「散骨対象者と土地の関係性によって議論にならずに終わりそう」水平線 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
散骨対象者と土地の関係性によって議論にならずに終わりそう
2024.3.11(アップリンク京都)
2024年の日本映画(119分、G)
散骨業を営む男が訳あり遺骨に巻き込まれる様子を描いたヒューマンドラマ
監督は小林且弥
脚本は齋藤孝
物語の舞台は、福島県南相馬市
そこで散骨業を営む井口真吾(ピエール瀧)は、妻を震災で亡くしていたが、いまだに遺体は上がっていなかった
彼は娘の奈生(栗林藍希)と二人暮らしをしているが、その仲は犬猿に近いものだった
真吾の散骨は、地元の漁師・清一(渡辺哲)に船を出してもらっていたが、漁業組合の隼斗(清水優)からは「風評被害が出たらどう責任を取るのか!」と反対されていた
ある日、真吾の元に東京から松山(遊屋慎太郎)という男が兄の遺骨の散骨依頼に訪れた
埋葬許可証を忘れたために後日郵送するという約束で真吾は遺骨を預かることになったが、その遺骨は東京で連続殺人を起こした男のもので、それを嗅ぎつけたジャーナリストの江田(足立智充)は「多くの人がまだ眠っているこの海に殺人犯の遺骨を撒くのか?」と凄んでくる
さらに江田は、カメラマンの城島(高橋良輔)と被害者遺族の淺川(田中里衣)を連れてきて、「どうするのか?」の答えを引き出そうとするのである
この事態は奈生の耳にも入り、真吾に突っかかってくる
真吾は「関係ない」と突き放すものの、母が眠っている海への散骨には反対で、慎吾の「ただの骨だろう」という言葉に対して、「ゴミを捨てるような気持ちでやっていたの?」とブチ切れるのである
映画は、風評被害に苛まれてきた福島がさらにその対象になるのではと恐れる地元民との対立を描いていて、そんな中でも散骨を強行する慎吾を描いていく
江田の計らいで依頼者を見つけるものの、「弟が何かをしたのか?」という自問があり、突き返すことを辞めてしまう
そして、江田を巻いた挙句、深夜に船を借りて、沖合にて散骨を済ますのである
江田は「散骨したのか?」と詰め寄るものの、真吾は一切答えず、さらに被災者を代弁するという江田に一括する
真吾は「風化しても良い」と思っている人もいて、江田がやっていることは墓荒らしと同じだと断罪する
忘れたい人もいれば、忘れたくない人もいて、それは各個人の問題であり、部外者が立ち入って代弁をするなどもっての他であるというのである
映画は、ジャーナリズムの負の側面を強調し、再出発をしようと奮闘する人々をネタにする悪どさを描いていく
江田の行動は正義感に駆られているように見えても、実際には自分の食い扶持を稼ぐためのネタでしかなく、それは同業者からも蔑まれている
劇中で登場する被害者遺族も本物かはわからず、彼の性格を考えるとどこかの劇団員に金を積ませてやりそうな感じがして、彼女の論理も結構無茶な感じになっている
犯人が火葬された段階で、彼の血肉は空気中に放出されているわけで、海に散骨されたら「海を見るたびに思い出して苦しむ」というのなら、空を見るたび、空気を吸うために苦しむことになる
こんな遺族がいるのかはわからず、極形になって、刑まで執行された(劇中では犯人がどのように死んだかはわからないが)その先までも執着を持っているというのは余程のことだと思う
ここにリアリティのラインがあるように思えて、ジャーナリストを悪と断罪するなら、仕込みだったぐらいまで突っ込んでも良かったように思えた
いずれにせよ、ピエール瀧の復帰の主演作となっていて、少しばかりメタ構造があるのは事実だろう
あること無いことを書かれて、過去をほじくり返された経験もあると思うのだが、今回の場合は震災を取り扱っているので、さらに悪質なジャーナリズムのように感じられる
映画が震災から何年経っているのかなどは正確にはわからないが、放射能を測定する機械に対して「撤去するタイミングが分からなかったのだろう」と語られるように、相当の年月が経っているように思える
そんな中で、どのように情報を得たのか分からないジャーナリストがわざわざ代弁をするというのは意味不明な行動に見える
依頼者も兄の遺骨を真吾のところに持ち込んだ理由をもっと明確に伝えていれば良かったのだが、犯人と土地との関係性があるのか無いのかでもかなり印象が違ってくると思う
犯人の故郷が被災地であるなら理解もされるが、そこなら汚しても良いという感覚で持ち込んでいるならナンセンスとしか言いようがない
そのあたりがもう少し明確なら議論の余地はないのだが、本作では「議論にするためにわざとぼかしている」ところがあるので、それで良いのかは微妙かな、と感じた