「娼婦と売春婦を区切るもの」ラ・メゾン 小説家と娼婦 ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
娼婦と売春婦を区切るもの
結論から言ったらいろいろ良かったですよ。
もうおっぱいとかちんことかでソワソワする歳でもないですし、近年ボリューミーなミートゥー口調で「とにかく男という生き物は野蛮で愚劣!」みたいな話ばっか突きつけられるのも正直しんどい。
そんな世の中において本作は殊更なメッセージを投げかけるような感じでなく、娼婦というお仕事に対しての距離感がちょうどよくいいかげんなのが見やすかったです。
“娼婦という女性像”に対して、
主人公はとりあえず、小説のネタにはなるくらいの刺激的な何かがあるだろうと目論んで踏み入るわけですが、別にそこに壮絶な性奴隷たちの地獄があったわけでもないし、慈愛をもって男たちを癒やす天使や観音様がいたわけでもない。ただ工場のライン作業のように肉の棒から白い液体を取り出すお仕事があって、普通に同僚や先輩がいて、楽な客もいれば嫌な客もいる。主人公が至ったのはそういう、意外と普通な日常なんですね。
“日常”ですから、メモは増えても刺激的で売れそうな本の原稿なんてなかなか書けないわけです。娼婦なんていってもそんな日常に生きる女たちですよってことですよね。
上から目線でかわいそがったり、下から目線で美化したりしないのがよかったです。
最後に嫌なことがあって、「やっぱり結局こういうのは男からの目線で見るのがいいのよね」なんて結論に着地したのは椅子からズッコケそうな気持ちになりましたけども、
それくらいの浅薄な認識の距離感が、むしろ“娼婦という女性像”というものに対して大上段から結論づけないという穏やかさのようでいいんじゃないかなと思いました。
考えてみたら確かにそうですよ。“娼婦”というのは男にとっても女にとっても、イメージの産物であって、イメージの売買。そのイメージを損なうと、それは娼婦ではなくて売春婦の話になってしまう。それはこの“小説家”の書きたいものではなかったっていうことなんでしょうね。