あんのことのレビュー・感想・評価
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重い
実話をもとに製作された作品
親という絶対的存在
そのしがらみはお互いが持っているものというよりも自分で持つか持たないかを決めることができると思う。
杏の弱点 祖母のこと
それを熟知する毒母は、祖母を理由に杏を自宅に戻そうとする。
目的はお金
「早く金作って来いよ」
「さっさと体売って来い」
どんな親でも子によっては唯一無二の存在。
最初に見た存在に付いて行くアヒルと同じ本能
親との決別を選択できても、それが大きな足かせのようになってしまう。
それをすることは大きな罪悪感を伴う。
後天的後付けの理由はあるが、心に大きな針が刺さったようになる。
それはかなり難関であるのは間違いない。
実話…
しかし、何故そこまでしてこの世界は杏のすべてを奪うのだろうか?
確かに毒母にそそのかされて自宅に戻ってしまったことが失敗だった。
それをさせた再会という皮肉
それはもう罠でしかない。
売春
児童相談所に子供をもっていかせた毒母
包丁を持ってもできなかったこと
杏は実家を飛び出した後、そしてまた売春してシャブを買ったのだろう。
日記に書こうとした×印に、過呼吸になる。
コンロで日記を焼く。
日記に書いていたハヤトのアレルギーの記録を取り出したのは、ハヤトとの生活にあった希望に違いないが、それはもう無意味なことになっていたことに改めて気づいたのだろう。
シャブが思考を朦朧とさせている。
外に見える青空
そこに登場したジェット機
コロナ渦と1年遅れの東京五輪に花を添えたブルーインパルス
2021年7月23日
すべての絶望を抱えて杏は飛び降りた。
これが、現実に起きたこと。
多々羅という刑事
彼の闇を暴こうとするライター
結局あの記事がサルベージを潰し、杏を自殺へと誘ってしまったと嘆くシーンがあるが、毒母との偶然の再会があることから、杏の逃げ道はなかったのではないかと想像する。
このライターと刑事の設定の半分以上はフィクションだろう。
早見あかりさんの役もまたフィクションだと思う。
しかし、杏という人物がそうした人生を送ったのは事実だ。
助けてくれる人々はたくさんいる。
どうにもならないことはないと思いたい。
アノニマス集会
駆け込み寺のような施設
杏にも優しい職場
東京には確かに何でもある。
でも東京にしかないものも多い。
狭い東京の地
偶然の再会は狭い中で毎日起きている。
もし杏が地方で新しい生活ができていればそんなことにはならなかったように思う。
環境の所為にはしたくはないが、どうしてもそこが盲点だったと考えてしまう。
この作品で自殺した杏
彼女が結局その方向に向かわざるを得なかった原因こそ、「親」というしがらみを自分自身で断つことができなかったからかもしれない。
多々羅という人物がしたことは結局杏との連絡を絶つことにつながった。
あの記者の役割である仕事の所為で、アノニマス集会が潰れた。
コロナが仕事を奪った。
しかし結局のところ、杏自身を貶める原因の毒母の言葉に従ったことがすべての元凶だった。
最後は自分で判断するしかない。
自分で決断し選択しなければならない。
いったい誰に責任があったのか?
