デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章のレビュー・感想・評価
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「ぽちっとな」は宇宙共通
やっぱり宇宙人も指でスイッチを押すのですね。あれはそんなイメージだったのでしょうか。いよいよ、となったら自爆スイッチを指で押す。割れた顔の隙間から垣間見えたのは色違いの地球人と同じ顔。色違いと言えば血の色。「パターン青!」のエヴァンゲリオンはつまり人間と違って使徒は値が青いという意味で、さらに遡れば、人間に紛れた異星人は血の色が違うのは古い伝統の設定と聞いたことがあるような。
前章と同様、浮かぶ巨大UFOという脅威を目の当たりにしつつも青春を謳歌する主人公たち。ちょっと、とりとめのないような気がした。でもそこは流石は後章、前章の様々な種明かしが為されていくけど、やっぱりそこは青春アニメ。世界が滅び行くその瞬間、ぶ厚い熱々の友情を確かめ合う二人は正に、挿入歌のイメージ通り。こういう歌、YOASOBIにもあったかな。世界中を敵に回しても、とか、悪にでもなるっていったら中島みゆきさんか。そんな若い人達にも好ましい破滅的青春歌のPV、MVを見ていたかのような、そんな映画だったのだな、と理解した次第です。
あのまま、キスを交わして抱きしめ合う二人と共に、例え世界が滅ぶエンディングだったとしても、それでもよかったかなと思う。先の話に出していたエヴァっぽくなってしまうけど。宇宙人の彼が見事に生還し、被害が東京ぐらいで済んだ結末も否定はしないけど。「恐れていたことが全て起きてしまう」のも、パニックのセオリーか。そんな崩壊と救済を経た後に聞くエンディングは絶品でした。いやあ、楽しかった。素晴らしい。
現実との符号に正直ビビる。
原作未読のまま観た前章に大いに刺激を受けて臨んだ後章は、当然ながらお話が大きく動くのだが、クライマックスに主人公の二人がガッツリ絡むことがないのは、やはり誠実な物語だなと思う。
この世界の成り立ちに二人がガッツリ関わっていたことは明かされても、彼女たちが日常を救うために大活躍するヒーローになってしまったら、それは虚構が過ぎるというか、われわれがエンタメとして感受してきたフィクションの蓄積と現実との相克を描いている(と自分hは思っている)この作品にはそぐわなかっただろう。
その上で、主人公があくまでも身の丈と半径数十メートルくらいの世界で生きる選択をすることには様々な意見ががあって当然だと思うけれど、落とし前をつけたり問題を100%解決できることこそが虚構であって、この選択しかできない二人に納得こそすれ否定する気にはなれない。というのはもうこの二人のことが好きになりすぎてしまっているせいかも知れないが。
にしても、原作がコロナ禍の前に連載が始まっていたことや、この映画がウクライナやパレスチナの戦争と平行して製作されたこと、またオッペンハイマーと同じ年に公開されたことなど、誰かが意図した以上に現実とリンクしてしまったわけで、その点でもバケモノのような二部作だったなと思っています。
二人の声の化学反応がもたらしたものの大きさ
あの得体の知れない前章ラストで、謎のど真ん中へと急降下していった我々を待ち受ける今回の後章。門出とおんたんの親友コンビをはじめとする仲良しグループは揃って同じ大学へ。新たな友人やサークルの先輩も加わり、宇宙船をめぐる世間のキナ臭い状況が渦巻く中でも、相変わらずの賑やかさがスクリーン一杯に広がる。この「相変わらず」がどれだけ大切かを知るのは前作で大切な人を失った彼女たち自身。だからこそカウントダウン色が強まる中での、高校時代からまた一段階、歳を重ねていく青春の日々が我々にもいとおしく感じられてならない。そして何より、主演二人の個性と声の力がもたらすものの大きさは相変わらず。前作で定着した複雑かつ独特な言い回しを基盤にした「絶対」な関係性は、さらにコンビネーションと化学反応を際立たせ、安心感を持って突き進んでいく。ストーリーの完結と共に、二人の共演がもう聴けなくなってしまう寂しさが身を貫いた。
浅野いにおの構造主義的世界観
このアニメに関して前章、後章、通して言える事は、大きな世界観が横たわっているという事を見逃してはいけない。
それはユングからレヴィ=ストロースにつながる構造主義的世界観に、さらに新たな観点を導入した世界が描かれている点であろう。そしてこのアニメで描かれている世界があまりに巨大である為に、まずこの作品を鑑賞する為には大まかなアウトラインの確認が必要だと実感した。
本アニメ作品に関して浅井にいおの原作未読なため、どこまでが浅野マンガの世界観に忠実なのは自分には判断する材料がない。原作クレジットが打たれている点、小学館がバックアップに入っている事を考えたら脚本家や監督の思想が独走した作品とは考えにくい。それゆえこの映画作品=浅野にいおの世界観として俯瞰する。
ちなみに整理すると・・
本作、監督は『ぼくらのよあけ』の黒川智之
脚本は『猫の恩返し』『映画 けいおん!』『ガールズ&パンツァー 劇場版』『若おかみは小学生!』『きみと、波にのれたら』『のぼる小寺さん』の吉田玲子が担当している。
