あんのことのレビュー・感想・評価
全141件中、1~20件目を表示
伝えたいのは絶望か希望か?この映画が伝えたかったもの
なんの情報もなく、予告編を観て観ようと決めていた作品。始まりからどんよりとした映像と心重くなる内容に、この先への腹を括る。
草薙くんと慎吾ちゃんは騒動後も活躍しているイメージがあったが、久しぶりにスクリーンで観た稲垣吾郎ちゃんがとても新鮮であった。あまり丁寧な説明のない登場であったが「あなた誰よ?」とはならない自然な溶け込み方で主張しすぎることもしなすぎることもなく、ちょうど良かったと思います。そして、メインの多々羅刑事役は佐藤二郎さん。最近ではもっぱら福田雄一監督の作品に、なくてはならない曲者役者として活躍されています。今回は普通(失礼かな😅)の役どころで、物語のキーパーソンでした。それでもやはりいつもの佐藤節は健在で、クセはあります。一癖も二癖も…。でも彼の演じる何者かは、いつも現実社会のどこかに存在していそうなキャラなので、そこまでの違和感はないのです。そして、主人公のあんちゃんを演じた河合優実ちゃん。今回初めて彼女の名前を覚えました。並々ならぬ覚悟で今作に臨んだ彼女の決意が感じられる渾身の演技で、心をえぐられました。他の役も観てみたい、今後が楽しみな役者さんです。
さて、内容はというと…
非常に重いです。
ただ救いのないラストにそこまで引きずられなかったのは、この映画が観る側になんの感情も強要することなく、それぞれの立場の登場人物たちに起きた出来事をただ淡々と伝えることに重きを置いていたからだと思えます。
観終わった後すぐに調べたのは、この映画が事実なのかどうかということ。そして本当の衝撃はそこから…。コロナ禍という未曾有の有事の中、ノンフィクションでないにせよ、このような現実があったという事実に、もはや重い宿題をもらったような胸苦しい気分になりました。絶望する者、手を差し伸べるもの、事実を追い求めるもの、それでもそう生きるしかなかったものたちの圧倒的リアルな物語。
伝えたかったのは、絶望か希望か?
目を逸らすことなく
しっかりと胸に刻む。
杏の希望と絶望を分かち合う
河合優実演じる杏の生々しい実在感に終始圧倒される映画。佐藤二朗の熱さと個性、稲垣吾郎の静かな佇まいが、杏の過酷な人生を見守る私たちのいたたまれない気持ちを少しだけ和らげる。
事前に読んだネット記事には、本作をコロナ禍の物語であると評するものもあった。ただ、個人的な印象としては、そのように括るほど単純な話ではないように思える。
杏は、新聞記事に載った実在の女性がモデルとなっているそうだ。入江監督は、コロナ禍の空気を記録しておきたいという思いもあったものの、「コロナ禍と社会的弱者というテーマがあったわけではなく、むしろ記事に書かれていたひとりの女性について、より深く知りたいという動機が先にありました」と語っている。
そして確かに、この映画は杏(ひいてはモデルになった女性)の心に分け入り、彼女の痛みと希望、絶望をひたすら分かち合う映画になっていた。多々羅の罪やコロナ禍でコミュニケーションが分断されてゆく様も描かれるが、それらの描写に何かを断罪するニュアンスはあまりない。杏の人生があのように進んでいった原因について安易に単純化するような決めつけをしないという、彼女へのリスペクトが感じられた。
河合優実に、元になった記事の女性が憑依しているような錯覚を覚えた。
もちろん直接彼女を知っているわけではないし、またあそこまで酷いDVが起こっている家族に現実に接したことはない。それでも、杏の感情の動き、弱々しくも少しずつ立ち上がり、どうにか前を向いた心がまた折られてゆくさまは生々しいリアリティをもって胸に迫ってきた。見知らぬ彼女に出会ったような気持ちになり、気づけばその行く末を心配しながら見守っていた。
彼女を力強く救い出す多々羅にも心を揺さぶられた。彼があの熱さとちょっとしたユーモアで杏の人生に介入したからこそ、彼女に希望の光が差したことは疑いようのない事実だ。行方をくらました杏を多々羅が見つけて抱きしめるシーンには心を打たれた。
