若き見知らぬ者たちのレビュー・感想・評価
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怒りというか、腹立つ
苦しい映画でした
福山翔大さんや俳優の演技はいいのに、
やりきれない、抜け出せない不幸の闇。
脚本監督はソコを描きたいのだろうから、解決策なんて
登場人物の誰も考えない。
考えようともしない。
あの状況を看護師の彼女さんが入院などの対処をしないはずがない、
とか、
いくら誤認逮捕をした警官が父親だからといって、その息子が出血しているのにパワハラ警察だって
そんな事するわけがない
とか、
ありますが、
まあ、不条理な世間の闇を描きたいんだろうから、
こうなりました。
終盤のファイティングシーンがヤケに長いので、
あ〜あ、これを描きたかったんだ、
チャンピオンになって、皆んなのおかげで
チャンピオンに成りました〜
って、なんとか不幸を昇華、
させた、という、ことなのだろうか。
な?
弟役の福山翔大さん、体、造りましたね。
素敵でした。
(舞台が地方でも)感覚が古くて、昭和のアイドル映画やアジア映画(タイ・香港)で80年代だったら、ありそうな内容です。
俳優は皆さん見応えはあり、つまらない内容の救いになりますが、それだけで評価できる映画ではないですね。
悲しい話でした
息の詰まりそうな閉塞感と逃げ場のないやるせなさの現実
なんなのだろう、岸井ゆきのが出ているというだけで、きっとハズレではないと思えるこの安心感は?
という訳で本作を選択。で、岸井ゆきのが出ている以上の知識は特になしに出かけたが、重かった……。
単純な若者の群像劇を期待しているとなかなか理解が追いついて行かないかも知れない。母親の介護というケアラーの物語と、格闘技選手の物語という2本のプロットが縦の糸として並行して描かれながら、それらを繋ぐ横の糸になるのが、日向や大和など身近で手を差し伸べてくれる人々の存在と、本来ならセイフティネットになるはずの政府や公権力の杜撰さと暴力性。これらの縦横の糸によって全体の物語が織られている。
息の詰まりそうな閉塞感と逃げ場のないやるせなさを2時間にわたって体験することになるのだが、これは決して絵空事ではなく、きっとそこいら中に転がっている現実なのであろう。でも、それを他人事として「見知らぬ若者の話」で済ませてしまって良いのであろうか?
そう言えば、まずは自助・共助で、公助は最後とか抜かしていた首相がいたよな、とか急に思い出した。その結果の現在の社会は……。やはり、自分ごととして考える想像力が必要なんだよな。
理解不能
何もかも理解不能に感じるこの作品
そもそも多国籍の合作の意味がどこにあったのかさえ不明。
見落としている箇所もあるかもしれないが、この作品の中央に、静かに置かれているのは「父」だと思った。
父の借金に母が絶望し、やがて病気で「智恵子抄」のようになった。
父が残したカラオケバーを経営する長男アヤト
幼い時から父の夢を刷り込まれて、修斗のチャンピオン戦に挑む次男ソウヘイ
アヤトの彼女、看護師
そして親友の大和
友人の警官
さて、
物語の中心にありながらも隠されるように置かれている「父」
彼が残した借金 そして死 ボクシングの夢 家族
父の死因については明確にされてないが、大出血があることで自殺、または他殺と考えられる。
物語には事件とか犯人などは登場しない。
ただ、その後警察官のずさんな行動が描写されていることで、そもそも父が殺されたにもかかわらず自殺として処理された可能性も残っているように思う。
父の死によって始まった不遇と、警察や社会への不信感がアヤトの刹那的性格を描写しているようにも感じる。
彼は現実に疲れ切ってしまっているように見える。
立っていられるのは、恋人の支えと、それでも母が生きている仕方なさからだろう。
彼の刹那的な心情は、拳銃自殺という描写が挿入されていることでわかる。
ちょっとでも歯車が狂えば、彼はもう立っていられなくなるのだろう。
この作品の主人公はアヤトだと思ったが、まさか死んでしまう。
では、いったい誰が主人公なのだろう?
おそらく、この作品の主人公は「死んでしまった父」なのではないだろうか?
この最初からいない父を主人公にしたことが、この作品の挑戦だったのかもしれない。
しかし、まったく共感できない。
父は確かにカラオケバーを残した。
同時に借金も残した。自宅も残したのだろう。
相続するしないの選択はあったはずだ。
家族は相続を選択した。
ここに大きな疑問が残るが、アヤトにはソウヘイの夢をな変えたい思いがあったのだろう。
自宅がなくなれば、ボクシングに打ち込む環境が悪くなる。練習時間をバイトに使わなければならない。
家族であっても他人の夢のために生きること
すべてを犠牲にしてようやく成り立っている責任 それは、「絶対」なのだろうか?
