西湖畔(せいこはん)に生きるのレビュー・感想・評価
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「植物人間」…ではないと思う。
中国の杭州・西湖を舞台に、経済格差に翻弄される母子の生き様を通して家族愛のあり方を見つめ直す現代ドラマ。
龍井茶の産地、西湖。神秘的なまでに深緑の原生林は人の営みである茶畑すらも、幼子を愛しむ慈母のようにやさしく包容する。
地元の人たちも、春には「山起こし」を皆で叫び、茶摘み歌を口ずさみながら仕事にいそしむ光景は、一見、昔と変わらぬ牧歌的な印象。
ここで働く主人公ムーリェン(目蓮)の母タイホァ(苔花)が仕事で被る笠も伝統的な竹編み笠だが、弁当箱と水筒はプラスチック製。
対岸には、超高層ビルが屹立する都市が広がり、経済発展の成果を誇る一方、社会主義国ではあってはならない筈の格差も顕在化している。
作品解説にもあるとおり、本作には日本でお盆の元にもなった仏教説話が主人公母子の関係を紡ぐ寓意として使われている。
主人公の名前ムーリェンとは、釈迦十大弟子の一人で「神通第一」と称された目蓮(モッガッラーナの音訳である目犍蓮の略称)のこと。
「神通(力)第一」とは、分かりやすく言えば、超能力の達人。
強欲ゆえに地獄に沈んだ亡き母を自らの超能力では救えなかった目蓮は、個有の能力(神通力)に頼らず仏法によって救うよう釈迦に諭され、母を救済する。
「目蓮救母」だけでなく、主人公の命名の理由にも、仏教(特に法華思想)の「如蓮華在水」が引用されているし、詐欺集団でマネージャーに昇格した際の報酬1080万元も、仏教で説く煩悩の数108に基づいている。
中国作品で宗教的モチーフというと仏教よりも儒教や道教が一般的だが、この作品では詐欺集団の会員教育を通じて道教へのアンチテーゼすら感じさせる。
ムーリェンは、詐欺商法の罠に嵌まった母タイホァを救うべく、SNSでバタフライ社の実態を暴き、スマホの機能を駆使して詐欺組織の摘発に一役買う。
SNSやスマホはまさに現代の神通力といえるが、全財産を失い精神を病んでしまった母を救うことは出来ない。
本来の「目蓮救母」と異なるのは、説話の救済が子から母への一方通行であるのに対し、作品では獣の咆哮に気付いたタイホァは逃げずに身を挺して我が子を庇おうとする(熊か狼が登場するかと思いきや、まさかアレとは…。さすが中国)。
ムーリェンが深淵に沈んだ母を救おうとする場面も含め、これらのシーンが現実かどうかは映画でははっきり示されない。
主人公の父親の消息も不明のまま、母子の存在を山水画の点景のように包み込んだ杭州の眺望で作品は完結する。
疑問の残るラストだが、母子の破綻を暗示するものではないだろうし、家族愛が他人の犠牲の上に成り立つべきものではないというメッセージも同時に感じさせる。
作品の原題は「草木人間」。
翻訳アプリを使って調べたら「植物人間」と日本語訳されたが、たぶん違うと思う。
人間はニンゲンではなく、ジンカン=世間、社会のことかと思うが、中国語が堪能な方は、どうかご教示を。
監督は長編映画二作目の俊英、グー・シャオガン(顧暁剛)。自身も近親者がマルチ商法の被害に遭ったことが、作品作りの動機なんだそう。
残念ながら、デビュー作の『春江水暖』は見逃してしまったが、みずみずしい翠緑を基調にした画面と、自然と文明の共生をテーマにした点は、ジャンルが異なるが『羅小黒戦記』に通ずるところも。
主人公の母タイホァを演じたのは、TVでの活躍が多いベテラン女優ジアン・チンチン(蒋勤勤)。
近作の『清越坊の女たち』は観ていないが、『海上牧雲記』での、息子や一族への執着から夫である皇帝を裏切る皇后役が印象的。
本作では自然体の主人公との対比なのか、くどい演技が目に付くが、素手で茶虫に触った役者魂には拍手。
主人公のムーリェン役は、時代劇から現代ドラマまで本国のTVで引っぱりダコの若手人気俳優ウー・レイ(呉磊)。
時代劇では、メヂカラ強いフィジカルな役が多く、『長歌行』で腹筋バキバキに鍛えて北方騎馬民族の王子役に臨んだ彼が、本作では一転、力の抜けた透明感溢れる新境地に挑んでいる。
スクリーンでの今後の活躍が大いに期待できる有望株。
本作で彼の魅力に気付いた方には、TVシリーズ『榔琊榜』をお薦めしたい。
国内外で大ヒットした作品自体も素晴らしいが、子役時代の彼が演じたハイパワー少年・飛龍の活躍も見所のひとつ。
