あんのことのレビュー・感想・評価
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万引き逡巡映画NO1
DVや売春、薬物乱用生活を送っていたあんが徐々に社会復帰する話、、、かと思ったらコロナをきっかけに数少ない希望の窓が一つ一つ閉じていって最終的に残った窓から飛び降りる話
ドキュメンタリーを見ているようだった
鑑賞中は何回も「あ、これ実話ベースか」「実話ベースなんだよなあ」って思うし、鑑賞後も「実話ベースかぁ、、、」が続いた
河合優美さんが絶品!不健康で目に光がない少女にしか見えなくて、河合さんのプライベートが心配になってくるくらいの怪演でした
無音の万引き逡巡買い物シーンだけでご飯三杯食える🍚
あと日本語学校?で給食っぽいものを食べるシーンも良かった。思えばタタラともよく食事シーンがあって、あんは今まで人と一緒にご飯を食べたことがあまりないのかなと思った
飯って大事
大筋のテーマから少し離れるけど薬物について思うことがあった
僕はHIPHOPが大好きになって昔に比べて薬物との距離感みたいなものが確実に近くなっている節がある
ダメだダメだと学校では口酸っぱく言われてきたけど、じゃあなんで薬物はダメなの?って言う答えとしてこの作品を見て社会的に正しいかは分からないが答えが出た
あんみたいに薬物を使いたくないのに使わざるを得ない人がいるこの世の中で、止めたくて止めたくて仕方がない人がいるこの世の中で、使わなくても生きていける僕が興味とか娯楽目的で使うのはあんような人たちに失礼な気がした
だから僕は薬物はやらない
「依存」と「支援」について
「依存」と「支援」について、様々に考えさせられた。
全てを描かない「余白」のバランスが程よく、「救い」と「救いのなさ」の間で、鑑賞後の今も揺さぶられ続けている。
脱出不可能に思える環境の中、周囲の支援によって何とかよりよく生きる糸口を掴んだ主人公のあん。けれど、その努力を無常に叩きつぶした新型コロナの蔓延。
あの渦中では見えなかったものが、こうして時間をおいて提示されると、全く違った見え方で自省的に迫ってくる。
そのベースには、「シュシュシュの娘」の制作などを通して、コロナと向き合い続けてきた入江監督自身の誠実さがあるからこそだろう。
その入江監督が政府への怒りを露わにした、ラスト近く、窓の外を写すわずか数秒のシーンが出色。
コロナ禍に対して、政府の打った施策がどれ程ピントのハズレたものだったのかを象徴的に描き出す見事さに唸った。
のめり込んでしまってキツかった。
前提として
・原案と思しき新聞記事は未読。
・入江悠の他監督作品は未視聴。
いやぁ、キツかった。
紛れもなくフィクションなのだが、インタビューとかドキュメンタリーのようなノンフィクションを観ていた感覚になる。どうやらカメラワークがこれに大きく影響しているようだ。
だからこそ観終わった後の疲れがひどい。
そしてもちろん、キャスト陣の演技力も影響している。エキストラの方も含めて皆さん素晴らしい。
特筆すべきは主演の河合優実さん。どこまでも"あん"として立っていた。気になって出演作品をチラリと観たけどスゴイなこの人。
佐藤二朗さん演じる多々羅には、人情味あふれる光の部分と、実際に描写されることのない陰の部分が、うまく心に突き刺さる。結論のない問題を提起させてくれる存在なのだ。しかも"あん"という存在を少しでも応援したくなる自分がいるからこそ、この問題は非常に深く突き刺さった。
そして稲垣吾郎さん演じる桐野。正直、物語としての立ち位置がイマイチ分からなかった存在。……だったのだが終盤でガラリと変わる。このキャラクターはこのために物語の中には居たんだな、と納得した。もちろん、モデルとなった人物が居るのだろうから存在意義に疑問を持っても仕方がないのだが、モヤモヤしていたためスッキリとした描き方は非常に良かった。
