「おんたんの諸行無常」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
おんたんの諸行無常
◉無双する女子大生
前章は女子高生が無双する話だったので、予告編でおんたんと門出が同じ大学に行くと知って、さらに生温かく無双する女子大生二人の姿態が見られると期待。
でも、大人にはならない二人。若く青臭く、子ども返りしていくのだなと思っていたら、タイムトラベラーだったおんたんに驚愕。更に門出が元死者だったことにもびっくりと悲しみ。思いっきりSFであり、ファンタジーではないか?やはり時間の経過とかを否定した女子たちだった。可愛い顔はしながらも、超越している。
◉あれは血ではない
世界はいったん形成されて稼働を始めたら、細部では生真面目に喜怒哀楽を繰り返しても、全体は個々になど構わずに無造作・無神経に在り続けるものなんでしょう。それがつまり、個にとっても全体にとっても、一番の利だったりする。しかし、ある日いきなり崩壊に向かったりもする。
理解して繋がろうとして、それが難しいと判断すれば、撲滅に向かう。目玉を擁護するサイドも削除するサイドも、利用して覇権を握ろうとするサイドも存在して、空でも街でも目玉たちは異様なぐらい容易く斃されてしまう。
しかし、目玉たちが流すのは血ではなく、あれはただの緑色のペンキではないか? ヒトたちが殺りくに向かう時、脳内では血が例えばペンキやトマトジュースに置き換えられるのではないか。そんな感覚を覚えました。
一滴ならば血でも、たくさん流れたらペンキだ。そう思いなさい、人々よ世界よ。
◉私たちは世界に関われない
戦場なのに、緊急事態がやって来るのに、どんどん「他人事」が増殖していき、自分も顔のない大勢の他人になってしまう。ほら、割と楽になった。
その「楽」は死んでしまうことなんだ! それは違う! と叫んで大葉は命と引き換えに動き始める。空のずっと上にドカッと座っている、何でも思い通りになると思っている神様目がけて、飛んでいった。
あんな美麗な世界には関われなくても、ひと塊りの仲間となら繋がることができる。私たちの向こうに世界はぼんやりあるのだろうけれど、そうなる頃にはきっと私たちは擦り切れている。だからつい、目の前が着地点に思えてしまいます。
◉おんたんのオールイン
おんたんも門出も改めて「仲間」を確かめ合って、繋がる手触りを感じるのだけれど、限界についても実によく分かっていたように感じたのです。世界が滅んだら良くはないけど、それは傾向として仕方ないのかも知れない。
しかし、門出が消えたら全てが無色だ。あのディープキスに、おんたんは全部賭けた。結局、独りもしくは目に見える回りの人たちへの愛、執着なのだ。悟りにはほど遠くとも、そこから護るべき世界が見えてくることがあるかも知れない。情けなくとも、先に向かってみる。
遅くなりましたがコメントありがとうございます。私も崩壊する世界にカタルシスを感じていました。兄までは。テーブルの下でパニックになっているふたばの恐怖と絶望が伝染してきて、あぁこれは現実の破滅の映し絵なのだと。
メインキャストによる物語の再構築の力強さ(それはそれでとても好みなのですが)はあれど、原作の時代から今に繋がる世界の潮流(自分がそれに何の影響も及ぼせないことも含め)を背景に、解決の希望より残された絶望の方に心を引っ張られてしまった感じです。