あんのことのレビュー・感想・評価
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伝えたいのは絶望か希望か?この映画が伝えたかったもの
なんの情報もなく、予告編を観て観ようと決めていた作品。始まりからどんよりとした映像と心重くなる内容に、この先への腹を括る。
草薙くんと慎吾ちゃんは騒動後も活躍しているイメージがあったが、久しぶりにスクリーンで観た稲垣吾郎ちゃんがとても新鮮であった。あまり丁寧な説明のない登場であったが「あなた誰よ?」とはならない自然な溶け込み方で主張しすぎることもしなすぎることもなく、ちょうど良かったと思います。そして、メインの多々羅刑事役は佐藤二郎さん。最近ではもっぱら福田雄一監督の作品に、なくてはならない曲者役者として活躍されています。今回は普通(失礼かな😅)の役どころで、物語のキーパーソンでした。それでもやはりいつもの佐藤節は健在で、クセはあります。一癖も二癖も…。でも彼の演じる何者かは、いつも現実社会のどこかに存在していそうなキャラなので、そこまでの違和感はないのです。そして、主人公のあんちゃんを演じた河合優実ちゃん。今回初めて彼女の名前を覚えました。並々ならぬ覚悟で今作に臨んだ彼女の決意が感じられる渾身の演技で、心をえぐられました。他の役も観てみたい、今後が楽しみな役者さんです。
さて、内容はというと…
非常に重いです。
ただ救いのないラストにそこまで引きずられなかったのは、この映画が観る側になんの感情も強要することなく、それぞれの立場の登場人物たちに起きた出来事をただ淡々と伝えることに重きを置いていたからだと思えます。
観終わった後すぐに調べたのは、この映画が事実なのかどうかということ。そして本当の衝撃はそこから…。コロナ禍という未曾有の有事の中、ノンフィクションでないにせよ、このような現実があったという事実に、もはや重い宿題をもらったような胸苦しい気分になりました。絶望する者、手を差し伸べるもの、事実を追い求めるもの、それでもそう生きるしかなかったものたちの圧倒的リアルな物語。
伝えたかったのは、絶望か希望か?
目を逸らすことなく
しっかりと胸に刻む。
杏の希望と絶望を分かち合う
河合優実演じる杏の生々しい実在感に終始圧倒される映画。佐藤二朗の熱さと個性、稲垣吾郎の静かな佇まいが、杏の過酷な人生を見守る私たちのいたたまれない気持ちを少しだけ和らげる。
事前に読んだネット記事には、本作をコロナ禍の物語であると評するものもあった。ただ、個人的な印象としては、そのように括るほど単純な話ではないように思える。
杏は、新聞記事に載った実在の女性がモデルとなっているそうだ。入江監督は、コロナ禍の空気を記録しておきたいという思いもあったものの、「コロナ禍と社会的弱者というテーマがあったわけではなく、むしろ記事に書かれていたひとりの女性について、より深く知りたいという動機が先にありました」と語っている。
そして確かに、この映画は杏(ひいてはモデルになった女性)の心に分け入り、彼女の痛みと希望、絶望をひたすら分かち合う映画になっていた。多々羅の罪やコロナ禍でコミュニケーションが分断されてゆく様も描かれるが、それらの描写に何かを断罪するニュアンスはあまりない。杏の人生があのように進んでいった原因について安易に単純化するような決めつけをしないという、彼女へのリスペクトが感じられた。
河合優実に、元になった記事の女性が憑依しているような錯覚を覚えた。
もちろん直接彼女を知っているわけではないし、またあそこまで酷いDVが起こっている家族に現実に接したことはない。それでも、杏の感情の動き、弱々しくも少しずつ立ち上がり、どうにか前を向いた心がまた折られてゆくさまは生々しいリアリティをもって胸に迫ってきた。見知らぬ彼女に出会ったような気持ちになり、気づけばその行く末を心配しながら見守っていた。
