デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章のレビュー・感想・評価
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広げた風呂敷を無難に畳んだ
近所の映画館で前章も上映していたので、もう一度見てから臨もうかと思ったが、時間がなくて後章のみ観ました。
無難に畳みましたね、意外と平凡な話になっていた。
「侵略者」も騙されて地球に棄民された人達で地球人と共存の道を探るしか無く、侵略者が手を貸して人類と自分たちの破滅を食い止める(東京は壊滅したが)オチもそんなもんかなという感じ。
尖った不気味さが丸く回収されてしまい、ちょい欲求不満が残りました。
世の中が一気に物騒になり、それが日常になっている。門出たちは大学生になる。
前章にあったコドモ時代の最後の光の眩しさはすでになし。
これも後章が平凡に感じるところだと思う
迫りくる危機を感じつつも青春を楽しんで平和に暮らしていたはずのおんたんと門出と仲間たちの日常が容赦なく破壊され世界は180度変貌する、鮮やかな対比と転換に力点をおいて残酷な現実が描かれたほうが前章で感じた(期待した)世界観に合っている気がしました
後章は門出ではなくおんたんが主役だった。
お互いに「絶対」である門出とおんたんの話ではなく、おんたんと大葉くんの話がメインになっていたのはちょっとズレている感じ。
おんたんが門出が飛んでしまう過去を変えた引き換えに、侵略者が東京上空に飛来することになり、大災害が起きてしまったということでしょうか、間違っていたらスミマセン
一気に壊滅は防げたが、地球の汚染が進んで緩慢な終末がくるのかも
おんたんはこれから、門出に言えない罪悪感に苛まれることになるのかも
中川自動車のお父さんも、渋滞で動けなくなった中川ひろしも、キホちゃんだったかあいちゃんだったかの弟も、帰らない人になってしまった
おんたんは、「絶対」の門出を助けたために、個人的にも大きな代償を払うことになった。
十分残酷な現実ですが、それでも彼女たちは生きていくのでしょう、という余韻が残りました。
予習必須だが、前半の印象を全部捨てて、1から観るぐらいの気持ちで臨もう
2024.5.28 TOHOシネマズ二条
2024年の日本映画(120分、PG12)
原作は浅野いにおの同名漫画(小学館)
前章にて、中型宇宙船の墜落によって、侵略者たちが東京上空にばら撒かれる続きが描かれていく
監督は黒川智之
脚本は吉田玲子
物語は、前章にて、福井から上京してきたふたば(和氣あず未)とマコト(白石涼子)の目前で、撃墜された宇宙船から侵略者たちが東京上空に投げ出される様子が描かれて始まる
その後、政府は民間人でも侵略者を殺しても良いという法案を通し、侵略者をハンティングする集団が形成されていく
陰謀論に傾倒していた小比類巻(内山昂輝)は、ゲリラ団を結成し、その力を強めて行った
その頃、SES社では宇宙船の動力分析が行われ、開発責任者の宝田(松田健一郎)は、未知の物質「F粒子」を発見した
彼はそれを利用した兵器開発を始め、政府は秘密裏に方舟を作って、要人を退避させる計画を練っていた
それは、宇宙船の動力を調べたところ、それはまもなくオーバーロードし、爆発する危険性が指摘されていたからである
そんな危機が差し迫っているとは知らず、おんたん(あの)と門出(幾田りら)は普通の生活をしているかと思いきや、おんたんは大葉(入野自由)と接触したことによって、ある過去を思い出すことになってしまう
それは、小学校の頃に宇宙人を捕まえたおんたんと門出だったが、それを機に門出は精神的に不安定になり、宇宙人の道具を使って暴挙に出ていた
そして、思いがけない犠牲者を生み出したことで、門出は自殺をしてしまっていたのである
おんたんはその過去を変えるために、大葉から借りた道具にて、門出が宇宙人と出会わないように仕向けた
それによって、本来来るはずのない宇宙船が地球にやってくることになっている
そして、宇宙船に乗っている侵略者は、かつての地球人であり、人類を一掃して、前の地球に戻そうと考えていたのである
