「満足したけど前章ほどの傑作だったかというと……(笑)。日本のオタク文化の総決算的アニメ。」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
満足したけど前章ほどの傑作だったかというと……(笑)。日本のオタク文化の総決算的アニメ。
結論から言うと、素晴らしかった。
これだけのアニメ映画はここ数年でも、そうそうなかったと思う。
ただ、……前章の出来があまりに良すぎて、
後章で何をどうつくっても不満は残ったんじゃないかな(笑)。
ちなみに僕は、前章を予備知識ゼロ、原作未読で鑑賞して、
〈セカイ系としての非日常+『けいおん!』に由来する日常系。祖型としての『ドラえもん』と『インデペンデンス・デイ』と『SF/ボディ・スナッチャー』。創作背景としての「3.11」と「コロナ禍」、そして「安保」。なんだか、日本のサブカル、日本のアニメの「総決算」を見せられてる感じがする。(ない要素は、時間の巻き戻しと異世界転生くらいだが……後編にあったりしてw)〉
と書いた。
あれ? 俺、結構、いいところをついていたんじゃないの?? さすがじゃない?
……って、これは逆に、作中で思い切り大葉くんが「彼女はシフターだ!」って言ってたのに、意味を全然とれていなかった自分の不明を恥じるべきところか(笑)。
というわけで、「セカイ系」に「日常系」を接ぎ木して、『エヴァ』的な外敵襲来を描いた前章に続いて、後章でも、『シン・ゴジラ』的な危機管理群像劇に、野崎まどっぽい宇宙人との交流、宇宙人と少女の純な恋愛、さらにはタイムマシンを使ったタイムシフトに、巨大母艦上での空中浮遊バトルなど、どこかで見たような要素がてんこ盛りに盛られている。まさに、「終末論的SFアニメ」のこれ以上望み得ないようなスペシャル盛りだ。
先学の叡智を結集した、日本的サブカルの総決算的なアニメが生みだされたという前章の感想に、変えるべきところは寸分も見あたらない。
弱小設定の宇宙からの侵略者というと、僕なんかは結構なおじさんなので、『陸上防衛隊まおちゃん』とか『ケロロ軍曹』を思い浮かべる。あと、たぶん誰も知らないと思うが、本作での宇宙人の虐殺されっぷりは、KAKERUの『天空の扉』に出て来るゴブリンたちの扱いにちょっと似ている気がする(笑)。まあ、小さくて緑がかっているのは、かつて宇宙人といえば誰もが思い浮かべたであろう「グリーン・マン」(フレデリック・ブラウンの『火星人ゴー・ホーム』にも登場するアレ)が祖型だからなんだろうけど。
後章では、宇宙人の処遇をめぐって争う二つの市民勢力と、暗躍するテロリスト集団、内密に巨大なプロジェクトに取り組んでいるS.E.S社、周辺のジャーナリスト、そして滅亡の時を間近に控えながら、当たり前の青春を送ろうとするオカルト研のメンバーの様子が交互に描かれる。
臨界に達しようとしている母艦(もちろん、フクイチの暗喩でもある)をめぐる、最後の攻防と瀬戸際の回避作戦。そして、いよいよやって来るカタストロフィ。
その時、人々は……。
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最初に言ったとおり、出来栄えは前章につづいて良かったかと。
ただ、前章と比べてパワーダウンしたかな、という部分はどうしても否めないので、(作品の価値を貶めるつもりはないんだけど)以下に思うところを列挙しておく。
●まずヒロインたちが女子高生か、女子大生かってのは、結構大きい。
気持ち悪くてすいませんね。でもやっぱり、
女子高生ってのは無敵なんですよ(笑)。
大学にはいっちゃうと、どうしても何かが違ってくる。
半分はもう大人になってしまうから、
はにゃにゃフワ~がただのバカに見えてきてしまう。
「絶対」が若干マヌケな約束に見えてきてしまう。
●ヒロインの性格の逆転劇に関しては「タイムシフト」によって、相応に納得のいく解決がついて良かったのだが、やっぱり、門出の命を救う代わりに世界が滅んで上等というのは、作品内の理屈としては納得しても、どうしても体感的に受け入れがたい結論でもある。
●宇宙人の異常なオーバーテクノロジーと、バランスを欠く意外なまでの武力面での弱さという部分には、個人的にあまり納得のいく回答を得られた気がしなかった。
ふつうに「地球人のほうが強い」と宇宙人側が言っておしまいになっているが、反撃用の武器すら持ち歩いていないし、強固に無抵抗主義を貫いている感じがするのだが、その理由が今一つよくわからない(きわめて平和的な種族なのかと思ったら、ふつうに侵略して地球人を奴隷にして使役するつもりだったとか言っているし)。
●さらには、イソベやんにせよ、大葉くんにせよ、彼らを見ていてもわかるとおり、この宇宙人たちは「やろうと思えば」容易に地球人とコミュニケーションがとれるのだ。
なのに、誰もとろうとしない。状況が悪化するに任せている。なんで??
敵対しているとはいえ、侵略の意図はないとか、もうすぐ爆発しそうなので協力してほしいとか、一緒に退避できないかとか、いくらでも「対話の可能性」はあると思うんだよね。
あと一ヶ月でもろとも全滅するっていうのに、なんで一縷の望みに賭けようとしないのか?
