「杏の想いが心に痛い」あんのこと talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
杏の想いが心に痛い
「救いはないのだが、受け止めなければならない」というのは、評論子が入っている映画サークルの先輩会員の本作に対する評でしたけれども。
評論子的には「救いがない」というよりは、おそらくは、「心の支え」としてきた3本の柱…やっと手にした介護士としての仕事と夜間中学の授業、そして信頼していた多々羅が、コロナ禍や彼の「別の姿」を知ることで、ついにポッキリと心が折れてしまったというのが、本当のところだったのではないかと、評論子は思いました。
本作を観終わって。
杏が選び取った「あの結末」は、決して肯定できるものではないのですけれども。
その決断に至るまでの彼女の心痛を思うと、本当に胸が張り裂けるような想いも、抑えることができません。
十二分な佳作だったとも思います。
(追記)
杏を、ただその鬱憤のはけ口としか見ていないような、彼女の母親・春海を「毒親」と、切って捨てることは、ある意味、簡単なことでしょう。
一方で、春海にしてみても、夜の世界の商売(スナックの経営)で、おそらくは苦労の連続で杏を育てて来た、ということでは、その憤懣(ふんまん)・鬱憤(うっぷん)は、まさか店の客に向ける訳にもいかないので、必然的に娘である杏に向かってきたのだろうと、評論子は思います。
春海のそういう態度を指して「毒親」というかどうかは、さておくとしても。
問題は、その「向かい方」ということで、春海の「幼児性」ということが、一番て、しかも最悪な問題点だったのではないでしょうか。
わが子である杏を「ママ」と呼び、その要求(娘が母親に求めるような甘え)が満たされないと、その返報として、容赦のない熾烈な暴力―。
あたかも、自分の要求が満たされないと駄々をこねて暴れる幼児(駄々っ子)を見ているかのよう。
春海のその幼児性と杏の「最後の決断」との間に、法的な意味での因果関係を認めることは、おそらく難しいでしょう。
しかし、それでも、晴海は杏の「最後の選択」を自らが犯した「罪」(自らが杏に選択させた結末)として、その十字架を、終生、背負って生きるべきだと考えたことも、おそらく評論子だけではなかったこととも思います。
(追記)
参考にさせていただいた映画.comレビュアーの皆さんの間でも、主演の河合優実の演技を評価する声が多くありました。
もちろん、評論子的にも、その賛辞には少しも異論はないのですけれども。
しかし他面で、評論子は、佐藤二朗の演技(と彼に独特の風貌・キャラクター)も、本作には欠かせない「味付け」になっていたとも思います。
別作品『さがす』『変な家』などと並び、いわば「ジキル博士とハイド氏」を演じた彼を、これからも観続けていく楽しみが増えた一本にも、評論子にはなりました。
共感ありがとうございます。
どんどんハシゴが外されていく感覚でした。使いたくない言葉ですが、セーフティネットってやはり必須なんでしょうね。
佐藤二朗さん、そろそろこの手の演技見せないと何ですと!アドリブの人に見られちゃいますね。