あと絶対に忘れられない母親役の河合青菜さん。この人が居なくてはここまで素晴らしい作品にはならなかったのだろう。色々と考察しがいのあるキャラクターだ。
桐野の描き方に通ずるが、脚本は(どこまでが実話なのか分からないが)、現実と想像の間をうまいこと擦り合わせて物語に創り上げている素晴らしいものだったと思う。
現実にこんな人が居たこと。パンデミック前にも後にも、幸運とも言える環境で過ごしている自分が知らなかった世界がすぐそばにあること。
そして問題提起と、祈りにも近い希望をあえて描いていたように感じる。
音楽も余計なことは一切せず、最小限に努めている。そこに日常を感じるのもまた素晴らしい。逆に挿入曲が流れた瞬間に、こちらの感情が大いに動く。
極端な言い方かもしれないが、映画館にわざわざ来て映画を観れる生活を送っている人にこそ観てほしい。そして少し議論したい。正解も結論も無いだろうが、それでも何か変わるものがあるはずだと思う。
あ、終始キツイ作品なのではなくて、少しづつあんが更生していく様子もあり、そこらへんは穏やかにかつ応援して観れるので安心してほしい。
だからこそ終盤がエグいのだが。
素晴らしい作品には違いないが、観るのには覚悟と体力が要る。そんな作品。でも今だからこそ観てほしい。
フィクションであってほしい
どうかフィクションであってほしい救いのない悲しい映画
すごく重くて苦しかった
涙なしでは見られませんでした
あんが優しいのがまた悲しい......
とにかく河合優実さんの全身全霊の演技がすごい
今年の日本アカデミー賞新人賞はきっと彼女だろう
希望が見えたからこそ絶望してしまう、のではないこと
2024年。入江悠監督。虐待され、売春させられ、薬物依存から抜けられない少女が、ある刑事に出会って更生していくが、コロナ禍に見舞われ、刑事の裏の顔を知り、突発的に他人の赤ちゃんまで押し付けられてしまってついに、という話。実話をもとにした実写化らしい。
希望のない生活をしていた主人公が、なまじ希望が見えてしまっただけに、分厚い家族の壁と自己嫌悪の壁に跳ね飛ばされて絶望してしまう話、ようににみえる。たしかにそれはそうだが、「なまじ希望が見えた」ことは決して悪いことではない。「なまじ」がだんだん大きくなっていけばよかっただけで、「なまじ」を見せてくれた刑事や雇用主や施設の老人たちの存在はすばらしい。刑事は「公務員だから当然」のようなことを言っていたが、そんな崇高な使命感を抱く公務員はむしろ稀少だろう。
問題は、それが大きな社会的な力になる前に、それをくじくべく、しつこく「家族」と「自分自身の内面」と「性」(刑事の)が立ちふさがってくることだ。人間の根元の部分を拘束するこれらのファクターが主人公の更生を阻む。むしろ、これらを放置できない人の善さが破滅につながってしまうというのが現代社会の実情だなのだ。虐待してくる母親を殺すことができれば、主人公は解放されるのだから。それができない人間としての「善さ」によって破滅するとは、社会の方がおかしいのではないか。彼女を救うべく、例えばあの新聞記者には、本人の頭をかすめた「記事を書かないこと」ではないほかのことができたのではないか。そう問いかける映画である。
笑いも涙もあるわけでもなく かと言って淡々と進む渋さもない あるの...
笑いも涙もあるわけでもなく
かと言って淡々と進む渋さもない
あるのは何回も出て来るあくびのみ。
これがヒットしてるなんてびっくり。
恐らく私が例外なんだろう。
希望と絶望の狭間で
見終わった後の疲労感がすごい。
あんが変わっていくシーンの中にも常に存在する嫌な感じ。希望に満ち溢れているかのシーンでも、少しのぐらつきで全てが崩れ落ちていくかのような絶望感が漂う。それは彼女自身の環境や過去によるものなのか。
特に、刑事が逮捕されてからは顕著に良くない雰囲気が漂う。コロナ、ベランダ、火、、、。
まるで最悪のラストを暗示するかのような。
母親に本当の嫌悪感を抱く。あんの涙には共感。
悲壮な環境、親は日々暴力、薬物や売春、不登校… そんな女子が、 底...
