「感涙必至、僕らのニュー・シネマ・パラダイス」ディス・マジック・モーメント パングロスさんの映画レビュー(感想・評価)
感涙必至、僕らのニュー・シネマ・パラダイス
これは素晴らしい!
映画館を愛する人なら、全員が強い感銘を受けるはずだ。
大阪に住むマレーシア人であるリム・カーワイ監督が、2022年のテアトル梅田の閉館にショックを受けたことから、自ら全国のミニシアター22館を訪ねて館長や支配人といったスタッフにインタビューしたドキュメンタリー。
*22館と各館のインタビュイーの内訳は、公式サイトをご覧ください(各館へのリンク付き)。
動画はホームシアターやスマホでしか観ないという人を除いて、映画ファンなら誰でも興味を持つはずの内容だ。
何しろ日ごろ接することのない映画館の裏方たちの肉声が聴けるのだから。
正直、ちょっと、タイトルで損をしている。
『ディス・マジック・モーメント』じゃ、映画館のドキュメンタリーだって、わかる人の方が絶対少ない。
監督の映画館への思いが込められていることは充分わかるけど。
本作は全編90分で、短いプロローグとエピローグが付くから、各館ごとの持ち時間は3〜4分。
文字通り、駆け足の全国ミニシアター巡りなのだが、どの館も個性的で、どのスタッフからも、映画への深い愛と、地域における映画館の使命についての珠玉の言葉が淀みなく紡ぎ出される。
彼らは映画館の主人であるだけでなく、地域文化をどう形作るかを具体的に示す水先案内人たちでもあった。
◯映画館を運営する難しさと面白さ
◯映画館の栄枯盛衰
◯ミニシアターの客層の移り変わり
◯ミニシアターを支えて来たもの
◯地域文化に果たす映画館の役割
◯メジャー配給会社と小規模会社の違い
◯コロナ禍の影響と克服
◯中国、韓国、インド映画の台頭
◯文化芸術基本法に映画が含まれた意義(*)
など、およそ映画館について知りたいと思っていた、あらゆるテーマが網羅されていると言って良い。
すべての言葉をメモしたいほどだったが、本編の展開は早く、矢継ぎ早に列島全域を東奔西走するので、とても無理だった。
*文化芸術基本法
(2001年制定の文化芸術振興基本法を2017年改正改名)
メディア芸術の振興
第九条 国は,映画,漫画,アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため,メディア芸術の制作,上映,展示等への支援,メディア芸術の制作等に係る物品の保存への支援,メディア芸術に係る知識及び技能の継承への支援,芸術祭等の開催その他の必要な施策を講ずるものとする。
リム・カーワイ監督には、全館のインタビューをカットなしで収録した書籍をぜひ刊行して欲しい。
また、できることなら、本作の劇場公開が落ち着いてからで良いので、YouTube コンテンツなどの形で誰もが参照できるアーカイブとして公開して欲しい。
それほどに充実した、貴重なインタビュー、ドキュメンタリーだ。
まずは、身近なところで公開されたら、迷わずご覧になることをお薦めしたい。
以下、本作鑑賞を機に、私のかねてからの劇場/映画館論を少々ご披露したい。
***
劇場文化が好きだ。
‥‥と言うより、劇場がなければ生きていけない種類の人間だと自分を定義している。
そもそも、ヨーロッパの古い都市を訪ねてみれば、ただちに了解されることだが、劇場は都市の必須要件だ。
都市を構成する要件は、まず外的からの侵入を防ぐために築かれた城壁があり、中央には市民が集い、各地からの産物が売り買いされる市が立つ広場が必ずある。
そして、広場を囲んで、住民が選んだ代表が市政をつかさどる市庁舎(議事堂を含む)、それぞれが信ずるところに従い祈りを捧げる各宗派の教会ないし寺院が威容を見せる。
それに加えて、都市の規模に応じた劇場(オペラハウス、音楽堂を含む)が必ずある。
日本でも基本は変わらない。
惣村と呼ばれた中世の自治集落においては、ウブスナ(産土)たる神社(寺内町では寺院)に氏子たる住人が寄り合って長老を頭とする村政をつかさどり、神社の境内では、能や地芝居(歌舞伎)などの諸芸能が催された。
ヨーロッパ発の民主主義が、遠くギリシャ時代のアゴラ(広場)で行われた住民同士の議論を起源とするように、そして、アゴラに近接して円形劇場があったように、日本の住民自治と劇場文化もまた中世の惣村にまで遡り得るのだ。
