Winter boyのレビュー・感想・評価
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【愛する父を突然の交通事故で失った少年が、父が残した”思った通りに生きろ”という言葉を支えに生きる姿を描いた、クリストフ・オノレ監督自身の自伝的映画。仏蘭西の文化度の高さを感じさせる作品でもある。】
■父親が、自らが運転する車が対向車線に飛び出した交通事故で急死し、大きな悲しみと喪失感を抱える17歳のリュカ(ポール・キルシェ)。
慌ただしい葬儀の後、母イザベル(ジュリエット・ビノシュ)の了承も得て、初めてパリを訪れた彼は兄カンタン(ヴァンサン・ラコスト)の同居人で年上のアーティストである、黒人男性リリオ(エルヴァン・ケポア・ファレ)と出会う。
優しいリリオにリュカは心惹かれるが、リリオにはリュカに知られたくない秘密があったが、リュカも学生時代から抱えるセクシュアリティを持っていた。
◆感想<Caution!内容に余り触れていません。>
・今作は、フライヤーによるとクリストフ・オノレ監督が、自らの青年期を描いた作品だそうである。
クリストフ・オノレ氏と言えば、20代からタブーとされてきたホモセクシュアルをテーマにした作品を手掛け、その後文筆活動やオペラの演出でも活躍している才人である。
・フランスの若き映画の巨匠としては、フランソワ・オゾン監督が著名だが、彼の方が自らクィアである事を若くから表明している事は万民が知っている事だが、仏蘭西ではそれにより彼の方を誹謗中傷するようなメディアはない。
・今作では、父を亡くした哀しみの中、リュカはその悲しみを癒すかのように同性の同級生と自然にキスを交わし、リリオとも身体を重ねる。
だが、その描写には猥雑感は全くない。
逆に、そういった行為により、リュカは喪失感から立ち上がって行くのである。
■今作では、前半にOMD(多分誰も知らないだろうが、正式名称は、”オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク”である。エレクトロ・ポップのバンドである。”エノラゲイの悲劇”を作ったバンドと言えば知っている人もいるかもしれない。今でも活動を続けている老舗バンドで有る。)の軽やかなポップソングが流れる。
因みにOMDは違うが、エレクトロ・ポップのバンドにはクィアのメンバーが多い。著名な所では、”ペットショップ・ボーイズ””ワム!のジョージ・マイケル””ボーイ・ジョージ”マニアックなところでは、”ソフト・セル”のボーカルで、今はソロのマーク・アーモンドだろうか。とにかく、仏蘭西だけではなく、イギリスも著名なミュージシャンや文化人の多くはクィアなのである。)
・だが、今作ではリュカの性癖を知った父が故意に、対向車線に飛び出し自殺したのではないか、と言う台詞もであるが、母イザベルはそれを強く否定するのである。
<今作では、クリストフ・オノレ監督による繊細な演出がさり気無く描かれている。砂利を踏む音。食器を乱暴に洗う音が、リュカの哀しき心を象徴するかのように描かれる前半。
だが、後半に彼は自らの性癖を隠すことなく、心を開放して行くのである。
今作は、愛する父を突然の交通事故で失った少年が、父が残した”思った通りに生きろ”という言葉を支えに生きる姿を描いた、クリストフ・オノレ監督自身の自伝的映画であり、仏蘭西の文化度の高さを感じさせる作品でもある。>
■最近、少し気になった事。
・与党の極右の議員で、数年前にアイヌ民族の方々に酷い差別発言をしたトランプもビックリのレイシストの人がいる。当時の宰相に取り入り、マアマアの役職に付いていたが、速攻で罷免された。だが、今夏の参議院選挙でその人は与党の公認を受けたのである。何だかなあ・・。
思春期の黄昏「17歳の危機」を描いた文学的映像詩
主人公リュカは17歳かぁ、‥‥
そして、原題はフランス語で、「高校生」なのですね。
Make no mistake, adolescence is a war.
No one gets out unscathed.
