「前編との印象の違いに、自分でも驚いた」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
前編との印象の違いに、自分でも驚いた
個人的な諸般の事情により、観られなかった後編をやっと観られた。
だいぶ期間が空いたせいか、またスクリーンではなく配信での視聴だったことが理由かはわからないが、前編を観た時との印象の違いに自分でも驚いた。
前編では、門出とおんたんの無敵感にそのまんま乗っかって一緒に突っ走れたのだが、後編は、ほぼ全ての場面でブレーキがかかった。
こういう言い方をすると、この映画のつくりや描き方に対して、否定的に聞こえるかもしれない。でも、そういう訳でもなく、あえて前編と後編に分けた意味も、そこにあるのではないかと肯定的に思っているくらいだ。
この後編、自分にとっては、観客がその場その場で何かしらの疑問点を抱くように、意図的に少しずつ極端な描き方をしているようにも感じられた。賛成派、反対派、それを揶揄する者たち、傍観者等々の振る舞いを、ストレスに感じたり逆にスッキリしたりというのは、人それぞれだと思う。でも、それがどれも「100%同意にはならないような描き方」と言えばいいだろうか。どこかザラっとした居心地悪さを感じて、そこから問いが生まれてくる感覚を味わった。
しばらく前に、フォロワーさんから教えていただいた、イェフダ・アミハイというイスラエルの詩人の詩に「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」というものがある。その詩をもとにした、同じくイスラエルの作家のアモス・オズの同名の本の中では、「わたしたちが正しい」を譲れない者たちを「狂信者」と表現していたが、今作に登場する人々の多くが、何らかの譲れない「狂信者」なのだ。それは、お互いを「絶対」と表現する主人公2人も同様だ。だから、観た後のカタルシスがあまりない。
自分はこの映画の中で、マコトの「悪いと思うなら、こっち世界で責任取るのが筋ってもんじゃねぇの」の一言が一番響いた。マコトのナチュラルさに、ホッとした。
コメント返し、ありがとうございます。
なんだか、今現在の日本が、前章で描かれた、崩壊がすくそこに見えているが始まる寸前、安寧な最後の日常ではという気がしてなりません。
ある時から、あれよあれよというまに冷酷で残酷な世界が始まる。
というような。そうでないことを祈りたいです。
今、配信されている18話バージョンは0話と17話が映画版では全くありません。(0と17話
だけ全く違うと言うので配信で見ました)。私が疑問に思っていた門出のパパが登場します。映画では前・後章併せて4時間しかなかったのに6時間もあるので時間があるときに全話観ようかと思っています。
何せ観たのが半年以上前なので。忘れかけてましたがそういえば前作(青デデ)に比べてドライブ感が薄かった。当時はこの複雑な作品を映画化する難しさから来るものだろうと単純に考えてました。貴レビューを読んで思ったのは、観ている自分の視点や価値観を微妙にブレさせるような作り方がされていたのかなと。
確信犯ですね。