めくらやなぎと眠る女のレビュー・感想・評価
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村上春樹とアニメーション、相性良し
村上春樹の短編作品のいくつかを再構成して一本の物語へと仕立て直している。舞台は震災後の日本で、震災ニュースを延々と見続ける妻が突然失踪し失意の中にいる男と、その同僚である日突然巨大なカエルに自身を止めて東京を救えと言われる冴えない男を中心に、シュールで不可思議な人間模様を描く作品だ。村上春樹のシュール系の短編はアニメーションとこんなに相性いいのかと思わされた。ゆらゆらと不確かな実存に悩む人々の物語と言えるが、その不確かさがアニメーションという固定的な形状を持たなくて良い媒体で、映像として巧みに表現されていて面白い。
やっぱり「かえるくん、東京を救う」のエピソードは面白い。奇妙なカエルが突然目の前に現れて喋り出すだけでもシュールだが、そのシュールさに違和感も何も感じさせないのは、このアートスタイルだからか。
白昼夢を見ているかのような、奇妙な感覚に心地よさを感じさせる作品だ。
こういう企画は日本のアニメではなかなか成立できない。そういう意味でも貴重。
異なる言語文化と表現の不確かなキャッチボール
村上春樹作品の一愛読者として、近年映画化のペースが上がっていることは単純に喜ばしい。作家自身が映画「風の歌を聴け」の出来に失望して以来映像化のオファーのほとんどを断っていると何かで読んだ記憶があるが、年齢とともに映像化に寛容になってきたのだろうか。2018年の「ハナレイ・ベイ」と「バーニング」、2021年の「ドライブ・マイ・カー」、そして村上作品初のアニメ映画化が本作「めくらやなぎと眠る女」だ。
監督・脚本のピエール・フォルデスは、1990年代に映画音楽やCM曲の作曲家としてキャリアをスタートさせ、その後ドローイングやアニメ・実写の短編をいくつか発表してきた(自身のサイトpierrefoldes.comで過去の作品群や、「めくらやなぎと眠る女」のスケッチなども公開しているので、興味がある方はぜひ)。
フォルデス監督は米国出身だがパリで育ち音楽もフランスで学んだので、仏語・英語のバイリンガルと察せられる。本作の制作過程もなかなかユニークで、まずカナダで英語話者のカナダ人俳優たちを用いて実写撮影・録音し、その映像をベースにアニメーションを制作。このアニメ映像に合わせてフランス語の台詞を収録したものが公式のフランス映画になり、さらに深田晃司監督が演出した日本語版(翻訳協力は柴田元幸)が作られた、という流れだ。
言語と表現形式の変遷に注目すると、日本語の小説の翻訳から英語の脚本が書かれ、英語話者が演じた実写映像からアニメーションが制作され、さらに台詞をフランス語で収録した公式版、日本語で収録したバージョンがそれぞれ作られた。文化的背景の異なる日本語圏、英語圏、仏語圏の表現者たちがいわば作品をキャッチボールしたわけで、翻訳の過程で生じるわずかな表現のズレが映画そのものの奇妙な不確かさにつながっているように感じられ、それが個人的には楽しめるポイントの1つでもあった。
フォルデス監督のキャラクター造形からは、欧米の白人の目には東アジアの黄色人種がこんな風に見えているんだなというのが伝わってくる。これも文化を行き来した作品の妙味だろう。小村の風貌は、原作(「UFOが釧路に降りる」)ではハンサムでほっそりとした長身の設定だが、アニメの作画では村上春樹本人に寄せた気がする。
白昼夢にも似た夢と現の越境感が独特の余韻を残す
以前、ある監督から「長編の村上文学は許可が下りにくい。短編小説の方がまだ可能性がある」と聞いたことがある。ただし、短編には短編で、長編とは違う特殊な持ち味があるため、結局のところ映画作家には斬新なアプローチが必要となるという。本作はまさにその言葉を裏付ける一筋縄ではいかない一作だ。6本の短編小説を緩やかに融合させている時点でかなり大胆というか恐れ知らずだが、もともと実写で撮られた映像をアニメーションへと変化させる過程で生じた、さながら白昼夢のような夢と現との越境感が独特な印象を刻む。極めて実験的、尚且つ出口のなかなか見えない作品であるため、見る者を選ぶ作品ではあるものの、小説でも映像でも変わらず「かえるくん」が愛らしく、一方、小説「かいつぶり」を基にした「長くて暗いトンネルをひたすら歩く」というイメージが、それそのものというよりは、主役らの心理模様として機能しているのが効果的で余韻を残す。
To Be a Ghost in this Vision Called World
This lucid French-directed anime is a talky musing on the descent into middle age life, a revisit to Linklater's Waking Life with the psycho-spiritual elements of a Miyazaki film. It was actually shot and animated similarly to the former, and instead of one character visiting different dreams, it's an anthology film based on Murakami's short stories. A welcome reflection on life's mundanity.
