西湖畔(せいこはん)に生きるのレビュー・感想・評価
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母親を演じたジアン・チンチンの狂気は必見
2021年外国映画ベストテンの第2位とした驚嘆の傑作「春江水暖 しゅんこうすいだん」のグー・シャオガン監督作。
釈迦の十大弟子のひとり・目連が地獄に堕ちた母を救う仏教故事「目連救母」に着想を得たとのこと。
高く連なる山々。
山腹に広がる茶畑。
そして川の対岸に立ち並ぶ高層ビル。
何千年という時を経ても変わることがない自然と泡の如く生まれては消える人間、あるいは建造物を対比する情景に激しく感動する第一章。
西湖のほとりに暮らす母と息子。父は10年前に失踪し、母が茶摘みをして息子を育て上げた。
母がマルチ商法に堕ちる第二章。母親を演じたジアン・チンチンの狂気は必見だが、それにしても長過ぎた。つら過ぎた。
マルチが作品の普遍性を低下させた。
そして短か過ぎる再生の第三章。
もっと癒して欲しかった。
歳とったせいか「映画は悲劇である」と言えなくなってきた😢
母親の中で終わった出来事に固執する息子は、母親を地獄へと誘ってしまうのかもしれません
2024.10.16 字幕 京都シネマ
2023年の中国映画(115分、G)
マルチ商法にハマった母親を改心させようと奮闘する息子を描いたヒューマンドラマ
監督はグー・シャオガン
脚本はグオ・シュアン&グー・シャオガン
中国の古い言い伝え「目莲救母」が元ネタで、『秦岭四库全书』に所収されている「草木人间(2015年)」が原案となっている
原題は『草木人间』で「草と木の世界」、英題は『Dwelling by the West Lake』で「西湖の畔に住む」という意味
物語の舞台は、現代の中国・杭州市にある西湖のほとりにある町
茶摘みの出稼ぎをしているタイホア(ジャン・チンチン)は、夫・ホーシャン(劇中で登場なし)が音信不通になって10年になっていた
息子のムーリェン(ウー・レイ)は大学まで出たものの、まともな就職につけておらず、時折、母の手伝いをしていた
畑のオーナーのチェン(チェン・ジェンビン)は「うちで働かないか?」と言うものの、ムーリェンはこの仕事に魅力を感じてはいなかった
その後、ムーリェンはある健康センターにて老人相手の販売業を始めるものの、詐欺に近い内容だったためにさっさと辞めてしまう
その頃、タイホアはチェンの母から交際を認めないと追い出されていて、友人のジンラン(チェン・クン)とともに、彼女の弟ワンリー(ヤン・ナン)が関わっている販売業の説明会にいくことになった
説明会では、ワン・チン(ワン・ジアジャ)が参加者を鼓舞し、ワンリーが場を盛り上げた
だが、「これは詐欺だ!」と言って水を指す男(リャン・ロン)などもいて、その場は二人のフォローによって、さらなる深みを演出していくことになるのである
映画は、ポスタービジュアルのイメージと180度違う内容で、これでもかと言うぐらいに洗脳セミナーを再現していく
DTM&フラッシュの多用、人格崩壊を促す自己否定とその後の賞賛、役者による人情演技&演出なども相まって、かなり出来上がったグループに足を踏み入れたことがわかる
船上説明会のサポートをするチャン・ヨン(ジュ・ボザン)も、「叫ぶ男」も参加者のフリをしてバスに同乗していて、思い切った場面で再登場を果たしていた
最終的には騙されたことで自殺をする人も出たり、引き返せないところまで行ってしまったマネージャーもいたりする
だが、ワン・チンとマ・ワンシン・マネージャー(シュエ・ペン)は同じ人物に見えてしまうし、参加者も特徴的な5人ほどは覚えられるが、その後に「ちゃっかりと茶摘み仲間のおばちゃんたちがセミナーに入っていたり」と、かなり細かなところまで見ないと分かりづらいものがあった
物語にはさほど影響はないと思うが、人の顔を一瞬で覚えられない人からすると地獄の2時間になってしまうかもしれません
いずれにせよ、思いっきり故事の現代版なので、既視感がある内容かもしれない
母親を助けるために地獄に足を踏み入れるのだが、母親がそこに堕ちることになった理由がムーリェンの眼前に展開するシーンはかなり強烈だった
これは、最後に残った両親のどちらの名前を消すのかを選ばせるシーンだが、自分自身の考えで行動を起こさせているように錯覚させて行く
その選択が父親が生まれた時に選んだ木を切り倒すことになったり、最終的にその木を潜って山奥に行くなどのシーンはとても興味深い引用だったように思えた
まさに目蓮救母
冒頭のまだ薄暗い夜明けの茶畑のシーンが実に美しい。
母親が違法なマルチ商法にはまっていく様子は、まさに怪しい宗教に洗脳されていくのとそっくりだと思った。