彼女を力強く救い出す多々羅にも心を揺さぶられた。彼があの熱さとちょっとしたユーモアで杏の人生に介入したからこそ、彼女に希望の光が差したことは疑いようのない事実だ。行方をくらました杏を多々羅が見つけて抱きしめるシーンには心を打たれた。
一方で、自助グループの世話役という立場を悪用し、参加者の弱みにつけ込んだ犯罪を犯すというアンビバレントな一面に困惑した。これは実話で、杏のモデルの女性を親身に助けた元刑事が、実際に別の相談者への性加害容疑で逮捕されたという。
そういったエピソードがフィクションにアレンジされる時、こういう行動をとる人物は、得てして「間違いを犯したけど本質的にはいい人」あるいは「実は悪い人だった」といった感じで単純化されがちな気がする。一見相反する行動に何らかの説明をつけ、わかりやすいように描かれる。
しかし、多々羅の描写にそんな辻褄合わせはない。でも、物語を邪魔するような矛盾は感じない。むしろ人間はそんなものかもしれない、とさえ思わせる。この辺の説得力は佐藤二朗の力量も大きいのだと思う。
物語においては、コロナ禍の孤独も確かに杏にはきつかったが、それより多々羅が杏の前から消えたことが彼女の絶望を後押ししたように見えた。それくらい多々羅の存在は杏にとって大きく、唯一のよすがだった。
ただひとつ押さえておきたいのは、多々羅の犯行を報じた桐野が最後に後悔の念を見せていたが、彼は仕事をしただけで間違ったことはしていない。杏と多々羅の縁を断ち切ったのはあくまで多々羅の行動である。
杏の母親を演じた河井青葉の迫力もすごかった。あの容赦のなさがないと、杏の絶望は観客に伝わらない。母親はなぜあのようになってしまったのか。母親が杏をママと呼ぶことに、祖母との母子関係の歪さが透けて見える。現在は一見穏やかそうな祖母と母親は、親子としてどのように過ごしてきたのだろうかと考えたりした。
気になった点もあった。
ひとつは、後半で杏に無理矢理預けられた子(この子のエピソードと、杏を取材した記者と多々羅の告発記事を書いた記者が同一人物、という部分は創作だそうだ)を演じた子役の扱いだ。杏の実家で母親の剣幕に晒される場面も心配になったが、オムツ替えの時に股間をしっかり映してたのがちょっと……。実の親の許可は当然取ってるんだろうけど、本人はそれが映像に残ることについて理解できない歳だし、見てしまっていいのだろうかという気持ちになった。
ブルーインパルスをあの場面で出すこともちょっとひっかかったのだが、監督のインタビューを読むとブルーインパルスそのものがどうとかいうより、その時それを眺めていた自分たちへの自省がこめられているようだった。
「自分たちがブルーインパルスを見ていた一方で、こういう事件が起こって、こんな女の子がいた。地続きのところにいたにも関わらず、そういった事件に対して全く想像力を働かせてなかった自分に『一体何をやっていたんだ』とショックを受けましたね」
なるほど、と思いつつも、あの描写でそれが伝わるのだろうか、という気もした。
杏に子供を押し付けた母親(早見あかり)も、初登場時は随分勝手な人間に見えたが、最後に出てきた時は物語の締めの台詞のためかすっかり殊勝な態度になっていて、キャラがぶれたように見えた。行動の辻褄合わせの描写がないのは多々羅と同じだが、脚本上の人物描写の精度と役者の力量の差だろうか。
とはいえ、河合優実の全霊の演技でスクリーンに立ち現れた杏の実在感は揺らがない。悲しい最期を憐れむより、彼女がドラッグを断ち、あの実家から脱出して仕事を始め、学校に行くようになった、その頑張りを尊敬し、彼女の姿として覚えていたい。彼女の生きた軌跡を見て、そんな気持ちになった。
社会の現実を突きつけられる
最初の方の家庭内の描写から心が締め付けられる。
外の社会に心身の拠り所があることがどれだけ大事なことか。
施設長との最初の雇用面談が印象的だった。
目を背けないで、できることを考えたいと思わせてくれる作品だった。
どんな人が周りにいるかで、生き様が決まってしまうのか・・・
河合優実さんって、ホンっとスゴい!