【10/23 京都シネマにて二度目の観賞に伴い追記】
原題の『草木人間』は、作品冒頭、蘇軾(蘇東坡)の詩を引用する際に登場していたので、公式サイトで確認すると「人の世は自然の中にある」という意味なんだそう(最初からこっち調べりゃよかった)。
さらに、「草(=草かんむり)と木の間に人がいるのが茶という字」というグー・シャオガン監督の意図がタイトルに込められており、作品の舞台が龍井茶の産地であることを示唆しているとも。
監督の意図を尊重して原題どおりにしたかったが、翻訳アプリのような誤解を避けるために英語タイトルからの転訳にしたらしい。
一回目の鑑賞後にTVの無料放送でウー・レイ主演のドラマ『星漢燦爛』(BSイレブン)が放送開始。
ドラマと見較べると、本作でのピュアな演技や優しい眼差しに、彼の魅力とあらたな可能性への期待が膨らむ。
滝藤賢一さんがオススメされていたので
見どころはジアン・チンチンの演技と山水画のような田舎の美しい茶摘み風景かな。
マルチの高揚感はよく表現できてる。見下される惨めな存在でなく自立した女になれた(と錯覚できる)なら騙されてもかまわないという趣旨の言葉がとても印象的だった。
周りが止めても「推し」にあり得ないくらい金を注ぎ込む人も似たような心理なのかもしれない。夢が弾ける経緯は物足りなく惜しい。どこかで見た俳優と思ったらThree Kingdomsの曹操だ。
絵に描いたような勧誘手法
どこかで聞いたような見たような勧誘手法。
宗教にハマって貢ぎ破滅していくのと同じ構造ですね。
お金、幸せ、承認欲求などなど、欲がらみ。
強ければ強いほど洗脳されやすく、解けにくいのかな。
人のこと言えたがらではないが、身の丈と日々に感謝。
タイガーバーム?
原題は草木人間。
杭州の里山で茶摘みの仕事をしている苔花には離れて暮らす息子がいた。母の暮らす故郷に戻ってきた息子は高齢者向けの健康食品会社に勧誘される。そこの社長のチェンさんは美しい苔花と再婚したがっていた。チェンさんには老母と子供がいたが、二人が不埒な関係にあると母親に密告するおせっかいなババアのせいで、親しい同僚と茶摘をやめてしまってから、苔花はその同僚の弟が広告塔となっているマルチ商法にのめり込んでゆく。詐欺の手口のセミナー講師のオーバーな演技と描写がこれでもかと長々とつづく。思いっきり閉口。しつこい💢
西湖畔に生きるっていう邦題も詐欺じゃないの?
有楽町ヒューマントラストの平日は高齢者のお客さんで満員ということもあって、とてもいやーな気持ちに。
ここで終わるの?って思ったけど、 すっかりはまってしまった いい息...
ここで終わるの?って思ったけど、
すっかりはまってしまった
いい息子だなってずっと思ってて、
終わってから説明読み直したら、
仏教故事からヒントを得たんですね
目連救母、読んでみたい
騒がしいシーンと静かなシーンの差が激しすぎる映画だった
最後の方の蓮が良かった
マネーと虎
ネットワークビジネスにハマった母
カネで喜びを買う人々
違法なビジネス
タイトルなし
TIFF2023にて。
前作とはイメージがガラリと変わって驚かされたが、違わず、美しい素晴らしい作品でした。
西湖の茶園で働いていた女性が解雇された次に行き着いたのが、足裏シートを売るマルチ商法の団体。
洗脳されてハマる母と助けようとする息子。悲しいが、よくある事件であり、世知辛い社会で生きる庶民の姿を客観的に切り取ることで、自分探しという欲求を通して、運命をどのように切り開いていくかということが描かれていて、美しい風景の映像とは裏腹に、経済悪化に翻弄される親子の様子は、惹き込まれてとても気持ちがヒリヒリしました。
人間誰しも多様性を秘めているが、どう有りたいか、どうしたいかという気持ちを抱けるのは、自分という者を少しでも理解している人が、そう思えるのだと思います。
1つの欲望から、自分という者がどういう人間でありたいか?と気付くことは、生きる力でもあり、その先にも沢山の可能性という選択肢が待ち受けている。失敗や成功を繰り返しながらも人は死に向かって生きていかねばならない。超高齢社会となった今ではとても長い過酷な道のりとなってしまったが。
お茶という字は草と木の間に人を書くが、人間は草木の間に生きており、 人間の個体は草木のような生命があるという。
草木の様に、抗わず自然に生きるのが美しいのだな…と、感じさせられた映画でした。
題目やポスターから、 香ばしいお茶、畑で丹精込める様子を想像したと...
