異人たちのレビュー・感想・評価
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ヒネる必要はない…
日本版のオリジナルを見たのはもう40年近く前で、よく憶えていない。 風間杜夫が主人公というのは憶えていたが、監督は大林だったというのは調べてみて思い出した――。 本作は、設定を現代のイギリス、そして主人公の恋愛対象を同性(男)に設定しているのが違うが、子供の時に死別した両親が「異人」となって再会するという設定はそのまま踏襲している。 監督のアンドリュー・ヘイ自身がゲイであることから、主人公もそれに設定されている。 性描写も結構多く、イチモツが露出しそうでハラハラしたか、R15指定なのでそれはナシ(笑)。 主人公は、子供の時の記憶しかない事故死した両親の元を何度も訪れ、自身の近況を語るうちゲイである、ということも告白。異人である両親もそれを受け容れてくれる――。 親というものは、子のすべてを肯定する生きものなのだ。 そのあたりは、すごくジーンときて、見ていて涙が出た。 だがしかし、最終盤でちょっとミステリアスな味付けをしているため、「親子の情」という部分を台無しにしている。 ぼくには、かつて極めて親しい友人(故人)に同性愛者がおり、彼らのことはまったく否定するつもりはないが、やはり彼らの趣味・嗜好については自分は遠慮申し上げたい。その気分からすると、評価はあまりできない作品である。 主人公と深い関係になった彼氏に対して、もうちょっとわかりやすい形でまとめてくれれば、自分の感じ方も変わったかもしれない。ちょっと残念な作品 東京都心のシネコン、平日昼間の客入りは2割に満たない印象。山田太一の小説が原作だということで見に来ていたような熟年夫婦は「こんな話だったのか…」とその世界に入っていけなかったような感想を漏らしていたのが聞こえた。
失われたものに耽溺することは罪?それとも救い?
人は本質的に孤独なのだけど、ただ子ども時代だけはその事実と向き合わずに済んでいたということを思い出してしまう。微笑みかけ、はげまし、心配してくれる両親との時間、その時間と大事に守られただ無邪気でいられた時の記憶は人のベースになるものだろうし、その失われ方が苛烈であればあるほど、引きずってしまうことになるのだろう。だからアダムはどこか呆然として生きているように見える。愛することが怖いのは失うことが怖いのと同義。アダムの選択は、途方もなく孤独に見えるけれど、優しくて思いやりのある大人に育っているからこそなのかもしれない。
アダムと両親との時間は愛に満ちていて、切なすぎた。
そして、これからのアダムも。
アンドリュー・スコットは素晴らしかったと思う。彼の孤独と、それを癒やす奇跡に飲み込まれそうになる作品だった。
よく分かりませんでした
本作は奇抜な設定にしたことが活かせていないと言うか、むしろ裏目に出てしまっていると思います。
本来なら家族や恋人との愛を伝える感動的な作品にしたかったのだと思いますが、奇抜な設定にしたことにより私的には何かオチや意図を期待してしまいました。ところが、そのようなものは何もないので、観終わった時に感じたのは感動ではなく「奇抜な設定は何だったの?」でした。なので、何をしたいのかよく分からなかったというのが正直な感想です。奇抜な設定にするならするで、終盤まで死んでいることが分からないようなストーリーにして最後に観客の意表をつくなどのオチがあった方が良かったと思います。
それと、主人公の設定をゲイに変更した意図も分かりませんでした。もし、ポリコレを意識したものだとしたら、もういい加減やり過ぎだと思います。私は映画を観ながら作品とは関係ないことに気を取られたくありません。
立ち直れない喪失感
原作「異人たちとの夏」および、大林宣彦監督による映画化作品がめちゃくちゃ気になった。日本だと雰囲気も展開も全く異なるだろうし、イギリスに舞台を移し、更には同性愛者同士の物語に変更されているため、原作からかなり改変されているんじゃないかな。情緒あるイギリスの映像はすごく良かったけど、日本人なら日本じゃないとノスタルジーを感じられないし、断然その方が好きになれるだろうな笑 死んだはずの両親と奇跡の再会を果たした主人公・アダム。そんな奇妙な出来事から自身の心に残っていた〈しこり〉に気付き、離れていくことの恐怖を抱きつつ立ち直る勇気を振り絞る彼の様は、ファンタジーな設定ながらも再起の物語としてはかなりよく出来ており、後半は特に胸が打たれた。 ただ、中盤があまりにも退屈すぎる。 先日の「パスト ライブズ」もそうだったんだけど、物静かさが最大限生かされていないというか、多くを語らず、超スローペースで物語を展開していくこと自体を映画の美と捉えている作り方が、見ている側としてはものすごい眠気に襲われてしまう。冷たく、張り詰めた空気感を全編通して貫くのは非常にいいとは思うけど、やはり中盤でひとつ、大きな1歩を踏み出して欲しいもの。ゲイであることを公表している監督・主演俳優であるため、BL描写はかなり優れていた。それもあり、作りの甘さと演出の弱さは気になってしまった。予告からちょっと期待しすぎたかな笑
アンドリュー・ヘイの過去作全て好きなので めちゃくちゃ楽しみにして...