彼女の魅力で、初っ端から惹き込まれ、最後まで目が離せなかった。
シャブ中で、ウリをするドン底の女性が苦悩しながら、普通の生活を手に入れようとする様を見事に見せつけてくれる。凄まじい作品で、終始、切ない思いにかられてしまった。
【ネタバレ】
人は、1人では生きていけないってよく言うけど、そうじゃないね。周りにいる人で、大いに影響されるってのを、特に感じた。
河合優実演じるあんは、寝たきりのお婆さんの面倒をみているのだが、同居する実の母親から、虐待を受けている。そればかりでなくウリまで強要され、学校にもほとんど行けていない状況だった。ある事件をきっかけに、佐藤二朗演じる刑事と出会い、更生施設で立ち直ろうとする。
普段オチャラケ満載の佐藤二朗さんですが、本作ではかなり真面目な印象を受ける。何かやってくれるんじゃないかと、期待しつつ(普通の演技でも笑えちゃうんだけど)、終始、好感の持てる刑事でした。ところが、実はパワハラ職権乱用で女性に関係を迫る一面も持っていて、そのおかげで、更生施設は機能しなくなってしまった。
介護施設で懸命に働くあんだったが、母親に居場所を突き止められ、押し掛けられるピンチにも陥ってしまう。経営者の機転により、何とかその場は収まったのだが、その後、コロナが蔓延したことにより、職を奪われてしまう。
居宅に引きこもる事となったあんは、近隣の住民から無理やり子供を預けられてしまうが、その触れ合いの中で新たな感情(使命感?母性?)が生まれ、生き甲斐を感じる。ところが、そこで偶然、母親に接触してしまい、子供を人質に、ウリを強要されてしまう。
やむなく、事を済ませて帰宅したあんだったが、そこに子供の姿は無く、再び絶望の底に突き落とされてしまった。
為すすべも無く落ち込むあんは、再びシャブに手を付けてしまう。全てに絶望し、自暴自棄となって、自らの命を絶つのだった・・・
ホンっと、健気なあんが切ない。
希望の光が見え始める度に、絶望の底へと突き落とされる。
寝たきりのお婆さんは可哀想だが、屑の母親にイライラのしっぱなし。これからって時に限って現れて、暴力で抑圧する。この母親の娘であった事が彼女の不幸であり、全てだった。
包丁を持って反撃しようとする場面もあったが、優しいあんには手を下す事も出来なかった。人を傷つけるなら自分が傷を負う。
今は亡き自分の両親が、普通の人でホンっと良かったな〜と、つくづく思い知らされた。
子供達も元気で、それぞれの家庭を持つほど円満に過ごしている。
高校を卒業して勤めた職場も、気の良い人ばかりで、仕事は大変だったが、無事定年を迎えることができた。
ご近所問題で揉めることもなく、自分はホンっと周りの人に恵まれていて、感謝しかない。
この、何もないって事こそが、幸せじゃないかと実感できる一本だった。
話を盛る必要はなかった
今時、不幸な現実を描いた作品は多々あるが
主役の演技が素晴らしく、よりリアルに、より深く物語に引き込まれた。
ただし、子供を預かるエピソードについては創作らしい。
この手の作品において、事実にさらに不幸な要素をプラスするのは悲劇の盛り過ぎ、エンタメ化に感じる。
確かに子供を最後の希望とし、それを奪うのは一番効果的だろうが、それは安易でもある。
本当に決定的なのはやはりコロナだろうし、そこをもうちょっと掘り下げるべきではなかろうか。
このエピソードが無かったとしても、モデルとなった女性がそれを選んだという重い事実と、それを表現できるだけの力がこの女優さんにはあったはず。
ラストシーンもどういう解釈が正解なのだろう。
自分にはハヤトの将来を暗示しているように見えて最後まで胸糞悪い。
そうでないなら、早見あかりのセリフはあまりにも無責任で軽い。
どちらにしても要らないと感じた。
こういう作品を観ると現代社会に対して悲観的になりがちではあるが、数々のセーフティーネットが存在していることも描かれている。
それを悪用する者や機能不全によって、そこからすり抜けてしまう人々がいることもまた事実だろうが、それを非難するのは安易だ。
実際に福祉に取り組んでいる方々への敬意は欠かさないようにしたい。
胸が締め付けられる作品
1人で見る映画。
病んでる時に見るものでは無い。
生まれる場所を子供は選べない。