悲壮な環境、親は日々暴力、薬物や売春、不登校… そんな女子が、
底辺から抜け出そうともがく様子、
頑張りを積み重ねる様子、
信頼していた人や場所が現れるものの、
それらに、ある日急に接触できなくなる絶望 etc.
実際の出来事を基にした映画だといいますね。
ここまで、救いの手すらも断ち切る容赦なさ。
作品として、ここまで徹底的に描写されたことには、拍手です。
鑑賞後の印象では、
やり切れなさが、重くのしかかり。
咀嚼するのに時間がかかりそうです。
やり切れなさ、他の映画で似た印象を抱いたのは
"Close" とか "Tori et Lokita" は近いでしょうか。
鑑賞後、気になりだしたのは
うちの親類や友人らは大丈夫だろうか、
直ちに切り離すべき、有害な人物はいないだろうかと、
点検したくなりました (大丈夫だと思っていますが)。
あんが守ったものは
痛々しい、グロい、を恐れていたが違った。
日の差す方へと懸命に伸び行く主人公の、
けなげで爽やかな一面が強く印象に残る。
下層で喘ぐ人々を自業自得と見てとる人も多いが、
主人公の不遇は決して自身の行いが招いたものではなく
環境に由来するところが果てなく大きい。
だが強いる周囲の人々もまた環境に歪められたのだろうとしか思えず、抜け出す道筋がいかに細く険しいものかを思う。
その中で主人公が守り抜いたものは最後、小さな命だったが、
あれはひとつの象徴ではないかと感じた。
荒み切った環境の中、人生の全てを投じ彼女が守ってきたものは
それでもモラルだったのではなかろうか。
守るために全てを受け止め、飲み込み続けたからこそ果てた。
実の母を手にかけなかったことを振り返る。
コロナがなければ仕事や学校の繋がりが残っていたかもしれない。
環境の恐ろしさをここにも垣間見る。
100%の味方は存在しない
祖母と毒母と暮らす主人公あんは、売春や覚醒剤から抜け出せない暮らしを送っている。
風変わりな警察男との出会いで、心の支えや更生と自立の道を得るが、警察男と断絶される。
同じシェルターマンションの住民の女から、突然子どもを預かることになるが、見ず知らずの子供との暮らしに生きがいを見い出す。
コロナ禍で実家に連れ戻された主人公は、毒母の独断で子供と断絶させられ、ドラッグに走り、罪悪感と絶望の果てに命を絶つ。
ー
家族にしろ、強い立場を利用した警官にしろ、執筆後は疎遠になった記者にしても、
主人公の味方でも、やはりどこか限界や一線があって、
どんなに不遇な境遇でも結局は一人でどうにか生きてくしかないツラさは誰しもがある。
とは思いつつも、やっぱり圧倒的な不条理が存在することを突きつけられる。
河合優実さんはとても良かった
ただ、ひたすら毒親に人生を台無しにされる女の子のお話。典型的な毒親だったので見ていてつらかった。
毒親とは縁を完全に切れと言わなかった周りの人の敗北。
それでも河合優実さんの演技はとても良かったし、やっぱりうまい俳優さんだなと思いました。
絶望
悲惨😖
陳腐な言葉で本作を表現すると出てくる言葉はこの辺りのオンパレードだろうが
僕は涙とともに本作を観て。
ハッとした想いに最後は取りかれることとなった。
お寺には阿吽像が、神社には阿吽の狛犬が
大体いるが、阿吽とは
始まりから終わりまでを指す言葉である。
そしてこの作品の主人公は杏(あん)
きっと彼女の終わりが始まりを連れてくるんだろうな。
と◎そう思った。
そう言う意味では映画中の設定世界も末法の世
彼女自身に降りかかる災悪も終わりを示唆する◎
始まりがあれば終わりがある🔚じゃなくて
終わりがあったから始まりがある。
なのかもね〜
そう言う転換が僕の中で始まった瞬間(^^)
センチメンタル教育映画
毒親に育てられた少女は教育も禄に受けられず、転がるような人生を歩んでいる。いろいろ更正するきっかけや希望があったものの、すれ違いで絶望に変わっていく。無知ゆえに大人のエゴに晒されていく。痛いくらいに。かなりドキュメンタリーチックだった。これは意味もなく勉強したくない~とのたもうてる思春期のクソガキらに率先して見せるべきだろう、と強く感じた今日この頃。
フィクションの意義とは?
