「あんのことを忘れない」あんのこと 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
あんのことを忘れない
去年最も見たかった邦画の一つ。
が、地元の映画館では上映せず。隣町の映画館に行こうとしたが、都合付かず。結局見れぬまま上映は終わり、レンタルを待っていた。
何とか時間を作って観に行くべきだったと後悔した。去年のベストの一本になっていただろう。
見て面白かった/楽しかったの類いではない。悲しく、苦しい。が、胸に響き、突き刺さる。邦画に毎年一本は必ず現れる力作。
コロナ禍、新聞に掲載された小さな小さな記事。一人の少女の事を伝えてくれた入江悠監督に感謝。
21歳の杏。
幼い頃から母親から虐待。
小学校も中学校もろくに通わず。漢字もほとんど読めず、計算も出来ない。
母と足の悪い祖母と団地のごみ屋敷部屋で貧しい暮らし。万引きを繰り返す。
母親から売春の斡旋をさせられたのは12歳の時。
薬物に手を出したのは16歳の時。
虐待、不登校、極貧、犯罪、売春、クスリ…。少女が身を置くあまりにも過酷壮絶な現状。
100%同情はしかねない。そういう現状だったとは言え、犯罪やクスリに手を出してしまったのは自分の弱さであり愚かさ。
が、母親から受ける虐待は痛ましい。
幼い頃庇ってくれた祖母には優しい。
当初は跳ねっ返りが強かったが、根はいい子なのだ。
こんな地獄から抜け出したい。
彼女にだって夢はある。
しかし、どうする事も出来ない。
自分一人の力じゃどうにも出来ない限界がある。
誰か、手を差し伸ばしてくれる助けが…。
居た。
覚醒剤使用と常習で逮捕。
その時担当になった一人の刑事。多々羅。
口も柄も悪い破天荒な性格。が、人情に厚い。
杏の面倒を見る。職安に付き添い。事務的対応の職員に怒号。自身が開く薬物更生者自助グループ“サルベージ”を案内。
介護施設で働き始める。彼女の夢。祖母を介護する為、介護士になりたい。多々羅の口からそれが語られた時、胸打った。
最初働いた介護施設は酷い雇用形態。次の介護施設が決まる。
この時力になってくれた人物がもう一人。多々羅の友人のジャーナリスト、桐野。彼のツテで。
ここの施設の経営者も良かった。ある時居場所を突き止めた母親が乗り込んできて、騒ぎを起こす。バツが悪くなった杏は辞めようとするが、引き留める。
働きぶりが認められ、本採用にも向けて。担当老人からも気に入られる。
その都度障害になる母親を断ち切る為、家を出る。DV被害者が住むシェルター・マンションへ。こういうのがあるんだ…。
もう一度勉強し直す為、夜間学校にも通う。
現状から抜け出したい、自立したい、介護士なりたい…本人の熱望。多々羅との出会い、桐野との出会い。
生気の無かった杏の顔にも笑みがこぼれるようになり…。
更生と夢へ向けて歩み始めたかに思えたが…。
多々羅に不祥事。警察という立場を利用して、サルベージの薬物更生者の女性に関係を強要。
そんなリークがあり、探っていたのが桐野。記事を書く為に近付いていた。
多々羅は警察を辞め、逮捕。サルベージも閉鎖。
時は2020年。あの世界的パンデミック…。
介護施設は人員削減。夜間学校は休校。
一瞬にして頼れる人も居場所も失い…。
それでもまだ“救い”はあった。
マンションに住む若い母親から突然幼子を預けられる。
最初は困惑するが、面倒を見る。介護施設働いていたからか、面倒見は良い。
一緒に遊び、食事を作り、手探りながら育児に奮闘。愛情を注ぐように。
が、またしても。居場所を突き止めた母親が現れ…。
救いの無い悲劇的なその人生。
しかし、絶望の中にも、差し込んだ希望の光や根底に人の温もりを感じる。
入江監督は同情的に描く事を避け、懸命に生き直そうとした姿を心掛けたという。
救われ、笑顔がこぼれ、幸せを感じる事もあった。
行き付けのラーメン屋、カラオケ、仕事や自立引っ越しが決まって3人で集まってお祝い…。
それまでの人生には無かった事。
ここに居て、いいんだ。
こんな新しい人生を、歩んでいいんだ。
…そうあって欲しかった。
体現したキャストの熱演。
