小学校 それは小さな社会のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
東京・世田谷区の公立小学校の1年を撮ったドキュメンタリー。
図らずもコロナ禍の2021年の撮影となり、コロナ禍下での小学校生活の記録となった。
リモート授業の様子が興味深い。
映画は、はじめは探るように様々な生徒を写していくが、そのうち数人の生徒に焦点があてられるようになる。
六年生の放送部員の男子生徒と、この年に入学した女児。
小学校生活を切り取ると、どうしても年中行事にカメラを向けることになる。
放送部員の男子生徒は、運動会・体育祭での集団での縄跳び演技が苦手で何度も失敗、自宅での練習を重ねる。
1年生の女児は、次の4月、新たに新入生を迎えるにあたっての音楽隊でシンバル担当をオーディションで勝ち取る。
が、勝ち取ったはいいもの、なかなか上手く演奏できず、ベソをかいてしまう。
こういうあたりを美談的にまとめていて、日本の小学校教育が集団を第一にしているのがよくわかる。
が、やはり観ていて、息苦しい。
型にはめることが最善、というのは、60歳のわたしが小学生だったころより、強固になっているのかもしれない。
英語タイトルは「The Making of a JAPANESE」。
日本人は、こうやって成型されるんですってね。
三学期制をtrimesterというのは初めて知った
日本の公立小学校の(コロナ禍における)日常をとらえたドキュメンタリー。いや〜観ていて気持ちが悪かった。何に対しても指導かハラスメントか境界線の見極めが難しい社会生活の中で、小学校教育においては未だにアレがまかり通るんだ…と不思議な気持ちになった。そして教育という名のもとに先生たちのものの言い方がいちいち聞いてて気持ち悪い。悪気がないのはわかる。でもその言い方、職場で同僚や部下にしたら一発アウトよ、今。
(抜粋)
>イギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマ監督は、大阪の公立小学校を卒業後、中高はインターナショナル・スクールに通い、アメリカの大学へ進学した。ニューヨークに暮らしながら彼女は、自身の“強み”はすべて、公立小学校時代に学んだ“責任感”や“勤勉さ”などに由来していることに気づく。<
監督とは逆の経歴を持つ自分。
幼少期はインターで、小5から日本の学校。
確かに、掃除や給食の配膳などを子どもたち自身が行う日本式教育「TOKKATSU(特活)」はインターではなく、転校したばかりの時にはかなり戸惑ったのを覚えてる。
インター時代のクラスメイトは全員(自分も含めて)多かれ少なかれ映画の中に出てくるゆうたろう君みたいな部分を持っていたなー。周りと違うことを一切恐れない。違うことこそが個性。それでいい、みたいな。だから先生が『ちゃんと普通にあ歩こうね』とか言ってるのを聞くと「なんで?別にいいじゃん?」ってなる。
自分自身が教育者ってわけではないから小難しいことはわからない。日本の(もしかしたら日中韓かな?)学校教育の独自性についてのドキュメンタリーだというのであれば欧米と比べた時にどこが独特なのかナレーションを入れてほしいと思う。この日本的教育こそが責任感と勤勉さの由来だとするには映像を垂れ流すだけだと説得力に欠ける。なんだかとにかくモヤモヤ続きの作品であたしには全然合わなかったなー。
箇条書き👇️
・小学校の先生は大変なお仕事だということがよくわかった。え?あーゆーことも全部先生達がやってくれてたんだ!と気付かされる場面が多々ある。
・小学校の卒業式で当時のあたしの担任(24歳男性)も「初の卒業生」であるあたしたちクラスを送り出したときギャン泣きしてたなーと思い出した。
・公立小学校の卒業式で羽織袴を身に着けたりするんだねー
都内の小学校での、普段の生活模様。 1年生と6年生にフォーカスを当...
都内の小学校での、普段の生活模様。
1年生と6年生にフォーカスを当てて、1学期から3学期まで。
4月、ランドセルが重たそう、落ち着きのない新1年生、その子らを手伝う6年生。
徐々に集団生活や規律を学び、
年度末には、新2年生として次の新入生を迎える準備とか、卒業式の準備とか。
授業の合間には、給食とか掃除とか靴箱整理とか etc.