映画は、宇宙船はなぜやってきたか問題を説明する流れになっていて、そこで過去の改変が行われたことが仄めかされる
そして、大葉とおんたんは宇宙船の爆発を阻止するために共闘するのだが、そこに小比類巻が邪魔をするという構図になっている
小比類巻は生き残った人類の救世主になろうと考えていて、宇宙船が爆発してくれなければ困る存在だった
だが、2人は小比類巻の迎撃に成功し、宇宙船の動力を止める寸前まで辿り着くことができたのである
個人的には、門出とおんたんのバディものだと思っていたので、門出が自分の過去を知り、自暴自棄になって小比類巻に加勢して白紙に戻そうと考えるのかな、なんて想像をしていた
で、実は全ては夢の話でというオチかと思っていたが、実際には「おんたんと大葉のバディもの」にシフトチェンジし、まったく別の物語が終わったように思えた
特典でもらったポストカードが「おんたんと大葉」だったので、嫌な予感はしていたが、それで良いのかと思ってしまう
予想が外れた云々より、主人公が交代したかのような感覚で、俯瞰すれば群像劇ではあるものの、前半のテイストからは随分と逸れてしまったように思えた
いずれにせよ、映画のために書き直されたエンディングがどんな改変になっているのかはわからないが、原作もこんな感じに後半で門出がモブキャラになってしまうのかは気になってしまう
前章の宣伝とか、キャスティングを考えると、後半のバディチェンジが唐突なのか計画的なのかは何とも言えない
結果として、前章を観た観客が「観たいものを観れた」のかはわからないが、個人的には「え〜」という感じなので、ズレた期待をしていたことになる
全体を通して観ると印象が変わるかもしれないので、時間ができたら通して鑑賞してみようかな、と思った
満足したけど前章ほどの傑作だったかというと……(笑)。日本のオタク文化の総決算的アニメ。
結論から言うと、素晴らしかった。
これだけのアニメ映画はここ数年でも、そうそうなかったと思う。
ただ、……前章の出来があまりに良すぎて、
後章で何をどうつくっても不満は残ったんじゃないかな(笑)。
ちなみに僕は、前章を予備知識ゼロ、原作未読で鑑賞して、
〈セカイ系としての非日常+『けいおん!』に由来する日常系。祖型としての『ドラえもん』と『インデペンデンス・デイ』と『SF/ボディ・スナッチャー』。創作背景としての「3.11」と「コロナ禍」、そして「安保」。なんだか、日本のサブカル、日本のアニメの「総決算」を見せられてる感じがする。(ない要素は、時間の巻き戻しと異世界転生くらいだが……後編にあったりしてw)〉
と書いた。
あれ? 俺、結構、いいところをついていたんじゃないの?? さすがじゃない?
……って、これは逆に、作中で思い切り大葉くんが「彼女はシフターだ!」って言ってたのに、意味を全然とれていなかった自分の不明を恥じるべきところか(笑)。
というわけで、「セカイ系」に「日常系」を接ぎ木して、『エヴァ』的な外敵襲来を描いた前章に続いて、後章でも、『シン・ゴジラ』的な危機管理群像劇に、野崎まどっぽい宇宙人との交流、宇宙人と少女の純な恋愛、さらにはタイムマシンを使ったタイムシフトに、巨大母艦上での空中浮遊バトルなど、どこかで見たような要素がてんこ盛りに盛られている。まさに、「終末論的SFアニメ」のこれ以上望み得ないようなスペシャル盛りだ。
先学の叡智を結集した、日本的サブカルの総決算的なアニメが生みだされたという前章の感想に、変えるべきところは寸分も見あたらない。
弱小設定の宇宙からの侵略者というと、僕なんかは結構なおじさんなので、『陸上防衛隊まおちゃん』とか『ケロロ軍曹』を思い浮かべる。あと、たぶん誰も知らないと思うが、本作での宇宙人の虐殺されっぷりは、KAKERUの『天空の扉』に出て来るゴブリンたちの扱いにちょっと似ている気がする(笑)。まあ、小さくて緑がかっているのは、かつて宇宙人といえば誰もが思い浮かべたであろう「グリーン・マン」(フレデリック・ブラウンの『火星人ゴー・ホーム』にも登場するアレ)が祖型だからなんだろうけど。
