劇場公開日 2023年12月1日

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「問題提起ははっきりしているが、一方で見方によっては解決していない部分も。」在りのままで進め yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0問題提起ははっきりしているが、一方で見方によっては解決していない部分も。

2023年12月29日
PCから投稿

今年439本目(合計1,089本目/今月(2023年12月度)40本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))

 本映画は大阪市では特殊な放映形態で「~咲け(短編)」と「~進め」が連続放映されています。前者は30分ほどと短い一方で、映画の評価の趣旨としては同じになりますので、同一の映画とみなして評価は一つだけにします。

 まず、本映画の問題提起は2映画ともにはっきりしていて「女性の社会進出」という、大きくいえばフェミニズム思想にあることは明らかです。この点は2映画において共通しています。そのうえで短編長編ともに、「社会進出を阻む社会の壁」や、それと衝突する他の人権(本映画では「映画を作る」というテーマがあるので、表現の自由や営業の自由ほか)が絡むという憲法論的な論点がかなり出てきます。

 良かった点としては問題提起が明示はされないもののしっかりしていて「誰にでもわかる」点、さらに「何をもって正解として何が不正解なのか」という点をはっきりとせず各自の解釈に任せている点です。この点については色々な問題があり、また地域によっても考え方は異なるところです。さらに「映画の撮影現場」などある意味特殊な会社において女性がどのように活躍していくのか(すなわち、子育てや料理等だけでなく社会に進出していくのか)という点は微妙なところがあり(一般的な会社と同じような議論はできない)、この点について直接の言及は避けつつも問題提起はしっかりとしているのは良かったところです。

 大阪市では今日が最終上映で年末年始という事情もあってリモートで監督さんなどが出られるという特殊な形態ではありましたが、見てよかったかな、というところです。

 特に迷いがなく「女性の社会進出」(大きなくくりでは、フェミニズム思想)に興味関心を寄せている方にはおすすめといったところです。

 一方で行政書士とはいえ資格持ちには解釈上あれれ?と思う点もあり、そこがやや微妙(ただ、この論点はかなり特殊で、以下に述べるものですが、想定の範疇を超えているのではなかろうかと思われます)な部分もありますが、「そりゃそういう論点もあるけど、そこまで想定されていない」というのもありましょうし、減点幅が微妙なので便宜上のフルスコアにしています。

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 (減点なし(実際には0.8程度)/「~進め」の最終選考のシーンについて)

 この映画が「女性の社会進出」が論点である点は先に書きました。そのためには夫が協力するのみならず、子を例えば保育園に預けるといった行政側の協力も欠かせません。

 さて、この映画では、「映画の中で映画を作る」シーンが両方に存在しますが、「~進め」のほう、最終選考のシーンで「台本を短時間で読んで即興で演じる」ところを求めているシーンです。趣旨としては夫を亡くした妻を演じるところですが、その原因が「飲酒上のバイクの運転による未成年の行為(衝突行為)」によるところです。

 この場合、民法714条(責任無能力者等の監督責任)が参照する709条(一般不法行為)になりますが、このときは立証責任が「親側」に移動し「自身が適切に管理していた、あるいは管理監督していたとしても損害が生じた」ことを証明しない限りアウトです(厳密な表現は714条1項参照のこと)。通常は「何かの被害を求める裁判」では被害者側に立証責任がありますが(一般論)、この場合は立証責任が親側(加害者サイド)に移動します。これを「中間責任(の転換)論」といいます。

 しかしこのことは何度もリアル日本では裁判になっているところ、やはり「親側の責任がまったく否定されることはまずない」のです。立証責任が親に移るためにその否は難しいからです。つまり、その都度「誰かが面倒を見なければならない」ということになるからです(同趣旨のものとして、いわゆる介護認定を受けている老人のいわゆる踏切事故なども同じものに入ってきます)。

 ですがこのことを厳密にいうのなら、この映画のように「アルコールなりドラッグなり」のいわゆる飲酒運転について親が常に見張っていなければならないという議論になるので(そしてそのようにすることで被害者サイドの救済を図っている)、結果的に「親が子を監督しなければならない」という意味において「自宅が牢獄と化する」(=自宅から出ることができない)という点は何ら変わっていないのであり、問題提起がされているように見えつつ実は「こういう設定にしたために実は跳ね返っている」という特殊な論点があります。

 ※ かつ、このことを厳密に言えば、いわゆる「問題児」なり要介護認定等の「徘徊行為」に対して厳格すぎる対応(極論、鎖でつなぐなど人権侵害に近い行為)が発生し、それもそれで人権侵害になるため、「自宅から一歩も出さないように物理的に封鎖する」といった極論論も親側は取れないのであり、またそうすることで被害者サイドが勝ちやすく(=救済を得られるように)しているわけです。

 ただこの点は指摘の想定範疇を超えていると思いますし、映画全体を見てそのような大きな傷はないものと思えるので(実際には「大きい」のだが、夫を亡くした理由として飲酒運転による無責任なバイク運転という設定にしたのは、「映画の一般的な見方」として一応の理解はできる)、指摘はしますが減点なし(あえてあげれば0.8程度か)というところです。
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yukispica