昨年大ブレイクした河合優実だが、それを象徴する本作。熱演。
生気の無い序盤から、次第に生気を取り戻す。本来は素直でピュアな性格を滲ませて。
悲しみ、苦しみ。あるシーンの嗚咽には胸かきむしられた。
屈託のない笑顔は彼女の本来の顔なのだ。
幼子へ見せる眼差しと優しさ。
モデルとなった女性へ敬意を払って演じたという河合優実。…いや、演じたというより、在りし日の姿を生きた。
佐藤二朗も『さがす』に続く名演。本当にこの人は福田学芸会から一刻も早く決別した方がいい。
荒々しい性格だが、嗚咽する杏を「大丈夫、大丈夫」と抱き締めるシーン、サルベージで自分の事を話した杏を「よく話した」とまた抱き締めるシーン…人情が滲み出る。
しかし…。まさかの不祥事。いや、犯罪。ショックだった。
どっちが彼の本当の顔なのだろう。薬物更生者の為に熱く奔走する姿は本当なのだろう。その裏で自分の力を利用して女性に手を出してしまったのも本当の姿なのだろう。
人に混在する二面性。考えさせられる。入江監督もモデルとなった刑事の二面性に衝撃を受け、本作を作るきっかけの一つになったという。
サルベージの取材と偽って、本当は多々羅の悪行を暴く為近付いた桐野。
一見するとジャーナリズムを正義の盾にして相手を騙したヤな奴だが、彼の立場もまた辛い。
多々羅との友情は本物だった。それ故葛藤。杏への気遣いも本物。
稲垣吾郎が巧演。
吾郎ちゃんの歌声も久々に聞いた。にしても…、桐野が多々羅に女性への性暴力について追及するシーン。今見ると何だか…。
複雑ながらも感情移入してしまう人物も居れば、一切出来ない者も。
杏の母親、春海には震え上がった。
娘へ愛情の欠片は微塵もナシ。殴る、蹴る。娘は身体を売って金を稼ぐ“もの”。娘を“ママ”と呼ぶおぞましさ。
私も多くの映画を見ているが、これほどの毒親…いや、猛毒親はなかなか居ない。この存在が居たからこそ杏へ感情移入してしまう。憎悪すら抱かせる超絶嫌われ役を引き受けた河井青葉の怪演も特筆。
早見あかりが演じた杏に幼子を押し付けた若い母親には賛否分かれる。子供を押し付け育児放棄したくせに、最後の最後、杏さんに感謝したいなんて、よくもヌケヌケと。
隼人くんが実母の元に戻って幸せに育てられるのか…? 悪い母親のようには思えないが…。
隼人くん、まだまだ幼く、このほんのひと時の記憶など無いかもしれない。が、成長して、ふと思い出してくれたら…。
僕は幼い頃、母親とは違う女性と少しの間暮らした事があった。とても優しくしてくれた。
ラストは見る者を、また杏を、絶望の底へ叩き落とす。
母親から祖母がコロナに感染したと聞き、再び団地へ。
それは嘘。杏をまた身体を売って稼がせる為に。隼人は人質に。
せっかく更生の道を歩み始めた杏。振り出しに戻ってしまう。
帰ると、隼人が居ない。泣き喚く隼人をウザがり、母親が児相に連絡して連れ去った後だった。
このクソ親…!
全てを断ち切られ、失った杏は…
当初は独りでいる事が自分の人生だった。
が、ひと度人と触れ合って、出会って。
その温もりを知ったら、もう独りには戻れない。
人の輪、夢、自立。自分の人生を歩み始めた。
それを全て失った。奪われた。
当初の独りの比ではない。
立ち直れないほど身を襲う孤独と絶望…。
空にはブルーインパルスが飛ぶ。賛否分かれる中一年延期で開かれたスポーツの祭典。
その華やかさの陰で、誰に知られる事もなく…。
どうすれば良かったのか…?
何が悪かったのか…?
何が間違っていたのか…?
そもそも毒親と悪運の元に生まれてしまった事。
自らの弱さ。
多々羅の裏の悪行。
桐野の暴露。
答えは出ない。永遠の水掛け論。
コロナが決定的なとどめを差した事は否めない。
いつまで続くの?…と思ったコロナもやっと鎮静化。
多くのものを奪っていった。
多くの人が失った。
志村けんさんが亡くなった時、言われた事。コロナが憎い。
本当にそう。コロナが憎い。
コロナさえ無ければ、私たちの生活も、世界も、平常通りだった。
杏も新しい人生を生きていただろう。
人生や世の中は本当に不条理。突然、何が起きるか分からない。
それでも懸命に生きた証。
あんのことを忘れない。