正直、最後までいがみ合って滅んでいく宇宙人と首都政府の双方のディスコミュニケーションが、観ていて理不尽すぎる。
●宇宙人絡みの描写は、他にもいろいろ違和感があって、あんな巨大な宇宙船でやって来るような連中が、一つのフロアに虫みたいにびっしり蝟集してたりしない気がするし、みちみちに集まって満員電車みたいに立っているからといって、母艦が攻撃されてもあんなに雪みたいに降ってきたりはしないと思う。だいたい、恒星間飛行が可能な技術を持つ高度な文明種族でありながら、仲間内でしゃべっていることが、幼稚というか短絡的というか頭が悪そうなのがどうもピンと来ない。母艦が地球に来た理由や見捨てられる流れなんかも、お前らさすがにマヌケすぎないかと思ったり。動力炉を止めるキーワードをイソベやんが告げるタイミングも、どこかで人の思考を遡行して覗いている仲間に伝わるようにってのは、かなり無理がないか?
●やはり、この物語は「門出とおんたんの物語」だったから猛烈に面白かったわけで、人の皮をかぶってはいるが中身は緑色の河童みたいな大葉くんに後からいくら大活躍されても、なんとなく乗り切れないのは確かなんだよね。
さらに言うと、本質的には「百合」の物語だと前章で刷り込まれているので、大葉くんとおんたんのラブ要素が微妙に邪魔に感じられてねえ。
●あの最後の大爆発のなかで、爆心地近くにいた小比類巻君が助かっているらしいのとか(そもそも空から落ちたんだけど、どうやって助かった?)、大葉くんが助かってるのとか見ると、一方で全滅したらしい亜紀の四兄弟とか、何をこれからやろうとしながら死んだのか今いちよくわからない自宅警備員兄貴とか、ひたすら不憫。
あと、空に飛び去ったOCEANって結局どうなったんだっけ?
●とにかく、やっぱり前章ではまだほのめかしに過ぎなかった、大量死と都市消滅が現実のものとなったことで、セカイ系としてはこれでいいのだろうが、やはり起きてしまったことに対しては他人事ながら無力感があるし、かなりの勢いで人災なので回避する方法があった気がするし、なりゆきで合宿に行っていたおかげで助かった主人公コンビにも、前章ほどの思い入れを持てない感じがある。
●ちょうど『関心領域』と続けて観たというのも、若干どんよりとした気分になった一因かもしれない。両作の扱っているテーマは意外に近いところがあって、大変な地獄が展開しているすぐそばにいたとしても、半径10mの幸せを求めて、周辺の愛する人々だけを見て「とりとめのない日常」を生きていれば、だんだん「今そこにある危機」は鮮明さを喪い、当たり前の日常の後景として気配を消してしまうものだ。
個人で考えても如何ともし難いくらい巨大で悲惨な現実を前に、「見ざる聞かざる言わざる」の精神で平穏な日常に積極的に逃避しているという意味では、門出とおんたんのやっていることは、『関心領域』におけるルドルフ・ヘス(アウシュビッツ収容所長)と妻ヘドヴィッヒとそう変わらない気がする。別に、タイムシフト後の二人がとった「日常」戦略を否定するつもりはさらさらないが、やはりちょっと居心地の悪い印象が(『関心領域』を観たあとだと)してしまう。
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とはいえ、もちろん面白い部分もたくさんあった。
とくに、宇宙人をめぐって過激な排除派と宥和派の団体どうしがいがみあっているあたり、浅野いにおが一番やりたかったのって、実はこの辺だったのではないかと思うくらい生々しかった。
たぶん原作者のなかで、60~70年代あたりの、欧米で若者たちが必死になってプロテストに明け暮れ、日本でも安保闘争の風が吹き荒れていた時代に対して、大きな関心だったり憧れがあるんだろうね。当時は、小比類巻君のようなテロリストたちも、各地で跋扈していたし。
最近は、アメリカで反イスラエルのデモが大学生の間で盛んになってきているし、また時代がひとめぐりした印象もあるが、その意味では『デデデデ』は今度は時代を先取りしているといえるのかもしれない。
竹本ふたばがSHIPの活動にのめりこんでく流れとか、マジであんな感じだよね。
同じ大学に一緒に行った高校の同級生が、宗教にはまって現世に帰ってこなかったのを懐かしく思い出した(原理研=統一教会。当時は親御さんが僕ら同期合格組に、なんとか彼を助けてやってほしい、教団を抜けさせてほしいと懇願の連絡を入れてきたが、10年くらい経ったころ、自分の親から「ご両親も追って入信されたそうよ」と聞いて、アゴが抜けるくらい愕然とした……オチがこわすぎる)。
あと、僕自身はちょっと政治&国防関連の描写は図式的に過ぎるというか、戯画的に描きすぎている印象があったが、仕事で付き合いのある防衛省関係者は、「これだけ正確に自衛隊特有の用語や言い回しを再現しているフィクションは珍しい」と絶賛していたことを申し添えておく。その人物は、本作に登場する隊員の考え方や行動規範についても、現実の自衛隊をよく取材して描かれていると感心していた。
総じて多少文句もあるが、これだけ完成度の高いアニメ映画を観る機会はそうそうないのも確か。若干終わり方に不満が残ったからといって、徒に作品の価値を低く見積もるのもフェアじゃないと思う。せっかくなので、機会を見て原作のほうもぜひ読んでみたい。