後章では、宇宙人の処遇をめぐって争う二つの市民勢力と、暗躍するテロリスト集団、内密に巨大なプロジェクトに取り組んでいるS.E.S社、周辺のジャーナリスト、そして滅亡の時を間近に控えながら、当たり前の青春を送ろうとするオカルト研のメンバーの様子が交互に描かれる。
臨界に達しようとしている母艦(もちろん、フクイチの暗喩でもある)をめぐる、最後の攻防と瀬戸際の回避作戦。そして、いよいよやって来るカタストロフィ。
その時、人々は……。
― ― ―
最初に言ったとおり、出来栄えは前章につづいて良かったかと。
ただ、前章と比べてパワーダウンしたかな、という部分はどうしても否めないので、(作品の価値を貶めるつもりはないんだけど)以下に思うところを列挙しておく。
●まずヒロインたちが女子高生か、女子大生かってのは、結構大きい。
気持ち悪くてすいませんね。でもやっぱり、
女子高生ってのは無敵なんですよ(笑)。
大学にはいっちゃうと、どうしても何かが違ってくる。
半分はもう大人になってしまうから、
はにゃにゃフワ~がただのバカに見えてきてしまう。
「絶対」が若干マヌケな約束に見えてきてしまう。
●ヒロインの性格の逆転劇に関しては「タイムシフト」によって、相応に納得のいく解決がついて良かったのだが、やっぱり、門出の命を救う代わりに世界が滅んで上等というのは、作品内の理屈としては納得しても、どうしても体感的に受け入れがたい結論でもある。
●宇宙人の異常なオーバーテクノロジーと、バランスを欠く意外なまでの武力面での弱さという部分には、個人的にあまり納得のいく回答を得られた気がしなかった。
ふつうに「地球人のほうが強い」と宇宙人側が言っておしまいになっているが、反撃用の武器すら持ち歩いていないし、強固に無抵抗主義を貫いている感じがするのだが、その理由が今一つよくわからない(きわめて平和的な種族なのかと思ったら、ふつうに侵略して地球人を奴隷にして使役するつもりだったとか言っているし)。
●さらには、イソベやんにせよ、大葉くんにせよ、彼らを見ていてもわかるとおり、この宇宙人たちは「やろうと思えば」容易に地球人とコミュニケーションがとれるのだ。
なのに、誰もとろうとしない。状況が悪化するに任せている。なんで??
敵対しているとはいえ、侵略の意図はないとか、もうすぐ爆発しそうなので協力してほしいとか、一緒に退避できないかとか、いくらでも「対話の可能性」はあると思うんだよね。
あと一ヶ月でもろとも全滅するっていうのに、なんで一縷の望みに賭けようとしないのか?
正直、最後までいがみ合って滅んでいく宇宙人と首都政府の双方のディスコミュニケーションが、観ていて理不尽すぎる。
●宇宙人絡みの描写は、他にもいろいろ違和感があって、あんな巨大な宇宙船でやって来るような連中が、一つのフロアに虫みたいにびっしり蝟集してたりしない気がするし、みちみちに集まって満員電車みたいに立っているからといって、母艦が攻撃されてもあんなに雪みたいに降ってきたりはしないと思う。だいたい、恒星間飛行が可能な技術を持つ高度な文明種族でありながら、仲間内でしゃべっていることが、幼稚というか短絡的というか頭が悪そうなのがどうもピンと来ない。母艦が地球に来た理由や見捨てられる流れなんかも、お前らさすがにマヌケすぎないかと思ったり。動力炉を止めるキーワードをイソベやんが告げるタイミングも、どこかで人の思考を遡行して覗いている仲間に伝わるようにってのは、かなり無理がないか?
●やはり、この物語は「門出とおんたんの物語」だったから猛烈に面白かったわけで、人の皮をかぶってはいるが中身は緑色の河童みたいな大葉くんに後からいくら大活躍されても、なんとなく乗り切れないのは確かなんだよね。
さらに言うと、本質的には「百合」の物語だと前章で刷り込まれているので、大葉くんとおんたんのラブ要素が微妙に邪魔に感じられてねえ。
●あの最後の大爆発のなかで、爆心地近くにいた小比類巻君が助かっているらしいのとか(そもそも空から落ちたんだけど、どうやって助かった?)、大葉くんが助かってるのとか見ると、一方で全滅したらしい亜紀の四兄弟とか、何をこれからやろうとしながら死んだのか今いちよくわからない自宅警備員兄貴とか、ひたすら不憫。
あと、空に飛び去ったOCEANって結局どうなったんだっけ?