一方で、自助グループの世話役という立場を悪用し、参加者の弱みにつけ込んだ犯罪を犯すというアンビバレントな一面に困惑した。これは実話で、杏のモデルの女性を親身に助けた元刑事が、実際に別の相談者への性加害容疑で逮捕されたという。
そういったエピソードがフィクションにアレンジされる時、こういう行動をとる人物は、得てして「間違いを犯したけど本質的にはいい人」あるいは「実は悪い人だった」といった感じで単純化されがちな気がする。一見相反する行動に何らかの説明をつけ、わかりやすいように描かれる。
しかし、多々羅の描写にそんな辻褄合わせはない。でも、物語を邪魔するような矛盾は感じない。むしろ人間はそんなものかもしれない、とさえ思わせる。この辺の説得力は佐藤二朗の力量も大きいのだと思う。
物語においては、コロナ禍の孤独も確かに杏にはきつかったが、それより多々羅が杏の前から消えたことが彼女の絶望を後押ししたように見えた。それくらい多々羅の存在は杏にとって大きく、唯一のよすがだった。
ただひとつ押さえておきたいのは、多々羅の犯行を報じた桐野が最後に後悔の念を見せていたが、彼は仕事をしただけで間違ったことはしていない。杏と多々羅の縁を断ち切ったのはあくまで多々羅の行動である。
杏の母親を演じた河井青葉の迫力もすごかった。あの容赦のなさがないと、杏の絶望は観客に伝わらない。母親はなぜあのようになってしまったのか。母親が杏をママと呼ぶことに、祖母との母子関係の歪さが透けて見える。現在は一見穏やかそうな祖母と母親は、親子としてどのように過ごしてきたのだろうかと考えたりした。
気になった点もあった。
ひとつは、後半で杏に無理矢理預けられた子(この子のエピソードと、杏を取材した記者と多々羅の告発記事を書いた記者が同一人物、という部分は創作だそうだ)を演じた子役の扱いだ。杏の実家で母親の剣幕に晒される場面も心配になったが、オムツ替えの時に股間をしっかり映してたのがちょっと……。実の親の許可は当然取ってるんだろうけど、本人はそれが映像に残ることについて理解できない歳だし、見てしまっていいのだろうかという気持ちになった。
ブルーインパルスをあの場面で出すこともちょっとひっかかったのだが、監督のインタビューを読むとブルーインパルスそのものがどうとかいうより、その時それを眺めていた自分たちへの自省がこめられているようだった。
「自分たちがブルーインパルスを見ていた一方で、こういう事件が起こって、こんな女の子がいた。地続きのところにいたにも関わらず、そういった事件に対して全く想像力を働かせてなかった自分に『一体何をやっていたんだ』とショックを受けましたね」
なるほど、と思いつつも、あの描写でそれが伝わるのだろうか、という気もした。
杏に子供を押し付けた母親(早見あかり)も、初登場時は随分勝手な人間に見えたが、最後に出てきた時は物語の締めの台詞のためかすっかり殊勝な態度になっていて、キャラがぶれたように見えた。行動の辻褄合わせの描写がないのは多々羅と同じだが、脚本上の人物描写の精度と役者の力量の差だろうか。
とはいえ、河合優実の全霊の演技でスクリーンに立ち現れた杏の実在感は揺らがない。悲しい最期を憐れむより、彼女がドラッグを断ち、あの実家から脱出して仕事を始め、学校に行くようになった、その頑張りを尊敬し、彼女の姿として覚えていたい。彼女の生きた軌跡を見て、そんな気持ちになった。
しんどい。ただしんどい
見たらしんどいのだろうなぁとは思っていたが、本当にしんどかった。リアルベースで現実にある世界で。最近歳をとったのか、子供の未来を潰す、追い込むような大人、犯罪に巻き込むような大人はみんないなくなれば良いと思っているので、この映画の世界はほんと辛くてしんどい世界だった。
コロナ禍か。ほんと最近の話なんだなあ。。
世界はいつからこんなに歪になったのか。昔からそうだったのか。