毒親のせいで自分の人生を生きれない。
希望の見える瞬間もあったが、子に執着するする親のせいで引き戻される。自死するしか最後は救いがなかった。
あんのことを考える
映画を鑑賞し終わり一夜明け、自然とあんのことについて考えている自分がいる。その時点でこの作品の狙いは達成できたのかもしれない。
具体的な評価ポイントとしては、それぞれの役者の演技に感情移入することが出来たこと。あんの母親には鑑賞中何度もイライラしたが、これはあんの母親の演技がそれだけ巧いからだし、あんがどう感じてるかの感情移入ができたのはあんの演技の巧さ。記者が崩れ落ちるシーンもとても共感できた。
一方気になったのは、終盤の、あの子供を押し付けた母親の演出。なんであんなに平然と、まるで子供を押し付けた一面が無かったかのような態度としたのだろうか。おそらくは刑事と同じように「一見して分からない人の多面性」を描くために敢えてそうしたのだとは思うが、少し胸糞悪い終わり方だと感じた。
あんのことを考えると、もちろん映画として脚色してる部分はあっても、同じような状況の人は実在するのだろうし、コロナの時期に同様の状態となった人もいたのだろうと想像できる。人との繋がりを持つこと、誰かの役に立てているという感覚を持つこと、これらは心の支えとして誰にでも必要なことだというのを、改めて感じた。
生きてて欲しかった
あらためて両親に感謝した。
ちゃんと親として愛情たっぷりに育ててくれて
お金にも不自由なく育ててくれて、
今更ながらにありがたみを感じた。
ありがとうございます😊
晴海なんてヤツ、警察が逮捕してくれないかな。
この俳優の顔見るのも嫌になる。
この俳優こんな役多いよね。
杏、生まれるところが違えば、
明るい表情で屈託なく日々を送ってたんだろうなあ。
大学にも行っていただろうなぁ。
同年輩の友達と遊びに行ったりもしてただろうなあ。
未来があっただろうなあ。
杏自身に何か瑕疵があったわけじゃない。
字が読めなくても意味のわからない言葉があっても、
おばあちゃんたちにちゃんと敬語を使っていた、
いい子だな、と一目でわかる。
ただあのサルベージであまりにも淡々と
12でウリしてました。
クスリは15の時から…‥、
言うのって、
周りと自分の違い、わかっているのかな?
周りよりも想像できないくらい悲惨だということ、
わかっているのかな?
普通の生活を知らなさ過ぎて、
こんなもんだと思って諦めていたのかな?
もし、そうなら辛過ぎる。
公的機関とか、知らなかったのか⁉️
どうにかできなかったのか⁉️
自分の娘に小学生から売春させる母親だよ、
お得意の児相が現れて、親子分離できなかったのか⁉️
多々良という人物をどう捉えれば良いのか。
偶然杏と出くわし、
サルベージや食事や市役所に連れて行き
杏のこと、親身になっていたのに、
陰で別の女の人を泣かすことをしていたとは。
稲垣の罪は、
コロナ禍であっても多々良が逮捕されても、
杏の身近にいてあげて母親に打ち負かされても
そっと寄り添ってあげてれば良かったんだ。
なぜしてあげなかったんだ?
多々良のことを週刊誌に載せたからじゃない、
杏を見守っていなかったことだ。
杏が飛んでから来たって遅いんだよ。
サラと最後に話していた刑事の言葉、
「子供(昇太)にケガは無かったですか?」
どういう意味だ?ムカッとする💢
昇太が無事に母親の元に帰って来て良かったけれど。
杏ちゃん、、、
最初はすごーく暗いけど、、、、どんどん見てくと、どんどん杏ちゃんが好きになる映画。
子供を産んだら、育てなきゃいけないって普通に思うけど、そう思わない、それを放棄してしまう親って本当にいるんだって思った作品。
杏ちゃんが堕落していく姿をもう少し詳しく見たかったけど、ポジティブに復帰していく姿はとても泣けるものでした。最近、泣けてなかったから涙活には是非おすすめの作品。
でも、最後は生きてて欲しかったなー。
自立していく、杏ちゃんもう少し見たかったなー。
河合優実の熱演に圧倒され、ただただ引き摺る
不条理な現実とどうにもならない社会を描いていてとにかく胸が苦しい。コロナ禍も重なり居場所が失われていくことで繋がりも減っていき閉塞的になっていったあの時期にこの2025年からタイムスリップしたようでそれもしんどかった。