アンドリュー・ヘイの過去作全て好きなので めちゃくちゃ楽しみにしていたのですが、 冒頭からハマらず、うーんと思いながら鑑賞。 話が飲み込みずらいし、テンポも遅い (アンドリュー・ヘイの過去作どれも分かりずらい箇所があったり、スローペースなのだけれど今回は肌に合わない感じだった) 映画の色味とかカメラコントロールが過去作とも違うのがまずちょっと嫌。おそらくノスタルジー感を出す為だろうけど、過去作のちょっと引いた温度の低いカメラワークが好きだったので…。 大林版を未見なので、比較もできないけど けっこうあんまりいい映画とは思えず、残念。 なんだろう、アンドリュー・ヘイの語らず見せる話運びが好きだったから、両親との会話で教科書的にクィアの問題を語りすぎてるのが嫌だったのかも。
原作とは別物かな?
原作では彼らが両親かどうかや、そもそも彼らが何者なのかについて主人公はかなり逡巡するけど、映画ではあっさり母親から両親であることを告げられ、それを疑問もなく受け入れてしまうことにちょっと違和感が。 主人公がゲイという設定や、それ故に同じビルに済む恋人が男性なのはいいとして、日に日にやつれていくという原作ではキモになる設定がすっとばされていたのは「マジか?」という感じだった。 そしてラスト、恋人の正体が判った後がハートウォーミングな展開にビックリ。 原作通りホラーな展開で最後にあっと言わされるとばかり思っていたので、、、やっぱ原作とは別物かな。
限られた時間の疎外
All of Us Strangers
単なるクィアの映画ではない。事故が無ければもっと時間も取れて、家族同志分かり合い、その後で(理想的には)周囲にも理解を拡げていけたはずだ。アダムがマイノリティと辛さは別と言うように、本来は互いに分かち合いたいものが他にもたくさんあったはずだが、一つ目のハードルが高いので、それを解くことに大半の人生を費やしてしまう。それだけで終わってしまう。ロンドンから電車で向かう場所はいつも生家で、登場人物は両親を含めて概ね4名と少ない。それなのに和解を遂げた後で、彼らは直ぐに去らなければならなくなる。
解り合える人は遠くに存在する。時間は足りず、時間軸もずれていたようだが。ハリーとは実際のところ実体として出逢えていたのか。わからないが、星の視点からすればそれさえも小さなことで、少しだけ閃光を照らし、消えていく
“ほんとにあった怖い話し“ 映画版て感じ
古い!そしてパーソナル感パなく、オリジナルのエッセンスもまるで拾われておらず別方向へのベクトルw “異人たちとの夏”と聞いてなければ、別物のソフトホラーとしてならまあまあかな😑
You are always on my mind
「異人たちの夏」の外国映画化。R15+
原作と監督の自信の経験を合わせたまったく新しい「異人たち」。
シナリオライターの主人公アダム。
ある日同じマンションに住むハリーの誘いを断ってしまう。
仕事の着想に実家の家を訪ねたアダムは両親と再会する。
12歳のクリスマスに交通事故で2人は亡くなったのに。
そこから亡くなった両親過ごす日々とハリーとの恋仲の日々をアダムは過ごしていく。
アダムは幸せな日々が続いていくと思っていたが、、、。
原作は山田太一の「異人たちの夏」
1988年には日本で映画化された。
今作は監督の自信の経験を織り交ぜて
日本版とは別のストーリーを展開していく。
大きく変更されたのはアダムのセクシュアリティをゲイとしたこと。
また幼少期から内向的でゲイとカミングアウト出来ずに暮らしてきたこと。
その要素がこの映画の質と完成度をグッと上げている。
ハリーの誘いを一度は断ってしまったアダムは
再度アダムからハリーを誘います。
おそらく今まで恋愛経験が少なかったアダムの決意でしょう。
そこからアダムは硬い殻を破っていきます。
性描写もゆっくり。でもそこに優しさがあり見入ってしまう。
後半からアダムの苦悩と過去のフラッシュバックの映像描写が
とても辛く、不穏でもある。
映像トリックもドキッとさせられて観客飽きさせない。
クライマックスは