俳優陣の演技はドキュメントを見ているかのような気持ちにされた。名演技だった。ただ名演技であればあるほどしんどさはマシマシだった。
多々羅が悪者という判断はあるが、彼は悪者なのか?私はそんな簡単な話ではないとおもった。
メンタルが強いとき限定
そのうちもう一度観たいと思うけれど、決して人にはお勧めできない、自分もいつ観ようと思うか判らない、複雑な後味。
物語の大部分は、あんが様々な人達に支えられ、不意に訪れる厄介ごと?でさえも、前向きに成長していく姿がとても愛おしく感じた。
しかし終盤で不穏な空気からのエンディング。
社会は1人の少女を救う事はできなかったが、あの子供や母親、刑事の心を揺り動かしたと思う。それだけがこの映画の救い。
結末までの過程に疑問
子供の頃に一番よく接する大人は通常は親だ。まだ人格が形成されていない頃の親の影響はとても大きい。杏の母親は、杏を奴隷のように扱い、自分の立場が悪くなると節操もなく手の平返しをしてくる『闇金ウシジマくん』に出てきそうな女。部屋もゴミだらけでかなり汚い。そのような環境にいれば、杏の自己肯定感は限りなく低くなり、荒んだ生活から抜け出せなくなるのも当然だろう。そこから立ち直れたのは自分のことを真剣に考えてくれる刑事の存在だった。そういった描写がリアルにできている。
しかし、杏が自殺に至る過程は疑問だった。今作は実話をベースにしていて、自殺に至る過程は推測するしかない。そして、人の心というのは結局は分からない。監督もどのようにストーリーを構築するか悩んだだろう。とはいえ、学校や職場に通えなくなって居場所を失い、離れて暮らしていた母親の悪意に晒されたことでなぜ自殺という最悪の決断に至るのか、いまいち納得感がなかった。そのためただ後味の悪いラストになってしまった印象だ。
現実にあった事だとしる。なんともなぁ‥‥ やはり人が死ぬのは...
現実にあった事だとしる。なんともなぁ‥‥
やはり人が死ぬのはなんとも言えない物が襲いかかってくる。最後の多々羅刑事の台詞が心に響いた。
母親役の河井青葉さんが素晴らしかったなぁ〜
もちろん他の役者さんも🙂
敢えて言えば
実在の人をモデルにしたとのこと。
役者はみなうまい。脇の人も。
全体的に灰色に感じる画もいいと思う。
伝えたいこともよくわかる。
が、
---------以下ネタバレしちゃうかもしれません
メインの人と、その他何人かモデルがいるらしい。
そのせいで、一つ一つのエピソードは大切で世に伝えるに値すべき出来事なのだが、
いくらなんでもそんなにいっぺんに来ないでしょう、という感が拭えない。
特に子どものエピソード。
実際にいきなり近隣の人に子どもを預けてどこかへ行ってしてしまう、
という出来事はきいたことがある。が、このエピソードについては中途半端感が否めない。
本来はこの出来事で一本映画を撮れるくらいの要素があるからだ。
そして本編の杏自身におこる虐待・薬物・刑事とのかかわりに接点がなさすぎる。
なので杏の心情・人格を表現するのにほしかったのだと思うが
とってつけたようになってしまっている。
個人的には刑事のハラスメントをしてしまういきさつと心情をもっと知りたかった。
それにしても河合優実、佐藤二朗が上手いのはわかっていたが、
作品ごとに稲垣吾郎がだんだん役者然としてきていることに感心する。
なんというか「自分の演技」を掴んできている感じがする。
喪失感…
信じていた刑事の逮捕、預けられた他人の子、コロナ禍により仕事、ダルクなど全てを失い、喪失感から再びクスリに手を付けてしまった自分をも許せず、自死を選んでしまった悲しい結末。どこまで実話ベースなのか分からないが、毒親から始まる環境の悪化はリアリティがある。どの出演者も好演だった。
あまりに救いがない
ナミビアの砂漠が全然ピンとこなかったのですが、
今、話題の河合優実さんの作品が見たくて、この作品をアマプラで鑑賞しました。
事実をもとにした物語との事でしたが、
事実だとするならば、あまりにも切ない、あまりにも救いがない、彼女を救う術は本当になかったのか??
