「「何か足りない」という感覚」緑の夜 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
「何か足りない」という感覚
少し前の『宮松と山下』のレビューで「面白い“だけ”の作品かも知れない」という表現をしましたが、本作も「雰囲気“だけ”の作品」なのかも知れないという鑑賞後感が強く残りました。
本作の場合、私は予告編を見た時点で見に行こうと決めたのですが、予告編で期待したモノは本編を見ても確かに存在していましたし、期待に応えてくれたのだから何も文句を言う必要もないのですが、何か釈然としないモノもあり、今回はその部分をもう少し深堀りして考えて行きたいと思います。
監督はハン・シュアイという女性監督で、長編二作目らしく日本では本作が初めての公開でまだ若い監督の様ですが、予告編と本編を見た限り非常に映像センスのある監督でした。
予告で見たいと思ったのも、その映像と主役のファン・ビンビンとイ・ジュヨンの組み合わせの魅力であり、本編もそれらの魅力は十分に発揮されていました。
なのでその点については何の文句はないのですが、中身については過去の様々な作品のツギハギ感しかなく作り手の芯となるモノが感じ取れないので、恐らく(個人的に)あとには残らない作品の類の様な気がしました。
そこで考えるのが、それは作品として失敗なのか?商業作品としては成功なのか?というポイントであり、観客によって十人十色の解答があるのでしょうね。
これが普通の商品であれば、ある一定顧客のニーズに応えた商品として成功していると思えるし良い商品とも言えるのですが、商品が映画とかになるとちょっと微妙な気分になってしまうのです。
まあ、映画であってもコメディだとかホラーだとかのジャンル映画で顧客の質や要求がかなり限定されているのであれば良いのですが、こういう人間ドラマがベースとなるフィルム・ノワール的な作品になると、いくらセンスがあり技術的に上手でも作り手の美学なり哲学なりの深みが作品上に醸し出されていなければ、カッコイイ映像だけでは薄っぺらく(浅く)感じてしまうという難しさがあります。
恐らくセンスの塊の様な監督なのに、そういう意味で「やはり映画作りって難しいものだな」と、つくづく感じさせてくれたれた作品でしたね。
目に見えるモノ+10点、目に見えないモノ-10点という印象の、なんか非常に勿体ない作品でした。