「去ってしまったあなたの姿が、残されたものによって、変わってしまう怖さもあると思う」君の忘れ方 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
去ってしまったあなたの姿が、残されたものによって、変わってしまう怖さもあると思う
2025.1.20 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(107分、G)
原案は一条真也のノンフィクション『愛する人を亡くした人へ(PHP文庫)』
婚約者の突然の事故死で自分を見失う青年が、グリーフケア活動にふれていく様子を描いたヒューマンドラマ
監督は作道雄
脚本は作道雄&伊藤元晴
物語は、東京のラジオ局にて構成作家をしている森下昴(坂東龍汰)の番組に、彼の婚約者・柏原美紀(西野七瀬)がゲスト出演をする様子が描かれて始まる
美紀はフードコーディネーターとして活躍し、昴の番組にて、その活動を報告することになった
スタジオから離れて彼女を見守る昴は、一足先に帰宅し、彼女の好物のカレーを作って待つことになった
だが、彼女はいつまで経っても昴の元には帰って来ず、代わりに残酷な訃報が届いてしまうのである
美紀はバスト乗用車の事故に巻き込まれて亡くなっていて、それは結婚式を挙げる寸前のことだった
葬儀社のスタッフ(一条真也)から「グリーフケア」のことを聞いた昴は、ラジオにてその特集を組むことになった
著名なカウンセラー・澤田(風間杜夫)の取材をすることになった昴とディレクターの木下(森優作)は、彼の活動について色々と聞いていく
だが昴は、一連の話をおかしく感じてしまい、澤田は自身の経験則を交えて、その場の雰囲気を保った
物語は、母・洋子(南果歩)から「たまには親の言うことを聞いて、実家に顔を出せ」と言われるところから動き出す
昴は仕方なく飛騨に帰ることになり、木下は、そこにもグリーフケアのグループがあると言う
そこで昴は、取材と称して「つきあかりの会」の主催者・牛丸(津田寛治)の話を聞くことになった
その後、参加者を交えた飲み会に誘われた昴は、そこで会の異端児・池内(岡田義徳)と出会うことになった
彼には亡き妻が見えていて、二人分の料理を用意させては晩酌をするような男で、そのことを知らない店員とトラブルが起こるものの、参加者たちは「またやってる」と呆れていた
池内は初対面の昴に対して、いきなり「病死? 急死?」と不躾に聞いてくる
「急死」だと答えると、同胞を得たかのようにはしゃぎ出し、誰にでも見えると言い始める
昴は、池内に興味を持ち始め、彼から「見えるレクチャー」を受けることになったのである
映画は、近しい人との突然の別れを描き、カウンセリングを無意味だと考える昴が描かれていく
彼は悲しみの淵にいながらも笑うシーンが多いのだが、それは同等な悩みを持たない人の軽々しさを嘲笑っているように思える
特に澤田の持論には議論を吹きかける勢いで挑発をするのだが、カウンセリングが何を癒すのかがわからないというよりは、そんなことをしても何も変わらないと思い込んでいるように描かれていた
池内との奇抜な行動も、当初は興味本位だったが、実際には上から目線でバカにしているところがあって、見えたから何なのかという思いがある
そんな昴にも転機が訪れる
それは、雲海の絶景を見ながらも、感動をが分かち合う存在がいないことに気づいたことだった
そして、彼女が残した音声を聞くことによって、美紀の隠された本音と、自分の中で作り上げていた美紀像との乖離に絶望を感じてしまうのである
母の友人である便利屋の翠(円井わん)との会話において、「覚えているから辛いのか、忘れていくから辛いのか」というセリフがあった
忘れたくないという思いと同時に、忘れられずに囚われ続けることの怖さがあるのだが、池内は明確に「お別れをしたくないから葬式もしていない」という
池内は、明確に忘れる怖さを感じていて、それを繋ぎ止めるためにいまだに日常の中に亡き妻を存在させている
相手との関係性を考えるにあたって、急死からの心の持ちようは難しく、池内のように割り切って、周囲の反対を押し切って強行することは難しいと思う
何となく世間体に乗っかって、流れでことを済ませて、悲しむ間もないままに気づけば一人になっている
昴が笑ってしまうのは、このシステマティックな別れの強制であり、その流れの上にカウンセリングが載っているように思えるからなのかもしれない
「 愛する人を亡くして悲しんでいるでしょう? さあ」という、人の心のスピードとかタイミングを無視した一般論は、それ自体が狂気でありながらも、大事な時間を奪うことに繋がっているのかな、と感じた
いずれにせよ、突然ではないものの、妻が早逝したこともあって、10年前を思い出しながら鑑賞していた
昴のように笑うことも、池内のような考えに至ることはなかったのだが、思い出のアップデートがされない辛さというのは理解できた
また、亡くなった時に固定されてしまうのは思い出だけではなく、その人のことをどれだけ知っていたかという自分の認識も止まってしまう
よく言えば「自分の理想としての相手の記憶だけを残す」というものなのだが、昴にとっての音声のように、自分の知らなかったものが次から次へと押し寄せてしまうという辛さもある
亡くなってから遺品整理をしているときに知る相手の一面であるとか、そう言ったものは美化されずに残ってしまい、相手の不在のままアップデートされてしまう
それは、それまでの相手が別人のように思えてしまい、その乖離が広ければ広いほどに、辛さというのは増幅されていく
本当の別離とは、知らない部分の発見によって起こってくるのだが、実際には見過ごしてきた部分の顕在化であって、それを見ようとしなかったのは何故かを問うことになる
そう言った意味も含めると、その穴埋めをする時間を奪われる突然死というのは、まことしやかに辛さを増幅させるのかな、と感じた