日本の社会福祉って一体何なのか?
と少し絶望を感じました。
この作品が同じような境遇にいる人を救うためのきっかけになりますように。
モデルのなった方のご迷惑を心からお祈り致します。
1人でも
きっと、トーヨコにいる子や、お金のためにAV出ちゃう子や、親のDVで学校に行けない子、とにかくまともな家庭で育てない子は沢山いるのだと思う。
1人でも多くの不憫な子供に支援が行き届くと良いなと思う。
シェルターに入ってから、相談できる人が身近に居ないのはキツイ。
コロナのせいで。映画ではそう描かれていたけど、刑事が逮捕されたあと、誰もフォローしないのはおかしいよね。
急に手渡された隼人を必死で面倒見る姿に、涙が止まらなかった。
河合優実さん、凄いね!
あんちゃんの人生について
見た後にズシーンと重たくなる作品。
最後のシーンはトドメのようにあんちゃんの人生について、考えさせられる。
ほんの少しの希望と、あとは全部が絶望で溢れた人生だったように思う。
あんちゃんが違う世界線で幸せに暮らしてると良いなって、そっちに走ってしまいたくなるくらい
素直で優しい女の子。
こういった現実が存在するなら、どう解決したら良いのか?
こんな風に苦しんでる子がいたら、誰が救ってあげられるのか?
そういう描き方に視点を置いた作品が必要なんじゃないかな?
絶望のあとには希望がないと、
生きるの辛すぎるじゃん。
映画の作品としては良かったと思います。
心が痛い映画
アマプラにて。
石原さとみだと思って見始めたが、髪の毛を切ってから違うことに気がついた。
とても引き込まれる演技だった。
演技とは思えない姿勢とか指の曲がり方とかペンの握り方とか。
不釣り合いのリュック、大きなキーホルダーがついたペン、好むものは小4から不登校でその時期に経験すべきことをしていなかったから。
子役の演技(?)も子どもそのままだった。
おむつ替えのシーンはあえて必要だったのか?
例えうんちでもおむつの横を破るなんて初めて焦ってるなかで気づくか?
盗んだベビーカーはどうなる?
全ての子どもが、自分の人生は自分のものとして、生きることができますように。
なんて悲しいお話。やるせない。 コロナ禍でコミュニティや支えを失っ...