1度目はただだた受け入れるので涙は出なかった。
観終わってアダムやハリーのことを思い出すと涙が出てきた。
ハリーを一瞬でも話すと彼きっと消えてしまう。
だから離さないようにずっと抱きしめていた。
心から愛した人、両親に紹介したいくらいに愛している人。
両親も認めてくれたし。幸せを願っていた。
それなのに。
ハリーが消えてしまうとアダムはまた
厚くて硬い殻に閉じこもってしまうかもしれない。
「吸血鬼から守ってあげる」アダムの愛の力で。
あまりに切ないラストシーンは映画史に残ってもおかしくない。
旅の重さ
ロンドンからどれだけ離れているのか分からなかったが、列車で向かう実家に現れた両親の変わらぬ姿、それとロンドンで出会った男との逢瀬。確かに同じようなストーリーなのだが、大林版とは大きく異なる印象。個人的に大林版が好きだったので本作への印象は余計に渋く見てしまう面はある。そこを引き算しても、心が動かされる程ではなかった。映像は美しい。ゲイの要素がかなり強め。
異人たち…、って。
なるほどなー、と思ったけど異人なのかどうか…。全てはアダムの妄想でもあるわけだし。自己を肯定するための妄想録でもあるよな、と思っちゃう。時代背景もからめながら考えさせられる話ではあったけど。やっぱり家族って大切。
子の心、親知らず
『片岡鶴太郎』はべらんめぇな父親役が、 『秋吉久美子』はきっぷの良い母親役がそれぞれ似合っていた。 そんな両親が、十二歳の頃に死に別れたままの姿で 懐かしい浅草の地で暮らしている。 今朝分かれたばかりのような気軽さで「よう!」と声を掛けられてから 主人公は足げく二人のもとに通うことに。 まるで失われた少年時代を取り戻すかのように。 そこでは離婚した妻子のことも忘れ、 昔に戻ったように素直になれた。 しかし日が経つうちに、彼のカラダは衰弱しだし、 母親は「やっぱりねぇ。もう死んだ人間と一緒に居るのは不自然なんだよ」と言い、 別れの日が訪れる。 両親は自分たちが既にして死者であり、未練でこの世に戻されたことを認識。 再び得た楽しい日々ではあるものの、我が子可愛さにそれを手放すことを決断。 三人で囲む「今半」での「すき焼き」の湯気を前にして、両親の姿は消えて行く。 「行かないで!!」と泣きながら訴える姿は哀切極まりなく、 ここで落涙しない人間はおらぬだろう。 『大林宣彦』らしい叙情的なシーン。 主人公にとっては、自身の寿命を引き換えにしても、全うしたい懐かしい想いなのだ。 にもかかわらず、彼の衰弱は進む一方。なぜならば・・・・と、 曰く付きのラストのシークエンスへ突入。 これをもっと巧く創っていれば、どんなに素晴らしい作品になっていたことか。 元々の企画であった{ホラー}の残滓ともされているが、 監督の長編デビュー作(制作も兼ねる)は〔HOUSE ハウス(1977年)〕だったことを忘れてはならぬ。 これが〔異人たちとの夏(1988年)〕。 では同じ『山田太一』の原作を イギリスを舞台に移し撮られた本作はどうか? 〔生きる LIVING(2022年)〕と同様のケースで、先作は事前の不安をよそに、 世評の高さは周知の通り。個人的にも高めの評点。 ただ今回、監督の『アンドリュー・ヘイ』は主人公をゲイにするとの 大きな改変を加えている。 これにより、都会に一人住む男の 孤独や寂寥が際立ち伝わるように。 それ以外のプロットはほぼほぼ前作通りも、 やはり両親との別れのシーンでは日本的情緒を加味した表現に軍配。 もっともこれは、自分が日本人だからかもしれないが。 その後の展開もやや{ファンタジー}によったもの。 人を愛することを知らずに育った男が、 通過儀礼を経て愛することを覚えた、との。 が、その相手が、実態を持たぬ存在なのは それで良いのか?と、疑問に感じるところ。 日本に比べると、 キスをする、抱き合う等のフィジカルな愛情表現が濃密な西洋との認識。 なのに、本作よりも、「大林版」で描かれた両親の方に、 愛情の深みを感じてしまうのは 一つ同郷なだけが理由ではない気がする。
ゲイの話にする必要はあったのか?
