「世界の終わりに優先する二人のセカイ」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
世界の終わりに優先する二人のセカイ
3月末に前章(青デデ)を観て以来、後章(赤デデ)はどんな展開になるのか、どのように着地させるのかとてもとても気になっていた。というのは前章はほぼ原作通りなのだが、原作はあのあたりからもの凄く複雑な展開をしており筋通りに追いかけるのは不可能だろうなと考えていたからである。
結論から言うと短縮はあったが概ね世界観に改編はなかった。映画の最後の方は実はドキドキしていた。大葉と小比類巻の母艦上の戦いは原作通り。ただ原作では大葉は動力炉には到達できなかったはず。ひょっとしたら母艦を無事着陸させて侵略者と人類が仲よくなるといったハッピーエンドかと冷や汗がでた。
結局はそんなことにはならず、壊滅すべきものは壊滅しアスタリスクが地上に降り注ぐ。地球くそやばい(アスタリスクが何かについては映画か原作をごらんね)大葉君の活躍は状況を少しましにしただけだった。
原作はこのあとまだ10話分くらい続きもうひとひねりしてあるんだけど映画はこれで十分ですね。
原作も映画もディストピアを描こうとしているのではなく、門出と凰蘭の結びつきの強さ(過去世界と日常世界の隙間ない共有)を表現したかったのだろうから。それは映画でももちろん成功している。
そういう意味では、前章の初めと後章の終わりで門出と凰蘭が手を繋いでいるところ、凰蘭の反対の手にトランジスタラジオが握られているのが象徴的だった。もちろんこれは忌野清志郎の本歌取り。トランジスタラジオは外界との通信手段ではあるのだが同時にそれは自分たちは外界とは隔てられた内側世界に居ることを表している。
ちなみに後章のトランジスタラジオは映画のオリジナルなのだと思う。わかっているじゃないですか。