この作品はそれを視聴者に考えさせている。
結局それは、自分自身にあった。
この作品はそれを伝えているように思った。
救い無き映画第二弾
この作品も🎥子宮に沈む同様、救いの無さをそのテーマとしてるのだが、共に事実に基づき、ともにその事実には救いのカケラもない。その事実を映画として提供するにあたり救い無さを残しながらも監督の揺らぎを見せられた時、我々は何を思うかであろう・・・ただこの作品は、それぞれのキャラがとても魅力的だった(この表現があってるかどうか不明ではあるが)
やり切れない
人間には見えている部分以外の意外な側面がたくさんある。
どの面が人に見える部分にくればいいのか、
他の面は見えなければいいのか
他人からはよくない面に見えても
別の他人にはよい面に見えることもある
いろんな面が繋がってコミュニティを形成し
生きる土壌ができる。
誰を犠牲にするのか
どの面を晒すのか
100%満足なんてあり得ない
生きるって難しい
あまりにも辛い
Amazonプライムで鑑賞。河合優実さん主演の『あんのこと』を観る。『不適切にもほどがある』とは、まるで違う演技にびっくり。物語もずっと重くって、彼女に虐待する母親役の方の演技もすごかった。演技だとしても、出演している役者全員が何かを削りながら、演じているのではないかと思った。ある新聞記事からの実話を元にして作られた映画らしく、物語の顛末まで含めてほぼ忠実だという。だとしたら、あまりにも辛い。暗いとこにさす光は、どれだけ細くても、さすだけであたたかくて救われる。なのに、光がなくなったときの苦しみは、それがなかったときよりも苦しいから困る。
最後に残された1頁が語ること…
①全部ではないが、本作に出てくる大人たちの殆どが“どの口が言う”と云いたくなるような人達だ。
数十年前、まだ「大人」というものになる前によく思った“大人は汚い”というフレーズが久しぶりに脳裏をよぎった。
しかし、「大人」というものになってしまった今、数十年生きてきて世の中の裏表を見てきてしまった今、“社会が悪い”とか“周りの大人の犠牲”とか青臭いことを言う歳でもない。
②よく“自分は運が悪かった”とか“好きでこんな風になったわけじゃない”とか“親がいないから”とか言う人が世の中にいるけれども、60年余し生きてきた私に言わせると、その人が今おかれている境遇に陥った理由の三分の二くらいは、結局その人の考え方とか生き方とか性格のせいだと思っている。
③でも、「あん」はまだそこまでには至っていないナイーブなままだ。ただ、大人の身勝手さ、穢さはイヤ程見ては来ただろう。
だから、祖母への感謝の気持ちもあったとはいえ、自分の感情や欲望を素直に表面に出す子供返りしつつある介護施設の老人たちや、それこそ泣き声で感情や欲望を表すしかない赤子と対峙することが「あん」にとっては却って心休まるものだったのだろうか。
④それとも「あん」にはあの酷い母親には似ず生まれつき母性があったのだろうか。
しかし、
絶望するような人生だとしても...
「あんのこと」が早くも今日からアマプラで見られるようになったので、
そそくさと会社から帰り、早速もぅ一回拝見しました。
あんのこと、あんという女の子がいた事、実際にそういう事件があった事をベースとした映画だ。本当に不幸をぜんぶしょいこんだような人生で、ほんと救いのない話なんだけど、事件となった事で、逆にこうやって映画になった。
我が身を振り返って、いったい誰が自分のしてきた道のりを知ってくれているのかと思うと、少々寂しい。自分が死んでも生きた証が残るだろうか? あんちゃんの場合、まだ映画として知ってくれている人が大勢いて、何かしら後に残るわけで。 周りの人から見れば、取るに足りないありきたりな人生だろうと思われている私よりは、いいのかなー? いやいや、自分として納得できる生き方をできているのなら、やっぱそっちの方がいいに決まっているじゃないか。誰に知られなくても。
「それでお前はどうなんだ?」の刃
少女売春も、十代の薬物依存も、親からの虐待も、貧困もこれまで多くの映画で扱われて来ましたが、本作が際立って放つ息苦しい程のリアリティは一体何なのでしょう。コロナ禍も、たとえ罹患しなくても人を殺し得たのだと言う事をここまで描いた作品はあったでしょうか。直接的な残酷シーンがある訳でないのに、スクリーンから突き付けられる「それでお前はどうなんだ?」の刃に、思わず目を閉じそうになりました。