●とにかく、やっぱり前章ではまだほのめかしに過ぎなかった、大量死と都市消滅が現実のものとなったことで、セカイ系としてはこれでいいのだろうが、やはり起きてしまったことに対しては他人事ながら無力感があるし、かなりの勢いで人災なので回避する方法があった気がするし、なりゆきで合宿に行っていたおかげで助かった主人公コンビにも、前章ほどの思い入れを持てない感じがある。
●ちょうど『関心領域』と続けて観たというのも、若干どんよりとした気分になった一因かもしれない。両作の扱っているテーマは意外に近いところがあって、大変な地獄が展開しているすぐそばにいたとしても、半径10mの幸せを求めて、周辺の愛する人々だけを見て「とりとめのない日常」を生きていれば、だんだん「今そこにある危機」は鮮明さを喪い、当たり前の日常の後景として気配を消してしまうものだ。
個人で考えても如何ともし難いくらい巨大で悲惨な現実を前に、「見ざる聞かざる言わざる」の精神で平穏な日常に積極的に逃避しているという意味では、門出とおんたんのやっていることは、『関心領域』におけるルドルフ・ヘス(アウシュビッツ収容所長)と妻ヘドヴィッヒとそう変わらない気がする。別に、タイムシフト後の二人がとった「日常」戦略を否定するつもりはさらさらないが、やはりちょっと居心地の悪い印象が(『関心領域』を観たあとだと)してしまう。
― ― ―
とはいえ、もちろん面白い部分もたくさんあった。
とくに、宇宙人をめぐって過激な排除派と宥和派の団体どうしがいがみあっているあたり、浅野いにおが一番やりたかったのって、実はこの辺だったのではないかと思うくらい生々しかった。
たぶん原作者のなかで、60~70年代あたりの、欧米で若者たちが必死になってプロテストに明け暮れ、日本でも安保闘争の風が吹き荒れていた時代に対して、大きな関心だったり憧れがあるんだろうね。当時は、小比類巻君のようなテロリストたちも、各地で跋扈していたし。
最近は、アメリカで反イスラエルのデモが大学生の間で盛んになってきているし、また時代がひとめぐりした印象もあるが、その意味では『デデデデ』は今度は時代を先取りしているといえるのかもしれない。
竹本ふたばがSHIPの活動にのめりこんでく流れとか、マジであんな感じだよね。
同じ大学に一緒に行った高校の同級生が、宗教にはまって現世に帰ってこなかったのを懐かしく思い出した(原理研=統一教会。当時は親御さんが僕ら同期合格組に、なんとか彼を助けてやってほしい、教団を抜けさせてほしいと懇願の連絡を入れてきたが、10年くらい経ったころ、自分の親から「ご両親も追って入信されたそうよ」と聞いて、アゴが抜けるくらい愕然とした……オチがこわすぎる)。
あと、僕自身はちょっと政治&国防関連の描写は図式的に過ぎるというか、戯画的に描きすぎている印象があったが、仕事で付き合いのある防衛省関係者は、「これだけ正確に自衛隊特有の用語や言い回しを再現しているフィクションは珍しい」と絶賛していたことを申し添えておく。その人物は、本作に登場する隊員の考え方や行動規範についても、現実の自衛隊をよく取材して描かれていると感心していた。
総じて多少文句もあるが、これだけ完成度の高いアニメ映画を観る機会はそうそうないのも確か。若干終わり方に不満が残ったからといって、徒に作品の価値を低く見積もるのもフェアじゃないと思う。せっかくなので、機会を見て原作のほうもぜひ読んでみたい。
これはこれで良い
原作とは異なるエンディング。
これはこれで良いと思う。むしろ、こうなると思っていたのを一捻りしているのが原作。
そういう意味では素直な終わり方。
この先、二人がどうなるのかは、まったく分からないけれども。二人なら大丈夫、と思える作品。
そのオチか、あまりにイマイチ
ネタバレしたくないのでふれないがイマイチすぎる。前章がよかっただけに残念。ちょっとだけ原作読んで原作のオチは5つ星だったので原作者の名誉のためにあげた。
で、コミックのオチのほうがよかったというので見てみた。確かにその通り。こうならなかったのは空母いぶき同様外交筋からの批判を避けるためだったのだろう。実に残念。
ほんと、原作のオチ変という手法はありがちなのでいいがあまりに残念な配給会社が外交筋と政府クレーム予測に萎縮した結果のポプテピピックでいうクソ映画になったのは大変に残念である。
地球の運命も大事だけど、彼女たちの青春は止まらない
前章に続き、また彼女たちの青春に触れることが出来ることだけで十分鑑賞した甲斐があったと思える。
それくらい、彼女たちのキャラクターは魅力的だと思う。
今作は彼女が大学生になり、人生でもっとも自由な時間ともいえる時期が描かれる、そんな彼女たちの普通の青春に触れることが出来る。
より自由になるはずの大学生活のはすが、侵略者?の問題によって心からの自由ではなくなってしまう。それでも自由な時間を送ろうとする彼女たちに観てるこちらは勝手に心打たれて、勝手に感動をしてしまった。
伏線ネタ回収
前編の続きです。
高校を卒業し皆同じ大学に進学。
そして部員の少ないオカルト研を乗っ取ろうと画策するが…
この映画の1番の見所は伏線回収でしょうか。
何故おうたんは門出と突然友達になったのか、
おうたんはいつも破茶滅茶で涙目でよだれ垂らしているのは何故なのか。
門出の小学生時代のやらかしはどうケリがついたのか。
大葉の中の侵略者は敵か味方か?
