デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章のレビュー・感想・評価
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「ぽちっとな」は宇宙共通
やっぱり宇宙人も指でスイッチを押すのですね。あれはそんなイメージだったのでしょうか。いよいよ、となったら自爆スイッチを指で押す。割れた顔の隙間から垣間見えたのは色違いの地球人と同じ顔。色違いと言えば血の色。「パターン青!」のエヴァンゲリオンはつまり人間と違って使徒は値が青いという意味で、さらに遡れば、人間に紛れた異星人は血の色が違うのは古い伝統の設定と聞いたことがあるような。
前章と同様、浮かぶ巨大UFOという脅威を目の当たりにしつつも青春を謳歌する主人公たち。ちょっと、とりとめのないような気がした。でもそこは流石は後章、前章の様々な種明かしが為されていくけど、やっぱりそこは青春アニメ。世界が滅び行くその瞬間、ぶ厚い熱々の友情を確かめ合う二人は正に、挿入歌のイメージ通り。こういう歌、YOASOBIにもあったかな。世界中を敵に回しても、とか、悪にでもなるっていったら中島みゆきさんか。そんな若い人達にも好ましい破滅的青春歌のPV、MVを見ていたかのような、そんな映画だったのだな、と理解した次第です。
あのまま、キスを交わして抱きしめ合う二人と共に、例え世界が滅ぶエンディングだったとしても、それでもよかったかなと思う。先の話に出していたエヴァっぽくなってしまうけど。宇宙人の彼が見事に生還し、被害が東京ぐらいで済んだ結末も否定はしないけど。「恐れていたことが全て起きてしまう」のも、パニックのセオリーか。そんな崩壊と救済を経た後に聞くエンディングは絶品でした。いやあ、楽しかった。素晴らしい。
現実との符号に正直ビビる。
原作未読のまま観た前章に大いに刺激を受けて臨んだ後章は、当然ながらお話が大きく動くのだが、クライマックスに主人公の二人がガッツリ絡むことがないのは、やはり誠実な物語だなと思う。
この世界の成り立ちに二人がガッツリ関わっていたことは明かされても、彼女たちが日常を救うために大活躍するヒーローになってしまったら、それは虚構が過ぎるというか、われわれがエンタメとして感受してきたフィクションの蓄積と現実との相克を描いている(と自分hは思っている)この作品にはそぐわなかっただろう。
その上で、主人公があくまでも身の丈と半径数十メートルくらいの世界で生きる選択をすることには様々な意見ががあって当然だと思うけれど、落とし前をつけたり問題を100%解決できることこそが虚構であって、この選択しかできない二人に納得こそすれ否定する気にはなれない。というのはもうこの二人のことが好きになりすぎてしまっているせいかも知れないが。
にしても、原作がコロナ禍の前に連載が始まっていたことや、この映画がウクライナやパレスチナの戦争と平行して製作されたこと、またオッペンハイマーと同じ年に公開されたことなど、誰かが意図した以上に現実とリンクしてしまったわけで、その点でもバケモノのような二部作だったなと思っています。
作品が映像になる醍醐味を感じた。
「明日世界がこなごなになっても」とともに世界終了シーン、美しかったな…。
これも原作通りではあるんだけど実際に楽曲が流れて映像として観るととても美しかった。
これは劇場で観れて良かったな。
原作と違うエンドと聞いてどうするんだろ?と思ってたけど、劇場版はまた違う後味で良かった。
門出とおんたんの関係性にフォーカスした描き方も良かった。
ちょっとモヤッと
後編楽しみにして観に行きました。ですが鑑賞済の人から「前編ほどは・・・」とは聞いていたので、期待は7割位で観に行きました。
「こんな感じかな~」というのが感想です。
映画制作陣は引き続き良かったです。前章と同じく面白いアニメを作ろうとされていて、映画には引き込まれました。