美しい一編の詩です。
「春江水暖」の顧曉剛監督の新作。同じ西湖の周辺に漂う人間模様を描くが、趣は前作とは大いに異なる。それは前作が素人を使ったドキュメンタリーに近い作品であったのに対し、今回は超一流のプロを使った劇映画だからである。
しかし、水墨画のような、一片の蒔絵、あるいは細心に織り込まれた絹織物のような、流れるような展開は共通である。煩悩に満ちた小さな、だけれども愛おしい人間たちを優しく包み込む中国の大地や優しい母の如き川の流れが、見事に渾然一体となって美しく描かれる。これは一編の詩である。
原題「草木人間」は意味深いが、英語題名の直訳の邦題は詩的な原題の良さを欠き惜しい。
色彩設計が見事だ。銀残しのごとき乾いた渋い色調に茶畑や山の木々の緑が目に痛いほどに輝く。茶の葉を這う朝露の輝きや潤いまで感じさせるほどだ。蓮の花の可憐な淡いピンクは魂の再生を促すようだ。人間が美しい。自転車で疾走する姿、茶摘みの姿、母を背負い山を登る青年の姿は、純粋に、映画的に美しい。
私は中国語を解さないが、私の耳には台詞がとても美しい音楽のように響いた。脚本の監督と郭爽が、美しい言葉、美しく響く言葉、美しい文字を特に選んだのだろうか。前作と異なり、見ていて辛くなるような厳しいこの物語が縦糸なら、この美しい言葉たちが横糸としてこの物語を紡いでいく。
映画は天の慈愛に満ちた目で優しく主人公たちを見つめる。彼らは現代の中国の普通の人々だ。貧しくて、不幸せで、自己実現、承認欲求にもがき苦しんでいる。そう、彼らは我々と同じ「普通の人々」だ。皆が幸せになりたくて、世の中に認められたくて、悩み、苦しみ、もがいている。彼らは必ずしも賢明な存在ではないが、映画は優しく彼らを見つめ続ける。
主演俳優陣は皆素晴らしい。一人一人の主人公たちが愛おしく、見終わったあとに抱きしめたくなるほどだ。演技は、まさに中国の悠久の歴史の如く、たゆとう川の流れの如く、自然かつ演劇的なものである。母親役の蔣勤勤の狂気の演技は主演女優賞に値する。映画史に残る名演だ。汚れ役だが、芯の美しさを隠すことはできない。息子役呉磊の演技はどうだ。若々しく純朴な、正義心に溢れる青年を見事に演じきっている。家族を必死に守ろうとする彼の姿は感動的だ。猛セールスを演じる王佳佳も狡猾な実業家と純粋な人物の二面性を見事に演じ分けている。同じく猛セールスを演じる鍅楠も本物ではないかと見まごうほどの名演である。茶園経営者を演じる陳建斌の慈愛に満ちた自然な演技も素晴らしい。
名匠梅林茂の音楽が素晴らしい。ただ多彩で美しいだけではない。あえて音楽を使わない「無音の美」を感じさせる間合いはさすがだ。また、音楽と自然音や効果音が見事に融合され一体となる奇跡のような瞬間がいくどとなくあった。
ラスト、青年は自らの相剋を乗り越え、寺を訪れ、悟る。そのときカメラはそれまでの天の目と異なり、一瞬ロー・アングルから彼に対する敬意を示すように仰ぎ見る。それはあたかも天の目が地上に降り立って、初めて彼を認め、再生した彼に寄り添ったかのようだ。そうして、ときは静かに流れていく。西湖をたたえる水も変わらない。人の悩みや苦しみや幸せや相剋や和解や復活や、そうした人間ひとりひとりの、愚かだが愛おしい営みの全てを受け入れ、静かに見つめ続けるように。
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