「ひどい話だ…と思ったが、よく考えたらこれは「スト破り」ではないのか?」TATAMI 残飯マンさんの映画レビュー(感想・評価)
ひどい話だ…と思ったが、よく考えたらこれは「スト破り」ではないのか?
選手は最後まで真剣勝負がしたいのに、イスラエル選手と対戦する可能性があるという理由で、イラン政府から棄権を強要され、拒絶すると家族まで迫害の手が及ぶ…
実話を基にしたフィクションだが、これだけみれば確かにひどい話だ、イランけしからん、で納得しそうなところ。
だが、調べてみると、そう単純な話ではない。
パレスチナ問題を理由に、イスラエルのスポーツ選手との対戦を忌避すること(イスラエル・ボイコット)は、イランだけに限らず、アラブ・イスラム圏の国全般に及ぶもので、アラブ・イスラム諸国が団結してイスラエルの所業に抗議する「ストライキ」の意味合いをもつ。
労働運動としてのストライキは周知の通り、使用者の行為に対して労働者が団結して労働を行わないことで抗議するものだが、労働組合が機関決定に基づいて行うストライキは組合員を拘束する。
もし個々の組合員が、「私は労働がしたい!わざと何もしないなんて我慢できない!」なんて言い出して勝手に労働現場に戻ったら、それは「スト破り」として他の組合員に対する裏切り行為とみなされ、組合からは除名処分など制裁の対象となりうる。
意地の悪い見方かもしれないが、ホセイニ選手の行為は「スト破り」そのもので、アラブ・イスラムの同胞に対する裏切り行為と解釈することも可能であり、制裁を受けてもやむをえない面もあるのではないか。
個人的な意見では、わざと棄権させて対戦を忌避するやり方が賢明とは思えないし、映画で描写されたように家族まで脅迫の対象とするやり方はさすがに行き過ぎだし、一般論としてスポーツに政治を持ち込むのは勘弁してほしいと思うが、昨今のロシア・ベラルーシ選手の閉め出しをみても、依然として「スポーツに政治が持ち込まれ」ているのは動かざる現実だし、イスラエルのパレスチナに対する残虐行為を目の当たりにすればボイコット行為が不当とは必ずしもいえまい。
この映画はイスラエル人と反体制イラン人の両監督の合作だが、パレスチナ問題に関してどういうスタンスなのかも気になるところだし、仮にイスラエルのパレスチナに対する所業を棚に上げてボイコットの不当性だけを喧伝するプロパガンダが目的だとしたら、お世辞にも賛同できるものではない(実際はどうなのか知らないので、この点に関する評価は保留とする)。
それはさておき、私が言及した「スト破り」との解釈は、映画の作者にとっては「想定外」であるのは間違いないと思うが、このように作者が意図しなかった解釈の余地を許容する点で、本作は「良作」だといえよう。
ニーチェ曰く「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」