Harlan Coben
思春期は戦争です。
誰も無傷ではいられません。
ハーラン・コーベン
(アメリカの推理小説作家)
極めて文学的な、青春の、というか17歳という思春期の終わりの、危うさや揺らぎを見事に形象化した映像作品だと思います。
寄宿舎暮らしのリュカは、すでにゲイとしての自己認識は確立している。
ステディと言えるようなパートナーではないと意識しながら、特定の同級生との間でセックスライフも謳歌している。
だから、本作は、昨年後半に集中した、ゲイ(の少年)と社会との対立や抑圧を描いた作品ではありません。
しかし、彼は、まだ経済的、社会的、心理的に家族から自立した存在=「大人」には成りきれていない。
父親からの、母親からの「承認」なしには、自分というアイデンティティを維持できない、‥‥
そんな時に、自分という存在を支える柱であった(と認識さえできていなかった)父親を突然失ったら、どうなるのか、‥‥
そういった17歳の「危機」を描いた作品です。
本作は、クリストフ・オノレ監督(1970- )の半自伝的な作品であることもあって、主人公はゲイの少年ですが、これがヘテロ(異性愛者)だろうと、少女だろうと、また個々人によって細部の相違こそあれ、「17歳の危機」自体は、きっと普遍的なものだろうと思います。
きちんと個人という特殊なあり方に迫ることで、普遍的な何ものかを伝えようとするのは、すぐれて文学的な営みです。
本作では、突然の交通事故によって、家族たちのもとから姿を消した父親の死因について、
たとえ終盤近くで、リュカが、
「父さんは事故じゃなかったのかも知れない」
と言い出して、母親から平手打ちを喰らっても、そのこと自体の真相は一向に明らかにされません。
劇中、序盤で、オノレ監督本人が演ずる父親の確かな姿を見せ、その喪失を伝えれば、本作で描きたかったこととしては充分だからです。
リュカ(ポール・キルシェ)にとっては「突然の父の不在」が、妻イザベル(ジュリエット・ビノシュ)にとっては「突然の夫の喪失」が提示されれば、問題は視聴者に投げかけることができるからです。
最近作ではジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』(2024.3.23 レビュー投稿)の結末で、
真相が明らかにされないのは納得できない、
だからフランス映画は苦手だ、
などというレビュー(ある意味、正直で好感が持てます)が多かったのに驚きました。
小生の理解は、そちらのレビューを参照いただきたいのですが、それはあくまで個人の見解。
そもそも劇中後半の裁判の法廷であらゆる論点が提示され、判決も出ているのだから、その上、何の説明が要るというのでしょうか。
本作も、たまたまフランス映画。
そして、きわめて文学的な作品だと言いました。
何も確かな結論めいたことは示されない。
しかし、ひと言で表されるような「結論」や、つまらない「事実」よりも、もっと豊かな、主人公の矛盾や揺らぎが描かれている。
そこから観る者は、おのおの自分の身に引き寄せては、さまざまな想いをめぐらす。
それで充分ではないですか。
それが文学というものではないですか。
難しかったら、わからないと悩めばいい。
わからなければ、結論を急がずに、考え続ければ良いだけのことです。
主人公リュカを演じた新鋭のポール・キルシェ(2001.12.30- )、素晴らしかった。
母親イザベル、名優ジュリエット・ビノシュ(1964- )が演じていて驚きました。
とても感情豊かな、そしてラストでは独りバスケットボールと戯れる若さも見せる魅力的な演技でした。
その他、観ていて気になったことを記しますと、
◯一般人の葬儀の場に、精神科医が立ち会うというのは、普通のことなのか?
◯父親は無信仰なのにカトリック教会で葬儀が行われ、主人公が立腹するシーンがあるが、無宗教葬儀はフランスでは難しいのか?
◯病院にもチャペルがあり、生活のあらゆるところにカトリック教会が浸透しているらしい。
◯主人公も、パリの教会で神父に悩みを相談している。
‥‥と、教会がらみ、カトリック信仰がらみのエピソードが案外多いな、と思いました。
ある意味、終盤、リュカがリストカットしながら、その回復の過程で、元気を取り戻すというプロセスは、キリストの復活に重ねているように作劇されているようですし。
オノレ監督、オペラやミュージカルの演出でも実績があるようです。
機会があれば、是非ともオノレ監督演出の舞台も観てみたいものです。
※Filmarksレビューを再投稿
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 人は各々違うから人の分だけ色々な思春期・青春期の想い・通り方が有る。本作はその一つの姿を誠実に描いた佳作。
①偶々主人公がゲイの少年だというだけで、それで特別な思春期・青年期の話だという偏見や色眼鏡はやめてほしい。
“Winter girl”と呼んでもいい映画なら、今まで幾らでも作られて来たけど誰も変な目で観なかったでしょう。
②
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