あんのことのレビュー・感想・評価
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無理のない描写、リアルすぎるほどの演技
ものすごくいい映画だった。無理して盛り上げようとか、泣かせようとか、そういうのがなくて、登場人物たちのことがとても丁寧に描かれていた。主人公については演技を見ているというより、ドキュメンタリーを見ているように本物の杏だと思えた。多々羅という刑事についても、説明がない分リアルで、良いことも悪いことも起きたことのすべてが胸に突き刺さってくるようだった。
河合優実が上手い、入江さんの演出上手い
リアル過ぎてつらい作品でした
教育も受けれずここまで過酷な生育と薬物と体を売る仕事に身を置く少女
それでも望みを抱いて介護の仕事を始めるが…ろくでもないコロナ
どこにぶつけていいか分からない程の悲しみや怒りしか残らない作品でした
まずは毒母を張り倒したい!!
ブルーインパルス*⋆✈︎飛行時は天気のいい日、仕事中で高層ビルから見ていました
杏ちゃんも見てたのかな…
凄い俳優さんでてきましたね、河合優実のこれからが楽しみです✨
山口百恵を彷彿とさせますね
シャブ漬けのマリア
毒親にタカられ12歳でウリをやらされたあげく、ヤクザの客にシャブヅケにさせられた“杏”には、実在のモデルがちゃーんといるらしい。入江監督曰く、既に亡くなっているため反論すらできない故人を弔うためにも、丹念なリサーチを行い、ウソがないよう事実に則したリアルな演出を心掛けたという。
ゴミ屋敷のようなアパートで「杏ちゃんお帰り」としか言わないばあちゃん、そして自らもウリをしていて杏のことをなぜか「ママ」と呼ぶ毒親(河井青葉)と暮らしている主人公の杏(河合優実)。ラブホテルでプレーの直前、シャブの過剰摂取で客が意識不明になったことから警察の取り調べを受けるはめになった杏は、そこで一風変わった刑事多々羅(佐藤二朗)と知り合う。
この多々羅、杏がしゃぶ抜きのために必要なプロセスを、ドが過ぎるほど熱心に教え込もうとするのである。ヨガ教室、カウンセリング・ミーティング、特例アパート、夜間学校から仕事のお世話まで、一刑事の範疇をゆうに越えた援助によって杏を更正の道へひたすら導こうとするのである。それを傍らから見守っていた雑誌記者桐野竜樹(稲垣吾郎)は、そんな多々羅の行動を時折醒めた眼で見つめるだった.......
最低最悪の生活から逃げ出すことに成功し、杏の生活が順回転しだした途端、神はまたしてもコロナ禍という試練をこの杏にあたえたもうのである。同じアパートに住むシングルマザーから突如として押し付けられた幼児の面倒を慣れない手つきで見る杏の姿が“聖母”に見えた、と誰かが書いていらっしゃったが、ウリをしていた元娼婦、そして毒親から呼ばれていた“ママ”という称号からして、入江監督はこの“杏”を“マグダラのマリア”として演出しようとしたのではあるまいか。
そのマリアならぬ杏を救った多々羅はおそらくキリストで、そのキリストを裏切った竜樹はユダをモチーフにしていたのではないだろうか。多々羅が警察に逮捕されるまでは、一応聖書の記述にそった展開になっていたのだが、オープニングとリンクしたラストはあまりにも救いが無さすぎる。おそらく事実はそうだったのかもしれないが、マグダラのマリアこと杏に(ウソでもいいから)もちっと救いを与えてもよかったのではないか。あのブニュエルだったらどんな終わり方にしただろう、見終わった瞬間そんな考えがふと浮かんだ作品だった。
⭐︎4.0 / 5.0
きっつー
重い
実話をもとに製作された作品
親という絶対的存在
そのしがらみはお互いが持っているものというよりも自分で持つか持たないかを決めることができると思う。
杏の弱点 祖母のこと
それを熟知する毒母は、祖母を理由に杏を自宅に戻そうとする。
目的はお金
「早く金作って来いよ」
「さっさと体売って来い」
どんな親でも子によっては唯一無二の存在。
最初に見た存在に付いて行くアヒルと同じ本能
親との決別を選択できても、それが大きな足かせのようになってしまう。
それをすることは大きな罪悪感を伴う。
後天的後付けの理由はあるが、心に大きな針が刺さったようになる。
それはかなり難関であるのは間違いない。
実話…
しかし、何故そこまでしてこの世界は杏のすべてを奪うのだろうか?