今や若手女優のトップランナーである河合優実さんの気怠ながらも強い目力が素晴らしいのは勿論ですが、河井青葉さんの毒親にも圧倒されました。そして、佐藤二郎さんはその遣り過ぎ具合がいつも苦手なのですが、本作はそれこそが唯一無二の人間性を表していました。
また、本作は事実に基づくと冒頭で示されたので、実際の事件の詳細を調べたくなるのですが、本作に限ってはそれは彼女の悲劇を消費する不遜な振る舞いに思えました。でも、「実際には?」の思いを抑え難く、本件を報じた新聞記事を探して結局読みました。そして、一層胸が潰れる思いになりました。これは多くの人に観られるべき作品です。
残像が重く響く
非常に後味の悪い映画です。実話を基にした日常の実生活に沿って描かれているので、余計にやるせない気持ちにさせられました。
本作は、幼少時から母親に虐待され、10代半ばからは売春を強要されてドラッグに溺れる21歳の女性の壮絶な実話を映画化したものです。
台詞が限りなく少なく、ナレーションもテロップもないという、状況説明が全くない非常に緊迫感が溢れる、ドキュメンタリータッチで描かれていきますが、映像のテンポが良く迫真に満ちているために、観ているだけで状況は切実に訴えてきます。
BGMもなく、カメラはほぼフィックスですが、主人公の心が激しく動揺する箇所では手持ちカメラになるため、その静から動へのドラスティックな視点変換により、観客には直に心情が伝わってきます。
人は、どん詰まりの修羅場では、多弁に言葉を発するとは思えません。言葉よりも行動が、先ず顔と体が動いてしまうと思います。本作が、極端に台詞が少ないにも関わらず、その時々の人物の感情と思惑が、観客には即時にストレートに伝わっていたのは、そのせいだったのでしょう。
何より主人公・杏を演じる河合優実のナチュラルな演技は秀逸でした。その目が、前半の悲嘆、中盤での希望、そして劇的展開が続く後半からラストでの困惑と絶望にと、見事に変移して観客に見せていく様は、鮮やかに象徴的であり感動的でした。やや半開きの厚い唇も、その時々の感情を増幅して強烈な印象が残ります。
更に母親の際立った毒親・鬼親ぶりが、観客を一層主人公に感情移入させ、ドラマをスパイラルに盛り上げていました。
一旦好転した主人公の環境が暗転するのがコロナ禍であったのは、将に現在進行形の、つまり過去の出来事でない同時代性の切迫感が滲んできます。
人は所詮一人では生きてはいけない、その絆が断たれたのがコロナ禍でした。
つい2⁻3年前のことである“コロナ禍”が産んだ悲劇は、世に数多あると思います。本作はその映画化の嚆矢の一つともいえるでしょう。
ただ、本作の主人公・杏の悲劇は、コロナ禍は寧ろ単に触媒に過ぎなかったと思います。
観賞後かなりの日数が経ちましたが、残像が心の底に重く響き、いつまでも消えてくれません。
「依存」と「支援」について
「依存」と「支援」について、様々に考えさせられた。
全てを描かない「余白」のバランスが程よく、「救い」と「救いのなさ」の間で、鑑賞後の今も揺さぶられ続けている。
脱出不可能に思える環境の中、周囲の支援によって何とかよりよく生きる糸口を掴んだ主人公のあん。けれど、その努力を無常に叩きつぶした新型コロナの蔓延。
あの渦中では見えなかったものが、こうして時間をおいて提示されると、全く違った見え方で自省的に迫ってくる。
そのベースには、「シュシュシュの娘」の制作などを通して、コロナと向き合い続けてきた入江監督自身の誠実さがあるからこそだろう。
その入江監督が政府への怒りを露わにした、ラスト近く、窓の外を写すわずか数秒のシーンが出色。
コロナ禍に対して、政府の打った施策がどれ程ピントのハズレたものだったのかを象徴的に描き出す見事さに唸った。
のめり込んでしまってキツかった。
前提として
・原案と思しき新聞記事は未読。
・入江悠の他監督作品は未視聴。
いやぁ、キツかった。
紛れもなくフィクションなのだが、インタビューとかドキュメンタリーのようなノンフィクションを観ていた感覚になる。どうやらカメラワークがこれに大きく影響しているようだ。
だからこそ観終わった後の疲れがひどい。
そしてもちろん、キャスト陣の演技力も影響している。エキストラの方も含めて皆さん素晴らしい。
特筆すべきは主演の河合優実さん。どこまでも"あん"として立っていた。気になって出演作品をチラリと観たけどスゴイなこの人。
佐藤二朗さん演じる多々羅には、人情味あふれる光の部分と、実際に描写されることのない陰の部分が、うまく心に突き刺さる。結論のない問題を提起させてくれる存在なのだ。しかも"あん"という存在を少しでも応援したくなる自分がいるからこそ、この問題は非常に深く突き刺さった。