なんて悲しいお話。やるせない。
コロナ禍でコミュニティや支えを失った人がいる。
あの時代の副作用。
しかしコロナの物語ではない。
難しい家庭環境に育った少女を取り巻くリアル。
「積み上げてきたものを自分で壊してしまったから」が突き刺さった。
可哀想で無念で…エンドロール中ずっと泣いてしまった。
河合優実すご。
現実に起こったと言う事実に目を背けてはいけない
何が彼女を救えるのか。それはおそらく人とのつながりだったと思う。人とのつながりが奪われてしまったコロナ禍で、どうすれば彼女は生きれただろう。私にはわからない。しかし、彼女が人に支えられながら懸命に生きたことは私を力付けた。この映画に力をもらった。
杏のことが頭から離れなくなる
金を無心し続ける母親からの日常的な暴力、そして万引き、売春、薬物…自分の全く想像のつかない絶望的な世界を杏は生きていた。
そしてそこへ差し込む一筋の光、刑事の多々羅という存在。杏を救おうと東奔西走する。その姿を見て徐々に心を開いていく杏。
最初は「薬物なんぞに手を染めている若者がそんな素直に他人の言うことを聞くのか?」と疑問だったが薬物漬けにならざるを得なかった理由がある。ずっとこのままでは良くないと本人も考えていたのかもしれない。「幼い頃母親の暴力から庇ってくれた祖母の介護をしたい」という理由で介護施設で働き出す様子を見ていると、根は素直でいい子なのだということが伝わってくる。今まで薬物使用者を色眼鏡で見ていたが、薬物に手を染めるまでのストーリーは人の数だけあるということ、また、薬物が人を狂わせるのであって本音では「助けてほしい」「このままでは良くない」と思っている人も多いのかな、とぼんやり考えた。
多々羅が逮捕された辺りから徐々に杏の人生は再び絶望へと傾き始める。信頼していた人間を失い、そして追い討ちをかけるようにコロナ禍で所属していたコミュニティを失い、孤独に苛まれていく。
コロナ禍のことは皆記憶に新しいだろう。人との接触を絶たれ外へ出ることは悪だと見なされた。世界中の皆が平等に“孤独”と向かい合わなければならなかったと認識していたが、杏のように居場所を失った人も多かったのだろう。特に杏はまだまだ立ちあがろうとしている途中で足下も固まっておらず、もがきながらも少しずつ崩れていく様が見ていて心苦しかった。
作品にするにあたっての創作部分である「隼人」という存在。隣人が無理やり杏に押し付けて失踪するという半ば強引な設定ではあったが、杏の心が解けていくのが分かった。守らなければならない存在がいると生きる原動力になる。
「人は人に優しくされた方法でしか人に優しくできない」という言葉があるが、杏は隼人にできる限りの愛情を注いでいた。誰に教わったのだろうか。幼い頃、母親はもしかしたらもう少しまともで杏に愛情を注いでいたのだろうか。それとも働くきっかけをくれた祖母は足が動いていた頃は杏を心身共に守っていたのだろうか。誰かに愛情を注いでもらったことがある者のみ人に愛情を注ぐことができると思っている私は幼い頃の杏に思いを馳せ、隼人の存在を重ねてそう考えた。
最終的に実家に連れ戻され、母親に金を作ってこいとどやされた挙句家を空けている間に隼人も取り上げられてしまう。
再び薬物に手を出してしまうには十分すぎる理由である。毎日嬉しそうに日記につけていた丸は途絶えてしまった。杏はそのまま自死という選択をする。
このストーリーを絶望で片付けるのは簡単だが、杏が必死にもがいて更生の道を辿ろうとしていたことは私の頭の中に残り続ける。そして今日もどこかで杏の様な人間が細々と、光の当たらない場所で必死に生きているということも。それだけでこの作品を鑑賞した価値があると思う。
コロナ禍の身近な悲劇なのだが…
2024年9月25日 アマゾンプライム
正直、主人公が最後に自死する映画はどんな名画だろうとも観たくはない。
この映画は日本で実際に起きた事件を基にしているので、深く考えさせられる内容であることは確かである。親子役の両女優の演技も凄かった。
ただ作品として、私の好みには生理的に合わなかった。
どんより
