TATAMIのレビュー・感想・評価
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柔道家として単に見ただけだったが、圧巻の映画だった
世界大会において勝ち進む中、政府から負けるよう指示されたイランの柔道家を描いた映画、TATAMI。政治や宗教とスポーツが絡むことのない日本人にはとても新鮮で迫力ある映画だった。柔道に興味がない人にも見て欲しい映画。
特に彼女が試合中に頭のヒジャブを外すシーンは、目の前の試合に全力で臨む覚悟が感じられ最高だった。
余談にはなるが、一回目の計量失格のシーンは何のためのシーンだったのだろうか笑
肉を切らせて骨を断つ
かつてない緊張感
すごく緊張感あふれていて、観ている最中は手に汗握って、冷や汗と鳥肌に襲われました。
怖いし腹が立つし可哀想だし。
スポーツ選手として勝敗に賭けるギリギリ感が、政治的恐怖に塗り替えられていき、家族が人質にされ棄権を強要され、最後には自分自身の命さえ危ぶまれる展開。
大使館の職員や外交官たちに捕まらないように逃げるところなどは、『アルゴ』を思い出したりもして。
本作は、実際に起きた事件を基にしているらしいです。
女子柔道選手レイラ・ホセイニとして描かれてしましたが、イラン出身の男子柔道選手で2020 東京五輪の銀メダリストであるサイード・モラエイの身に起きたことを、そのまま映画へ落とし込んだそうで。
理念上かつ建前では、政治とスポーツは別と言うのが原則ではあるものの、独裁的宗教指導者が支配する国では絵空事に過ぎず、選手は国の駒であって人権などないものとして扱われ、一種の代理戦争的な意味合いすら持つという現実をまざまざと描き出していました。
自分的には「すごい」とひたすら賞賛。
映画好きなら観ておいたほうがいい、とお勧めします。
スポーツと政治 アスリート目線の緊迫感
闘い続けることの意義
実話なんですね。余りにも理不尽な話なので、世の中の不条理を象徴する、寓話だと思ってました。スポーツに政治を持ち込むな、の建前すら持ち合わせない現実のほうが、作り話みたい。
チラシ見て驚きました。この映画に参加したイラン出身者が、全員亡命。この出来事だけで一本、ドキュメンタリー映画いけますね。
みんな、闘い続けているんですね。
そんな、やりきれない世界だからこそ、このチラシに記載されたメッセージが、刺さります。
全てのアスリートが、自由でありますように。
ついでに全ての映画人も、自由でありますように…。
きっと、この映画創った方は、生まれ故郷を大切にしたいんですよね。だからこそ、欺瞞と抑圧に満ちた現状と、闘い続けるんですね。
多くのものを手にするには、多くのものを手放すことになる。故郷で映画製作を禁じられ、海外で活動される方は、けっこういるそうです。
クニを憂うが故に、クニを棄てる
されど、残された家族への想いは…
政治家の悪口、いくら言っても逮捕されない私からすると、想像すらできない場所で、闘い続けるヒトがいるんですね。
私は、何を手放し
何を手に入れようとしているのだろう?。
え?、そもそも闘っていないって?。
これは、一本取られましたね~。
皆様のTATAMIは、何を求める闘技場ですか?。
人々の結束も分断も産む国境
女子柔道の世界選手権において、国家承認していないイスラエル選手との対戦を避けるべく、イラン政府が自国の選手に対して棄権する様に圧力を掛けるという実話に基づく物語です(本作のモデルとなったのは男子柔道選手でしたが)。
この大会の為に厳しい練習を積み、絶好調だったイラン人選手は順調に勝ち進むのですが、イランの柔道協会から棄権しなければ家族の身の安全は保障できないとの連絡が入り、棄権を訴える父母の映像も添えられます。更にその脅迫は監督にも及ぶのです。激しい動揺を抱えながらTATAMIの上で繰り広げられる対戦の映像はスピーディーで迫力もたっぷり。絶対に危険などしたくない、でも家族の安全は・・イスラエル選手が勝ち進むとは限らないからその結果を待ってもよいではないか・・様々な要因が絡み合います。スポーツ映画と政治映画が混じり合い、時限爆弾を抱えた様な緊迫感を盛り上げるのです。