そもそも侵略者の目的とは何なのか?
全て決着がつきました。
映像は侵略者の緑色っぽい血飛沫飛びまくるし人間の血飛沫飛びまくるしグロもあるしR12は仕方ないか。
ただ水着などサービスシーンもあるしポロリもあるよ(乳とは言ってない)。
内容的には結構哲学的で考えさせられる事も多い。
とにかく前半見たなら後半は見た方が良いです。
一応スッキリします。
原作ファン目線です!
原作とは違ったラスト。ラストで泣きました。
これはこれでいい。周りもチラホラ泣いてました。
シンエヴァ的な要素もあり尊敬の意があったのかガフの扉を思い出しました。美しかったです。劇場で観れて良かった。
侵略者を無慈悲にも殺しまくるところは劇場だとなおさら胸が痛くなりました。侵略者にも理由があるんですよ..
大葉くん、、すき、、、
お兄ちゃん、、すき、、、
絶対的2人も大好き、、、
門出のお父さんの所を中途半端に入れるわけではなくすっぱ抜いたのも良いと思います。
議長の声が竹中さんなのも素晴らしい。
思わずパンフレット買いましたわ。
絶対的2人には一生仲良しでいて欲しいと願うばかりです。
しっかり楽しめましたが……
ひたすらカオスだった前章を綺麗にまとめ上げ、非常に心に残る怪作ではありました。ただ、前章の直後にすぐに観たかった作品ですね。
前章から時間が経ち、その興奮は薄れ、お話の細部も少し忘れ気味の中で、前章で残された謎を丁寧に丁寧に紐解いていくため、一つ一つ明かされる真実に「なるほど」とは思っても驚きまではせず、淡々と作品世界を理解していく2時間です。
主要な要素以外のいくつかの謎は残ったままですし。
ハードな世界設定とゆるふわな日常のコントラストも物語の進展と同時に、後者の要素は薄れていくため、本作独自固有の魅力も前章ほど際立ってないです。
門出の見せ場がほとんどなくなり、話の中心がおんたんと大葉になってしまうのも、肩透かしに感じる要素です。
なのでイベント上映で前章・後章を続けてみた人が本当に羨ましい!!
壊れゆく世界と、壊れない“絶対”
原作読み返してないけど、後章はだいぶオリジナル色が強く、そしてえらく駆け足だった印象。
キャラの掘り下げや関係性の構築がかなり浅い。
大葉がブロッコリーの家にいたことや、門出の家に来たことなんかには説明ナシ。
マコトはいつの間にカミングアウトしたのか。
大葉がマコトに正体を明かしたり過去を見せるほど二人の交流も描かれていない。
青共闘やSHIPの過激化への流れが薄いので、結果的に小比類巻やふたばも薄くなっている。
大人サイド(政府、自衛隊、S.E.S社など)は前章に続いてカットが多いが、ここは妥当か。
とはいえ、感情はしっかり揺さぶってくる。
特にあのちゃんの演技は本職とはまた違った味わいもあって、素晴らしいのひと言。
門出とおんたんの友情に振り切ってたこともあり、互いを「絶対」と言うシーンには涙腺が緩んだ。
挿入歌も状況とのアンバランスさが絶妙で、何とも言えない気持ちに。
おんたんが銀杏BOYZのTシャツ着てるのも嬉しかった。
締め方は正直スッキリしないけど、丸ごとなかったことにした原作よりは好き。
ただ、ひろしや渡良瀬が亡くなっているだろうことを考えると流石にアッサリ過ぎるかな。
そして、こうなると本当にツダケンの無駄遣い。笑
作画や演出は最高だったが、メインキャラ全員出すとなると吉田さんでも畳むのは難しかったか。
大人になったみんなも見たかったなぁ。
20年代のセカイ系
前章は原作未読で鑑賞したので、これは面白い「セカイ系」アニメだわ、と純粋に楽しめました。速攻で原作漫画を読破して、今回の後章は答え合わせ的に観ました。
まずは、面白かったです。80年代のAKIRA、90年代のエヴァ、00年代がハルヒ、10年代がまどマギ、と並ぶ20年代を代表する「セカイ系」作品と言えるでしょう。
元来のセカイ系は、地球規模の「世界」と、自身の周りの「セカイ」のどちらを救う、というテーマに、大雑把にいえば、コレらの作品は「両方救うぜ」ってマッチョな回答。
