「アンデスからは即刻助けを求めに行かねば!絆なんか不要さ!」雪山の絆 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
アンデスからは即刻助けを求めに行かねば!絆なんか不要さ!
こう言った場合、一人でいればこう言った。悲劇は起らない。1972年の悲劇をなぜ蒸し返すのか?そっとしてあげるべきだ。そう思うが。
1972年僕が中二病真っ盛りの時に知る。事故については、本年正月の件があるので触れない。
話は『15少年漂流記』ではなく『蠅の王』である。
この事故の事は良く覚えている。ウルグアイの平均年齢は75歳。あの国と同じだ。さて、彼らはまだ生きている。それとも、あの国と同じ様に75歳で
10万円貰って死んでいるのだろうか?
僕はこの事故が起きて『助かった』と聞いた時。助かる迄の時間が長かったしたので、真っ先に『カニバリズム』の事が頭に浮かんだ。『アンデスの英雄』と言われながら、悲惨過ぎる状況なので、真実の有無を抜きにして、中二病の合併症で僕の心のトラウマになった。以来この話に触れた事が無かった。
一昨年にアンデスではないが、エクアドルのカヤンベ山に行った時もこの件は頭で考えるのを忘れて登った。日本に戻ってこの映画の存在を知って、アンデスの惨劇を思い出した。だが見るに気にはならなかった。
だがしかし、昨年『子宮に沈める』と言う映画を見て、暫く振りに『カニバリズム』の件を思い出し、この映画を見る事にした。20歳そこそこの青年なので、彼らの行動をどうのこうのと言えないが、僕の年齢であれば、下山を試みる。ひたすら下山を試みる。それでこそ生きる為の試みをしたと言えるし、それで成功すれば本当の英雄にもなる。これが生き延びた苦労や努力と言うなら、『カニバリズム』をする勇気になってしまう。生き延びた人達を非難するつもりはないが、英雄ともてはやす事はしたくない。
『子宮に沈める』の鑑賞に付いてふれたが、取り残された姉は何も食べる物が無くなっても我慢をした。つまり、人間の本性は『カニバリズム』を許していないのだ。
何日間かして初めて下山を試みるが、それが間違いだと思う。
食欲に支配された状況で、愛とか絆は存在しない。食料を探し、分配した後即刻自由解散すべきである。こう言った場合、絆とか民主主義はあり得ない。独りで生き残る事を考えるべし。
絶対に食べたくないし、食われたくない。生き残れなくても、ひたすら、孤独をひた走りたい。
あと、41分、結承転転◯で、やっとこさ下山する気になるなり。勿論、越境と下山の2つルート取るべきだ。あと、30分。
全く緊張感の存在しない言い訳の様なストーリー展開。
ほらね。やっぱり。“おら”の判断は間違っていなかった。もっと早く出かけていれば、本当の英雄になれたと思う。
演出としては、ロザリオを首から下げたままの食事はすべきではないと思った。
『生きる』に対する尊嚴が、PLAN75を許す大和民族と同じになってしまっている。キリスト教のカトリック教徒では、代わりに『キリストが食される』わけだから、絶対的なタブー。それを『正当化する』若しくは『肯定的に描く事』は絶対的なタブーと思うが。
しかし、PLAN75で自己犠牲もやむを得ないとする民族が、何故生き抜く事に感動出来るのか?それが理解出来ない。少なくとも大和民族は、皆が『食べて欲しい』になると思っていた。
要はホロドモールの様な場合はどうするかだと思うね。人為的な飢餓をどうするか?だと思う。
これ、まだ観ていませんが、“事件”が起こったとき僕も中学生で、すぐに邦訳された原作を読みました。
本作とプラン75をミックスしたのが「グリーンソイル」です、
是非探してみて下さいね。
ではまた、
返信ご無用です。
おはようございます。
ノー天気なレビューで、すみません。
感動とか特になかったです。
アカデミー賞ノミネートってなんなんでしょうね!!
マサシさんのレビューで、
エクアドルのカヤンベ山に昨年登った・・・と書かれていて、
5790メートルですね。
もう驚きました。すごいです。