まず絵柄から言うと萌えキャラベースでメインストリームは少女たち(小学校高学年?から大学生になるまでの)が繰り広げる所謂セカイ系の物語と言えるが、従来のセカイ系と本質が異なる。
まずいつからこの萌えキャラをシリアスな物語に絡めるようになったのかと言うと自分の知る限り🎦映画大好きポンポさんと考える。勿論その前に🎦若おかみは小学生!(2018)や📺ガルパン(2012~)などは存在したものの、所謂セカイ系の特徴である萌えキャラが絡んだ後の世界がその恋愛系の世界に物語の世界が引っ張られていくのが常である。しかし本作品にはそれがない。即ち外挿された現象(侵略者?・UFO)の飛来などに一部5人の少女たちの世界にほとんど影響を受けない。特にその中のコアを占めるふたりの主人公「小山門出(IKURA)」「中山鳳蘭(あの)」の関係は「絶対」と位置付けられ日常生活に揺らぎがない(厳密にいうと修正された日常)。この「絶対」をベースに考えると突然現れたUFOの襲来までもが集団的無意識に、特に厄災の象徴ととらえる事が出来、米軍の民間エリアでのありえない殲滅行為や政府の宇宙人狩りなど、その描写がどんなにリアルでも現実的な軍事オペレーションとはおよそかけ離れている点やさらには多くのアニメへのオマージュもそうであるが現実的な世界の描写とはおよそいいがたい。オマージュの内容については最後に簡単にまとめてみたいが、それらがすべて象徴として描かれているとしたらその荒唐無稽さも理解出来る。
顕著なオマージュにはまず藤子不二雄の『ドラえもん』で、ほんやくコンニャクなどの様々な未来ツールが登場する。特にタケコプターはこの物語のメイン器具でもあり、恐らく作者の高い藤子愛が根底にあり、藤子サイドの著作権問題まで気になるがそこは同じ小学館管轄、抜かりはない事であろう。『ドラえもん』に関しては小道具のみならず設定ももはやオマージュではなくそのものと言うような倒置の仕方をしている。これは先に述べたように現実をイメージしたものと言うより設定自体がメタファである事を如実に物語っている。
またキャラクターについて言えば水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するようなデザイン(目玉おやじや鬼太郎、ねずみ男などの引用)、かきふらいの『けいおん!』キャラなどの指摘も相次ぐ。また『映像研』の影響やストーリーの展開の壮大さや仕掛けとしては,『魔法少女まどかマギカ』の影響も無視できない。これらアニメ上級者に向けたオマージュの散りばめは逆に『ドラえもん』しか見いだせなかった鑑賞者には小ばかにされたような不快感を与える結果となったかもしれない。
また往年の漫画ファンからは古くは『デビルマン』『漂流教室』そしてアニメにおいての『エヴァンゲリオン』のようにクリエイターの見てきたもの、影響されたものをそのまま倒置する手法に加え、明らかに進化途上での新表現を導入した『AKIRA』『ドラゴンボール』『20世紀少年』など1980年代前後に確立したのニューウェーブコミック的表現、主題も織り交ぜながら日本のサブカル、日本のアニメの「総決算」を見せられつつ、少年誌におけるコミック文化の大いなるテーマとしての「ともだち」はまさに『20世紀少年』の主題であり、3.11の際の日米災害オペレーションの合言葉を経て、今回の起爆としての「合言葉」で使われる②至る。そこで、この合言葉はあくまでも爆破を止める為のパスワードであったはずが、容赦のない破壊の前倒しのキーワードとなっているところも注目である。全てのオマージュがどこへ向かっているのか?この物語の大きな主題の屋台骨となっている。
こここそが読み違えてはいけない点なのだがこの作品が単なる「セカイ系」でないとことの所以である。少女たちの物語は異世界との接点はもつものの決してその世界に影響を及ぼし解決はしない。
最初の接点は5人の中のひとり栗原キホの死である。その日常への介入に対して引きずられるのは元彼の小比類巻の変容である。これ自体も、大切な人を奪った現実に対して屈折した復讐劇へと駆り出されていく様は安倍元首相銃撃事件を先取る予見性を持った表現となってる点が注目される。ここにも予見性、暗示性の中の集団的無意識による作用が見て取れる。レヴィ=ストロースの記号論による予見性、人知を超えた循環性の表れと言っていい。
3.11の震災やコロナ禍の暗喩、ウクライナやガザ地区の実情、この国を覆う閉塞感と展望のないモラトリアム感など、日本の中で渦巻く打開できない閉塞した世界観は🎦インデペンデンス・デイと言うより、全編隠喩的表現の🎦第9地区の方が近いかもしれない。おんたんが大学へ行ってやりたい事として「洗脳しやすいエリートを洗脳して軍を作る」という発言は1980年前後の大学自治の中で多くの大学における宗教団体の青年部がサークルの名を借りて布教活動をした事に由来する。統一教会の原理研、創価学会の第3文明研究会、オーム真理教は大学学内にスカウトでピックアプしサテアンと言う基地まで作ってみせた。そう言った創作背景にある不安と言う名の世界の影と「3.11」と「コロナ禍」、そして「安保」などの社会的、自然災害的事象などの不安要素と絡めてきた現実。そう言ったメタファとしての現実に対し、「小山門出(IKURA)」「中山鳳蘭(あの)」の関係は常に『絶対』である。このアニメにおいて世界は不安がいっぱいでも少女たちの世界は決して変わることのない『絶対』である。これこそ本アニメのメインテーマであり、この作品が単なるセカイ系にカウントされない本質である。