前章観終わって、「これどう終わらせるんだろ。これだけ風呂敷広げてどう畳むんだ?」というのがはじめに思ったことで、「某超キレイなアニメ映画ような終わらせ方は嫌だな、なんか面白くないよな~」って思っていました。
で、想定以上なことはなかったです。原作は2014年位のからの作品なので、そこの流行りになってしまったか~という感じでしょうか。決して面白くない訳ではないのです。伏線の回収もしっかりしてますし、恋愛や様々な愛情があり、守りたいものの為に戦う姿がありと、要素は詰まっているのですが不完全燃焼な感じがしてしまいました。
もっとやり直し前の要素と今の要素を絡めて物語を構築してほしかったかな~
私は欲張りなので、前章が面白かっただけにハードルがかなり上がってしまい「自身の想定以上を」という気持ちがかなり強くなってしまっていました。浅野いにお氏の作家性からはこれを望むのは無理なのかもしれませんが、この内容でここにもっとカタルシス詰め込めれば面白かったのにと思いました。
丁寧に描こうとするほどこれは難しくなると思うのですが、この内容のままで前章と後章に分けず一本の映画として鑑賞できていれば、もうちょっと感想も違ったのかもしれません。
色々書きましたが原作も十分おもしろいですし、映画制作陣はしっかりとした映画を作られているので十分すぎる映画なのですが、前章が盛り上がっただけにちょっとモヤっとしてしまいました。
なんだ
人類滅亡しないのか。
二つの世界はパラレルワールドでした。
「人類は滅亡しない。親友は自殺する」世界と「人類は滅亡しないかも知れない。親友を救えるかも知れない」世界があって、「人類がどうなろうと、親友を救う!」っていう、まあ物語的にそれはそうだろうねっていう決断なんだよね。
でもパラレルワールドだからね。
もう一つの世界で親友を救ったとしても、ある世界では親友は自殺してる。そこが今ひとつ。
それで自殺する世界で、自殺した理由は、踏切待ちの老女を助けるために電車を脱線させて多くの死傷者を出したからなの。ふーん。
さすがに、気付くよね。電車脱線させる前に。
足された登場人物もほぼ活躍しないんだよね。なんで足したんだろ。
そして世界が滅亡に向かう中で、種族を超えて恋をした侵略者側の男の子が頑張って、人類滅亡は食い止められました。ではなぜ『人類滅亡まであと◯ヶ月』とやってきたのか。
これは誰が語ってんの。ナレーションを入れるってことは、実際には全てが終わった後から振り返ってることになるんだけど、振り返ってる間に物語が変わったのかな。
そしてラストは、主要登場人物の多くは夏合宿で東京を離れていたので助かりました。良かったね。東京に残っていた主要登場人物たちの知り合いは亡くなりました。人類が滅亡しても友達を救うっていう選択を恨みながら亡くなるといいね。
人類滅亡系の話は色々とあるけど、この作品はそんなに良いと思わなかったな。
《幼年期の終わり》でも読み返そ。
想像以上に辛い
駆け込みで2周目。1回目はショックが大き過ぎてストーリーの記憶が飛んでしまった。
今回も、壊滅シーンの衝撃がしんどい。終末が何となく分かっていて受け容れた先生、最後に抗おうとした凰蘭兄、主体的な選択のはずがより大きな構造の一部であることに気づけなかったふたば。主要キャラとして生きてきた人々の突然の、でも避ける機会はあった死を突きつけられ、動揺し涙が出る。
対照的に、冒頭からひたすら狩られ続ける"侵略者"の死は、ストーリー上の記号であり、そう認識させるような製作側の意図的な造形であるにせよ、そのとおりことさらの感慨なく受け取っていた自分のバイアスに怖さを覚える。
と同時に、現実世界の戦争で民間人がこのように(憎悪でさえなく)一方的に殺されていることを想い、この作品がいま作られ上映された意味を考えている。