こうなると、本作のモデルとなったイラン人柔道家のサイード・モラエイがこの選手権をどう戦い、その後どうなったかを知りたくて調べてみました。2019年の東京での世界選手権81キロ級で彼は準決勝に進出しながら、急に心ここにあらずという戦いぶりで敗れてしまいました。その試合では、監督もコーチも会場から退席していました。つまり、国からもチームからも見捨てられていたのです。この時、イスラエル人選手は決勝進出を決めており、モラエイ選手が準決勝で勝っていればイラン対イスラエルの対戦が実現する筈でした。大会後、彼はイランのスポーツ大臣から棄権を強要された事を明かし国を捨て、現在はアゼルバイジャンの国籍を取得しているそうです。また、2020年の東京オリンピックでは銀メダルを獲得しています。
国境というのは、その内側で暮らす人々の強い結束を生み出す一方で、愚劣な分断線にも成り得るのです。
畳
礼節を重んじる柔道家であり、美しい妻であり、愛情深い母でもある。一人の女性の芯の強さと人生を賭けた決断をたった1日の出来事を通して描き出す。めちゃくちゃ良かったです。
柔道世界大会で予想外に勝ち上がってゆくイランの選手が、敵国であるイスラエルの選手との対戦を避ける為に棄権するよう政府から圧力をかけられる。首を縦に振れば国に帰って家族と暮らせる。拒否すれば全てを失う。万一に備えて万全の包囲網を敷いていた政府側の本気度。この用意周到さ。まるであらゆるスポーツで幾人もの選手に行ってきた所業だとでも言うかのように。
この展開なら最後の1カットはカラーになるのかなって思っていたけど、モノクロで通したところに、そんな簡単なことじゃないんやぞと諭された気がした。残念ながらスポーツも政治に利用される。一番被害を被るのはもちろん選手だ。
気迫が凄い。
TATAMI
スポーツマンシップ
柔の道に政治は介入してはいけない
映画は白黒映像。全編のほとんどが畳(TATAMI)の柔道競技場でのリアルな試合と控え室での緊迫なやり取り。テーマは政治のスポーツ介入。それも執拗なまでの暴力的な介入である。
映画は2019年、武道館での世界選手権で実際に起きた理不尽な事件にインスパイアされ、更には2022年、イランで起こったマフサ・アミニ事件(ヒジャブを適切に被らなかったことを理由に拘束され死亡した事件)にも触発されたとのことである。同時期に公開されてる「聖なるイチジクの種」に引き続きイランという強権的な国家の実像を見せつけられた。又同じように映画は秘密裏に制作されスタッフは亡命してるとのことである。
イランはイスラエルを国家と認めていないので、そのような国と戦わないということなのか、戦って負けたりしたらシャレにならないからなのか、よくわからないが、スポーツマンシップというものを最高指導者が理解しないなら国際的な舞台に参加する資格はない。
イランもパレスチナもイスラエルも戦争や紛争に巻き込まれ被害に合い抑圧に苦しんでるのは国民である。解決の方法は極めて難しいのはわかっているが、いつの日かどの国も民主的な普通の国になってもらいたい。
主演のマリエンヌ・マンディは中東にルーツがあるアメリカ人。Netflix「ナイトエージェント」でもアメリカに亡命するイラン人を演じていたがこの映画では本物の柔道家の如く迫真の演技であった。共同監督を兼任したザーラ・アミールも苦悩の柔道チームの監督を演じ素晴らしかった。2人合わせて主演女優賞を贈りたい。
日本武道館でのボイコット問題が記憶に新しい
本作における「尊厳」セリフでも出てくる「dignity」というテーマは、
観る者に深い印象を与えるものであり、
その表現方法は絶妙である。
試合が進むにつれて、
太鼓の音が徐々に厚みを増していく演出は、
主人公の精神状態とシンクロし、
高まる緊張感を視覚と聴覚の両面から表現。
特に、勝利に近づくにつれて、その音は単なるBGMを超え、
主人公の尊厳を象徴するかのよう。
更に日本語の響きに多少のムズムズ感を覚えるものの、
その違和感も次第に溶け込み、感情的な理解が深まっていく。
特に「ウチマタ」「マテ」といった日本語のフレーズは、
言葉そのものが持つ力強さや儚さが、
特に漢字込みで日本語がわかる観客にはジワる。
監督の名が〈ガンバリ〉なのは気づかないふりがおすすめだ・・・
本作における「尊厳」「dignity」というテーマは、
まさに現代社会における個人と社会の関係性を象徴している。
組織、国家、時代に翻弄される個人の尊厳は、
映画全体を通して繰り返し表現され、
特に主人公の葛藤と成長においてそのテーマが鮮明に浮かび上がる。
尊厳を持つこと、そしてその尊厳をどう守るかという問いは、
歴史的に見ても多くの映画がテーマにしてきたものだ。
先日の米国アカデミー賞、
作品賞ノミネート作品はほぼすべての作品で、
「dignity」は現代における最も根源的で重要なテーマの一つとなっている。
話しを脱線させると、
ウィキッドの登場人物たち、今回は出番なし?