原作コミックは12巻あるので、それでもこのアニメでは結構はしょられていると言うからまだまだ多くの予見された世界が描かれているのかもしれない。
自衛隊や軍需産業の描き方が図式的にすぎないかとか辞職に追い込まれることをビビってる高校教師が平気で女子生徒を自宅アパートに入れか?ドアまで閉めるか?とかの荒唐無稽描写への指摘や、アイドル推し総理とかトランスヴェスタイトなど、モブキャラに徹底的なこだわりを見せて手抜きがないわりとクセになる描写などマニア向けのサービスなのかステレオタイプ的なネットキャラのオンパレードで冷静に考えるとリアリティとは程遠い世界と世界構成員。しかもこれもいくつかの指摘が散見されたがキャラたちの顔のアンチ萌に対して、少女たちの肉体の描写が徹底的に性的でリアリティがありしかも萌系と、かつて見た事のないなまめかしさを持つ。それ故に人間劇としてウルッとする場面や性的なトキメキを覚えるシーンなど妙にその表現とは反対にリアリティがあり没入感が持てたりするのだ。この点を「青春時代に抱えている正義、恋愛、性欲、家庭、成績、進路、友情、イジメとかそういうゴチャゴチャした精神的なクライシスをSF世界観として表現した素晴らしい作品」と評した人の視点も同じ見立てから来ていると思われる。その一方で日本の磨き上げてきた最強ギミックを、宮崎駿とも富野由悠季とも新海誠とも異なる方向で、きちんとまっとうなSFとして仕上げてきている、もしくは最新作の細田守の🎦果てしなきスカーレットに繋がる程のビジュアルエフェクトなど徹底して日本アニメ史の本質を踏襲してきている点も見事である。
そして第二の世界との接点が後半のかどでが人類英知を超えた器具を手にしそれを使っていくうちに自らの自我と独善を暴走させ自滅していってしまう描写である。そこには🎦クロニクルをの設定アイデアを彷彿と連想された指摘もあった事をここに併記しておきたい。冷静に見るとこんなステレオタイプに描かれた人間たちも都合のいいだけの世界も現実には存在しないだろうという考え当然であるが、それがあえての演出だったらすごいと思うと言う指摘と共にここではあえてそれを設定のコアに据えているのだと断言してみたい。なぜならこの後かどでは🎦インターステラーよろしく別の時間軸にスライドする事でかどでとほうらん(おんたん)の関係が再度リセットされて「絶対」となる。逆に言えば、ところどころ友人の死とかUFOの撃墜とか、ストーリーのポイントになりそうなエピソードは一つ一つを掘り下げられる事も、引きずることもなく何事もなかったように話が進んでいく、言ってみれば、えげつないことが起こるけど、スルーしていく日常系アニメとして淡々と進行するまさにこの方向性こそが逆にリアリティを醸し出すと言うアイロニー。その淡々と進行するだけの現実は女子高生たちのクセのありすぎる会話だけでも十分成立しているからこの映画のリアリティに対するこだわりの深さを示すのである。
そして最後にこのアニメの一見すると本筋とは関係ないかのように描かれる「恐怖」はこの「絶対」を背景にしている事を観客は最後に思い知らされる。自分の正義を信じる人間が力を持つことの独善の怖さ、卒業式の日の「仰げば尊し」をバックに侵入者を「殲滅」「駆除」するシーンの怖さ。この「恐怖」こそを描かなかった🎦オッペンハイマーに欠落していたものこそこの「終末観」である。日本では既に🎦AKIRAで描かれてる世界観でもあったのに。
この「絶対」の「恐怖」の一方で描かれているものアンチテーゼとして無抵抗な弱者の殺戮。侵略者と言うレッテル。排外主義者と自己主義者。アイデンティティの喪失と自己発見。異界、異質とのコンタクトは新たな出会いの無い世界。マルチバースにおけるシフターとしての存在の相対性。侵略者=先住者=支配者の相対性。ネガティブサイドからの覚醒。かどでの暴走に繋がる覚醒。やり直しが本質的に無意味との同義性。自分と言う存在によって他者の人生の有り様が変わろうとも、自分の人生は誰のものでもないと言う「絶対性」と「独善性」。侵略者たいするその上位者としての存在の設定。また細かい日常描写ではあるが教師と教え子の禁断愛は閉じた世界での近親者との出会いが遺伝子の反発の健全性を損なう危険性の暗示であるとか、おうらんが僕から私へと移行するアイデンティティの変化には異世界(大葉君)との融合における世界構築の健全性などの暗示とか・・・
前・後編を通じて「絶対」と「相対」への価値観の揺らぎがステロタイプ化された世界(異世界)と何があっても不変を貫く少女たちの日常の絶対世界とを行き来する。この答えのないさまを丸ごと観客に投げつけてエンドロールを迎えるこの作品構成、かつて体験したことがあったであろうか?その答えは各自の胸に去来する日常と今も変わらず周囲で流れる日常との狭間でそれぞれがその答えを見つけるしかないのである・・・・。
最後に二人の絶対的主人公の声を演じた幾多りらとあのの凄さは日本アニメのアイコンとしての力が宿ったかのようで称賛の限りを贈りたい。