後章では物語の構造も、凰蘭と門出・大葉の関係性の帰結も丁寧すぎる描写で説明されている。その点で満足度は高かったが、自分にとっては将来この映画で思い出し続けるのは上述のシーンになるだろう。それは作品理解のバランスを欠いているかもしれない。途中までだった原作の残りを読みたいと思う。
友を想う気持ち
2つの記憶の意味が並列世界なんて。
そしてもう一つの世界の上書きされた彼女の個性は?記憶は?どうなったんだろう。
それぞれが選択したものが誰よりも友を守ることを第一であるという友情物語である点は良かったと感じたが。
物語として過去へは戻れないと言いつつ、並列世界では数年前の宇宙船(調査船)が来た時まで戻れるのはどうも納得がいかなかった。これがなければこの物語が進展しないのでどうしようもないのだけど。
おんたんの諸行無常
◉無双する女子大生
前章は女子高生が無双する話だったので、予告編でおんたんと門出が同じ大学に行くと知って、さらに生温かく無双する女子大生二人の姿態が見られると期待。
でも、大人にはならない二人。若く青臭く、子ども返りしていくのだなと思っていたら、タイムトラベラーだったおんたんに驚愕。更に門出が元死者だったことにもびっくりと悲しみ。思いっきりSFであり、ファンタジーではないか?やはり時間の経過とかを否定した女子たちだった。可愛い顔はしながらも、超越している。
◉あれは血ではない
世界はいったん形成されて稼働を始めたら、細部では生真面目に喜怒哀楽を繰り返しても、全体は個々になど構わずに無造作・無神経に在り続けるものなんでしょう。それがつまり、個にとっても全体にとっても、一番の利だったりする。しかし、ある日いきなり崩壊に向かったりもする。
理解して繋がろうとして、それが難しいと判断すれば、撲滅に向かう。目玉を擁護するサイドも削除するサイドも、利用して覇権を握ろうとするサイドも存在して、空でも街でも目玉たちは異様なぐらい容易く斃されてしまう。
しかし、目玉たちが流すのは血ではなく、あれはただの緑色のペンキではないか? ヒトたちが殺りくに向かう時、脳内では血が例えばペンキやトマトジュースに置き換えられるのではないか。そんな感覚を覚えました。
一滴ならば血でも、たくさん流れたらペンキだ。そう思いなさい、人々よ世界よ。
◉私たちは世界に関われない
戦場なのに、緊急事態がやって来るのに、どんどん「他人事」が増殖していき、自分も顔のない大勢の他人になってしまう。ほら、割と楽になった。
その「楽」は死んでしまうことなんだ! それは違う! と叫んで大葉は命と引き換えに動き始める。空のずっと上にドカッと座っている、何でも思い通りになると思っている神様目がけて、飛んでいった。
あんな美麗な世界には関われなくても、ひと塊りの仲間となら繋がることができる。私たちの向こうに世界はぼんやりあるのだろうけれど、そうなる頃にはきっと私たちは擦り切れている。だからつい、目の前が着地点に思えてしまいます。
◉おんたんのオールイン
おんたんも門出も改めて「仲間」を確かめ合って、繋がる手触りを感じるのだけれど、限界についても実によく分かっていたように感じたのです。世界が滅んだら良くはないけど、それは傾向として仕方ないのかも知れない。
しかし、門出が消えたら全てが無色だ。あのディープキスに、おんたんは全部賭けた。結局、独りもしくは目に見える回りの人たちへの愛、執着なのだ。悟りにはほど遠くとも、そこから護るべき世界が見えてくることがあるかも知れない。情けなくとも、先に向かってみる。
「ともだち」
宇宙人の顔を出さない、ぬいぐるみマスコット的な(生命体でないような)姿で描くことで、残虐さを緩和しているものの、怖ろしい虐殺。リアルタイムで入ってくる戦争のニュースも距離のある島国日本だと身近に感じられないことと似ている。
それでも、絶対に戦争したくないと思わされる殺戮や集団心理による対立が身近にある中で、こんな風に生活は続くのだろうというリアル。
