅に性的要求されたと言う情報が入る。多々羅の行動を良く思わない施設の人間、刑事もおり早々に多々羅は逮捕される事になる。ショックを隠せないあんに、今度はコロナの猛威が襲う。
信頼していた、多田羅の逮捕。(親友)
逮捕によるセミナーの廃止。(同じ境遇の仲間)
コロナによる出勤停止。(金)
通学していた学校の休校。(学)
ボクシングで言うならば井上尚弥の本気パンチを4発連続で顔面で受ける。過去も不幸なだけにヘビー級ボクサーのパンチレベルかもしれない。
何れにせよ、普通の人では一発だけでも立ち上がる事は困難で最悪死に至るレベルだ。
追い打ちは終わらず今度は突然、アパートの住民に子供を預かってほしいと強引に子供を渡され逃げられてしまう。(あんは前夜にその母親の怒鳴り声と子供の声で寝れなかった)
もはや、極限状態で引き金を引いた銃やピンが抜かれた手榴弾を手渡された状態だ。
あんは仕方なく子供の世話をはじめ、子供の食事のアレルギーなど日記にメモを残していく。実の家族の様に子供と生活をする様になった所で偶然、あんの母親と遭遇してしまう。
「祖母がコロナにかかったかも知れない」と言う言葉に釣られ家に戻ると祖母は元気で、嘘をつかれた事に気が付いたあんは逃げようとする。
しかし、母親に子供を人質に取られ体を売って金を稼いで来いと要求され、あんはそれに従う。
あんは体を売り得た金を握り、母親に子供を返す様に要求する。
母親は子供が面倒だったから市役所に引き取って貰ったと告げる。あんは怒り、包丁を手にするが母親の圧力に負け、家を後にし再び覚醒剤に手を出してしまう。
目覚めたあんは、◯を付けてきた日記に目が止まる。再び覚醒剤を打ってしまった事、多々羅に対するやるせない気持ち、我が子の様に育てた子供を奪われ、何をしても上手く行かない人生の嫌気、衝動で日記を燃やそうとする。途中で慌てて火を消して焼け残ったメモを見つめ泣き崩れる。
窓の外を見上げると、コロナと闘う医療従事者をはじめとする多くの人々に、敬意と感謝を示すためのブルーインパルスの飛行が目に入る。
青空に不死鳥を意味するスモークが残っていた。
しかし、あんにはその意味も分からず、
分かっていたとしても理解する余力は残って居なかった。
導かられる様に窓を開けてベランダへ向かう。
そして、あんは再び覚悟を決める。
終盤、あんに子供を預けた母親が子供を市役所に引き取りに来る。母親は職員からあんが亡くなった事を告げられメモが渡される、メモはあんが子供の為にアレルギーなど書き残した物だった。
母親はあんにお礼が言いたいと
墓の場所を尋ねるが職員は
「母親が遺骨を取りに来たが、墓は無いでしょくね」と告げられる。
生まれてから殆ど良い事も無く、何か進んでもそれを覆す不幸な毎日、そして墓も無い。
このシーンは見ていて重い石がすっと体から落ちた感覚になり言葉を失いました。
映画は引き取られた子供とその母親の後ろ姿で幕をとじる。
スクリーンに蘇った彼女が残した物。
預けられた子供を救った事も勿論、
この作品を見て子育て、仕事、私生活と個人で刺さるポイントは違えど真っ当に生きなくてはと言う気持ちになった人は多いだろう。
真っ当な人間が増えればあんも、あんに預けられた子供の様な事は減る訳ですから。
この映画であんの様な子が一人でも減れば、報われると思います。