【”明日世界が滅びるとしても、今日君はリンゴの木を植える。”やり直しの選択が惹き起こした取り返しのつかないデストラクション。前章ラストの流れからイキナリ、ディストピアな衝撃の結末を迎える後章。】
■大学入試に合格し、門出と凰蘭は大学生になった。
オカルト研究会に入部してキャンパスライフが始まるが、宇宙からの“侵略者”は東京の各地で目撃されるが、秘密裏に人間の掃討部隊により残虐に殺されて行く。
凰蘭は再び不思議な少年・大葉と出会うが、もはや運命は変えられない所まで来ていた・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・前章の流れから行くと、人間と“侵略者”との共存が描かれて行くのかと思ったが、何故か一部の人間は極悪な存在として描かれ、“侵略者”の想いを汲み取らない愚かしき者が多数を占める展開となって行く。
・逆に“侵略者”は実は元々、地球にいた生命体で、知性ある善良な存在である事が描かれて行くのである。
・何故に、前章とここまでトーンを変えたのかが、不思議な後章である。
が、それはこの映画のフライヤーを観ると、予め予定していたのではないか、とも思えるのである。
何故ならば、フライヤーは前章、後章が一枚になっているが、前章は”青”で。後章は”赤”で彩られている。
ブルー(安全)からレッド(危険)。
<今作では、現代の世界を覆う危機的状況を描き、前章では儚い希望を観る側に持たせ、後章では人間の愚かさを前面に出し、現況下の世界情勢に対し、警句を発しているようにも思える。この辺りは、観る側に判断は委ねられるであろうが、私はそのように解釈した。
だが、前章の独特の世界観は健在であり、数々のデストラクションシーンは、ダーク且つシニカル且つ衝撃的に描かれる。
”世界が終わっても、友情は終わらない。”という解釈も、何とも言えないビター極まる後章であるが、前後章併せて観ても、稀有なる作品であるのは間違いないであろう作品である。>
平和とか日常が簡単に奪われる世界と、リンクした。
前章は門出とおんたん位しか覚えてなくて、
自分のレビューを読んだらやっと思い出しました。
この映画は世界の転換期に公開されて、
今まではあり得なかったことが、
あり得るようになった世界に、
マッチしてリンクしたのでした。
3年前の8月30日。
杉並区の頭上にエイリアンの母艦が覆い被さるように停泊した世界。
それは突然侵略を受けたウクライナ、
突然のコロナ禍で、思いも寄らない伝染病の恐怖で
日常を失った私たちの世界とリンクしたのでした。
マスク生活にも、ディスタンスにも、学校閉鎖や黙食、
なんやかやに私たちはすぐに慣れた。
(慣れない子供たちは沢山、不登校になった。)
空を覆う宇宙船や紛れ込んだ偵察の地球外生命体にも、
人間は慣れてしまい、門出とおんたんは無事に大学生になったのが、
後章のスタートでした。
前章の主役は門出でしたが、後章では通称・大庭君という宇宙人(?)が、
救世主として登場して来ました。
元々の大庭くんはアイドルグループのメンバーで、8・30の時に
怪我をして意識不明で入院中。
その大庭くんにそっくりなので、通称・大庭くんになったのです。
なんとも爽やか系で頼りになる大葉。
おんたんと大庭のラブストーリーも混入して、
《人類の終わり》
《終末まで、後1ヶ月》とかフラグが立っても、
どこか長閑でみんな案外呑気に日常を送るもんなんだな・・・
とか思っていたが、警察隊が宇宙人を攻撃すると粘土色の血液が
流れてアッサリと宇宙人は殺されて行く。
非日常感と危険性を顕著にするのが小比類巻だった。
この世の終わりを彼は待望する。
自殺願望、そして既存の仕組みを滅茶苦茶にする欲求で
興奮状態になる典型的な例。
非常時には変な思想にかぶれる者が必ず出現する。
おんたんの引き篭もりの兄貴まで、非常時には車を運転して
避難したり、おんたんを助けたりしたくなるのだ。
そして《世界の終わり》
完全なる終わりではなかったが、母艦は爆発して、
大庭くんにより世紀末は回避したとは言え、
大きな被害が起きてしまう。
ここ20年、そしてここ数年、そして今年。
世界のあちこちで戦争が起こり、難民となって
国を追われる。
国内では、地震も大雨が頻繁に起こり、更に山火事という
新しい脅威まで出現してきたのだ。
彼の国の大統領が毎日のように、信じられないような、
ビックリ発言をする。
戦線恐々が日常になってしまった。
それにしてもラストのクライマックスから、信じられないほど
明るいテーマソングが流れる。
ミスマッチとも言えるが、深刻さは掻き消されて、
どんなことが起こっても前向きに生きて行く雑草魂に
気分は楽観的になり、微笑まずにはいられないのだった。
コチラは悪くなかった
前章は全く面白くなかった。ただ何かを散りばめただけで何も感じなかったし、何も生み出されてなかったからだ。
後章は観なくていいかもなというくらいどこがいいのか分からなかった。
前章後章セットで手元にあったのでせっかくだから観ることにしたのだが、一転して後章は面白かった。
前章でばら撒かれただけのピースを取り込みながら、キャラクター個人に関するミニマムなことからUFO飛来から始まるマキシマムなことまで、互いに干渉しながら展開していく物語はなかなか刺激的だ。
前章はただの糸で後章は編まれた布になったような感覚だろうか。