確かに毒母にそそのかされて自宅に戻ってしまったことが失敗だった。
それをさせた再会という皮肉
それはもう罠でしかない。
売春
児童相談所に子供をもっていかせた毒母
包丁を持ってもできなかったこと
杏は実家を飛び出した後、そしてまた売春してシャブを買ったのだろう。
日記に書こうとした×印に、過呼吸になる。
コンロで日記を焼く。
日記に書いていたハヤトのアレルギーの記録を取り出したのは、ハヤトとの生活にあった希望に違いないが、それはもう無意味なことになっていたことに改めて気づいたのだろう。
シャブが思考を朦朧とさせている。
外に見える青空
そこに登場したジェット機
コロナ渦と1年遅れの東京五輪に花を添えたブルーインパルス
2021年7月23日
すべての絶望を抱えて杏は飛び降りた。
これが、現実に起きたこと。
多々羅という刑事
彼の闇を暴こうとするライター
結局あの記事がサルベージを潰し、杏を自殺へと誘ってしまったと嘆くシーンがあるが、毒母との偶然の再会があることから、杏の逃げ道はなかったのではないかと想像する。
このライターと刑事の設定の半分以上はフィクションだろう。
早見あかりさんの役もまたフィクションだと思う。
しかし、杏という人物がそうした人生を送ったのは事実だ。
助けてくれる人々はたくさんいる。
どうにもならないことはないと思いたい。
アノニマス集会
駆け込み寺のような施設
杏にも優しい職場
東京には確かに何でもある。
でも東京にしかないものも多い。
狭い東京の地
偶然の再会は狭い中で毎日起きている。
もし杏が地方で新しい生活ができていればそんなことにはならなかったように思う。
環境の所為にはしたくはないが、どうしてもそこが盲点だったと考えてしまう。
この作品で自殺した杏
彼女が結局その方向に向かわざるを得なかった原因こそ、「親」というしがらみを自分自身で断つことができなかったからかもしれない。
多々羅という人物がしたことは結局杏との連絡を絶つことにつながった。
あの記者の役割である仕事の所為で、アノニマス集会が潰れた。
コロナが仕事を奪った。
しかし結局のところ、杏自身を貶める原因の毒母の言葉に従ったことがすべての元凶だった。
最後は自分で判断するしかない。
自分で決断し選択しなければならない。
いったい誰に責任があったのか?
この作品はそれを視聴者に考えさせている。
結局それは、自分自身にあった。
この作品はそれを伝えているように思った。
救い無き映画第二弾
ん?と思うところが多い
まず1番に思ったのが、他の方も書かれていますがなんで最後に杏が自殺したタイミングになって記者がやってくるのか。連絡先もなにもわからなかったのかもしれませんが、刑事が捕まった事やコロナなどで杏が孤立してしまっているのではないかとか、もう少し気にかけて連絡手段を探してみたり、実際に訪ねたりするんじゃないかなと思いました。これをコロナがあったからできなかったってこと??この空白の期間があるのに最後自殺した際に急に現れて、記事を出してなかったら助かったのか、、と言われてん?となりました。刑事に問題あったんだから記事を出したことは悪くないと思いますが、その上で刑事が今まで杏を支えていた部分を誰かが変わって様子見に行ったりしなければならなかったと思うのに、それもせず記事を出してなかったら、、となるところに違和感を覚えました。
あまり普段レビューを書かないので、うまくまとめられませんが、とりあえず想像以上に評価の高いレビューが多い事に驚きました。
また、杏と全く同じ状況だったわけでもなく、杏と比べればまだましですが、自分自身も親が頻繁にヒステリックを起こしていて、昔毎日のように素手や物で殴られていた経験があったので、当時の自分を思い出して少し違和感を覚えるシーンが多かったのかなと思いました。
拙い文章ですみません。。。
やり切れない
あまりにも辛い
最後に残された1頁が語ること…
①全部ではないが、本作に出てくる大人たちの殆どが“どの口が言う”と云いたくなるような人達だ。
数十年前、まだ「大人」というものになる前によく思った“大人は汚い”というフレーズが久しぶりに脳裏をよぎった。
しかし、「大人」というものになってしまった今、数十年生きてきて世の中の裏表を見てきてしまった今、“社会が悪い”とか“周りの大人の犠牲”とか青臭いことを言う歳でもない。
②よく“自分は運が悪かった”とか“好きでこんな風になったわけじゃない”とか“親がいないから”とか言う人が世の中にいるけれども、60年余し生きてきた私に言わせると、その人が今おかれている境遇に陥った理由の三分の二くらいは、結局その人の考え方とか生き方とか性格のせいだと思っている。
③でも、「あん」はまだそこまでには至っていないナイーブなままだ。ただ、大人の身勝手さ、穢さはイヤ程見ては来ただろう。
だから、祖母への感謝の気持ちもあったとはいえ、自分の感情や欲望を素直に表面に出す子供返りしつつある介護施設の老人たちや、それこそ泣き声で感情や欲望を表すしかない赤子と対峙することが「あん」にとっては却って心休まるものだったのだろうか。
④それとも「あん」にはあの酷い母親には似ず生まれつき母性があったのだろうか。
しかし、
絶望するような人生だとしても...