死別した両親との再会の物語だと思っていたら、完全にゲイの話になっていて、困惑させられる。
久しぶりの再会なのに、失われた時間を取り戻そうとする親子の「再生」の物語が描かれることはほとんどなく、両親が、自分達と同じくらいの年齢の息子に世話を焼くといった面白さも感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
その一方で、自分がゲイであることを打ち明ける息子と、そのことを理解し、受け入れる両親を描くことに力点が置かれていることには、違和感を覚えざるを得なかった。
そもそも、同じマンションに住む男性との「ラブ・ストーリー」や、比較的ハードな「ラブ・シーン」は必要だったのかという根本的な疑問が残る。
仮に、それが必要だったとしても、彼が「異人」である必要性はなかったと思うし、むしろ、「その後、2人は幸せに暮らしました」というハッピーエンドにした方が良かったのではないかとも思う。
序盤の、死別した両親との再会の場面や、終盤に訪れる衝撃的な展開も、何が起こっているのかを、すぐには理解することが難しく、少なからず戸惑ってしまった。
過剰な演出を避けるのは良いとしても、もう少し上手い見せ方はできなかったものだろうか?
それから、主演のアンドリュー・スコットは、まるでゾンビ・ウィルスに感染したかのような大きな「黒目」が印象的で、常人とは異なる独特な雰囲気を醸し出しているので、こちらを「異人」に配役した方が良かったのではないかとも思ってしまった。
分かって観てれば
58本目。 日本の方は観てないけど、これちょっと苦手な感じの始まり。 正直よく分からんがしばらく続いたけど、途中でそう言う事かと気付いたけど、相変わらず理解するのに時間係り過ぎ。 日本の方を観た上でならば、味わい方が違ったんだろうけど、最後はまあ良かったかなって感じな所。
現実と夢の区別が・・・
12歳の時に両親を交通事故で亡くし、それ以来寂しい人生を過ごしてきて40歳を過ぎた脚本家アダムは、ロンドンのタワーマンションに1人で住み、両親が生きていた時の思い出をベースにした脚本を書いていた。ある日、両親が亡くなるまで住んでいた郊外の家を訪れると、そこには亡くなったはずの父と母が当時の姿のままで暮らしていた。それ以来、アダムは何度も実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過ごした。その一方で、彼は同じマンションの6階に住むハリーを好きになり、体の関係を持ち、その事を両親に告げた。そして・・・てな話。 どこまで現実でどこが夢なのか、観ていてよくわからず、両親が生きている時に自分がゲイだった事を言いたくても言えなかった、って事がストーリーの幹なのだろうか? ゲイもクィアも個人的には興味なく、髭面の2人の中年男が大画面で絡み合うのも絵的に綺麗じゃないので、好みじゃない。 ロンドンの中心地であれだけ多くの部屋があるタワーマンションに住民がハリーとアダムだけ、というのも何か意味が有ったのだろうか? 寂しさを強調するためだとはわかったが。 とにかく、現実味の無いストーリーで疑問だらけだった。 母役のクレア・フォイは美しくて良かった。
コレは 星3以外無いと個人的に思います。1988日本版の方が万人受けは相違ない 多様性は大いに良い。ただ・・
本作 原作 山田太一さん 予想どおりお客様は寂しかった 人数は言わない 1988 映画 風間杜夫 片岡鶴太郎 秋吉久美子 浅草 【脚本は山田さんではなく 知る人ぞ知る 市川森一さん】 大林宣彦監督 いわゆるバブルの浮かれた業界人が 家庭崩壊し ヤケクソ気味だったのが 幼少時に亡くなった両親に再会し 涙し 嬉しがる チコっと 脱がない女優さん 岩下志麻さん二世とも言える人の 控えめ サラシで隠されて不自然 性的シーンは 正直言って萎えた私 結構 キテレツ作品なので 名作とまでは微妙だけど 今となっては 両親とも亡くなった ワシ的には そこそこ感動作 ハリウッド【ただし ロケ地といいスタッフといい イギリス🇬🇧作品】版 しかし 事前の広報の段階から 性的指向の雰囲気満載で 実際 主題は 性的指向が主だから 正直言って・・・ あっ❗️俺は会社で教育受けてるから 多様性 性的指向の尊重は 心得てるし 対応も可能 でも 自分のお金で見る映画 は 本音でイイに決まってるだろ❗️とおじさんは主張したい。 