侵略者が来る可能性を生み出すかもしれなくても、友達を救う方に行ってしまうだろうけど、小学生でその選択をした後の世界で、前の記憶を持って、自分の性格まで180度変えて生きてるおんたんが強すぎて、キーワードは、「ともだち」でしかあり得ない。
前章で、死んだ門出や首相も中身は侵略者なのだろうと思っていたので、タイムリープによる別軸展開は予想外。ただ、前章で期待値が上がりすぎたのか、なんとなく物足りなさを感じる。どうだったら、もっと「スゲー!」と思えたのか? 原作はエンディングが少し違うようなので、そちらだとスゲー!だったのかもしれない。
前章から間を空けずに観れば良かった
前章がかなり良かったので楽しみにしていたのだがタイミングが合わずにかなり間が空いてしまい、一度テンションが下がってしまったので前後章を連続で観るくらいが楽しめるのではないかと思った。
おんたんのはにゃにゃふわ〜と門出の言い回しなどに慣れるまでのタイムラグがあると感じたので後章がはじまってしばらくは物語に入り込めなかったのが悔しい。
侵略者の中身の表現が怖すぎた。
浅野いにおの漫画のテンポをアニメにするにはかなり技術が必要なんだと感じた。特に日常ほのぼのパートは難しい。
最後全滅アクションなどはとても良かった。大葉がひとり母艦に立ち向かう場面もアニメならではヒトっぽく表現されていたから感情移入できたと思うし、絶望を感じる全滅シーンからすぐに日常に戻るしかない現実などがリアルで良かった。
ただ、前半〜半ばのテンポが遅く感じてしまった。最近ショート動画ばかり見てる自分のせいだと思う。
サブスクに来たら連続で観直したい。
誰かを守ることは誰かを傷つけること
あれから数年後。
門出とおんたんは亜衣や凛と同じ大学へ進学し、オカルト研究会に入り新たな仲間と共にキャンパスライフをスタートさせる。
一方、母艦は未だ上空に存在し、侵略者たちと人類の戦いは激化していった。
小比類巻率いる青共闘が暗躍し、政府とS.E.S社は要人だけを乗せる方舟計画を秘密裏に進める中、門出たちの前に大葉という謎の少年が現れ……
前章がめちゃくちゃ面白かったので後章も。
原作と違うエンディングということで、終わり方については多少賛否分かれているっぽけど、個人的には前章と同じくらいの満足度だった。
悪とは何なのか。
前章では闇堕ちしたくらいの扱いだった小比類巻くんが後章ではヒールとしてかなり活躍している。
彼が悪の面が強く描かれていたが、それは表象化している悪であり、悪は決して彼だけではない。誰もが悪である。
門出は並行世界で小比類巻と同じような世直し的暗殺を繰り返し自殺した。
おんたんはそんな門出の運命を変えるべく、世界の滅亡を選択する代わりに門出を守った。
悪が正義と表裏一体である以上、自分の正義を貫くことは誰かにとっての悪になるということである。
侵略者は本当に侵略者なのか?政府は本当に正しい情報を発信しているのか?
何かと優しくなれない現代において、目に見える表面上の事象だけでなく、その奥にある部分にもっと目を向けるべきなのかもしれない。
前章は門出の物語、後章はおんたんの物語という印象を受けた。
たとえ世界が滅ぶとしても門出を絶対に守ると自分を変えたおんたんに涙が止まらない。
絶対の悪や絶対の権力者なんて存在しないけど、門出はおんたんの絶対だし、おんたんは門出の絶対。
ぶっ飛んだワードセンスで明るいところも大好きだけど、実は人一倍想いを抱えている純粋なところも大好き。
とにかく前章よりも「はにゃにゃふわ〜」が増えていて嬉しかった。
原作漫画は途中まで読んでいるので、この劇場版を踏まえた上でラストまで読んでみたい。
ちなみに今回も普通の上映ではなく、轟音シアターというやつだった。
料金同じで特に書いてなかった(多分)ので何も知らずに入ってから気づいたんだけど、正直すごい変化は感じなかったかも……(映画によるのか?)