新聞記事から着想を得て脚本、監督をしてますが、これこんな苛烈にする必要あるかなと、強く疑念を抱きました。
これを持って社会に警鐘鳴らすなんて甚だ思い違いだと感じました。出てくる大人がみんな弱い。弱すぎてあんを追い詰めるのだけど、それはそういうケースでしかなかった、で片付けられてしまうでしょう。河合優美さんが主演されてますが、奇しくも同じ時期にルックバックの方が理不尽にさらされながらも救いがあるフィクション故の救済がある分感じ入るところが段違いです。とても後味が悪かったです
すくいあげた手のひらからこぼれ落ちるしずくのように
この社会での女性の生きづらさをミステリータッチで描いた「市子」、そして本作は同じく女性の生きづらさをドキュメンタリータッチで描いたドラマ。
コロナ禍では若年層の女性の自死が目立ったという。虐待などで実家にも頼れず教育もまともに受けていないため不安定な非正規の飲食業などの職についていた人が多かった。
コロナの自粛で最も被害を受けた業種である。経営者は補助金をもらえるが彼らはそうはいかない。ただでさえぎりぎりの生活だった彼女たちはたちまち食べることもままならなくなり、そして人との接触も制限され孤独な環境下に置かれ精神的に追い詰められていった。
災害や戦争が起きれば真っ先に犠牲になるのが高齢者や障碍者などの社会的弱者だ。では彼女らは弱者だったのだろうか、彼女らを弱者にしたのは誰なのだろうか。
生まれたばかりの子供は一人では生きていけない弱者である。普通は親が愛情を持って育てる。そうすれば自分を愛せる弱者ではない人間になる。しかし、そのように育てられなかった人間は自分を愛せず弱者のまま育ってしまう。
あんのように恵まれない家庭環境に生まれる子供は一定数いる。この世に生まれた人間が初めて頼るのが自分の親であり、そして子供は親を選べない。子供は一人では育つことはできないからその親がどんな親であろうが頼らざるを得ない。
あんのように親から暴力を受けたり売春を強要されたりしてもたいていの子は逆らわないという。親に愛されたいからだ。こんな親でも言うことを聞いていればいつかは自分を愛してくれると信じているからだ。
虐待親から逃れられない子供は他の家庭がどんなだかを知らず、自分が特別虐待を受けているとの自覚も持てないらしい。まずは自分の生きてる環境が異常であることを知り、そこから抜け出させることが重要だ。すなわち第三者の力が必ず必要になる。
本作では刑事の多々羅がその役目を果たすはずだったし、現にそうしていた。あのまま行けばあんは立ち直ることができたはずだった。
もし多々羅が初心を忘れず道を踏み外さなければ更生施設は存続し、あんにとってよりどころとなっていたであろう。もしコロナが起きなければ学校も続けられただろう。あんが非正規職員でなければ介護の仕事も続けられただろう。
それらすべては失われたが彼女には最後のよりどころとするものがあった。それは突然舞い込んできた育児放棄された子供だった。
彼女は戸惑いながらも子供の世話をするうちに初めて愛情を注ぐことの喜びを覚える。この子が彼女にとって最後のよりどころとなるはずだった。しかし結局はそれさえも奪われてしまい、すべてを失った彼女は絶望のはてに命を絶ってしまう。
すべては不幸なめぐりあわせだったのだろうか。多々羅の裏切りもコロナも子供を奪われたことも。それさえなければ彼女の命は失われずに済んだのだろうか。彼女がこのような結果になったのはただ不運が重なったからだろうか。救われるはずだった命がなぜ失われねばならなかったのか。