村上春樹の本は嫌い💔なので一体どんな作品だろうかとおっかなびっくり見ました。恐ろしく新鮮でした。
同じ会社の二人が同時進行で描かれる。。会社に都合の良い人が出世する。社会を斜に見てる。
カエルは面白い。
シュールで奇妙な味わい
妻に逃げられた小村。巨大なカエル男、カエルくんに取りつかれた片桐。ふたりの銀行員を主役に6本のストーリーで綴られるオムニバス作品。
村上春樹の短編小説(未読)をフランスでアニメーション化したという大変珍しい作品である。オフビートでシュールな事象が次々と出てきて、まるでコント集のような感じで面白く観ることが出来た。
とりわけ小村の妻キョウコが話す”めくらやなぎと眠る女”の逸話は意味深で印象深い。耳の中に蠅が潜り込んで脳を喰うという何ともおぞましい話で、デヴィッド・リンチ監督の「ブルー・ベルベット」を連想した。
また、小村が同僚に頼まれて北海道まで謎の小箱を届けるエピソードも面白かった。これもリンチの「マルホランド・ドライブ」に出てきた青い箱を連想した。
他にも今作にはグロテスクなエピソードが幾つか登場してくる。小村が終盤で出会う少女はかなり不気味だったし、片桐が見る悪夢もダークで捉えどころのない気味悪さを覚えた。時代設定が東日本大震災直後なので、社会全体を包み込む不安な空気感が再現されているのかもしれない。
そんな重苦しい雰囲気の中、片桐とカエルくんのやり取りを描く一連のシークエンスは終始ユーモラスで楽しく観れた。個人的に今作で最も好きなのはこの部分である。カエルくんのとぼけたキャラがユニークだし、平凡で冴えない中年男、片桐に大地震阻止という大きな使命が託されるのも馬鹿げていて可笑しい。
一方で、中にはどう解釈していいのか分からないエピソードもあり、このあたりは自分自身もう少し咀嚼が必要である。
例えば、小村と聴覚障害の少年のエピソード、小村と北海道で出会う女のエピソードは、何を言いたかったのかよく分からなかった。これらは会話劇主体の作りになっており、言葉の意味を探っていくと夫々に退屈はしないのだが、何とも捉えどころのないエピソードとなっている。
映像については、日本やディズニーの作品に比べると決してクオリティは高いとは言えない。特に美術背景はかなり雑な個所があり残念だった。ただ、キャラクターの動きは非常に生々しく奇妙な味わいが感じられる。後で調べて分かったが、一度実写で撮影してから、それをトレースして作画したということだ。ロトスコープのような手法と言えばいいだろうか。これが独特の味わいをもたらしている。
手っ取り早く村上春樹の世界観を知るにはちょうどいい
村上春樹の作品をほぼ読破しているけれど(翻訳本は除き)、彼の世界を表現するならアニメだよな〜、と常々思っていた。なぜなら人間でどうにかするには無理なシーンが多々あるから。(今作で言えばかえるくん)
この映画はその人間では対応しきれない部分まで見事に表現したアニメーション作品だと思う。
ストーリー自体はいくつかの村上春樹の短編を上手く繋ぎ合わせて、原作を忠実にアニメーション化している。
本来、異なる作品をつなぎ合わせれば違和感が残る所が出てくると思うけど、村上ワールドの力なのか作品者の構成力なのか違和感なくつなぎ合わされている。
フランス人が作ったものなので、日本の街並みや室内の描写で色々ツッコミどころはあるけれど、そこはご愛嬌かな。
タイトルにもある通り、本を読むのは骨が折れるけれど村上春樹ってどんな感じなの?って知りたい人には丁度いいかも。
海外から見た日本観に共感できないパターン
ハリウッド映画でも何ちゃって日本が描かれるとゲンナリしてしまうのですが、
今回もフランスはじめいろいろな国の合作アニメーションで、
案の定ゲンナリしました。
まずもって絵柄が全員おっさんくさいキャラクターになっていて全然感情移入できず
話も入ってきづらいんですよね。
何となく新しいアプローチのアニメーションだなぁというのはわかるのですが、
それと内容とは別ですね。
話としてはファンタジー軸なんですよね。
小村とキョウコ、かえる🐸くんと片桐、基本この2本のストーリーなのですが、
いずれもファンタジーです。