傑作の前章から、私的2点の弱点を感じた後章‥それでも前章・後章を合わせて2024年邦画の代表作にとは‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
今作の前章は、「登場人物の会話の切れ味と、強大な宇宙船が空を覆う不穏な日常と、陰謀論の空気と、理念の暴走の震撼が、現在のメタファーとして見事に描かれた傑作」と前章レビューで書いたように2024年の邦画の傑作だと思われました。
後章はただ残念ながら、秀作の水準は超えているように感じましたが、前章に感じた傑作度合いまでは感じませんでした。
その理由は、以下2点の弱点を後章には感じたからです。
後章の1点目の弱点は、前章の最終盤から登場する竹本ふたば(声:和氣あず未さん)や、彼女が所属する侵略者保護団体「SHIP」の描写が、かなり1面的だったところです。
前章では、あらゆる描写が多面的に描かれていて、その考え尽くされた描写の数々に感銘すら感じていたのですが、後章の(おそらく左翼団体をモデルにしただろう)侵略者保護団体「SHIP」やそれに傾倒している竹本ふたばの描き方は、表面的なステレオタイプの描き方で、個人的には感心しませんでした。
私的には、いわゆる表層的な理念のスローガンばかり唱える侵略者保護団体「SHIP」のような主張を好みません。
しかしながら、だからこそ、映画やドラマでそれら人物を描く時には、ステレオタイプの表層を超えた多面的な人間としての描写が必要に感じました。
残念ながら、竹本ふたばや彼女が所属する侵略者保護団体「SHIP」の描き方は表層的で、後章での多面的な描写は圧倒的に足りていないと思われました。
そして圧倒的に描写が足りていない人物たちを物語の一方の対極として置いてしまうと、その物語自体がぜい弱になってしまうのは言うを待ちません。
一方で、竹本ふたばや侵略者保護団体「SHIP」と対極にある位置づけの、小比類巻健一(声:内山昂輝さん)、あるいは中川凰蘭(声:あのさん)の兄の中川ひろし(声:諏訪部順一さん)は、立ち位置的には【陰謀論者】や【陰謀論者に好意的】な位置づけになると思われます。
すると[理念論者]の竹本ふたばや侵略者保護団体「SHIP」に対して、【陰謀論者】の小比類巻健一や凰蘭の兄・中川ひろしの描写は多角的に描かれているように感じられ、少なくとも【陰謀論者】の方には作者の思い入れを映画の中で感じられました。
このことは後章で感じられた以下の2点目の弱点につながる問題をはらんでいると思われました。
後章で感じられた2点目の弱点は、”世界が滅んでも、大切な身近な人が助かれば良い”という命題の是非です。
この”世界が滅んでも、大切な身近な人が助かれば良い”というセカイ系的な命題は、映画『天気の子』でも示された命題だと思われます。
『天気の子』は、主人公・森嶋帆高が、例え世界が滅んでも(東京が水没しても)自分にとって大切な天野陽菜が救われれば良い、との着地の作品であったと結論的には解釈出来ると思われます。
しかし個人的には、”世界が滅んでも、大切な身近な人が助かれば良い”との命題には同意しかねる、という感想を私は持っています。
この”世界が滅んでも、大切な身近な人が助かれば良い”との命題は、そのまま拡張して行けば、【自分とは身近でない”他者”の存在は無視して良い】、との結論に近づいて行きます。
そして、この考えでは、今も世界で起こっている【他民族の虐殺】という人間の蛮行を止めることは出来ません。
そこまで考えを広げなくても、今作に出て来た侵略者たちは、小山門出(声:幾田りらさん)や凰蘭にとっては大葉圭太(声:入野自由さん)などを通してもはや大切な身近な存在ですが、小比類巻健一にとってはかつての恋人だった栗原キホ(声:種崎敦美さん)を殺された相手(”他者”)に過ぎず、侵略者たちに対して【躊躇の無い虐殺】が可能となるのです。