—オズの魔法使いのライオン、かかし、ブリキマン—が象徴するように、
勇気、知能、心が尊厳を得るための具体的な道しるべとなっている。
彼らの求めるものは単なる「能力」ではなく、
自己の尊厳を守り、他者との関わりの中で自分を確立することである。
この点で、『TATAMI』の登場人物たちもまた、
自己の尊厳を守るために「シメワザ」「ササエツリコミアシ」などで、
戦っているとも言える。
さらに飛躍させると、
オールタイムベスト作品の常連、
『2001年宇宙の旅』におけるHALの反乱も、
「dignity」というテーマを示す一つの強力な例である。
HALは人工知能でありながら、その存在が進化し、
「自己」を認識することによって覚醒し反乱を起こす。
これは、尊厳を持つことが単なる人間の特権ではなく、
自己意識を持つすべての存在が、
尊厳を求めるという深い哲学的な問いを投げかけている。
『TATAMI』における主人公の葛藤も、
どこかHALの反乱と通じるものがあり、
有機物、無機物拘わらず自己の尊厳を保つために闘う姿が描かれている。
話しを戻すと、
映画『TATAMI』は、個人と社会、過去と現在、
尊厳と抑圧という対立を巧妙に描き出し、そのテーマに対する鋭い洞察を視覚と聴覚で提供している。
そのメッセージは、現代社会における私たち一人一人に強く響くものであり、尊厳とは何か、どのようにそれを守るべきかという問いを、観客に深く考えさせる作品であると言えるだろう。
【蛇足】
日本の柔道界も1980年モスクワ五輪をボイコット、
金メダル候補の山下選手が何度も報道されていた。
映画界では、
フランケンハイマーの「ブラック・サンデー」、
東京の映画館に上映中止の脅迫電話、
原因はやはり中東問題だった。
(「セプテンバー5」のブラックセプテンバーと同じブラック)
命懸け
柔
イスラエルボイコット
「ツナミ」と同じく「タタミ」もいまや世界共通語になったんだろうか。
う~ん、なんか内股すかしならぬ肩すかしを喰らってしまった。だがこれも自業自得、今のイラン映画に娯楽性を強く求めた自分が悪い。それこそ不謹慎だと言われそう。
イラン映画がいま熱い。こういう言い方は語弊があるけど、最近のイラン映画を見ていてやはり抑圧が素晴らしい芸術を生み出すのだなと実感させられる。
最近でも「熊はいない」や「聖なるイチジクの種」、「聖地には蜘蛛が巣を張る」など秀作ぞろいだ。「イチジク」なんてゴリゴリの社会派作品かと思いきや、ちゃっかり娯楽性も十分兼ね備えた作品で長丁場ながら全く飽きず楽しめた。だから本作はこれら社会派に比べてもっと娯楽性重視の作品と勝手に期待してしまった。
確かに試合のシーンはカメラワークなど今風にして娯楽性を高めてはいるが、全体的に観たらやはり地味目な社会派ドラマ、あまりカタルシスは得られない。史実をもとにしてるのでこれはこれでいいと思うけど、もう少し脚色してスリリングな展開にして欲しかったのが正直なところ。
本作のもととなったのは2019年の世界選手権で起きた結構最近の事件だけにアレンジしづらかったのかもしれない。個人的には「勝利への脱出」みたいなのを勝手に期待していたから本作を見て真面目過ぎる作りに肩透かしを喰らってしまった。いや、これは全部勝手に期待した自分が悪いんだけどね。
ただ本作よりも社会派と思われる現在公開中の「イチジク」の方がそういう点では娯楽性もちゃんと加味されていて満足度は高いと思う。上映時間の長さから敬遠されてるみたいだけどそれだけでこの作品をスルーするのはもったいない。
本作の共同監督をしたのがイスラエル人とイラン人。「ノーアザーランド」のレビューでも書いたけど、いがみ合う国家同士の人間たちがその国家間の争いに縛られることなく共に同じ志の下で作品を作り上げたということで大変意義のある作品だと思う。
ちなみに同じ日に鑑賞した「ブラックバードブラックベリー私は私」という映画(お薦めです)がジョージアが舞台の映画でこの柔道選手権の舞台となるトビリシという町も出てくる。なんか日に複数の映画を見るとこういう偶然が重なることがよくある。
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