只、悲しい、可哀想と言う感想だけの人が多いのは
個人的にも残念で、監督や作品も亡くなったあんも
わざわざスクリーンで蘇らせてまたその一言で終わられてしまうのは報われないと思います。
悪い意味では無く日本が平和な証拠。
環境
入江悠監督作品は初めて見ました。
この作品は事実を基にしているとの事、胸が痛むひどい話でしたが、映画にする意義は大きいと思いました。
あんという女性がいた事、彼女のような人たちがまだまだいるであろう事。
毒親・鬼畜母(または父)を映画で見る度、病気だなと思います。まともじゃない。娘への愛情など微塵もなく、あるのは執着心と支配欲だけ。育つ過程に何があったのか、負の連鎖?おばあちゃんは優しい人なのに。この母逮捕されりゃいいのにと本気で思いました。
シェルターで隣のシングルマザーからあんな風に子どもを押し付けられるなんてそれも驚き。この母親も男とトラブルって…最後「あんちゃんありがとう」ってさー(`´) 日記帳の切れ端見て悟ったとかそれは分かったのですが、びっくりしました。
手を差しのべてくれた多田羅刑事も、聖人君子ではなかった。でも行動によってあんの人生が変わっていこうとする事は唯一良かった点ではないかと思います。皮肉にも押し付けられた子どものお世話に懸命になり、老人ホームのおじいさんからも慕われた、あんの最後が残念でなりません。
俳優の皆さん素晴らしかった。
河合さんは脇役でちょいちょい拝見してましたが、実力派。すごくいいですよね。今年、一気にきましたね。今後も楽しみ。
佐藤二朗さんは「変な家」を見た後だけに、余計良かったです。
善と悪と正義と
心の深奥に刺さる映画である。
DV、貧困、無知、売春、覚せい剤、打算とこの世に蔓延する悪の中に、杏という弱々しい
無償の善の持ち主を放り込み、「悪に翻弄される善」という普遍的なテーマを展開する。
ここまでなら良くある構図だが、監督が秀逸なのは、そこに多々羅という極端な善悪両面を備えた刑事と、正義を標榜する新聞社の記者を据えたことである。かくして善悪だけでは割り切れない複雑な構造を映画にもたらすことに成功した。その結果、降りしきる雨の中で杏を抱きしめる多々羅刑事の姿は、善悪を超えた崇高さを持ち、一方で正義の遂行(新聞による告発、児童相談所による幼児の確保)が杏にとどめを刺す、という胸をかきしめられるような展開を描き出した。
登場人物の中で杏だけが、ただ他人の為に生きた。燃え残った日記の一片には、子供のアレルギーや好き嫌いに配慮した食事が記されており、それは善の塊であり、杏の生きてきた証であり、墓標である。
幕が閉じた時、監督からの問いかけに気づく。お前は誰だ。杏か毒親か新聞記者か刑事か。「いえ私はただの観客です。杏はかわいそうでした。行政はもっとしっかりすべきです。」といつもの日常に戻るのは簡単だが。
杏に出会ってしまったからには、日記の続きを託されたと観念すべきであろう。
河合優実、河井青葉、佐藤二朗の演技は圧巻である。
杏ちゃん
私は脚本も書ける監督さんをとても尊敬しているのだ。
本作も入江悠監督が脚本も手がけている作品なのだが、代表作?のラッパーシリーズは未見。
「太陽」と「22年目の告白 私が殺人犯です」しか知らないので、どんなテイストの作風の監督なのか?