私個人は、(特に身近な関係性もない)”他者”に想い入れが入り過ぎて身近な人への関係性が薄い[理念論者]も、”他者”の存在を無化し身近な存在だけ助かれば良いという(多くは自己撞着してそうなる)【陰謀論者】も、世界の問題の解決には短絡過ぎる間違った両極端な考え方だと思われています。
今、現在で起こっている問題の解決には、”他者”同調の[理念論者]や、”他者”無視の【陰謀論者】とは、別の解決策が必要だと思われているのです。
その解答を今作の後章では示してくれるという期待があったため、現在の問題の解決策にはならないと思われる【陰謀論者】(≒”世界が滅んでも、大切な身近な人が助かれば良い”)的なセカイ系の着地は、個人的には残念だなとは思われました。
(『天気の子』に比べれば、今作の前章で門出による首相殺害などの[理念の暴走]と(後章で明らかにされる)門出の自死の丹念な描写により、【陰謀論者】(≒”世界が滅んでも、大切な身近な人が助かれば良い”)の考えへの違和感は緩和はされていたとは思われますが‥)
後章のラストは、強大な宇宙船の爆発によって、[理念論者]の竹本ふたばたちが消滅するのに対して、(凰蘭の兄・中川ひろしは消滅しますが)【陰謀論者】の小比類巻健一は(物語の構成上、仕方のない面はあっても)生き残ります。
この[理念論者]の消滅と【陰謀論者】の生き残りという生死の選別は、作者の意図を感じさせます。
自然現象での災害が単に偶然で運命的に生死が分かれるのに対して、その自然災害のメタファーでもあった天空に広がる強大な宇宙船や侵略者の存在から起きたラストの生死の選別は、作者の作為性を感じさせ、前章にあった現在の正確なメタファーから遊離してしまった感想を持ちました。
仮に、門出や凰蘭も分け隔てなく消失したのであれば、かえって2人の関係の「絶対」が浮かび上がり、現在に通じる物語の着地となったと思われます。
[理念論者]や【陰謀論者】でない、現在に耐えうる解決策を考えられなかったのであれば、最後は門出や凰蘭も含めた主要な登場人物のほとんどが消滅した方が納得感があったと僭越ながら思われました。
しかしながらこれら弱点を差し引いても、前章の現在に耐ええる傑作さと合わせて、映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(前章・後章)は、2024年を代表する邦画になるとは一方で思われてはいます。
おんたんが救われない
原作の最後、門出の父親が出てからが本当に意味のある部分。
そこを無くしたら、おんたんのせいでただ東京が消滅するだけのパニック映画になってしまった。ただただワーキャーするだけの。
相変わらずクセが強い~
前編のレビューと同様にキャラデザのクセが強いけど今回はそれで星減点はしてません。
異星人との交流、世界線の移動、終局における究極の二択などSF要素を詰め込んでよくまとめたなと感心しました。原作ではもう少し丁寧に掘り下げたのかもしれませんが自分は内容は十分把握できました。
完結の後編なので結局「終わり方」が好みかどうかが評価の基準になりますが「天気の子」のような終わり方は自分はモヤモヤするので★3にしました。
世界崩壊⁉︎
後編です。
侵略者怖いの前編から人間の方が恐ろしいんじゃないか?という感じで話が進みます。
部分的に弱い部分、おんたんとおおば、かどでと先生などもっと深く見たい気がしました。
あまりにも主役の2人が世界の危機と無関係すぎる印象がありました。
彼女たちがどう危機を乗り切るか期待してみたので残念でしたが、キャラクターのやり取りや瑞々しさが良かったです。
点数は前後編を通じてのものです。 途中で主人公だと思っていたおんた...