死に気味だったキャラクターも後章ではいきいきとしていたし、門出と凰蘭を演じた二人のボイスキャストも良かった。
締めくくりは若干大味な印象を持ったけれど、作品全体としては悪くなかったのではないかと思う。
難点を言うなら、この物語で4時間は尺を取りすぎかと思う。
前章のほうが評価が高いので何とも複雑な気持ちだが、前章のパートは30分くらいでまとめられた。
ずっとずっとダーリンズドキドキドストライクっしょ
ラヴ・ストーリーでした。
夏休みに海に行くまでは、退屈な恋愛エピソードで、あんまり面白くないかもと思いきや、再び時はさかのぼり中川凰蘭の小学生時代の続きを見せられて、作品に急に引力が発生しまして釘付けになりました。
絶望からの感動、あーだからかぁ〜と言う納得感。
「君は僕の絶対だから」は、前回の「知ってる」を彷彿とさせる感動的な場面でした。
おんたんの別世界線の記憶の中で、世界を救うためのパスワード“…と・も・だ・ち…”を大葉に伝えるシチュエーションが、伏線回収となってスッキリしました。ともだちって、『20世紀少年』から来てますね。
そういえば、前回も登場人物がカメラ目線をしたり、今回は視聴者に向けて語ってくる場面がありました。漫画の世界とこっちの現実の世界の垣根を意識させるところが『Dr.スランプ』(作者:鳥山明)のようでした。『新世紀エヴァンゲリオン』の使徒、『大長編ドラえもん』的なシナリオ、赤塚不二夫作品のような絵も登場しています。
ラストは、『天才バカボン』のパパの名台詞「これで、いいのだ」が、あのちゃんの声で聴こえたような氣がしました。
SFギャグ漫画と青春ラヴ・ストーリーと、陰謀論的な面白さがあり、マニア向けな王道じゃない感じですが私は好きです。
疑問は残っただわな
アニメ、映画両方見ました。
アニメと映画はマルチバースて事で良いとして、アニメでは3つの世界が出てきました。
①門出大暴れ世界
②母船爆発世界
③いそべやん→ずんだっち世界
③の世界で物語が閉じて、①②はあのまま辛い世界が続いていくのか?タイムシフトすると前の世界の記憶を残してるから(同じ人間がダブらないから意識だけ飛ばしてる?)タイムスリップして過去をやり直している?となるとラストの門出とおんたんの声といそべやんは?
門出父がタイムシフトする時に「もっと精巧なタイムシフトマシーンが〜」てのがあったからやっぱり①②の世界は残り続けるのか?
ラストの門出とおんたんは④の世界から来た?(①の門出はダイブ、②では二人共コロニーレーザーだし)もうね全く解らないんですよ(笑)
でも2人と2人を取り巻く世界がずっと平和に続いてほしいと思える笑えて泣ける作品でしたので、ハッピーエンドだわな♪で自分の中で終わらせました。
亜衣ちゃん可愛い
『絶対』の存在と地球危機への警鐘
昨日の前章に続いて、後章を本日鑑賞。小山門出と中川鳳蘭のW主演を、幾田りらとあのちゃんが務めてきた本作。前章では門出を中心に据えた展開で、後章ではどちらかと言うと、鳳蘭をメインに据えた内容となっていた。
前章のレビューでも記したが、地球上を取り巻く自然災害や戦争の破壊的な問題だけでなく、後章に入って、ジェンダーや多様性といった社会的な問題も視野に、本作のテーマがあることがよく分かった。人類の豊かさを追求するあまりに破壊してきた自然への代償は、今や計り知れないものもある。また、一方的な見方で、悪と決めつけ、仲間として認めなかったり、命までも奪うことがまかり通ったりしている、人類への警鐘とも思える内容だ。実際に、今この時も、世界中で、身勝手な正義の名の元に、殺戮が行われている現実を、侵略者狩りとして、描いているようにも感じた。
物語は、門出達も無事に、宇宙船が上空にある東京の大学に入学し、一風変わったオカルト・サークルに入部し、新しい仲間と共にキャンパスライフを謳歌するところから始まる。一方で、宇宙船からの侵略者も街のあちらこちらで目にするようになり、自衛隊によって徹底的に駆除され、政府転覆を狙う青共闘も、侵略者の狩りを続けていた。そんな折、宇宙船自体も耐久年数も訪れ、煙を上げ始め墜落の危機を迎える。それは、同時に地球滅亡へのカウント・ダウンでもあった。
そんな時、門出達は、前章でも現れた不思議な青年・大場圭太とオカルト・サークルの部長を通して出会う。実は、彼は小型宇宙船の墜落で亡くなった大場圭太の体を借りた侵略者なのだが、彼こそが、その後の展開の重要なキーパーソンとなって行く。鳳蘭の過去と正体を知り、この宇宙船墜落爆発の危機から地球を救う救世主として立ち上がるのだが…。
こうした内容のラストは、何とか無事に災難を回避して終わると思いきや、多くの等々い命が奪われてしまうシーンには衝撃を受けた。これこそが、私達に訴える本作のテーマの重みとも感じた。
二部作併せて、今年の“絶対”の一本
さあ、後編。
アニメでこれほどのインパクトと衝撃は『まどマギ』以来。
謎、伏線、そしてどう展開していくのか。
U-NEXTで独占見放題なのが有り難い。
大学生になった門出やおんたんたち。
石川県から上京してきたふたばやマコト(前編ラストに登場した二人)と出会い、仲良くなる。ふたばは熱心な侵略者擁護派。
オカルト研究部に入部。部長の尾城ら個性的な面々。
一方で門出は高校時代の担任・渡良瀬と交際中。前編でのやり取り、マジだったのか…!