彼女のような不幸な人間は大勢いる。彼女はたまたま不運だった。中には救われる人間もいる。それでいいのだろうか。もし社会システムによって彼女一人が救われるなら他の同じ境遇の人たちも同じ様に救われるのではないか。彼女一人も救えない今の社会が他の大勢を救えるといえるのだろうか。
毎日のように報道される親による虐待事件。最悪死に至るケースも。しかし報道されるのは氷山の一角。運よくあんのように育つことができても心は荒み切り、犯罪を犯し警察に逮捕されるまで虐待の実態はわからない。虐待が表面化するのは警察からの発表が多くを占めるという。つまり事件化するまでは虐待はなかなか公にならない。
社会との接点がない家庭ほど虐待は密室で行われエスカレートしてゆき、表面化した時はすでに手遅れということもある。
親による虐待事件は年々増加しており、もはやこれは毒親のせいとかいう個人の問題ではない。個人の努力では解決できない社会問題と化している。すなわち虐待による被害が減らないのは社会システムの不備が原因ということになる。
悲惨な事件が報道されるたびに児童相談所の職員の拡充だの警察と児相との連携強化だのとその時だけは言われるが事件は一向に減る気配がない。
明らかに社会システムに問題がある。まず、あんの育った環境、二世代にわたる母子家庭。公団に祖母と母との三人暮らし。祖母はすでに認知症の症状、母親は水商売で生計を立てているがアルコール依存症である。そして自身だけでなく、娘にも売春を強要していた。ここで疑問がわく。母子家庭でこのような状況で生活保護をなぜ受けていなかったのか、何らかの公的支援をなぜ受けていなかったのか。
多くの虐待家庭を見てきた専門家によると、彼らのような支援を必要とする人間ほど公的機関を嫌う場合が多いという。最初こそ支援を求めて役所などに相談に行くも、門前払いやたらい回しにされた挙句、上から目線で侮辱的な言葉を投げつけられて心を傷つけられ、二度と役所には出向かないのだという。水際作戦で役所が意図的にそのように応対してるケースも多くみられる。
劇中、自己責任などとほざく担当者に対して多々羅が怒鳴りつけるシーンがあるが、実際制度に精通した民間の支援団体などが付き添わないと個人では生活保護申請もままならない。
ちなみに生活保護は憲法25条で定められた国民の基本的な権利であり、水際作戦などで申請を妨害することは明らかな憲法違反である。
担当者は原資が税金ですからと理由にならない理由をほざいてるが税金が国民のために使われるのは至極当然のことである。
かつて政治家のネガキャンで生活保護は怠け者が楽をしようと税金から金をせびってるなどと言われたが、生保は身寄りもなくけがや病気で働けなくなったり、あんのような不遇な人間が最後に頼るセーフティネットであり、当然の権利なのだ。
生保を受けることで自立が可能になり、社会復帰を果たせばその人間は再び納税が可能となる。例えが悪いが怪我を治療すれば再び戦場に出れる兵士を怪我をしたのは自己責任だからと治療もせずに放置するだろうか。水際作戦はそれぐらい愚かなことだ。
生保は当然の権利として大いに利用すべきだがこの国では先のネガキャンのせいもあってか受給要件を満たしていても申請しない潜在的受給者が多い。
この様に先述の専門家によればまだまだ行政の支援が足りてないのだという。しかし、あんの家庭が経済的支援を受けられていればあそこまで酷いことにはなっていなかったのではないか。経済的支援だけではなくあの母親にも多々羅のように手を差し伸べてくれる人間がいればあのような人間にはならなかったのではないか。多々羅に限らずあんのような境遇にいる人のために活動しているNPO団体もある。