まあつまり 本作のは性的描写は ワシには しんどかった。申し訳ない コレは私の個人的な感覚だから 個への介入は勘弁してください❗️ それと日本版と違い タイムリープなんだか幽霊なんだかはっきりしないけど チト 死んだ両親に出会えた中年の息子にしては 反応が淡白すぎて 正直がっかり😞 あっ❗️日本版は当時のカメラ技術の未熟さが 逆に功を奏していて 鶴太郎さんと秋吉久美子さん夫婦の 幽霊のフェードアウト場面が 画面がモノホンの幽霊出マジ感動した 浅草今半すき焼き屋 ね❗️【配信されてるので 風間杜夫の両親と出会えて浮かれる場面と この場面だけでも超倍速で見てください 20分で済みます】 本作の有料パンフ🈶は秀逸 真ん中が山田太一コーナーみたいになってて そこで 片岡鶴太郎さんと秋吉久美子さんの対談の感想がマジで本作を示している 日本版は過去に受容され癒やされて 再生 言わなくても親子だからわかる的 本作は 過去との和解 白黒つける的な考え方の突き詰め方 共感性の文化が❓ とにかく せっかく 山田太一さんが面白いプロット 人情的なもの作ったのに 80年代と現代の 性的指向の理解 へ主題が変わってる気がする ちなみに 監督も主人公役も 流れる音楽も 性的指向の理解をワシに求めてくる方 わかってるって 色んな人がいて 全てが等価 くらい もうわかってるよ❗️人権として性的多様性は等価なのは当たり前ですよね。 でもワシ的には プロット部分は同じなのだから 換骨奪胎 作品期待したけど 期待しすぎだった
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 非日常的・非現実的・幻想を描いても不自然でない映画という媒体(TVはどうしても日常・現実が滲み出て来る)でこそ描けた異色の傑作。“愛”がアダムを見つける過程に涙が溢れる。
①『異人たちとの夏』は未見なので、作品世界がどう違うのか分かりません。恐らく主人公(こちらではアダム)の設定は大分違うのだろうなあ、というのは分かりますけど。 ②今まで観てきたイギリス映画たちとはちょっと雰囲気が違うので、やはり山田太一の原作だからかなあ、とも思ったけれども、この監督のカラーでもあるのかな。 ③アンドリュー・スコットがこんな繊細な演技が出来るとは思わなかったので感心しました。 あとの三人の主要キャストもみな好演。
心の棘を収める自問自答の彷徨のレトリック
なにより最初に記したい事は、原作小説と映画化は全く別物であり、それぞれ独立した作品であると言う事。原作と比較しての論評は何の意味もありません。本作はあくまでも監督・脚本アンドリュー・ヘイの作品です。私自身は原作を読んではおりません、あくまでも映画作品としてのレビューとなります。 本作の原題「All of Us Strangers」の Strangers は通常「見知らぬ人」と訳されるもので、転じて「よそ者」のニュアンスにもなる、にもかかわらず邦題が「異人たち」となってました。配給会社が敢えて異人と称した意図が判らないままの鑑賞でしたが鑑賞して初めて合点がゆきました。見事な意訳と言うべきでしょう。 漆黒が支配する闇夜が徐々に白み、光が射し始める画面の左側にぼんやりと40代と思しき主人公アダムが、ガラスに反射して見えるファースト・シーン。写し絵のような反射する虚像のシーンは、本作では幾度となく画面に登場する。自らのアイデンティティに彷徨うように自問自答の旅が始まる。どうやら男はライターを生業としており、些かスランプに陥っている事を匂わす。ほぼ曇天のロンドンの市中にそびえる高層マンションがベースですが、その殆どが空家状態の静寂が支配する。流れる現代音楽の無機質な響きがそれを強調し、まるでソラリスの宇宙船のような虚無が支配する。こうして「異人」の登場に相応しいお膳立てに観客を導く導入部は完璧です。 