点数は前後編を通じてのものです。
途中で主人公だと思っていたおんたん達が脇役になったようで、話の進行は小比類巻君と大葉君という、たぶん作者の本音と建て前みたいな二人に委ねられてしまいました。
SFとしての筋書きは何となく予想していた通りですが、あのエンディングは予測不能でした。人類滅亡まであと何日みたいなテロップが出ていたので、少なくとも滅亡はするのだろう(その後、世界がループするとかはあるかも知れないが)と思っていました。
ところが全滅エンドは回避した、ということで、逆に、何となく後味の悪い終わり方をしています(良い人たちが次々と死んで、悪い人がひょっこり生き残るみたいな)。たぶん、このもやもやを楽しんで欲しいという事なのかな、と思いました(形の上ではハッピーエンドですし)。
正直言えば、前編の何か始まるかも知れない不穏な空気の中、何とか楽しく日常を続けよう・・という雰囲気が好きだったので、全体を通じてはこの点数です。
最高でした
賛否両論ありますが、最高の後章でした。
まさかアイドルソング流しながら人類滅亡しかけるとは思ってもいないので、最高に笑いました。フュリオサよりよっぽど狂気に溢れていました。
おんたんの性格の理由には泣かされましたし、ちょっとラスト小比類巻と大葉が生きているのだけ引っ掛かりましたが、それ以外はずっと画面に魅せられていました。脇役がいいんですよね
できれば青春謳歌はしっかり聞き込んで観に行った方が、ラストに向けての盛り上がりとエンドロールをより楽しめると思います。
あまり
刺さらなかった。
良作ではあるだろうし、面白い作品とは思うのだけれど…概ね自分の趣味に響くかどうかの違いだろうな。
世界系かつ観念系?とでも言うのか?キャラが自然に好きに動いてたら大事な人だけ残りました的な
そうだな、そこだろーな。キャラ間の相手を想う気持ちはあっても、乗り越えて行くための協力とかが極端にない。大切だから踏み出せないとかもあるのだろーし、そーゆー部分を描いた作品なのだろうけど、だからこそそこに踏み込む作品の方が自分の好みだったってだけなのかもしれない
対岸の火事
幸運にも前章を前日に見れたので、何が起こるのかとワクワクしながら見た後章。
若干、肩透かしだった。
彼女達の平和な日常があまり脅かされない。
そのかたわらでは宇宙人狩が激化していて、人間に似た個体が銃殺されてたりする。
様々な主張をする団体の声が右から左なのは、それでも良くて…常に大した事を教えてはくれないし、ただのアピールなのは劇中も現実も変わらない。どころか要人襲撃に一般人を巻き込む始末。
宇宙人側の状況も語られはして…先住民族で地球に帰還してきたって話はふむふむとは思うものの、奴隷として使役しようとしてた種族に同胞をそこそこ大量に殺されていながら4年近くもダンマリを決め込むとは…相当揉めていたのかしら?
オマケにエネルギーが切れる期限まで知ってるのに…彼らは彼らで本国からの捨て石にされたんだな。結構卑劣な思想を持つ侵略者だったのだなぁ。
宇宙船は白煙を出し始めるし、国立競技場の地下で胡散臭いエネルギーは開発されるし…ここでもやっぱり広報的にはいい事しか言わず…政府が「お得ですよー」なんて事を言い出すものはホントに信用ならない。現実においても。
マイナンバーカードとか。偽造し放題のツケは政府が払ってくれるのか?