あんの不幸は彼女に限ったことではない。多くのあんがこの社会には存在する。NPO団体の支援を受けて自立できる者もいれば、悲しい結末を迎える者も。中にはこんなサポートの存在さえ知らずそのまま大人になり、あんの母親のようになってしまう不幸な人間もいる。そうした人間からあんのような不幸な人間が生まれる。負の連鎖が延々と続いてしまう。このような不幸の芽を摘んでいけたら。一人でも多くのあんのような不幸がこの社会からなくなればいいと切に願う。
NPO団体の方々は日々努力されている。しかしすべての人間を救うことはできない。いくら救おうと努力しても手のひらから零れ落ちるしずくのように失われてしまう命もある。
今の社会は非正規雇用の拡大、福祉予算の規模縮小、母子家庭の貧困問題等々、このような社会のゆがみが弱者を生み出しているのではないのだろうか。
このような弱者を生まない社会にしていくことが大切なんだと思う。周りが互いに支え合うことによって自立が促される社会になることこそがあんのような不幸な少女を生まないことにつながるのだと思う。
あんは数々の不幸が重なって結果的に命を落とした。でも彼女はけして特別な例ではなかった。今も彼女のようにこの世で一人誰からも救いの手が差し伸べられずかろうじて生きている女性たちが多く存在する。一人でも多くのあんが救われる世の中になってほしい。
追記
このサイトではないのですが、他の人の感想を聞いてはっとさせられました。本作の終盤、まさにあんが自ら命を絶つ際に窓から飛行機の編隊が見えます。あれは2020年防衛省の発案で行われたブルーインパルスによる航空ショーでした。医療従事者への感謝の意を表するというのを建前で行われました。当時は税金の無駄遣いだとか政治利用だとか物議をかもしました。
あそこであのシーンを入れてくること自体、やはり作り手はこの社会のゆがみというものを描こうとしていたんだなあと確信しました。
あんのような人間が救われないこの社会でなぜあんな航空ショーをやる必要があるのか。まさに今の社会を痛烈に批判するシーンでした。
良い話になってないので面白くはないとこがこの作品の良いところ 人の...
良い話になってないので面白くはないとこがこの作品の良いところ
人の温かさを知って当たり前にしていた万引きを思いとどまってしてこなかった勉強をして真剣に働いて自分の言葉で表現できるようになって、子供に愛を注いで。
もっと違う運命があったはずのあん。
ただ真っ直ぐに生きようとしたあんが、なぜこうも、普通に幸せな人生を許されないのか。
どこまでも絶望的で、でも現実の物語だった。
心は千々に乱れ、感想も千々に乱れる…
実話をもとにした作品。胸が潰れそうになる。にわかには信じられない現実に驚くばかり。既成の概念が覆される。
毒親のもとに生まれ落ちた悲劇、と一言ですませることもできようが、この作品を鑑賞したあとの心は千々に乱れる。
なんのために、どうして、こんなことになるのかと、頭は混乱し、心はあらぬ方向で救いを求めてしまうのである。
子は親を選べないといわれるが、仏法的思想のなかには、子は親を選んで生まれて来るという考えかたもあるそうだ。
でも、そんな深淵?そうな教えは、この際どうでもよいのである。現実の世界での人の生き死には現実の世界の価値観で判断されればいいことであって。それ以上でも以下でもないのである。でも、である。
糾弾されるべきは母親であり、母親の生きながらの堕地獄は間違いない。地獄の人生を歩むことになるだろう。
この罪深すぎる母を罰するために、この母から生まれ出たとすれば、すこしは溜飲が下がる気もするのである。
まったく見当はずれの感想になったか…。
心は千々に乱れ、そんな感想で自分を納得させるしか方法がないのである。
ひどすぎる!!!
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