袋小路のアダム(アンドリュー・スコット)にコンタクトするのは彼の両親(父:ジェイミー・ベル、母:クレアフォイ)と同じマンションに住むハリー(ポール・メスカル)と言う男だけ。地下鉄と電車を乗り継ぎ郊外の実家へ行けば、両親が温かく迎えてくれる、ただしアダムの年齢よりむしろ若い容姿のままで。12歳で両親を交通事故で亡くしたアダムに、夢か現か定かでない異人との交流が始まる。 40代の息子に30代の両親が気を遣う濃密な空間が拡がり、時空を超えて心の棘をひとつひとつ取り除く工程が展開される。極めて映画的で心に沁みるシーンが続く。少年のようにはにかむアダムに、あっけんからんと母親は心に正直に振る舞う設定がいいのです。ゲイであったことをカムアウトしないまま両親を亡くしたことを悔いているのではなく、むしろ天国から息子に伝えきれなかった両親の心残りを異人として伝えに来たと思われる。「恐ろしい病気は大丈夫なの?」と案ずる両親に逆に「もう今では危険ではないよ」と説得するのがアダムなのですから。 ハリーに対してはむしろ逆で、最初の出会いで遠慮したのはアダムの方、しかし両親に再会した後で閉じた心も少し開いた結果、積極的にハリーを受け入れる。体を重ね、ゲイクラブにも出入りするアクティブな自分に驚く程。性の悦びがこんなにも希望に繋がるのを心に刻み、久しぶりのパートナーの出現と言う充実が身に沁みる。しかしこの関係を続けたいと思った矢先に悲痛な現実を知ってしまう。相変わらず孤独なままのアダムですが、夜空に輝く異人たちの煌めきに守られている事だけは確かなようです。 監督アンドリュー・ヘイは自身がゲイであることを公言しており、本作も自身の納得行くシチュエーションに翻案した事で、見事に内省を映像で表現することが出来たと思います。本作では主演にその微妙な感覚を埋めてほしくてゲイをカムアウトしているアンドリュー・スコットを選任したとか。もちろんゲイの役を実際にゲイ役者に限定する必要はさらさらないのは確かな事。演技とは役者の生身とはかけ離れていても、それを真実らしく振る舞える事こそが醍醐味ですから。事実、相手役のポール・メスカルは前作「aftersun アフターサン」2022年 でもゲイの役でオスカーにノミネートもされましたが、ゲイではありません。 さらに、同性愛と言っても愛する心は異性愛者と全く変わりません。愛し合うシーンが男×男でも女×女でも、男×女と全く同様にその描写が必要なら当然に作者は描きます。本作でも結びつきの一体感の熟成が必要だから描いたまでで。もし生理的に苦手でしたら軽く目を細めていただくだけで結構です。逆にごく一部の同性愛の方でも男×女の絡みでそうされるとも聞いたことがあります。そうしてスルーさえして頂ければ十分ではないでしょうか?にもかかわらず「気持ちの悪いものを見せられた」などと叩くことは、それにより傷つく方がいる事をお忘れなく。なによりLGBTQの方々は、好んでそうなったわけではなく先天的にそう生まれてしまっただけ、と言う事実を切にご理解して頂きたいものです。少数派を認めてこその多様性のはずですから。
残念、全然合わなかった
1988年公開の大林宣彦監督作品「異人たちとの夏」は大好きな作品で5回ぐらいは観ていて、本作はそのリメイクと聞けばいやがおうにも期待度が高まり観たのがいけなかったのかもしれませんが、これはダメ、全然、面白くないし根本的に自分には合わなかった ゲイやクィアの方には申し訳ないですが、私はそうではないため、男性2人の愛し合う描写が長いし何度も出てくるのが気持ち悪くて辛かった なぜこんな 同性愛が全面に出た作品に改変しなくてはいけなかったのか甚だ疑問 作品全般的に静かで暗くて冗長、ものすごく退屈だった 更に終始鳴り続ける不穏な音が気持ち悪かったのと、突然明るいポップスが流れるのも微妙、とにかく全体的にクラい雰囲気でつまらなかった 主人公が親と会い、通い始めるのが唐突で意味不明、いかに「異人たちとの夏」の演出と描写が素晴らしかったかが逆によくわかりました と、完全に期待ハズレだった作品です
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