和気あいあいな日常は変わらず。
しかし、その上空には…。
都内で侵略者の目撃・出没が相次ぐ。侵略者たちのコミュニティも発見。
自衛隊が駆除。前編ラストで攻撃を受けたおびただしい数の侵略者が落下していく様は衝撃だったが、無抵抗の侵略者たちが次々撃たれ、緑の血を流して殺される様も残酷。これは、正義なのか…?
来る万博に向けて造られた新国立競技場。その内部で蠢く政府の陰謀…。“方舟”とは…?
小比類巻をリーダーとする“青共闘”が侵略者狩りを。情けナシの残忍さで、政府転覆も狙う過激派グループ。
平凡な日常の中で、非日常の事件も続いていた。
そんなある日、母艦から煙が立ち登り…。
登場人物が増えた…と言うより、前編では顔出し程度だったキャラが本格的に物語に絡むように。
ふたばやマコトらとの交流。政府の陰謀。小比類巻の暗躍。侵略者側のドラマも。より群像劇スタイルに。
中でもキーとなる人物が。
前編にも登場した謎の少年。突然おんたんの部屋に。
8・31で消息不明になった門出がファンだったアイドルグループの大葉そっくり。
大葉本人ではなかった。重体の侵略者が同じく重体の大葉の身体に“移植”。くしゃみをすると顔がズレる。
おんたんの部屋に居候。見た目がそうなので“大葉”と呼ぶ事に。
穏やかな性格で自然と打ち解ける大葉。部長やマコトも知るようになる。やはり侵略者は悪い奴ではないのか…?
敵視しているのは一部の、政府などの大人たちや小比類巻ら過激派。
侵略者を感知するアプリ。コロナでもそんなのあったような…。
おんたんと交流を深めていく大葉。母艦の煙や来訪の目的も教える。
母艦の煙。母艦の動力源が低下し制御不能となり、やがて落下。大爆発を起こす。その時の被害は予想も付かない…。
何故侵略者は地球に…? かつて地球は侵略者のものだった。今は人間が…。『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」みたい。
それはまんざら嘘ではないようだ。
大葉が小比類巻から助けた侵略者。割れたヘルメットから見えた顔は人間そっくり。
その侵略者から託される。母艦の爆発を止められるのはお前だ、と…。
ある道具でおんたんの“過去”を見る。あの小学生時代の門出とおんたん…。
大葉は確信する。おんたんは…。
部の夏合宿。そこは小学生時代、門出とおんたんが友達となり、侵略者と出会った海辺の町。
夕暮れの海辺を、おんたんと大葉二人で。
二人の間に芽生える…。
おんたんが夜居なくなる。記憶が甦ったのか…?
マコトと共におんたんを探す。マコトにも“過去”を見せる。
いや、正確には“過去”ではない。おんたんは、別の時間軸から来た人物だった…!
まるで『魔法少女まどか☆マギカ』のほむら。ほむらはまどかの運命を変える為だったが、おんたんは門出を救う為。
あの時、門出は飛び下りて死んだ。
侵略者の能力でも死者を生き返らす事は出来ない。時を戻す事も出来ない。
が、別の時間軸に移動する事は出来る。
それによって移動した時間軸で何か起きるかもしれない。それを受け入れる覚悟はあるか…?
それでも…。
事情を知った(まだ痩せてた)おんたん兄が背中を押す。運命を変えろ。
そしておんたんはこの時間軸にやって来た。
門出からの出会いからやり直し。死なずに、共に高校~大学。高校時代の担任と恋してる。
また門出と出会えるなら…。門出が幸せなら…。
門出はおんたんの絶対。
おんたんは門出の絶対。
門出は渡良瀬が好き。門出はおんたんが好き。
おんたんは門出が好き。おんたんは大葉が好き。
大葉はおんたんが好き。
守る為に、大葉は決心する…。
母艦の爆発を防ぐ。
爆発したら、東京~日本どころか、地球が壊滅状態に。
しかし、敢えてそれをしようとする異常者が。小比類巻。
侵略者だけじゃなく、邪魔な人間も殺し、政府らも手玉に。世界が壊滅した後、新たな世界の支配者になる。
世界中の上空にワームホールのような穴が開き、そこから巨大な手が…! 『エヴァ』のような黙示録的光景…。
その“手”の影響か、世界中に謎の泡が降り注ぐ。それに触れると、即死。
人類終了のカウントダウン。
政府の一部の者は“方舟”に搭乗。総理も見捨てられた。偉そうにしているクソ野郎どもに。
立ち塞がる小比類巻。
大葉は間に合い、阻止する事が出来るのか…?