娘のことを『ママ』と呼ぶ気の狂った母を始めとする登場人物がみんなめちゃくちゃな中で、杏ちゃんの根底にある素直さと優しさに締め付けられる。
家庭環境のせいで正常な判断が出来ないのかもしれないが、頼らず、投げ出さずに1人で必死に他人の子供を育てるところに愛情深い人物像が見え、ラストを思うと本当に不条理で苦しい。
『あんぱん』から河合優実さんを好きになり、その繊細な演技力にハマって『ナミビアの砂漠』に次いで拝見しましたが、こちらの方が自分は好きでした。
万引きしようとして思い留まるシーン、多々羅刑事に「大丈夫、大丈夫だから」と抱き締められ嗚咽するシーン、お給料でケーキを買って帰るシーン、利用者さんとのシーン、必死におむつ替えするシーン…書き出したらキリがないですがどれも観る人の心を揺さぶる素敵な役者さんだと思い、河合さんをもっと好きになりました。
しかし母親からの虐待はしんどかった。
福祉施設で働き学校で学ぶことで光を取り戻していく杏ちゃんがとても美しかったです。
一度落ちると這い上がるのは難しい
淡々とわりと早めな時間進行なんだけど、所々ですごいことが起きている演出が上手い。自殺するシーンなんかは東京オリンピックを祝う自衛隊のブルーインパルスに導かれるように自然な流れの落下で、ここが最高の演出。責任感が強すぎる主人公だからこそ、シャブ再発や今までの苦労を水の泡にした自責の念が強かったんであろうことが伺える。
メインの男二人もコロナ以降は全く出てこず、突然子供とのやり取りにシフトするというなかなか思い切ったストーリー。
母親が映画内で絶対悪になっており、そこだけはもうちょい情状酌量の余地があっても良かったかな。母親の苦労している匂わせをさりげなく混ぜるとか・・・して、誰も悪くないことを強調すればもっと無念感が強まって、作品のクオリティも上がったのではないだろうか。
こんなどんでん返しは望んでいなかった。
売春してシャブの常習犯であった杏が多々羅刑事との出会いから、心の傷を癒していく。ムロツヨシ演じる人情と温かみがある刑事役めちゃくちゃいいな〜と思っていたら、まさかの展開。。。こんなん信じられませんよ。彼女が老人ホームで働いた事、一時的ではあるが赤の他人である子供の世話をした事。そのどれもが多々羅刑事がいなければなし得なかった事であるのだが、結局は心の根底にある醜欲に従っていただけなのだろうかと思ってしまう。ただ杏を慰めている様や杏の死を知った時の様を見るに、悪い人には見えず恨めないのがなんとももどかしい。桐野の記者として真実を明るみにしなければいけないという責務とそれに従って彼女の死を招いてしまったのではないかという
葛藤に苦しむ姿も見ていて心苦しいものがあった。こんな悲劇のような彼女の人生であったが、見るものを夢中にさせ、余韻をここまで残せる所に今作の凄みを感じた。
辛い…
実話が元になっているのが、辛い。
小学生の時に万引きさせられていた。その時点で、なぜ児相に繋がらなかったのか…。そこで保護されていたなら、違う人生になっていたかも。
12歳で売春
周りの大人の中に、善意ある大人はいなかったのか?
アル依存の親で、小学校も通えなかったから、自分でその場から抜け出せる知識も知恵もない。
今でもそんな人がいるのが、辛い。
本当に必要な人のところに助けの手が伸びていない。生活保護の申請も、実態を調べる前に門前払い。
話に引き込まれるけど、辛すぎた。
あん役の河合優実さん、素晴らしい!
この映画を観た後に朝ドラ「あんぱん」観たら、出演されているじゃないですか。全然気付かなかった。
なりきり具合が凄すぎて、印象強すぎて、「あんぱん」観ててもあんがチラつく。
しんどい
素晴らしい、と表現するのが相応しいのか、わかりませんが、心に残る作品でした。
ただ、幸せになって欲しかった。
主人公への感情移入が大きかっただけに、この結末は、しんどすぎる。
心身ともに万全な状態でのご鑑賞をお勧めします。
出演者の皆さんの演技は流石。特に主演の河合優実さん!凄かった。
逃げ場がどんどん無くなる地獄映画🪦
日本の作品にしてはセット感の無い家の中だったり
アホみたいなセリフも無く効果音もほとんど無くストレスフリーでストレスがかかるのを満喫できました!