そうしてアヤトはソウヘイのために自分を殺し、母の介護で自分を殺し、次第に自分自身を失っていったのだろうか?
ソウヘイは練習後に母の介護に入るが、彼には家の掃除という考えはないのだろうか?
すぐ母がめちゃくちゃにするから、しても仕方ないと思っていたのか?
ここに家族愛かと思わせながら、自分を殺すという間違いの様なものを垣間見たような気がした。
親友大和は子供が生まれた後に結婚式を挙げ、その二次会会場がアヤトのカラオケバー
関係ない3人の来店が事件を起こした。
警官を退職した友人の決心は、自分と合わないことへの取捨選択という人生における重要なファクターなのだろう。
それができなかったのが、アヤトだろうか?
しかし彼には母の介護というものが残る。
彼に逃げ場所など最初からなかったということだろうか?
それとも、父の死が他殺であれば保険金が下りたのだろうか?
そうなれば悪いのは、警察だったのか?
アヤトの死は事件とずさんな警察仕事によるが、その事は最後にソウヘイの肩へと倒れてくる。
彼は父の夢でもあったボクシング(修斗)のチャンプになるが、祝福してくれる人は誰もいない。
鍵が開いたままのカラオケバー
アヤトの死因となった割れたグラス
そこでソウヘイはようやくそれを片付けた。
ここでエンドロールを迎えるが、ソウヘイはバーで虚しさを味わっている。
自宅へ帰っても、もうアヤトの彼女がやってくることはない。
これからはソウヘイが母の介護をすることになる。
それは、今までしてこなかったすべてのツケが来たということなのだろうか?
チャンプになっても何ひとついいことなどないのだろう。
それを視聴者に思い知らせるのが、この作品なのだろうか?
理解できない。
それを我々に見せて、いったい何を問うているのだ?
理解不能
内山拓也×磯村勇斗「若き見知らぬ者たち」観了。傑作「佐々木、イン、...
独りよがり・・・で、言いたいことが伝わらない
俳優を自由に羽ばたかせるために、監督は度量を持つべきですね。
正直言ってこの映画のコンセプトは、伝わらなかった。
コンセプトは、
《日常から見過ごされてる者へのエール》
とのことです。
舞台挨拶をYouTubeで見ました。
監督・スタッフして磯村勇斗も、何年間もの下調べ、
施設訪問などを重ねた。
しかし、
❶本番はテストなしの一発勝負。
❷岸井ゆきの(アヤトの恋人のヒナタ)には、
こぼれ落ちる感情を、《我慢して》演じる・・・
つまり、見せないで、との注文。
❸先輩警官役の滝藤賢一には、《何もしないで欲しい」との
なんとも失礼な注文。
ぶっちゃけ、私が楽しめたのは、
アヤトの弟ショウタの総合格闘技の
試合の7分間のシーン。
これは良かった、燃えた、面白かった。
演じた福山翔大は一年前から食事制限と減量並びに
トレーニングを積んだそうだ。
福山翔大の努力は報われた、輝いていたから・・・。
本当に良かった。
面白いのは、
★染谷将太は監督の束縛を後半で、掻い潜って自由にやってたね!!
染谷くらいのキャリアがあれば、新人監督なんか、目じゃないもんね。
なんとも惜しい作品だ。
磯村勇斗、岸井ゆきの、染谷将大、滝藤賢一、豊原功補、霧島れいか、
錚々たる一流俳優に、演じるな!!とは【これ如何に‼️】
脚本が説明不足で、自分だけがわかっているパターン。
独りよがり・・・とはこの映画の事。
もう少し的をしぼってもよいような
目をそらしてはいけない現実
気になるところが多すぎる
佐々木、、、の監督と聞いて特に前情報入れずに鑑賞
中盤の展開が現実離れしてることに驚く。
神奈川県警であることが強調されているため、モデルとなった事件があったりするのか、、、と思ったが、そうでもないらしい。
あの辺の展開は、特に不祥事の多い神奈川県警に代表されるような公の暴力性を批判したかったと解釈したのですが、、、
だとすればあのような現実離れした描写は逆効果では?と思いました。滝藤賢一も、そんな奴いないだろ、、、と思ってしまう。なんか上手じゃないなと。
現実を批判したいのであれば、ディテールには拘って欲しい。
もちろん店内の血とかも含め
リアリティラインの置き所がブレてしまって、気になるところが多すぎて乗れないよ。
そんなことならいっそ、ジョーカーのように現実かどうかわからないようにしちゃえばよかったと思うけど、それはジョーカーすぎるか。
総じてやりたいことがよくわからなかった。
意義あるものを撮ろうとあう熱さは伝わってくるけど、、それがうまくハマってなかったのかな。
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