日本で生まれ育って、確かにかつて通った道なのは間違いないのですが
あらためて体系立てて紹介されると、すごく規律を訓練されていたのだなあと、再確認になる映像でした。
本作の英語題がまた刺激的で…
"The Making of a Japanese"
劇場公開は、日本より他国が先だったそうですが。
映画中でも、日本の教育体系は "諸刃の剣" だと指摘されていたとおり、
集団ありきで、皆が平均に近づく、よほどの乖離は減る、でしょうね。
自己主張より全体調和。
久しぶりに日本に戻った人から
"日本は、下がひどくない"
(平凡な人でも、そう悪いわけでもない、の意味)
のような言い方をされることが、しばしばあります。
一方で、飛びぬけた人が日本では出づらいことにも納得です。
スーパー人材が少なく、トンデモ犯罪も少なく。
耳と胸が少し痛くなる映像記録でした。
日本の社会に関する新たな視点を与えてくれた作品。
日本人は、小学校で、「日本人」になるらしい
録音技術にただただ驚かされる
確かに、カットの長さは短く、BGMや(ごくわずかな)テロップもある。けれど、ナレーションはなく、結果、映画の解釈を視聴者に大きく委ねようとしてくれている「感じ」がして、それが視聴していてとても心地いい。
ただ、編集者の意図はおそらくかなり明確で、まるで台本でもあるかのようなテンポの良さと物語展開。
そして、その意図を表現するのに大きな役回りをはたしたのが、この撮影ユニットの録音技術だと感じた。なぜなら、「よくこれ、録れてたな」という場面がいくつもあったから。映像ももちろんだったけど、編集でどうにもならないだろう録音の方がびっくり。
いずれにせよ、何回も視聴して、自身の解釈の移り変わりを楽しんだり、昔の同級生や同年代の誰かと語り合いような作品。
教育従事者なら違う視点で観れたかも
なぜか自分の卒業式より泣けた
「大人になりたくないよ」という言葉の重み
色々と言いたいことは多いけれど、全体として思ったのは、日本の公立の初等教育は、やっぱりダメだな、ということです。
1年生と6年生の個人を中心に撮影されているのだけれど、6年生の男子が、卒業直前に同級生の女子に「大人になりたくないよ」って言っているのが、この映画を(そして日本の初等教育の成果を)象徴している言葉だと思いました。
日本の社会性に過度に順応させることを初等教育全体の目的にしているために、窮屈で理不尽な大人社会に出ていく恐怖を、小学校卒業時点で徹底的に深層心理に植え付けてしまっている。
目的と手段が完全に入れ違いになっているのではないか?
何のために生きるか、どの様に生きていくか、という教育を疎かにして、日本社会から爪弾きにならない手段だけを、徹底的に刷り込んでいるように思えます。
教員が、全力で集団的に善意で信念から、それを実践しているのが、本当に恐ろしいと感じます。
日本社会の歪みの原因の一端は、良くも悪くも、教育にあるのだと思います。
この映画は、私自身が日本の学校教育に感じていた疑問の一部を、反面教師的に解明してくれた映画になりました。
心の底から、自分の子どもを公立に通わせなくて良かったと確信しました。
日本の教育の全てを否定するつもりはないけれど、それがこの映画の率直な感想です。
小学校の先生 それは小さな社会
誇るべきことでも卑下することでもない
「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている」は秀逸なコピーだ。
日本は経済規模の割には公教育にお金を出さない国で、公財政教育支出対GDP比はOECD加盟国の中で下から2番目だ。生徒が教室の掃除をしたり、給食の配膳をしたりするのはひとえに金をかけないからであって、生活指導も学校の機能だからというのは国の言い訳に過ぎない。たびたび批判にさらされる、枠にはめたがる画一的な教育も、そこに思想があるというよりも、枠にはめて一律に扱う方が教員の数を少なく抑えられ金がかからないからである。多様性を受け入れるにはコストがかかるのだ。精神論に偏りがちなのもそうだ。要するに「みんなビンボが悪いんや」ということなのだが、結果として、集団性や協調性が身につくと海外から評価されてるというのはなんともこそばゆい。卑下することはないが、決して誇るべきことでもないような気がする。
ただ、教育システムが画一的でも、限られた予算の中で教員たちは悩みながらも連携してよい教育を提供しようと奮闘しているのが画面から伝わってくる。結果、子供の個性はちゃんと様々に伸びる。同じ教育を受けてきただろう教員たちがそれぞれに個性豊かなのが何よりの証拠だ。シンバルの彼女が力不足だったのは入学後から1年間近く見ていた教師は最初からわかっていただろう。それでも、本人の希望に沿ってあえて役を与え、責任感を自覚させ、最後には自信をつけ、やり遂げさせるというのは教育の力としか言いようがない。
フィンランドって幸福の国、サウナ文化の他に教育大国でもあるんですね(笑)
映像資料としてすごく貴重
良くも悪くも集団生活を描く貴重な映像。作りもの感が惜しい
勉強以外の行事や学級の活動が盛りだくさんで、それらが子どもの成長の機会として意図されている日本の小学校。この映画は、集団活動の良さや、若干の弊害に焦点を当てた貴重な映像だ。