「あんのこと」が早くも今日からアマプラで見られるようになったので、
そそくさと会社から帰り、早速もぅ一回拝見しました。
あんのこと、あんという女の子がいた事、実際にそういう事件があった事をベースとした映画だ。本当に不幸をぜんぶしょいこんだような人生で、ほんと救いのない話なんだけど、事件となった事で、逆にこうやって映画になった。
我が身を振り返って、いったい誰が自分のしてきた道のりを知ってくれているのかと思うと、少々寂しい。自分が死んでも生きた証が残るだろうか? あんちゃんの場合、まだ映画として知ってくれている人が大勢いて、何かしら後に残るわけで。 周りの人から見れば、取るに足りないありきたりな人生だろうと思われている私よりは、いいのかなー? いやいや、自分として納得できる生き方をできているのなら、やっぱそっちの方がいいに決まっているじゃないか。誰に知られなくても。
救いたかった!
コロナ禍で職を追われ、学校が休みになり、あんの社会的居場所が無くなってしまう。タタラとも連絡が取れず、孤独になり追い詰められていく。部屋も散らかって生活の張りが薄れかけたように見えた。そんな折、唐突に隣人から幼な子を預けられる。彼女は懸命に面倒を見る。部屋も綺麗に片付けられ、子の命に寄り添う事で、再び生きる意味を見出したように見えた。人はひとりでは生きれない。
最後ブルーインパルスが飛んで行くのが見えた直後、ノートの破片がひらひらと舞い落ちていく、このコントラストが強烈だった。
役所では、自己責任論であんの生活保護申請が却下された。けれど万引きで食いつなぎ、小学校もまともに行けず、母親から12才で売春を強要され生きてきたあんに、どれ程の責任があったのだろうか。母から逃れ自分の力で生きようと懸命な若い命に、手を差しのべる余裕さえこの社会には無いのだろうか。
是枝監督の「誰も知らない」や「万引き家族」を思い出した。
誰も救えない…。
あんが最後にとった行動は仕方の無かった事だと思います。
思ってはいけないことですが、あんの最後の選択に正直私はホッとしました。やっとあの母親から解放されるんだと…。
それほど辛い内容の映画でした。先日に観た、ミッシングは最後にかすかな希望のようなものが見えましたが、この映画は本当に救いようのない結末でした。
幼い頃から母親に虐待を受け続けても、売りを強要されてもグレることもなく、助けてくれた祖母のために介護の仕事を学んだり、隣人から押し付けられた子供を大切に育てたり、あんは本当にいい子なんです。
あんの優しさがこの映画の唯一の救いです。
残されたあんの日記のメモ書きが優しすぎて私の心を締めつけます。薬物を打たれ常習者になってしまったあんが更生の途中に見せた笑顔が忘れられません。
観るか、かなり迷いましたが、観てよかったと思います、辛すぎて二度とは観れませんが。自らを戒めとするには良い映画だと思います。今もあんのことを思うと目頭が熱くなリます。
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