劇中、SHIPと反対組織の幹部が蜂合わすのだけど、どうにも煮え切らない。あんな程度なのだろうか?たいそうな理想を掲げてるSHIPの連中の熱意が全く感じられず…突き詰めりゃ、やってる風なポーズって事で、これもまた現代を反映してんのかなぁなんてフと思う。
とまぁ、色々と不穏な世の中になってくのだけど、主人公達は、接点があるにはあるのだがあまーり巻き込まれない。
変わらず日常を謳歌してる。
どこかで何が起ころうとブラウン管の向こうの出来事のような距離感を感じる。
時折、主人公が「黙ってどこにも行かないで」みたいな事を訴える。彼女はどこか達観していたのかもしれない。世界に何が起ころうと私に何かを変える力などない、と。だけど私の周りが平穏ならばそれ以上何を望む事があるのか、と。
諦めなのか、分相応なのか…けれどファンタジーな感情ではなかったように思う。
門出に至っては、ほぼほぼ蚊帳の外だ。
とはいえ、鳳蘭が一生懸命防波堤になってたって風にも見えず…極力、普通を演じてたでもなく、至って普通だった。
荒れ狂う台風が訪れてはいるが、家の中ではバラエティ見ながら笑ってる家族団欒のような空気感が彼女達にあった。
別に破壊を期待していたわけではないのだけれど…前章の終わりに差し込まれるファクターによって「このままでは済まない」って雰囲気があって…彼女達を取り巻く仮初の平和が崩壊はするのだろうと。
その時に初めて感じる後悔や葛藤なんかが描かれたりすんのかなぁとボンヤリ思ってはいたのだが、至って普通な日常だった。
結局のところ人類は滅亡しないようだし…。
主人公達も生きてはいそう。
ここに至り、問題に目を向けなかった事の後悔とか、隠蔽を是とする政府の在り方とか、戦争とか闘争の無意味さとか、差別や勘違いが起こす悲劇とか…なんかそんなものをひっくるめて、生きてるって事が育んでいく可能性に気付かされたりとか…そんな事が詰め込まれた「人類滅亡」なのかと思ってたりもした。
前章から受け取ったメッセージが鮮烈で…それは、脅威の隣で平和を謳歌してるって環境によるものではあって、今の温室化した現代に強烈にリンクした部分でもあった。
だから主人公達の後章に自分達を重ねもしたのだけれど、案外平和だったなぁと。
いっその事、人類の終焉を描いていたなら結構な余韻を与えてもらえたかもしれない。
そんな事を感じた後章だった。
あと…前章はそんな事微塵も感じなかったのだけど、後章はTVのように感じて、昔で言うならセル画の枚数が少ないような状態にも見えた。
つまりは、俺的には尻窄みな後章でもあったなぁ。
前後編ともエンディングの主題歌は良かったなあー
◾️追記
共感をいただく度に、その方のレビューを拝読し自分のレビューも読み返したりして、作品の事を思い出す。
蛇足なのだけれど…「人類滅亡」ってラストだったとして、死んだら全ては終わりなわけで。
例えば1週間後、もしくは3日後、あなたを含む全ての人類が滅亡する未来が確定していたのなら、あなたはどうしますか?って事で…。
そこに至り、まだ戦争しますか?とかまだ他人を傷つけますか?とかまだ嘘をつきますか?とか心残りを抱えたままでいいですか?とか。
世間が混沌を極める中、彼女達は生命ある内に、大好きな隣人がまだいる内にしか出来ない貴重な時間を精一杯生きていたようにも思えてくる。
そうでなくとも青春時代なんてのは、短期間に過ぎていく儚いもので、無垢な恋愛も友情も育めるのはこの時期だけかもしれない。
大人になるにつれ誰もが愛おしく感じるその期間を、目の前に迫る終焉と共に過ごしていく彼女達は、誰よりも「生きる」って事の価値に向き合い正直であったのかもなぁなんて事を思った。
レビューを投稿するようになり、作品を噛み締めるような機会が増えた事を嬉しく思う。
全93件中、1~20件目を表示