仏教の「目蓮救母」をモチーフにしていると思われるが、息子が母を救うべくあえてマルチ商法の会社に乗り込んで、あたかもメンバーの一員のように振る舞い、母親を詐欺罪で警察に訴えたことを謝り(多分 不本意ながら)、母親が息子を抱擁し涙したが、思わず私ももらい泣きした。
マルチ商法が発覚した後、母親が気がおかしくなって、息子が治療のため山に母を背負って登った後に川で流されてしまったが、あの時母が見た虎はどういう意味だったのだろう。母の形相に虎がおじ気づいたのか、あるいは虎自体は彼女が見た幻だったのか。
最後に母親が恋人のチャンと一緒に湖を見てるシーンに救われた。
母親の狂いっぷりがすごかった
お盆の由来となった目連尊者の話を元にした映画だそうです。
お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者が神通力で亡くなった母親の姿を見たところ、母親は餓鬼道に落ちていた。なぜかというと、飢えた修行僧に「息子の目連に飲ませるから」という理由で水を分け与えなかったからだという。
なんとか母親を救いたい目連はお釈迦様に尋ねた。すると、お釈迦様は「自分の力は母親のためだけに使うのではなく、同じ苦しみを持つすべての人を救う気持ちで使うように」と諭された。
目連尊者は修行僧たちに、食べ物や飲み物、寝床などを与えたところ、修行僧たちは大変喜び、餓鬼の世界まで話が伝わり、母親が救われた。
これくらいで餓鬼道に落ちるのかと思うとびっくりですが、一時が万事。常にこういう母親だったのかもしれませんね。目連尊者も母親を救いたい欲のために修行僧を助けたようにも見えますが、まあいいでしょう(偉そうに)。
この映画は牧歌的な茶畑から始まりますが、住み込みで働く貧しい母親タイホアが追い出されてからは、阿鼻叫喚のマルチ商法へと絵に描いたような転落をしていきます。
その対比が極端で驚きます。
息子ムーリエンはその会社の罪を暴くことで、母を救おうとするのですが、完全に洗脳されている母タイホアが怖すぎました。
叫びまくるタイホア。当初はお金儲けが目的だったにも関わらず、最後には「儲からなくても楽しい!!」と発狂します。
ムーリエンは優しいけれど頼りなく、なかなか自立できない青年でしたが、母親のために手を尽くします。
お国柄なのかどうか、日本でここまでしてくれるお子さんたちが果たしているかどうか、考えてしまいました。
私が足裏シート販売に狂ったら、息子は助けてくれるだろうか…なんだか見捨てられそうな気がしました。
終盤、幻想的なシーンに突入し、現実か夢か分からない世界に入っていきます。
深い山に分け入り、背負った母はムーリエンが転んでも目を覚まさないことから、もう息絶えているように見えました。
母親は傾倒していた団体がなくなり、ショックのあまり死亡したのではないかと想像しました。
そしてムーリエンは指を怪我して叫び、眠りから目覚め…彼もここで亡くなったのではないかと私は解釈。
死んだように動かなかった母が、その世界では起きていましたし、最後に、寺の門前で「父親を知っている人がいる」と僧侶から言われたのも、あの世だからでしょう(父は10年前に行方不明)。
そして、その時のムーリエンは坊主になっていました。
彼がそこで何か悟ったような、淋しげな表情を浮かべていたのが印象的でした。
多分、悲劇的なラストだったのではないかと思います。
夫は行方不明、新たな恋人との仲も裂かれ、住み込みの仕事も失い、絶望の中にいる中年女性。しかし、心優しい息子がいるのであれば、安易に金儲けを望まずに、彼のためにももう一度立ち直ってほしかったです。
精神状態がギリギリだったのかもしれませんね。
死ななければ元の母親に戻れなかった悲しさと、一蓮托生となってしまった息子の悲しい話だと思いました。
人によっては全く見方が違うかもしれませんね。
「植物人間」…ではないと思う。
中国の杭州・西湖を舞台に、経済格差に翻弄される母子の生き様を通して家族愛のあり方を見つめ直す現代ドラマ。
龍井茶の産地、西湖。神秘的なまでに深緑の原生林は人の営みである茶畑すらも、幼子を愛しむ慈母のようにやさしく包容する。
地元の人たちも、春には「山起こし」を皆で叫び、茶摘み歌を口ずさみながら仕事にいそしむ光景は、一見、昔と変わらぬ牧歌的な印象。
ここで働く主人公ムーリェン(目蓮)の母タイホァ(苔花)が仕事で被る笠も伝統的な竹編み笠だが、弁当箱と水筒はプラスチック製。
対岸には、超高層ビルが屹立する都市が広がり、経済発展の成果を誇る一方、社会主義国ではあってはならない筈の格差も顕在化している。
作品解説にもあるとおり、本作には日本でお盆の元にもなった仏教説話が主人公母子の関係を紡ぐ寓意として使われている。
主人公の名前ムーリェンとは、釈迦十大弟子の一人で「神通第一」と称された目蓮(モッガッラーナの音訳である目犍蓮の略称)のこと。
「神通(力)第一」とは、分かりやすく言えば、超能力の達人。