そして稲垣吾郎さん演じる桐野。正直、物語としての立ち位置がイマイチ分からなかった存在。……だったのだが終盤でガラリと変わる。このキャラクターはこのために物語の中には居たんだな、と納得した。もちろん、モデルとなった人物が居るのだろうから存在意義に疑問を持っても仕方がないのだが、モヤモヤしていたためスッキリとした描き方は非常に良かった。
あと絶対に忘れられない母親役の河合青菜さん。この人が居なくてはここまで素晴らしい作品にはならなかったのだろう。色々と考察しがいのあるキャラクターだ。
桐野の描き方に通ずるが、脚本は(どこまでが実話なのか分からないが)、現実と想像の間をうまいこと擦り合わせて物語に創り上げている素晴らしいものだったと思う。
現実にこんな人が居たこと。パンデミック前にも後にも、幸運とも言える環境で過ごしている自分が知らなかった世界がすぐそばにあること。
そして問題提起と、祈りにも近い希望をあえて描いていたように感じる。
音楽も余計なことは一切せず、最小限に努めている。そこに日常を感じるのもまた素晴らしい。逆に挿入曲が流れた瞬間に、こちらの感情が大いに動く。
極端な言い方かもしれないが、映画館にわざわざ来て映画を観れる生活を送っている人にこそ観てほしい。そして少し議論したい。正解も結論も無いだろうが、それでも何か変わるものがあるはずだと思う。
あ、終始キツイ作品なのではなくて、少しづつあんが更生していく様子もあり、そこらへんは穏やかにかつ応援して観れるので安心してほしい。
だからこそ終盤がエグいのだが。
素晴らしい作品には違いないが、観るのには覚悟と体力が要る。そんな作品。でも今だからこそ観てほしい。
フィクションであってほしい
どうかフィクションであってほしい救いのない悲しい映画
すごく重くて苦しかった
涙なしでは見られませんでした
あんが優しいのがまた悲しい......
とにかく河合優実さんの全身全霊の演技がすごい
今年の日本アカデミー賞新人賞はきっと彼女だろう
希望が見えたからこそ絶望してしまう、のではないこと
2024年。入江悠監督。虐待され、売春させられ、薬物依存から抜けられない少女が、ある刑事に出会って更生していくが、コロナ禍に見舞われ、刑事の裏の顔を知り、突発的に他人の赤ちゃんまで押し付けられてしまってついに、という話。実話をもとにした実写化らしい。
希望のない生活をしていた主人公が、なまじ希望が見えてしまっただけに、分厚い家族の壁と自己嫌悪の壁に跳ね飛ばされて絶望してしまう話、ようににみえる。たしかにそれはそうだが、「なまじ希望が見えた」ことは決して悪いことではない。「なまじ」がだんだん大きくなっていけばよかっただけで、「なまじ」を見せてくれた刑事や雇用主や施設の老人たちの存在はすばらしい。刑事は「公務員だから当然」のようなことを言っていたが、そんな崇高な使命感を抱く公務員はむしろ稀少だろう。
問題は、それが大きな社会的な力になる前に、それをくじくべく、しつこく「家族」と「自分自身の内面」と「性」(刑事の)が立ちふさがってくることだ。人間の根元の部分を拘束するこれらのファクターが主人公の更生を阻む。むしろ、これらを放置できない人の善さが破滅につながってしまうというのが現代社会の実情だなのだ。虐待してくる母親を殺すことができれば、主人公は解放されるのだから。それができない人間としての「善さ」によって破滅するとは、社会の方がおかしいのではないか。彼女を救うべく、例えばあの新聞記者には、本人の頭をかすめた「記事を書かないこと」ではないほかのことができたのではないか。そう問いかける映画である。
笑いも涙もあるわけでもなく かと言って淡々と進む渋さもない あるの...
笑いも涙もあるわけでもなく
かと言って淡々と進む渋さもない
あるのは何回も出て来るあくびのみ。
これがヒットしてるなんてびっくり。
恐らく私が例外なんだろう。
希望と絶望の狭間で
見終わった後の疲労感がすごい。
あんが変わっていくシーンの中にも常に存在する嫌な感じ。希望に満ち溢れているかのシーンでも、少しのぐらつきで全てが崩れ落ちていくかのような絶望感が漂う。それは彼女自身の環境や過去によるものなのか。
特に、刑事が逮捕されてからは顕著に良くない雰囲気が漂う。コロナ、ベランダ、火、、、。
まるで最悪のラストを暗示するかのような。
母親に本当の嫌悪感を抱く。あんの涙には共感。
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