かえるくんはマジでわかりづらいというか、ファンタジーと割り切らないと頭に入ってこないですし、
小村とキョウコも現代ファンタジーですから、割り切らないとよくわからないです。
キョウコが職場であるレストランのオーナーにどんな望みを言ったのか、結局わからなかったりしますしね。
村上春樹の原作は読んでおりませんが、
割と期待していただけに、ゲンナリ感がハンパなく大きかったです。
しかしながら、日本語版の俳優陣はすごく豪華なんですよね。
これだけでも観た甲斐はあったかなと思います。
気持ちよい残尿感
村上春樹さんの短編6作をモチーフに、外国人監督が制作した野心的アニメーションです。嘗ては、映像化困難と言われて来た村上作品も『ハナレイ・ベイ』(2018)、『バーニング(納屋を焼く)』(2018)、『ドライブマイカー』(2021)等、短編を中心に映画化作が少しずつ増えて来ましたが、アニメ化は初めてです。
現実と薄皮一枚隔てた様などこか不思議な世界の説明不能な事物・人物。その一つ一つに意味がある様な無い様な、切ないような希望を抱けるような、でも一つ一つが妙に頭に残り、「あれは何なんだろう」と暫く考えてしまいます。そんな村上春樹ワールドの表現にはアニメこそがピッタリでした。そもそも、「かえるくん」なんて実写化出来る筈もありません。短編をモチーフにしたのも正解です。
観終えて、やはり何だかモヤモヤが頭に残り原作本を手にしてしまいました。今回は貴重な日本語字幕版で鑑賞。深田晃司さんが演出を務めた日本語吹き替え版もこりゃあ観なくちゃだな。
地震とカエル
海外制作による村上春樹の小説のアニメ映画化って事で、オリジナルの英語版か吹き替えの日本語版か迷った末、日本語版を観ました。
日本が舞台で登場人物も日本人、なのに日本人同士が英語で会話してるのって変でしょ(笑)
以前『アニマトリックス』を観た時に、日本人同士が英語で会話してて変だったんですよ(笑)
その違和感を覚えてて、違和感を感じずに観たかったので日本語版。
でも、リアル日本人からすると違和感を感じるとこが少しあって、
ニュースのテロップが英語で表示されてたり、新聞が英語で書かれてたり、アメリカの新聞配達のように新聞が投げて配達されたり(笑)
まあ、でも許容範囲(笑)
話の内容に関しては、けっこう難解で考察を要するけど、まあ面白い。
僕は、あまり理解できてなくて、もう1回観たい。
アニメだけど子供向けじゃなく大人向け、露骨な性的表現も有します。
原作も読んでみたくなった。
迷ってる方、オススメですよ。
境界の向こう側の世界との出会い Encounters with the world beyond the boundary
短編小説を繋ぎ合わせているオムニバス映画で、わかりやすい物語があるわけではありません。しかし、現実との境界があいまいないな日常が描かれている点が一貫しています。
境界の向こう側の世界との”出会い”には共通点があります。
それは平凡な日常に突如現れる点です。自分が望んだわけでもわけでも、意図したわけでもないのに。また、その非日常が、彼らの人生に少なからず影響を与え続ける点です。
出会いの場では時間が止まっています。
多くの現代人は未来を生きており、時間が止まることはありません。一方、映画の中で選ばれたのは、未来に希望や夢を持てない人々です。その代わり彼らは、現在を生きる特権を持っているように思えます。彼らの表情には、癖という以上のある種の絶望が刻まれています。そんな彼らにこそ向こう側の世界が開かれる。
この映画は、よく村上ワールドが表現されていると思います。
また、夢の続きのように出来事を並べることで、境界やその向こう側を描いていて、監督のオリジナリティも感じられます。
何よりも触発されました。良い映画です。
This is an omnibus film that connects short stories, so there isn’t a straightforward narrative. However, it consistently depicts a daily life where the boundary with reality is ambiguous.