似たような作品だと遠いところがほぼまんまの内容でそちらも相当イヤーな気分も満喫できるナイス👍な作品です。(イヤな気分🟰映画を観て最も味わいたい感覚😂アクション映画の痛快感とか笑えるコメディよりも自分にとっては重要な要素です🫡)
この作品に関しては見た人の家庭の事情も含めて胸糞度合いにかなりの差があるとおもうんですが自分はそこまで胸糞でも無く普通に皆様の上手い演技を堪能するって感じでした!(とはいえ母親役の人のクソバカゴミっぷりには感動しましたよ!こんなバカクズゴミムシはとっとと死ねよって思いながら見てる時点で演技が上手いが故にイライラさせられて感情を突き動かされているって😱😡😭証拠ですから👍)
そういやあそこでアイツが逮捕されてなかったらあんは死なないで住んだのかもしれないけど あんが性犯罪の被害者になってたのか?(最後に刑務所で自殺したと聞いて泣いてる場面があるって事は あんに対してはそういう感情で助けた訳では無いからレイプはしなかったんだろうと自分は思いました😢
あと超個人的な意見ですが胸騒ぎの600倍はこちらのほうが胸糞です🤣
あんのことを忘れない
去年最も見たかった邦画の一つ。
が、地元の映画館では上映せず。隣町の映画館に行こうとしたが、都合付かず。結局見れぬまま上映は終わり、レンタルを待っていた。
何とか時間を作って観に行くべきだったと後悔した。去年のベストの一本になっていただろう。
見て面白かった/楽しかったの類いではない。悲しく、苦しい。が、胸に響き、突き刺さる。邦画に毎年一本は必ず現れる力作。
コロナ禍、新聞に掲載された小さな小さな記事。一人の少女の事を伝えてくれた入江悠監督に感謝。
21歳の杏。
幼い頃から母親から虐待。
小学校も中学校もろくに通わず。漢字もほとんど読めず、計算も出来ない。
母と足の悪い祖母と団地のごみ屋敷部屋で貧しい暮らし。万引きを繰り返す。
母親から売春の斡旋をさせられたのは12歳の時。
薬物に手を出したのは16歳の時。
虐待、不登校、極貧、犯罪、売春、クスリ…。少女が身を置くあまりにも過酷壮絶な現状。
100%同情はしかねない。そういう現状だったとは言え、犯罪やクスリに手を出してしまったのは自分の弱さであり愚かさ。
が、母親から受ける虐待は痛ましい。
幼い頃庇ってくれた祖母には優しい。
当初は跳ねっ返りが強かったが、根はいい子なのだ。
こんな地獄から抜け出したい。
彼女にだって夢はある。
しかし、どうする事も出来ない。
自分一人の力じゃどうにも出来ない限界がある。
誰か、手を差し伸ばしてくれる助けが…。
居た。
覚醒剤使用と常習で逮捕。
その時担当になった一人の刑事。多々羅。
口も柄も悪い破天荒な性格。が、人情に厚い。
杏の面倒を見る。職安に付き添い。事務的対応の職員に怒号。自身が開く薬物更生者自助グループ“サルベージ”を案内。
介護施設で働き始める。彼女の夢。祖母を介護する為、介護士になりたい。多々羅の口からそれが語られた時、胸打った。
最初働いた介護施設は酷い雇用形態。次の介護施設が決まる。
この時力になってくれた人物がもう一人。多々羅の友人のジャーナリスト、桐野。彼のツテで。
ここの施設の経営者も良かった。ある時居場所を突き止めた母親が乗り込んできて、騒ぎを起こす。バツが悪くなった杏は辞めようとするが、引き留める。
働きぶりが認められ、本採用にも向けて。担当老人からも気に入られる。
その都度障害になる母親を断ち切る為、家を出る。DV被害者が住むシェルター・マンションへ。こういうのがあるんだ…。
もう一度勉強し直す為、夜間学校にも通う。
現状から抜け出したい、自立したい、介護士なりたい…本人の熱望。多々羅との出会い、桐野との出会い。
生気の無かった杏の顔にも笑みがこぼれるようになり…。
更生と夢へ向けて歩み始めたかに思えたが…。
多々羅に不祥事。警察という立場を利用して、サルベージの薬物更生者の女性に関係を強要。
そんなリークがあり、探っていたのが桐野。記事を書く為に近付いていた。