いまいちわかっておりませんm(__)m
本作は河合優実ちゃんが主演というだけでチェックしていたもので、いつもなら気になる監督すら確認しないまま鑑賞。
キービジュアルは見ていたが、事前情報ほぼゼロです。
最初に「実話ベース」とのテロップが出る。個人的に苦手な演出。
どこまでフィクションで、ノンフィクションなのか気になってしまうし、第一印象に影響が出るから。
でも、本作では有効だったと思った。
キノシネマのリクライニングできるゆったりした座席に腰を下ろし鑑賞している自分。
冒頭で映し出された杏ちゃんの顔のアップ。
目の下のひどいクマ。正気を失った表情が映し出された時、
「あ、、どうしよう」と動悸がしてきて、、、でも覚悟が決まった。
目を逸らしてはいけない。
実話ベースの悲惨な事件であることは間違いない。
杏ちゃんを救えなかった日本の現状。
だけど、この闇や大人達に怒りの感情を向けるだけではダメなのではないか。
断罪する事にこだわっている様ではこれからも変わらない。
まだ日本のどこかに存在しているであろう第二、第三の杏ちゃんは救えない。
この絶望的な世界に身を置く子供達を、取りこぼしたままでいる日本を変えなくては!と、強く思うものの、では、自分に何が出来るのか?と、問うてみても、無力過ぎて落ち込むのだ。
日々流れて来る似たような事件を目にするたびに、心が痛み、憤りを感じ、大きなため息が出るだけだ。
(身近な所だと新宿のトー横とかか)
だから考える。考える事を止めてはダメだ。
今の私にも出来る事。
自分の周りの人には優しくいたい。
バカみたいな言葉しか出てこないけど、何かあったらあの人に!って頭に浮かぶ人間になりたい。
(あと選挙行く)
杏ちゃん。
あなたの頑張っていた人生を少しだけど、見せてもらったよ。
知らなくてごめんね。
助けてあげられなくてごめんね。
動のさとみ、静の優実。
主演女優賞はさとみなんだろ〜けど、私は優実ちゃんを推したい!
◎追記◎
タタラのモデルになった刑事に裏の顔があった事も実話に基づいていると知りました。
言葉が出ません。
河合優実の説得力
河合優実の演技が、演技に見えない説得力。実話に基づく物語ですが、ドキュメンタリー以上にリアルな感触を与える、すごい女優さんが出てきたな、という印象です。佐藤二郎が絶賛する理由がよく分かる。
理不尽な家庭環境から絶望さえ知らなかった少女が、ほんの少し希望を与えられ、少しずつ人生を立て直していけるか…と思ったらまた理不尽に奪われ、突き落とされる。トーヨコにいる少女達も多かれ少なかれ、こういった背景を抱えているのだろうと想像できて、苦しくなります。
大人が大人の責任を果たさないことのツケを、子ども達が払わされている理不尽。観て、我々大人達が反省し、次の行動につなげなきゃいけない作品です。
河合優実推しですが
愛なのにを観てから河合優実を推している。NHKドラマの家族だから愛したのではなく愛したのが家族だったや、不適切にもほどがあるも面白かった。
本作では河合優実の魅力が発揮されていたが、佐藤二朗と稲垣吾郎は今一つ。佐藤ではなく岡部たかしの方が二面性が出るし、稲垣ではなく北村有起哉の方がジャーナリスト感が出たのではないか。ドラマ化されるのであれば、ぜひこのキャストで。
実際の事件を元にして作られているというが、どこまで同じなのか知らない。ただ、PG12ということからも、描き方が中途半端な感じがした。
コロナ禍の影響はあまり関係なく、母親はコロナ前でも家庭に満足に金を入れずに自分のために使い、祖母の介助も杏にやらせていたのだろう。後半で男の子の世話をするが、祖母や母親のために生きることが杏にとっての生きる意味だったのか。ただ、自死をするまでの流れは、脚本がやや甘かったと思う。
杏のような子供は、程度の差はあっても多く存在するのではないか。
期待を裏切らない河合優美
想像力や思いやりの欠如がもたらした悲劇を描いた作品。
馬鹿な大人たちの犠牲になった少女が憐れ過ぎる。
冒頭からデイパックを背負って早朝の赤羽のOK横丁を一人歩く河合優美(杏)。
佐藤二朗の多々羅。こんなイイ刑事いるかぁ?とは思いつつも、稲垣吾郎を含めて3人で杏の就職を祝ってカウンターで乾杯したり、カラオケするシーンに幸せを感じて、もう何年も足を向けないようにしているOK横丁に寄りたくて仕方がなかった。
サルベージ赤羽紹介してもらおうか😅
ロケ地は赤羽台団地や埼京線沿線武蔵浦和あたりのマンションか。
なんでブルーインパルスが飛んでるシーン入れた?
インパルス堤下を連想しちゃった。
クスリつながり?