で、新海誠が「天気の子」で「いや、好きな女の子の方でしょ」って、違う答えをしかけたけど、「やっぱ世界も救っとくか」って救いを入れました。テーマ的にはズルい感じでしたが、ラストの神々しさにやられた感じ。
で、デデデデも「天気の子」を引き継いでセカイの方を救う話。引っ込み思案のおんたんは、自分とセカイを繋いでくれた門出さえいれば、世界はいらない、って答え。
これが今の世相ってことでしょう。もはやトランジスタも、ロボットも、Kawaii・萌えも、世界を救えない、ってことなのかな〜
最初にあげましたが、この作品は過去の名作を重ねてきますね。
掴みは使徒襲来でラストは光の十字架でエヴァ、子供みたいな年寄りにSOLの斉射なAKIRA、キホはマミられてループして門出を救うまどマギ。結局、この世界はおんたんハルヒが造りだす閉鎖空間なんじゃね?キョンになり損ねた大場くん。
これはパクりとかではなく、、、音楽でいうコード進行の類似性みたいなものです。よく言われる「丸サ進行」のようなもので、いくら「決戦は金曜日」が「Got to Be Real」でもドリカムは素晴らしい、ってことです。
セカイ系作品としては素晴らしいのですが、どうも古いオタクの自分は、ついつい元ネタ合わせに走ってしまい、純粋に楽しめなかったな〜、という感想でした。
運命を変えろ! はにゃにゃふわ〜♪
大したことないのに大層な見せ方してくる作品が多い中で、ノーランやキャメロンが実写映画化してもいいような壮大なストーリーを、敢えてはにゃにゃふわ〜って見せてくるこの作品はすごいと思う。
それが作者の意図するところとはわかってはいるけど、
はにゃにゃふわ〜でないシリアスな大作としても観てみたい。と同時にはにゃにゃふわ〜だけの女の子たちの青春映画も観てみたい。
なんとも欲張りな気持ちにさせてくれる作品だ。
サブキャラの何人かは、やはりビジュアルが受け入れ難い。
当初の予定通り、前章公開から1ヶ月あたりで公開した方がよかったんじゃないかな。3ヶ月あくと記臆が、、。おさらいしてから観に行けばよかった。
主役二人の声、キャスティングが成功。
この内容であの主題歌の気分で劇場を後にすることができるって、この作品はただものじゃない。
前章、後章ぶっ通して見直したい。
運命を変えたければ自ら変われ!
上空に円盤のある生活が続く中、大学生になったヒロインたちの生活も続いていました。地球と宇宙人それぞれの想いが交叉した先に何があるのかが描かれる後章です。
前章のエンディングが鮮明に記憶に残っていて、あの場面
から後章へとどう繋げていくのか。そしてどんな着地をさ
せるのか。とても気になって仕方がないです。・_・ハイ
そんな期待に満ちて公開2日目に鑑賞してきました。
# 公開2日目の鑑賞は、私的にはとても早いのです
で。 前章の終わりはというと
宇宙人の円盤(大)にビーム攻撃する地球軍(自衛隊?)。
崩壊する円盤の中からバラバラと地上に落下する宇宙人。
という場面でした。
こんな場面を受けての後章スタート。 …と思いきや
再び平穏な生活(一見して)の主人公たち。
高3だった門出やおんたんたち、大学に進学し1年生。
一見して変わらないような生活の中にも変化ありです。
# 円盤の宇宙人との共生を図ろうとする集団。
# 宇宙人は全て抹殺すべしと活動する集団。
# 地球から方舟で脱出しようとするエライ人たち。
門出やおんたん達の周りにも新たな人が増えました。
その中の一人、大葉クン。前章でもチラリと登場しては
いたのですが、敵か味方かも分からない謎キャラでした。
それが後章では、かなりの重要人物。・_・; あら
実は、地球人と宇宙人を繋ぐキーマンで。 あらあら
地球側に色々な考えの人たちがいるように
宇宙人にも色々な人たちがいる(居た)のです。
# 地球人を絶滅に追い込もうとする者たち。
# 全ての宇宙人を虐殺しようとする者たち。
# 宇宙人と地球人と共存の道を探す者たち。
色々な思惑が混じり合って、争いの行方が混沌としてきます。
果たして、地球の運命は?