映画って、見たあとの感覚がいくつかある。メッセージのようなものがあったり、単純に面白かった、幸せな気持ちになった、感動した等。これはホント、なにがしたいんだろう。こういう子がいたのはわかる。コロナで全てを失った人もいるだろう。毒親に育てられた子ども。裏の顔を持つ警察官。交際相手と居たいシングルマザー。ゴミが捨てられない人。売春を強要する親。辛いこと祭りの映画だった。見終わって、ただただ不愉快な気持ち。最後のシングルマザーも、「あんちゃんのおかげ」と言ったが、日頃からあんとの接点なんてなかったはず。なんだかな〜と、見たことを後悔した。レビューがよいのが謎。
虐待サバイバー当事者として
私は虐待サバイバーです。
この作品を見て感じたのは希望です。
あんは凄い。
心が最後まで死ななかった。
希望を持っては無惨に踏みつけられて
それでも母親を払いのけてもがき続けた。
その気力がその強さが眩しかったです。
幼い頃から支配されてでもあんはおばあちゃん、私の場合は妹が人質として捕らえられているから逃げることもできない。
私は犯罪行為を強要されず、直接お金をむしり取られはしなかったけど、それでも殴られるたびに心は何度も死にかけていった。大人になった現在でも生き残ったことを喜べず生き残ってしまったと絶望にしている。
一度だって誰かに手を差し伸べてもらっていたのならその幸せな記憶ができるだけ温かいうちに私は空を飛んだだろう。
あんが羨ましい。
観た後放心状態になる映画でした
Amazonプライムで観ました。
この映画は実際の事件で
2020年6月に朝日新聞で報じられた1人の女性の新聞記事を元に作られた映画らしいです。
記事によれば、幼い頃から母親に暴力を振るわれた。小学3年生で不登校になり、11、12歳の頃には売春を強いられた。
14歳のとき、ホテルで暴力団関係者から勧められて覚醒剤を使い、抜け出せなくなった。そして逮捕。
夢であった介護福祉士になることができ、
夜間中学で学ぶはずだったが、コロナ禍で前途を阻まれ、母親に飼い猫を殺され2020年春に自死してしまったそうです。
監督は、コロナ渦の中、二人の友人を亡くした現実に、親しい人が精神的にも肉体的にも追い込まれるような状態に気づくことができなかったことにショックを受け、モデルになった25歳の女性が感じたことを知ることによって少しでも友人二人の気持ちに近づけるかもしれないと思ったそうです。
監督と脚本は、映画『SR サイタマノラッパー』や『ビジランテ』など、現代社会に蔓延る問題にスポットライトを当ててきた入江悠が担当
杏を救済しようとする刑事は、
『はるヲうるひと』や『さがす』に出演する佐藤二朗
ジャーナリストは、『窓辺にて』や『正欲』などで主演を務めた稲垣吾郎が演じる。
主演を務めるのは、『PLAN75』
2024年のTBSドラマ「不適切にもほどがある!」の出演の河合優実
感想↓
とても苦しい。心が痛い。
でも、見て欲しい。・・ひとりでも多くの人に知って欲しい。
旦那は途中でしんどくなって観るのを辞めてしまいました。
重苦しく気分が沈むので、
落ち込める時間のある時にじっくり観るのがおすすめです。
見ず知らずの子どもを愛情深く育てる杏の姿に心打たれました。
一時的ながらも「誰かのために生きる」ことができました。
杏にとって逃れられない現実から
少しでも目を逸らせることが出来た瞬間だったのかもしれません。
子どもを育てることで芽生えた責任感や愛情は、杏に自分の存在意義を再確認させました。
それは今まで、杏が母に認められず、否定され続けてきた杏自身の価値を少しでも感じ取る機会になったと思います。
杏はもともと責任感の強い努力家だった。産まれた環境が違えば生きていてくれたのに辛いです。
たられば、しかし結果は、、、
運命って変えれることもあるが、どんなに避けて来ても、結局同じことになることが多いように思う。
例えば厄年に、どんなに厄を避けようと確率論を考えて色々な対策を練っても、何故かピンポイントで厄が降り注いでくる。
杏についても、なぜか勤め先が間違えて手紙を実家に送ったり、シェルターに隠れたりしても母に見つかってしまう。協力者からも引き離されてしまう。色々なことが重なり逃れることができない設定になってしまう。
逆にどんなにピンチになっても紙一重で助かる人もいる。
この映画を観て、作者が無理矢理そうなるように設定していると思うという意見もあるが、杏はどんなにもがいても結局、同じ結果になったんだろうな。
ある映画で出てきた「人生で起きるイベントの全てを楽しまないと勿体ない」という言葉を大切にして行きたい。
全141件中、1~20件目を表示