KEYUCAで絶対可愛い手帳を万引きすると思ったのに、すんでのところで思いとどまる。多々羅へのお礼のプレゼントを買う。細かなこころの変化を演じる河合優美。
佐藤二朗も好演。
「さがす」での伊東蒼との佐藤二朗もよかった。確実に進歩してる😎好感度あげた。
どうにも薄っぺらい正義やうわべだけのマニュアル対応に苛つく多々羅。介護施設のおじさんの対応は神。元ヤンキーって言ってたな。
ゴミ屋敷はちょっとやり過ぎ。生活保護もらってないのに、缶酎ハイやビールの空き缶が多すぎ。結構リッチじゃんと思ってしまった。
あんな境遇にもかかわらず、母性に目覚めたあんちゃん。ジャガイモの皮を剥かないで賽の目に切るところなんか泣かせる。
杏の母親は酷すぎる! 馬鹿すぎる。
よく我慢していたというか、あんちゃんはいい子過ぎる。元ヤンにみえる河合優美は実はお医者さんちのお嬢さんなんで、そこはかとない品を感じる。
鈍いオイラだって、燃やしかけた手帳から切り取ったページが育児期間のものだってわかる。
杏
幾つか河合優美さんの作品を視聴してきたが
あの映像を観た時、彼女は正にあんだった。
不思議なリアルさを感じた。
貧困家族、虐待、暴力、売春、覚醒剤、コロナ
非正規雇用。
地獄のような道を辿ってきたが更正しようとする
杏。
産まれた時は皆同じ。
ただ、環境や育て方や周りにいる大人達の
影響は有り得る。
最初から悪い人はいないし、そんな事は
誰も望んでないが現実には限界もある……。
新しい部屋を見て入った瞬間のあんの表情や
ラーメン屋さんのでの食べる姿が印象的。
少しずつ人間らしく生きたいと思い始めたのに。
言葉が出ない。この過酷な社会のシステム。
本当にこのような方は存在していたの
だろうと思わせた河合優美さんの演技は
凄かったし重みも感じた。
しんどいけど観ておくべき作品。
主人公以外の配役が微妙でした
主人公の杏役の河合優実さんは圧巻の一言。
ただ刑事役佐藤二朗さんは正直役柄に合ってないと思いました。良い人の役はしっくりくるのですが、この映画でのクズ役は疑問。決して嫌いな俳優さんではないだけにもったいない感じがしました。
佐藤二郎が人情味あふれる刑事…本当か?…うそだろ!?
「不適切にもほどがある」で好演していた河合優実が主演ということに惹かれ鑑賞してきました。
母親から暴力を振るわれ、身体を売って金を稼ぐよう言われ、麻薬中毒にもなり、そんなどん底人生だった杏が人情味あふれる刑事多々羅(佐藤二朗)と出会い、彼と友人のジャーナリスト桐野(稲垣吾郎)の助けを得て更生の道を歩み始めるのだが、世間ではコロナウイルスが流行し始め仕事も学校もなくなってしまう。母と祖母のいる家を出て一人暮らしを始めていたのに不運なことから母に居所がバレ、再び暴力を振るわれ売春して金を稼いでこいと言われ…
(感想)
・佐藤二朗の人情味あふれる刑事、ちょっと強引で昭和の刑事みたいだけど、親身になって杏を更生させようとしているように見えたのに、まさかの展開に呆然
・NHKドラマ「ひきこもり先生」みたいに杏の頼れる存在だと思ってたのにさすが佐藤二朗、ゲスい役はお手のものでしたね。見事に裏切られました。
・桐野もネタのために多々羅に近づいてたのですね、稲垣吾郎が演じるくらいだからクリーンだと思ってたのに…残念
・せっかく更生の道を歩き始めてた杏の道が突然すべて閉ざされてしまう過酷な運命に同情を禁じ得ない。
河合優実の熱演が光る映画であった、と同時に佐藤二朗の演技もこの映画の魅力になっているのは確かである。
悲しいストーリーではあるが。
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