円盤のいる日常は続くのか?
人類は滅亡するのか? 宇宙人は?
…
気になる方は劇場へどうぞ。 ・∇・/
◇
前章を観て、後章に期待していた者の一人として
少なくとも自分にとっては、納得のいく終わり方だったと
思っています。
(意見が分かれそうな気もしますが… ・_・;)
個人的に前章で疑問に感じていた
# 円盤から降ってきた宇宙人の正体は? とか
# 小学生パートと高校生パートは同じ時間軸か? とか
# くしゃみすると顔が割れるイケメン君の正体 とか
これらは全て決着がつきました。 ほっ
その意味でも、観て良かった。
私は満足しました。・_・
◇余談
宇宙人を抹殺する組織(名前忘れました)のヒト。
顔が ” ゲゲ郎 ” に似ているなぁ と思って観てました。
(「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」)
性格は…似てないかも ですが ・_・;
◇最後に
「かどで と おんたん」二人はそれぞれ「絶対」の存在。
世界が滅んだとしても、周り全てが敵になったとしても。
” 私だけは味方だからね ”
実はとても、友情と愛情に満ちたお話だったのですね。
アンとダイアナ(赤毛のあん)みたいな二人に思えてきて
とても良い感じの余韻に浸っています。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
絶対!日常と絶望がバランスするかなり濃厚な2時間
かなり濃厚コッテリな後編 前編での話の回収に日常に恋愛に新キャラに思想活動にキャンパスライフにアクションにてんこ盛りw
いい感じのいにお感 めちゃ絶望だけど日常とのバランスがすごくスッと入る感じ なんかすごく上手い
たとえ何がどんな絶望でも好きを超える絶対な存在
ちょっと泣けた
自宅警備員兄貴!最高!
楽しい〜って感じにはならないけど
2024年劇場鑑賞121本目。
この時代に作られてほんと良かったと思います。もうちょっと作られるのが早かったら凰蘭があのちゃんじゃなかったと思うとゾッとします。それくらいハマってました。
まぁ前編で世界が滅亡するって言ってるので後編はきつい展開になるんだろうな、と思っていたら意外と世界はのんきに侵略者いじめをしていて、結構知らない間にえらいことになっているというのはこの作品が訴えたかったことなのかな、と思いました。最終的に自分の好きじゃないオチに向かっていったのでちょっとマイナスしましたが、面白かったです。
危機感なき者は罪人か。
題名のごとくデッドデッドデーモンな後編でした。
前編はポップぽいものに騙されてましたが、後編はR-15だと思いました。
伏線回収やイソベヤングッズの登場など、集中して観れた後編でしたが、中々エグいと思いました。
ビターなラストの展開に評価3.5としたのは、歳とって心が揺れやすくなった証拠でしょう。
普通、ド◯◯◯ンとエ◯◯◯◯◯ンを混ぜてもこうはなりません。
創り手の信念を尊重します。
前編を見直しての鑑賞をおすすめします。
青春謳歌
さぁいよいよ人類滅亡だ…!となった前章から2ヶ月。
大学進学後のおんたん達の日常からスタートするかと思いきや、侵略者たちの殺戮から始まるエグいスタート。顔面貫通に首切りと中々キツい絵面でした。
PG12にレーティングが上がった理由も納得です。
今作はおんたんと門出の物語というよりかは、大葉くんの為の物語な気がしました。
おんたんとの恋愛だったり、侵略者と人間との境目を彷徨う大葉くんが一歩二歩踏み出すというのがテーマのようで、思っていた後章とは違いましたが、淡い青春模様が楽しめて良かったです。
死の泡の破壊力も目を塞ぎそうになるくらい血飛沫(直接的描写はなし)を飛ばしていて、おそらく腕が弾け飛んだり、顔がグチャグチャになったりしてるっぽいので、これは原作を確かめねばとなりました。
予定通りというか、やはりというか、母艦が大爆発して東京一蹴。
瞬く間もなく消えていく恐ろしい絵面にはゾワっとさせられました。
若干というかかなり強く旧エヴァ味を感じてしまいましたが、この手の作品だとそこも大なり小なり被ってしまうのはしゃーないかなと思いました。
どんなに勇気があろうと、どんなに絆の力が強かろうと、どんなに策略を練ろうと、超常現象にはサラッとやられるという容赦のなさでした。
お兄ちゃんがマジで良い台詞を言ってたけど、選択肢を間違えてというのも心にグサッと刺さりました。