There is a commonality in the “encounters” with the world beyond the boundary.
They suddenly appear in ordinary daily life. It is neither desired nor intended by the individuals. Moreover, these extraordinary events continue to have a significant impact on their lives.
In the place of encounter, time stands still.
Many modern people live in the future, and time never stops. On the other hand, the people chosen in the film are those who cannot hold hope or dreams for the future. Instead, they seem to have the privilege of living in the present. Their expressions are etched with a certain kind of despair beyond mere habit. It is to these people that the world beyond opens up.
I think this film well expresses the “Murakami world.”
By arranging events like a continuation of a dream, it depicts the boundary and the world beyond, and you can feel the director’s originality.
Above all, I was inspired. I think it’s a good film.
村上春樹とアニメーションは親和性があるかも
村上春樹の小説は映像化が難しい。
現実から飛躍した描写が多く、読み手はそのイメージを脳内でビジュアル化し物語を読み手が解釈する部分が多いからだ。
一方映像作品は監督が作品を解釈したビジュアルが提示されるわけであるから、小説の読み手の自由さが限定されてしまう。
ある意味村上作品の魅力が半減してしまうといってもいいのかもしれない。
だから、村上作品を原作にしつつ独自の解釈で映像化した作品の方が成功するのではと個人的には思っている。
イ・チャンドン監督の「バーニング」はその意味で成功した映画なのではないか。
濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」は独自性を入れながらも原作に忠実な部分もあり、中途半端に感じてしまう映画であった。
今作はアニメーションであり、生身の人間が演じていないのでリアルに限定されずイメージの飛躍が行われている。
監督の解釈したイメージではあるものの観るものによっても解釈が可能なので、村上作品には親和性があると感じた。
ただ、どうしても観ることは客観であるため退屈に感じるところは否めない。
6編の異なる短編を2011年の東日本大震災を背景に人間が抗えない不安や過去の記憶を軸に一本の線で繋げているところは見事。
「かえるくん」が唐突な村上春樹的物語のアイコンとして機能していてうまくバランスが取れた。
原作と映画の関係性として成功している映画だ。
面白いところもあるが退屈
絵柄は最後まで好きになれなかったですねー。
あと、原作を知ってるのでそれがノイズになったかもしれません。
かえるくんとみみずくんは阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の間の時期に出現することが大事なんでは……東日本大震災に置き換えるとその意味も変わってしまう。
……といったように。
原作を離れて見るべきなんょう。
願い事が思いつかないのは、既に願ったから
小室が北海道に運んだ箱の中身、女が望んだ願い事、カエルと一緒に戦って東京を救ったのさえわからない。
何も表せてないくせにもったいぶって、自分を特別な事のように見せかけた話なのだと思う。
なのにとても魅力的な世界。
インディアンを見つけられたってことは、本当は奴らはそこにいない