門出やおんたんたちは…?
女子高生たちの日常と上空に巨大宇宙船が浮かぶ非日常がコミカルかつシュールに並行する世界観から、スケールも展開もスリルも危機もとんでもない事態に…!
こういうクライマックスを迎えようとは…! 全く予想付かなかった。
これはこれで圧倒的で衝撃的。前編は『ドラえもん』だったが、後編は先述通り『まどマギ』『エヴァ』『セブン』を彷彿させる要素。好きなものばかり!
だが、前編の超期待から、大満足・納得したかと言うと…。
人類終了。幾田りらとあのの軽快な歌に乗せて、東京が壊滅するシーンは圧巻であり、異様な高揚感。
が、母艦は大爆発を起こしたが、ギリギリ大葉が防ぎ、最小限に留めたという事…?
しかし哀れ、渡良瀬やおんたん兄たちは…。
満身創痍になりながらも、大葉はおんたんの元へ。そこで終幕。
何か急に大葉が主人公に。門出とおんたんの話ではなかったの…??
生き残った皆や侵略者たちは…? 小比類巻も生き残ったし…。
ちと消化不良や釈然としない部分もあったが、間違いなく今年見たアニメでは“クソヤバイ”ほど“絶対”。
EDの幾田りらとあのの主題歌も余韻に浸れる。
このアニメ映画と原作では結末が違うとか。
Netflixで配信されているアニメシリーズも見てみようかな。
何だかんだ、ハマってしまった。
前編との印象の違いに、自分でも驚いた
個人的な諸般の事情により、観られなかった後編をやっと観られた。
だいぶ期間が空いたせいか、またスクリーンではなく配信での視聴だったことが理由かはわからないが、前編を観た時との印象の違いに自分でも驚いた。
前編では、門出とおんたんの無敵感にそのまんま乗っかって一緒に突っ走れたのだが、後編は、ほぼ全ての場面でブレーキがかかった。
こういう言い方をすると、この映画のつくりや描き方に対して、否定的に聞こえるかもしれない。でも、そういう訳でもなく、あえて前編と後編に分けた意味も、そこにあるのではないかと肯定的に思っているくらいだ。
この後編、自分にとっては、観客がその場その場で何かしらの疑問点を抱くように、意図的に少しずつ極端な描き方をしているようにも感じられた。賛成派、反対派、それを揶揄する者たち、傍観者等々の振る舞いを、ストレスに感じたり逆にスッキリしたりというのは、人それぞれだと思う。でも、それがどれも「100%同意にはならないような描き方」と言えばいいだろうか。どこかザラっとした居心地悪さを感じて、そこから問いが生まれてくる感覚を味わった。
しばらく前に、フォロワーさんから教えていただいた、イェフダ・アミハイというイスラエルの詩人の詩に「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」というものがある。その詩をもとにした、同じくイスラエルの作家のアモス・オズの同名の本の中では、「わたしたちが正しい」を譲れない者たちを「狂信者」と表現していたが、今作に登場する人々の多くが、何らかの譲れない「狂信者」なのだ。それは、お互いを「絶対」と表現する主人公2人も同様だ。だから、観た後のカタルシスがあまりない。
自分はこの映画の中で、マコトの「悪いと思うなら、こっち世界で責任取るのが筋ってもんじゃねぇの」の一言が一番響いた。マコトのナチュラルさに、ホッとした。
しかし イメージと全く違う内容でビックリ
前半の感想にも書いたけど実写ならエグい描写過ぎて観るのが無理なくらいキツい描写がこの絵🖼️のおかげで多少軽減されてるんだけどキツいわ👾👶🔫☠️
脚本とセリフが凄いし
あのちゃん全く違和感無いのも凄かったし
自分的には滅亡系作品てプリオの科学者のやつもありましたが年末に観るのに何故か合ってる気がしてます。(去年はクリスマスに市子を観てあまりにもキツいラストのオチで観た後食事🍽️や買い物🛍️するエネルギーが無くなりライフゼロ❤️0️⃣⤵️で帰って家でジーっとしてましたよ🥹)
しかしデデデは余韻が凄くて韓国のヤバイ作品を5本連続で観たような最高の🥰疲労感です🥹
つうか劇場行けば良かった😵💫
やはり日本てマンガやアニメのレベルが本当に高いんだなあと思いましたよ💯
自分が観たプライムのやつは 0話目と18話目が追加されてたそうでビックリ‼️ あのエピソードが無いとまあまあキツいオチになりますねしかし🤮
タイトルなし(ネタバレ)
点数は前後編を通じてのものです。
途中で主人公だとc思っていたおんたん達が脇役になったようで、話の進行は小比類巻君と大葉君という、たぶん作者の本音と建て前みたいな二人に委ねられてしまいました。
SFとしての筋書きは何となく予想していた通りですが、あのエンディングは予測不能でした。人類滅亡まであと何日みたいなテロップが出ていたので、少なくとも滅亡はするのだろう(その後、世界がループするとかはあるかも知れないが)と思っていました。