多々羅は警察を辞め、逮捕。サルベージも閉鎖。
時は2020年。あの世界的パンデミック…。
介護施設は人員削減。夜間学校は休校。
一瞬にして頼れる人も居場所も失い…。
それでもまだ“救い”はあった。
マンションに住む若い母親から突然幼子を預けられる。
最初は困惑するが、面倒を見る。介護施設働いていたからか、面倒見は良い。
一緒に遊び、食事を作り、手探りながら育児に奮闘。愛情を注ぐように。
が、またしても。居場所を突き止めた母親が現れ…。
救いの無い悲劇的なその人生。
しかし、絶望の中にも、差し込んだ希望の光や根底に人の温もりを感じる。
入江監督は同情的に描く事を避け、懸命に生き直そうとした姿を心掛けたという。
救われ、笑顔がこぼれ、幸せを感じる事もあった。
行き付けのラーメン屋、カラオケ、仕事や自立引っ越しが決まって3人で集まってお祝い…。
それまでの人生には無かった事。
ここに居て、いいんだ。
こんな新しい人生を、歩んでいいんだ。
…そうあって欲しかった。
体現したキャストの熱演。
昨年大ブレイクした河合優実だが、それを象徴する本作。熱演。
生気の無い序盤から、次第に生気を取り戻す。本来は素直でピュアな性格を滲ませて。
悲しみ、苦しみ。あるシーンの嗚咽には胸かきむしられた。
屈託のない笑顔は彼女の本来の顔なのだ。
幼子へ見せる眼差しと優しさ。
モデルとなった女性へ敬意を払って演じたという河合優実。…いや、演じたというより、在りし日の姿を生きた。
佐藤二朗も『さがす』に続く名演。本当にこの人は福田学芸会から一刻も早く決別した方がいい。
荒々しい性格だが、嗚咽する杏を「大丈夫、大丈夫」と抱き締めるシーン、サルベージで自分の事を話した杏を「よく話した」とまた抱き締めるシーン…人情が滲み出る。
しかし…。まさかの不祥事。いや、犯罪。ショックだった。
どっちが彼の本当の顔なのだろう。薬物更生者の為に熱く奔走する姿は本当なのだろう。その裏で自分の力を利用して女性に手を出してしまったのも本当の姿なのだろう。
人に混在する二面性。考えさせられる。入江監督もモデルとなった刑事の二面性に衝撃を受け、本作を作るきっかけの一つになったという。
サルベージの取材と偽って、本当は多々羅の悪行を暴く為近付いた桐野。
一見するとジャーナリズムを正義の盾にして相手を騙したヤな奴だが、彼の立場もまた辛い。
多々羅との友情は本物だった。それ故葛藤。杏への気遣いも本物。
稲垣吾郎が巧演。
吾郎ちゃんの歌声も久々に聞いた。にしても…、桐野が多々羅に女性への性暴力について追及するシーン。今見ると何だか…。
複雑ながらも感情移入してしまう人物も居れば、一切出来ない者も。
杏の母親、春海には震え上がった。
娘へ愛情の欠片は微塵もナシ。殴る、蹴る。娘は身体を売って金を稼ぐ“もの”。娘を“ママ”と呼ぶおぞましさ。
私も多くの映画を見ているが、これほどの毒親…いや、猛毒親はなかなか居ない。この存在が居たからこそ杏へ感情移入してしまう。憎悪すら抱かせる超絶嫌われ役を引き受けた河井青葉の怪演も特筆。
早見あかりが演じた杏に幼子を押し付けた若い母親には賛否分かれる。子供を押し付け育児放棄したくせに、最後の最後、杏さんに感謝したいなんて、よくもヌケヌケと。
隼人くんが実母の元に戻って幸せに育てられるのか…? 悪い母親のようには思えないが…。
隼人くん、まだまだ幼く、このほんのひと時の記憶など無いかもしれない。が、成長して、ふと思い出してくれたら…。
僕は幼い頃、母親とは違う女性と少しの間暮らした事があった。とても優しくしてくれた。
ラストは見る者を、また杏を、絶望の底へ叩き落とす。
母親から祖母がコロナに感染したと聞き、再び団地へ。
それは嘘。杏をまた身体を売って稼がせる為に。隼人は人質に。
せっかく更生の道を歩み始めた杏。振り出しに戻ってしまう。
帰ると、隼人が居ない。泣き喚く隼人をウザがり、母親が児相に連絡して連れ去った後だった。
このクソ親…!