最近こんな禅問答のようなセリフがやけに好みに合ってきた。
"どれだけ遠くに行こうとも、自分からは逃げられない"
"目に見えるものだけが現実とは限らない"
"君が君を選ぶ。上手くいくかどうかは、すべて君次第さ"
いくつもの言葉が胸に刺さるのは、僕が歳をとったせいなのだろうか。
物語は、カエルくんがでてきてはじまっていく。ん?カエルくんって?となるだろうが、カエルくんはカエルくんだ。「すずめの戸締り」のダイジンに似たようなものと思ってもいい(違うけど)。そう言ってしまうのは、彼がこのあと起こり得る大災害を防ぐ鍵を握るから。それがどう進展するかは、ここでは当然語らないけど。もしかしたら、カエルくんは、カタギリのイマジナリーフレンドなのか?とも思う。現実逃避したいカタギリが自らの心に作り出した生き物。でもそうじゃなさそうだけど。まあいい、目に見えるものだけが現実とは限らないのだし。その逆だってあり得るのだし。なにより、すべては自分次第なのだし。
今回、なんてスカした小説なんだと、あれだけ敬遠していた村上春樹にも興味も湧いた。「ノルウェーの森」は、まだ実家のどこかにあるだろうか。
猫だけが行き来できるパラレルワールド
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村上春樹の6つの短編-アニメーション-外国人の描く日本人-背景に流れる時間のない風景 いくつかの異質なフィルターを重ねて描かれる歪んだパラレルワールド。
実写作品より村上春樹の書く世界に近い感覚でした。
現実の世界には影のように寄り添っている歪んだ世界の存在があり、猫だけが行き来できる道を知っているらしい=かわいいは世界共通?
でも猫にワタナベって名前付けちゃう感覚はこそばゆくて好きになれない。素直じゃない笑
不安と自信
いかにも、村上春樹な作品。鑑賞後に知ったけど、どうやら6つの短編から作られた映画らしく、それもあってか統一感のないごちゃっとした物語になっている。伝えたいメッセージが一致していればいいのだけど、こうも方向性・テイストの違う作品を並行して進められると、全体的なまとまりが悪く、なんとも言えない微妙な気持ちになってしまう。地震というテーマだけで一括りにされてるけど、正直なところ分けて見たかった。
とはいっても、小村の話は「ドライブ・マイ・カー」の家福悠介とほぼ同じ境遇であり、ひたすら喪失感に明け暮れる人物であるため、ハッキリ言って新鮮味も面白味にも欠けている。性に走っちゃうのもこの人の悪い癖。そもそも、フランス人から見た日本人があまりに不細工過ぎて、好きになれるキャラクターがかなり限られていた、というのも大きい。
村上春樹というと、社会を斜めから見下ろすようなちょっぴり偏った考えを持つ人であるため、個人的にはあまり好きな小説家ではなく、むしろかなり苦手。本作においても、男は弱くて情けなく女々しいし、逆に女は超が付くほど積極的で我が強い、といった男女に格差をもたらす描き方をしており、そのため小村とその周辺の話はどうもいい気持ちにはなれない。随所でいいところはあるけど、あまりにゆったりとしていて退屈に感じてしまった。
一方、片桐のエピソードはかなり面白く、苦手な村上春樹作品でありながら、このパートに関しては相当好きだった。ポスターでは本作の目玉のように大々的に写されているかえるくん。入プレだってかえるくん。前面に出してくるだけあって、非常に魅力的かつ楽しいキャラクターで、彼自信がストーリーテラーとして物語を展開していく、言わば「笑ゥせぇるすまん」的な単独作品が見てみたいなとまで思えた。
塚本晋也×古舘寛治の相性が見事で、2人の不思議な会話は思わず聞き入ってしまう。結局何がなんなんだ、何が言いたいんだと感じざるを得ないものの、まるで「君たちはどう生きるか」の眞人とアオサギのような独特な関係性には、なぜだかすごく引き込まれていった。かえるくんの登場シーンは本作でいちばんテンションが上がる🐸
人に勧められるような映画では無いものの、全然嫌いではなく、なんならちょっとクセになるような趣深い映画ではあった。導入もいい。雰囲気もいい。アニメにしたことで良さが大いに引き出されている。ほぼほぼかえるくんに捧げる点数だけど、村上春樹作品が自分にハマるとは思っていなかったため、なんだか嬉しかった。にしても、〈めくらやなぎ〉とかいう造語、よく思いつくよなぁ。あと、地震の映画見たあとに地震はあまりにも怖い。ミミズくん怒らないで🪱
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