劇場公開日 2024年6月21日

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「キーファーという名は耳にしたことがあった」アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5キーファーという名は耳にしたことがあった

2024年8月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

アンゼルムという名前は知らなかったが、キーファーならば、何度か耳にしたことがあった。戦後のドイツを代表する芸術家で、その作品は、長大・重厚。テーマは深遠、ナチと戦争、神話、生と死。比較的よく知られた作品は、占領ー英雄的シンボル(1969)、マルガレーテ(1981)、内景(1981)、無名の画家へ(1983)、オシリスとイシス(1986-87)他、多数。

キーファーは、1982年、フランスのバルジャックに拠点をおいたが、2008年パリの郊外、クロワシー・ボーブールに移り住んだ。そこは、セーヌ河畔にあったラ・サマリテーヌ百貨店のかつての倉庫で、とてつもなく広く(3,300平米とか)、天井も高い。彼は、少なくとも3 メートルx4メートル以上ある巨大な作品の間を自転車で移動するが、そこは創作の現場であると同時に、彼の作品や素材の保管場所にもなっているようだった。

彼の青年時代は、息子のダニエル・キーファーが演じ、さらに幼少期は、何とヴェンダース監督のてっそん(甥孫)アントン・ヴェンダースだった。特に、アントン坊やは、キーファーと交錯する。ヴェンダース監督が作ったキーファー自身が出てくるドキュメンタリーだが、映画的な要素もあるわけ。

彼の人となりは、20世紀最大の芸術家である(と私が信じる)ピカソと比較すると良いかもしれない。二人とも身体が強く、ピカソは小柄だが、キーファーは(少なくとも79歳の今は)長身痩躯で、健康に恵まれている。キーファーが狭い何もない部屋のベッドに横たわり、幼い時を回想する場面では、毛布が似つかわしくないほどだ。ただ、ピカソの背後には、いつも女性の姿があったが、キーファーの日常に女性の影はない。ピカソは女性と出会う度に、そのスタイルを変えた(change)が、キーファーは変容する(transformation)。つまり、彼の作品には、変わらず、引き継がれてゆくものがある。倉庫の中はその象徴か。テーマは、それだけ重い。

二人とも、ありとあらゆる素材を試しているが、特にキーファーは、鉛と藁を好み、後者の時は、リフトに乗って、バーナーで焼き、助手が放水する。近年は、金箔も用いるようだ(来年、二条城で展覧会を行う背景か)。

ただ、彼は恐ろしいほどの勉強家で、倉庫には、よく整理された図書館がある。今、思い出しても、冒頭出てきた頭部の欠けた白いドレスは、モネの「緑衣の女性」を、ホワイト・キュービックの建築物は黒川紀章のカプセルタワーを、何度も出てくる向日葵はゴッホのそればかりでなく、映画の「ひまわり」で出てきた広大なウクライナのひまわり畑や墓地を思い出させる。何と言っても、映画の最後で出てくる構図は、キーファーとヴェンダースの心の中に、ドイツ人の故郷とも言えるC.D.フリードリヒが住み着いていることを思わせる。

私が一番見たいのは、10歳代のキーファーが奨学金をもらって、ゴッホの歩みの跡を辿った時に描いたと言われる300枚の絵。そこには彼の全てがあると思うから。来年の展覧会では、観ることは叶わぬだろうけれど。

詠み人知らず