全てを断ち切られ、失った杏は…
当初は独りでいる事が自分の人生だった。
が、ひと度人と触れ合って、出会って。
その温もりを知ったら、もう独りには戻れない。
人の輪、夢、自立。自分の人生を歩み始めた。
それを全て失った。奪われた。
当初の独りの比ではない。
立ち直れないほど身を襲う孤独と絶望…。
空にはブルーインパルスが飛ぶ。賛否分かれる中一年延期で開かれたスポーツの祭典。
その華やかさの陰で、誰に知られる事もなく…。
どうすれば良かったのか…?
何が悪かったのか…?
何が間違っていたのか…?
そもそも毒親と悪運の元に生まれてしまった事。
自らの弱さ。
多々羅の裏の悪行。
桐野の暴露。
答えは出ない。永遠の水掛け論。
コロナが決定的なとどめを差した事は否めない。
いつまで続くの?…と思ったコロナもやっと鎮静化。
多くのものを奪っていった。
多くの人が失った。
志村けんさんが亡くなった時、言われた事。コロナが憎い。
本当にそう。コロナが憎い。
コロナさえ無ければ、私たちの生活も、世界も、平常通りだった。
杏も新しい人生を生きていただろう。
人生や世の中は本当に不条理。突然、何が起きるか分からない。
それでも懸命に生きた証。
あんのことを忘れない。
なんのこと?明烏?
この映画なら『子宮に沈める』を観てもらいたい。この映画の様な不幸に遭遇する前に餌食に遭っているはずだ。こんな毒親ならね。
貧困で苦しんでいる人達はこんなウマシカ者ばかりじゃない。
さて、
『義務教育を放棄したのは自己責任?』この言葉だけで、この映画の価値は決まると思う。
日本人の大概の人が忘れているか、間違って解釈しているって事。この演出家もそれを全く知らない。若しくは誤解している。また、見る者も知らない。
だから、こう言った間違いの映画が過大評価されてしまう。
薬に手を出さなくとも、明るく元気に春を売っている少女が沢山世の中にはいるんじゃないかなぁ?
夜間中学に行く場面が登場するが、昔にもこんな映画があったね。相変わらずの大日本帝國劇場。
『不幸を売る映画』や『春を売る仕事』はいい加減やめてもらいたい。
どうせなら、薬打たないで、毒親をなんとかして、警察のご厄介になるとかじゃないかなぁ結末は。
刑事が春を買っていたの?不味いでしょ。薄気味悪いね。
『親から虐待を受けた者が、また虐待を繰り返す可能性がある、と言うのは遺伝ではない。』それは間違いない。社会的な第三者によるバイオレンスが問題である事は既に示されている。この演出家は『遺伝を否定した』と言っているが、そんな事は普通外国人なら分かる事。誤解しているのは日本人。義務教育を知らない事と同様である。
寧ろ、自殺は遺伝するのかもしれない。この演出家の意図する結末だったのだろうか?トラウマになる感動的な結末。
だよ全く。
追記
パンデミックと関連付けしているが、この実話と言う事件は20年くらい前の事件なんでしょ?ちょうどバブリーな時代が終わる時期だ。大日本帝國はそれでも奈落を落ち続けたって事だね。
ナミビアよりこっち派
この作品の秀逸なのは
彼等に出会った事で
光に向かうと思わせた事
当たり前の抑圧に耐えられた杏が
一見束の間の希望に出会い
普通の人生に戻って行く事で
耐えられなくなっていく
綺麗な空気の生活に慣れ過ぎて
風邪を引きやすくなる様な感覚
多々良の二面性やコロナ
隼人との出会いと別れが
また彼女を孤独にしていく
警察も役所もあてにならない様
現代社会の救いはどこにあるのか
紙一重のやり切れなさ
この映画の本当にやりきれないところは、あんはいまもちゃんと幸せに生きれている可能性があることがわかりすぎるくらいわかることだと思う。彼が逮捕されなければ。母親に見つからなければ。あのマンションで誰かが一緒にいれていれば。シビアな環境だけれどそれでも生きていた彼女に、ちゃんと存在していた寄り添う人や救いが、ほんとうにもう一歩だけ、届かなかった、そんなお話。
物語的には救いが無い映画
昨年に見逃していたのでフォローできて良かった。
コロナ流行中の東京が舞台ということもあり、物語的には救いが無い映画だった。
稲垣吾郎さんは、役にハマっていたのか、悪くはなかった。
佐藤二朗さんは、小狡い汚れ役が良く似合う。
河合優実さんは、佐藤二朗さんに引っ張られた感じだけれど、良い演技。
この映画だけだと実力はよく分からないかも。
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