強欲ゆえに地獄に沈んだ亡き母を自らの超能力では救えなかった目蓮は、個有の能力(神通力)に頼らず仏法によって救うよう釈迦に諭され、母を救済する。
「目蓮救母」だけでなく、主人公の命名の理由にも、仏教(特に法華思想)の「如蓮華在水」が引用されているし、詐欺集団でマネージャーに昇格した際の報酬1080万元も、仏教で説く煩悩の数108に基づいている。
中国作品で宗教的モチーフというと仏教よりも儒教や道教が一般的だが、この作品では詐欺集団の会員教育を通じて道教へのアンチテーゼすら感じさせる。
ムーリェンは、詐欺商法の罠に嵌まった母タイホァを救うべく、SNSでバタフライ社の実態を暴き、スマホの機能を駆使して詐欺組織の摘発に一役買う。
SNSやスマホはまさに現代の神通力といえるが、全財産を失い精神を病んでしまった母を救うことは出来ない。
本来の「目蓮救母」と異なるのは、説話の救済が子から母への一方通行であるのに対し、作品では獣の咆哮に気付いたタイホァは逃げずに身を挺して我が子を庇おうとする(熊か狼が登場するかと思いきや、まさかアレとは…。さすが中国)。
ムーリェンが深淵に沈んだ母を救おうとする場面も含め、これらのシーンが現実かどうかは映画でははっきり示されない。
主人公の父親の消息も不明のまま、母子の存在を山水画の点景のように包み込んだ杭州の眺望で作品は完結する。
疑問の残るラストだが、母子の破綻を暗示するものではないだろうし、家族愛が他人の犠牲の上に成り立つべきものではないというメッセージも同時に感じさせる。
作品の原題は「草木人間」。
翻訳アプリを使って調べたら「植物人間」と日本語訳されたが、たぶん違うと思う。
人間はニンゲンではなく、ジンカン=世間、社会のことかと思うが、中国語が堪能な方は、どうかご教示を。
監督は長編映画二作目の俊英、グー・シャオガン(顧暁剛)。自身も近親者がマルチ商法の被害に遭ったことが、作品作りの動機なんだそう。
残念ながら、デビュー作の『春江水暖』は見逃してしまったが、みずみずしい翠緑を基調にした画面と、自然と文明の共生をテーマにした点は、ジャンルが異なるが『羅小黒戦記』に通ずるところも。
主人公の母タイホァを演じたのは、TVでの活躍が多いベテラン女優ジアン・チンチン(蒋勤勤)。
近作の『清越坊の女たち』は観ていないが、『海上牧雲記』での、息子や一族への執着から夫である皇帝を裏切る皇后役が印象的。
本作では自然体の主人公との対比なのか、くどい演技が目に付くが、素手で茶虫に触った役者魂には拍手。
主人公のムーリェン役は、時代劇から現代ドラマまで本国のTVで引っぱりダコの若手人気俳優ウー・レイ(呉磊)。
時代劇では、メヂカラ強いフィジカルな役が多く、『長歌行』で腹筋バキバキに鍛えて北方騎馬民族の王子役に臨んだ彼が、本作では一転、力の抜けた透明感溢れる新境地に挑んでいる。
スクリーンでの今後の活躍が大いに期待できる有望株。
本作で彼の魅力に気付いた方には、TVシリーズ『榔琊榜』をお薦めしたい。
国内外で大ヒットした作品自体も素晴らしいが、子役時代の彼が演じたハイパワー少年・飛龍の活躍も見所のひとつ。
【10/23 京都シネマにて二度目の観賞に伴い追記】
原題の『草木人間』は、作品冒頭、蘇軾(蘇東坡)の詩を引用する際に登場していたので、公式サイトで確認すると「人の世は自然の中にある」という意味なんだそう(最初からこっち調べりゃよかった)。
さらに、「草(=草かんむり)と木の間に人がいるのが茶という字」というグー・シャオガン監督の意図がタイトルに込められており、作品の舞台が龍井茶の産地であることを示唆しているとも。
監督の意図を尊重して原題どおりにしたかったが、翻訳アプリのような誤解を避けるために英語タイトルからの転訳にしたらしい。
一回目の鑑賞後にTVの無料放送でウー・レイ主演のドラマ『星漢燦爛』(BSイレブン)が放送開始。
ドラマと見較べると、本作でのピュアな演技や優しい眼差しに、彼の魅力とあらたな可能性への期待が膨らむ。
タイガーバーム?
原題は草木人間。
杭州の里山で茶摘みの仕事をしている苔花には離れて暮らす息子がいた。母の暮らす故郷に戻ってきた息子は高齢者向けの健康食品会社に勧誘される。そこの社長のチェンさんは美しい苔花と再婚したがっていた。チェンさんには老母と子供がいたが、二人が不埒な関係にあると母親に密告するおせっかいなババアのせいで、親しい同僚と茶摘をやめてしまってから、苔花はその同僚の弟が広告塔となっているマルチ商法にのめり込んでゆく。詐欺の手口のセミナー講師のオーバーな演技と描写がこれでもかと長々とつづく。思いっきり閉口。しつこい💢
西湖畔に生きるっていう邦題も詐欺じゃないの?
有楽町ヒューマントラストの平日は高齢者のお客さんで満員ということもあって、とてもいやーな気持ちに。
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