ただ特に前半は作りもののように見える場面も多く、ありのままの学校生活を見ている感じがしない。
なぜなのかと考えると、一つに「音」の聞こえ方がある。先生が子どもを指導する声が、遠くに移動した場面でも同じ音量ではっきり聞こえる。これはピンマイクをつけて撮影されているということなのだろうか。
実際の学校ではもっと声が反響してしまったり、子どものざわつきにかき消されてしまったりして、それが学校独特の活気や気だるさにつながっていると思う。この映画の場合、先生の指導内容が明確で、子どものほうも理解しやすく行動する場面が多く切り取られている。つまり「見やすいように撮る」ことが優先され、演技みたいな映像になってしまっているのではないか。
それでも放送委員をしている縄跳びが苦手な男の子のエピソード、卒業式の練習で行動がそろわず叱られる子どもの様子などは現実感があり、映画の見どころになっていた。
クライマックスでは2年生になった子たちが1年生のために楽器を披露する。そこでシンバルに立候補した女の子が練習で間違えて音楽の先生に叱られてしまう。厳しさと暖かさのある良い場面ではあるのだが、集団の同調圧力をありありと感じ取れた。
先生が女の子に自分の考えを言う前に、他の子たちに「練習しているから」楽譜がなくても間違えないと言わせている。でも本当は楽譜を必要とするタイミングは個人で違うかもしれないし、練習しても間違えてしまうかもしれない。
このような指導では、自分に合った練習法を選ぶというより、結局集団からはみ出さないことが大事だと学んでしまうのではないか。ほかに提出物に関する指導でも「反省しているかどうか」、つまり教師に与える心証を基準に評価する価値観が見て取れる。
集団のなかで自分の役割を学ぶ教育や、結果よりも成長を重視する指導はよいと思う。しかしその目的が「輪を乱さない人材」に集約されしまっているのではないか。先生たち自身、自分たちの指導のよしあしを職員室での反省会に委ねていて、確たる基準を持っていないように見える。こうした課題をどう見るのか、多くの人と共有してみたくなった。
見事だけど残念な場面も。
今年のアカデミー賞短期ドキュンタリー部にもノミネートされた作品の完全版。
短編も観たが、本編は初めて。
本編は物凄くよく描けていて見事。小学校の1年はこうだったのかと改めて再認識した。
コロナ禍の小学校がよく分かり今の小学校を知ることができて観て良かった。
ただ、せっかくなら家庭の様子は密着しないで小学校生活に絞ってほしかった。
また、せっかくコロナ禍の小学校を撮影するならコロナ禍の小学生または先生の密着に
絞っても良かったのでは。どうしてもオオタウイン監督の夢見る小学校シリーズや僕たちの
哲学教室を観てしまうと物足りなさも感じてしまう。いい作品だけにもったいない。
ただ、山崎エマ監督のチャレンジは讃えたい。次回作に期待する。
しかし、体育担当遠藤先生の卵の殻を使った殻を破るパフォーマンスは凄かったな。
ユニークな先生も発見できて改めて観て良かった。
明るい日本
揃えた靴は外向きがいいな
私が一年生だった時
きっと落ち着きのないはしゃぎまくっていた子供だったはず
初日かどうかは覚えてないけど何度も先生に叱られてもふざけていたのでしょうね
堪忍袋の尾が切れた先生が私の両隣の生徒に指示をして私の両方の腕を押さえさせて往復ピンタを喰らいました
記憶では四十代くらいの女性の先生で名前は山田先生
その頃の記憶は他になくその後三年生くらいからしか覚えていません
六歳の子供にはとても恐ろしい恐怖の低学年時代だったのでしょうね
そりゃね、「親父にだってぶたれたことないのに」なんてことはないのです
ちゃんとぶたれて育ってます、ただ反省などは一切した記憶はないけどね
先生さぞや腹が立ったのでしょうね、周りの生徒に対する見せしめにターゲットにされたのかは分かりません
私の頃は上の者の恐怖で決まり事を守らせるやり方が当たり前で親もその世代だから自分の子供がぶたれたら自分の子供が悪いからと先生に「ありがとございます」とか言ったりしてね
「これからもお願いします」とか言うからたまらなかったな〜、悪いのは俺なんだけどもね
あの時から人目を気にするようになったんだと思うな
そんな頃を思い出しつつ見てました
今も変わらないな、子供達は
そのぶん教師が大変だなんだろうな
それにしても子供達はもっと考え方が思ってた幼いのかと
あんなに悔しがったり頑張ったりするのだ
教育はずっとずっと古くからの歴史があるのにいまだにその答えを手探りで探していることにも驚いた
確かにまだまだ人類は未熟なのだし未完全なのだろう
そしてそれはきっと完成することもないし答えも見つからないままなのだと思う
常に曖昧で不器用に人は歳をとる動物なんじゃないだろうか
悟りを開く頃にはすでにかなりの歳を重ねているはず
面白いと思いながら生きていくのもありですね
もう、幼かった頃の恐怖の記憶から抜け出したいけどきっと無理だろうな〜
共に生きていくしかないか
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