ところが全滅エンドは回避した、ということで、逆に、何となく後味の悪い終わり方をしています(良い人たちが次々と死んで、悪い人がひょっこり生き残るみたいな)。たぶん、このもやもやを楽しんで欲しいという事なのかな、と思いました(形の上ではハッピーエンドですし)。
正直言えば、前編の何か始まるかも知れない不穏な空気の中、何とか楽しく日常を続けよう・・という雰囲気が好きだったので、全体を通じてはこの点数です。
以上が映画での感想。本日(2024/12/7)、アマプラでTVシリーズ化された物を見たので、感想を変えたいです。
なんというか、映画は決してうまくはないけど、ロックみたいな作品だった。「お前ら、ぬるい予定調和のアニメなんか期待してんじゃねーよ」という。良い人たちが死に、悪人が生き残る。理不尽なようだけど世界ってそういうもんじゃん、という現実認知の話だと思った。
しかるに、このTVシリーズでは、再度、世界が改変され(正確に言えば違う。もとの世界はそのままディサトピアが続くのだけど)、なんとも生あったかいエンディングが用意されていた。
作り手がこれで良いと思うなら、映画版でこうしておけば良かったじゃん。観客たちに何とも気持ち悪い思いまでさせて、何を伝えたかったのさ、と思う。単なる尺の都合だとしたら、がっかりだなぁ。
言えるようになった映画館スタッフ・言えないままの映画館スタッフ
キッチリ「終わらせる」こと
日本のアニメには冷ややかな僕も「何じゃこれ?」と身を乗り出した前章を受けての結末作です。あの壮大な謎は一体どうなるんだとワクワク。ただ、物忘れが酷いジイサンで、3月に観た前章の細部は既にあやふやになっているので前章との連続上映を鑑賞したのですが、これは正解でした。
前章で提示された謎を後章で明かすのでややもた付きは感じられ、「いや、これはどうなのかな」とツッコミを入れながらの鑑賞でしたが、それがスクリーンとの対話になり、終始見入ってしまいました。
あの巨大なUFOは原作時点では震災や原発のメタファーだったのかも知れませんが、今やそれがコロナにも戦争にも見えて来ます。でも、地球が終わろうとも貫かれる「あなたが大切」との思いは切実にしみました。
ただ、原作では映画とエンディングが異なっているそうです。原作がどうなるのかは知りませんが、映画版でのあの甘い (?) エンディングにはがっかりだったな。もっとキッチリ「終わらせ」ようぜ。
作品が映像になる醍醐味を感じた。
「明日世界がこなごなになっても」とともに世界終了シーン、美しかったな…。
これも原作通りではあるんだけど実際に楽曲が流れて映像として観るととても美しかった。
これは劇場で観れて良かったな。
原作と違うエンドと聞いてどうするんだろ?と思ってたけど、劇場版はまた違う後味で良かった。
門出とおんたんの関係性にフォーカスした描き方も良かった。
ちょっとモヤッと
後編楽しみにして観に行きました。ですが鑑賞済の人から「前編ほどは・・・」とは聞いていたので、期待は7割位で観に行きました。
「こんな感じかな~」というのが感想です。
映画制作陣は引き続き良かったです。前章と同じく面白いアニメを作ろうとされていて、映画には引き込まれました。
前章観終わって、「これどう終わらせるんだろ。これだけ風呂敷広げてどう畳むんだ?」というのがはじめに思ったことで、「某超キレイなアニメ映画ような終わらせ方は嫌だな、なんか面白くないよな~」って思っていました。
で、想定以上なことはなかったです。原作は2014年位のからの作品なので、そこの流行りになってしまったか~という感じでしょうか。決して面白くない訳ではないのです。伏線の回収もしっかりしてますし、恋愛や様々な愛情があり、守りたいものの為に戦う姿がありと、要素は詰まっているのですが不完全燃焼な感じがしてしまいました。
もっとやり直し前の要素と今の要素を絡めて物語を構築してほしかったかな~
私は欲張りなので、前章が面白かっただけにハードルがかなり上がってしまい「自身の想定以上を」という気持ちがかなり強くなってしまっていました。浅野いにお氏の作家性からはこれを望むのは無理なのかもしれませんが、この内容でここにもっとカタルシス詰め込めれば面白かったのにと思いました。
丁寧に描こうとするほどこれは難しくなると思うのですが、この内容のままで前章と後章に分けず一本の映画として鑑賞できていれば、もうちょっと感想も違ったのかもしれません。
色々書きましたが原作も十分おもしろいですし、映画制作陣はしっかりとした映画を作られているので十分すぎる映画なのですが、前章が盛り上がっただけにちょっとモヤっとしてしまいました。
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