救いがあるようでないようなラストは余韻があって、個人的には良かったと思います。
人類滅亡があっという間に来てしまった時の選択肢、なるべく安牌で、でも助かるラストを選択したいなぁって思いました。
とりあえず原作も1から追いかけようと思いました。
はにゃにゃふわ〜。
鑑賞日 5/24
鑑賞時間 15:00〜17:15
座席 K-3
メタをメタ
限られた上映時間の中で、
サブプロットの取捨選択は断腸の思いだっただろうが、
その選択こそが作品の核となるテーマを際立たせることに、
かろうじて成功していた。
かろうじての意味は・・。
多少前半(本作の)の展開、プロットの動きが乏しい、
その理由を推測する。
■二つのメインプロットの可能性
もし、本作をかどでとおんたんの【絶対】を中心にメインプロットとして構成した場合、侵略者、日本政府、反政府組織はもっと削減最小限に抑え、小比類巻のシークエンスは残す必要があるだろう。
一方、
侵略者と爆発阻止をメインプロットに据え、
かどでとおんたんの物語を並行的に描く構成にした場合、
爆発阻止は〈論理で展開〉で構わないが、
かどでとおんたんは、
〈感情でドライブ〉させないといけない。
かどでと先生のシークエンス、
おんたんと大葉くんのシークエンスは大変惜しいが削除せざるを得ない。(おんたんの気持ちの変化を強化、絶対との葛藤等入れたいが難しい、感情のドライブは尺が必要(一般的なハリウッドアクション映画は感情は最低限にして、論理で展開させる事件、事故をメインプロットに置いて見やすくする))
■10話程度のドラマでじっくり見たい。
かどでが先生に対して抱く愛情と先生の複雑な気持ち、
おんたんの絶対とLOVEの葛藤(地球はどうなる)、
先生の過去や裏設定、
おんたんの兄の【絶対】、
(兄貴、もっと見たい!)
これらの要素を丁寧に描写することで、
キャラクターの深みが増し、
作品のテーマ性がより明確になっただろう。
一見斜に構えた表現が多いが、
斜に構えるのを
更に斜に構える、
結果的に正面に立ってしまう・・・・
または、
地球なんて滅亡してしまえという、
メタ的なスタンスを、
更に、
メタ的に描いて、
結果、え?・・
世界の中心で・・
愛を?・・・
叫んでるの?・・・俺・・・
マジか・・・
結果地球の真ん中にいるのか・・・・
限られた上映時間の中で、
全ての要素を完璧に表現することは難易度が高かったが、
原作マンガはその辺を、それ以上の事をやっているのだろう。
世界の終わりに優先する二人のセカイ
3月末に前章(青デデ)を観て以来、後章(赤デデ)はどんな展開になるのか、どのように着地させるのかとてもとても気になっていた。というのは前章はほぼ原作通りなのだが、原作はあのあたりからもの凄く複雑な展開をしており筋通りに追いかけるのは不可能だろうなと考えていたからである。
結論から言うと短縮はあったが概ね世界観に改編はなかった。映画の最後の方は実はドキドキしていた。大葉と小比類巻の母艦上の戦いは原作通り。ただ原作では大葉は動力炉には到達できなかったはず。ひょっとしたら母艦を無事着陸させて侵略者と人類が仲よくなるといったハッピーエンドかと冷や汗がでた。
結局はそんなことにはならず、壊滅すべきものは壊滅しアスタリスクが地上に降り注ぐ。地球くそやばい(アスタリスクが何かについては映画か原作をごらんね)大葉君の活躍は状況を少しましにしただけだった。
原作はこのあとまだ10話分くらい続きもうひとひねりしてあるんだけど映画はこれで十分ですね。
原作も映画もディストピアを描こうとしているのではなく、門出と凰蘭の結びつきの強さ(過去世界と日常世界の隙間ない共有)を表現したかったのだろうから。それは映画でももちろん成功している。
そういう意味では、前章の初めと後章の終わりで門出と凰蘭が手を繋いでいるところ、凰蘭の反対の手にトランジスタラジオが握られているのが象徴的だった。もちろんこれは忌野清志郎の本歌取り。トランジスタラジオは外界との通信手段ではあるのだが同時にそれは自分たちは外界とは隔てられた内側世界に居ることを表している。
ちなみに後章のトランジスタラジオは映画のオリジナルなのだと思う。わかっているじゃないですか。
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