広い視野と深い洞察をもって自ら政を行う自治の精神と、人間存在の深層や未知の価値観を具現化して舞台の上に載せて見せる演劇や芸能とは、常に相互、密接に関わりあっていたのだ。
中世の村でさえ(ただし、網野善彦が説いたように、その性格は多分に都市的であった)そうであったのだから、この現代日本においても「劇場のない都市は都市とは言えない」と定義して差し支えないはずだ。
ところが、我が国では、戦後経済成長の過程で、政治・経済・文化等のあらゆる局面での一極集中が進み、かつては地方にも豊かに存在していたはずの劇場文化も、大都市のみが独占するようになってしまった。
昨今、「町の本屋さん」が次々と姿を消し、無医村ならぬ無書店自治体の存在が注目され、国(経済産業省)も支援策を講じるようになったと報じられている。
だが、それ以前から、「公会堂はあるけれど劇場はない」「市民ホールはあるが劇場文化があるとは到底言えない」市町村が、あまりに多くはなかったか。
かつての日本は、必ずしもそうではなかった。
昭和戦前期までは、むしろ、日本中どの町にも、芝居小屋や寄席があったのだ。
やがて、サイレント映画が勃興すると、それら多くの芝居小屋は映画と演劇をあわせて興行する形となった。
そして、戦時の非常事態を経て、戦後を迎えたころ、そのほとんどが芝居興行から手を引き専業の映画館を姿を変えた。
当時の映画は、村芝居のころから親しんだ日本の時代劇や新時代の喜怒哀楽を扱うホームコメディばかりでなく、遠い欧米の文化をも身近なものとして銀幕から伝えてくれるメディアだった。
しかし、家庭にテレビが普及すると、世界に誇る映画大国だった日本でも、映画産業自体が凋落、ついに地方都市においては映画館すらなくなる事態に陥った。
それが、高度経済成長期(1957-73)最大の文化的悪弊である。
我が住む町から劇場どころか映画館さえ消えてなくなったのは、「映画館がない町」が当たり前になったのは、日本の歴史において、ここ50年ほどの短い期間のことでしかない。
***
本ドキュメンタリーに話を戻そう。
全国22館の歴史を概観すると、その設立については幾つかのヤマがあったようだ。
大まかに分けて、次の3つだろうか。
◯1910年代
◯1950年代
◯1990年代
それぞれ、
◯サイレント映画の勃興
◯戦後復興と日本映画黄金期の到来
◯ミニシアターブーム
に対応しているように思える。
個々の映画館の歴史は、孤立したものではなく、日本全体の動きと、世界の映画史と、密接につながっていたことが、これだけでも明らかだろう。
本作の企画は、テアトル梅田閉館がきっかけだったわけだが、京都でも1964年以来60年間愛されて来た「みなみ会館」が昨年(2023.9末)閉館した。
それに対して、
2017年末に「出町座」が京都市街北部の桝形商店街に、
2020年6月に「アップリンク京都」が三条烏丸の新風館(旧京都中央郵便局、京都市有形登録文化財)地下に、
それぞれ産声をあげ、魅力的なラインナップで根強いファンを獲得している。
まさに栄枯盛衰、閉館する館あれば、新規にオープンする館もあり、ではある。
しかし、たとえ閉館して映画館の建物がなくなったとしても、そこで人々が得た体験まで消えることはない、ということも、本作は伝えてくれる。
最後に、私にとって忘れられない映画館を、現存、閉館に関わらず、幾つか紹介して終わりたい。
◯国立スカラ座(1986年閉館)
◯梅田ガーデンシネマ(2014.2.28閉館 シネ・リーブル梅田に統合)
◯高田世界館(1911年開館 現存 国登録文化財)
※本ドキュメンタリーにも登場
映画鑑賞ではなく2015年学会会場として
◯熊本 DENKIKAN(1895年設立 現存)
※2018年8月 熊本旅行で 何を観たか失念
◯東大阪市 布施ラインシネマ(2020.2.29閉館)
◯シネマ尾道(2008年開館 現存)
※2022年8月『私のはなし 部落のはなし』
を観るために(2023.12.25 Filmarksレビュー)
◯豊岡劇場(1927年開館 現存)
※本ドキュメンタリーにも登場
『覇王別姫』4Kデジタル修復版を観るために
(2024.2.12 Filmarksレビュー)
※以上、Filmarks投稿を一部省略の上、投稿