「超名演 中国系の大活躍に見たMETの蝶々さん」METライブビューイング2023-24 プッチーニ《蝶々夫人》 パングロスさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0超名演 中国系の大活躍に見たMETの蝶々さん

2024年6月24日
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鑑賞方法:映画館

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ちょうど2週間前に、英国ロイヤル・オペラinシネマでグリゴリアンの蝶々さんを観たばかり(2024.6.13レビュー)だが、同じタイトルロールだということで演出の違いによる比較のためMET版も鑑賞。

結論から言うと、ロイヤル・オペラの上演に増して感動的な、いや本作の上演史上、おそらく屈指の超名演に接することができた。

演出は映画監督でもあるイギリス人のアンソニー・ミンゲラ(1954-2008)で、2006年にMET初演され、上演を重ねている。

今回のMETライブの案内役は、團十郎襲名前の海老蔵が2018年に上演した『源氏物語』の舞台にも出演したカウンターテナーのアンソニー・ロス・コンスタンゾ。
第二幕開始前に、ミンゲラから衣装デザインを依頼されたハン・フェンのインタビュー映像が流されたが、名前から分かるとおり、中国系アメリカ人である。

そのためもあってか、衣装や移動式の障子は、かなり日本風の違和感の少ないものにはなっているが、第一幕で華やかに登場する蝶々さんの親族・友人たちの女性の衣装は大胆に中国風の牡丹をあしらったそうで、日本人記者からは「日本人はあんな着物は着ない」と言われたが「想像(字幕では創造と出たがイマジナリーと言ってた)の世界のものですから」と答えたという。

正直、登場人物(特に蝶々さんとスズキ)の所作は、ロイヤル・オペラ版より、ずっと日本式で違和感のないものにできていたように思う。

そして、今回の感動的名演の殊勲賞は、グリゴリアンに増して、女性指揮者のシャン・ジャンだと確信するが、彼女もまた遼寧省丹東市出身の中国系アメリカ人である。

いわゆる宇野功芳語的に言うと、ちょっとレヴァインを彷彿とさせるところがあるカロリーの高い演奏だ。

本人が、第一幕後の幕間のインタビュー映像で「いちばん気に入っている」と話していた、第三幕の蝶々さんの死を決意した激しい脈動を表すパッセージからは、オケとグリゴリアンの絶唱は、いやが上にも高まりを見せ、終演後は最大限のブラボーが総立ちの観衆によって巻き起こっていた。

正直、今回、いちばん演劇的に感動を与えてくれたのは、スズキ役のメゾ、エリザベス・ドゥショングで、内心で全てを分かった上で誠心誠意、蝶々さんに仕える年輩の女性という、まさに理想のスズキが現前していた。

ロイヤル・オペラ版では、第二幕で生身の少年がピンカートンの落とし胤として登場して以降、落涙滂沱となったが、本MET版では、来ぬ夫を待つ蝶々さんの内心の苦しみを語るスズキの述懐から大粒の涙と嗚咽が止まらなくなった。

ミンゲラの演出は、リアリズムとファンタジーを行き来して、作品世界に奥行きと広がりを与えている。

二人の息子を人形で表現しているところは賛成できないが、その難点を上回る感動が今回の演奏にはあったので、とりあえず指摘だけにとどめておく。

やはり、ゴローとヤマドリは、明らかにギルバート&サリヴァンの『ミカド』風。
これはミンゲラが英国人だから、やはり確信犯としてやらかしてくれているのだろう。
ただ、ロイヤル・オペラ版が、ゴローがココ風、ヤマドリがプーバー風だったのに対して、ミンゲラのMET版ではゴローがプーバー風、ヤマドリがミカド風と双方ともワンランク出世している格好ではあった。

配布チラシや公式サイトでは、ゴローとヤマドリ役のキャストが明示されていなかったが、ヤマドリは東アジア系、やはり中国系歌手だろうか。

いずれにせよ、METの『蝶々夫人』も、中国系スタッフ(及びキャスト?)の活躍が目立っていた。

今回のミンゲラの演出が素晴らしいのは幕切れ直前、蝶々さんの血を表す赤い布が斜め十文字に敷かれるステージに、ピンカートンが登場し、この東アジア女性への植民地主義的陵辱が殺人行為にも等しい非人道的な罪悪であることを見せつけてくれていたことだった。

プッチーニは、明らかに本作を、東洋の小さな女性が見舞われた小さな悲劇ではなく、そうした欧米による東アジアへの陵辱(それは当然のようにヒロシマ・ナガサキに帰結するだろう)の非を訴える「大悲劇」として描いたことを今回の名演で了解できた。

我々も本作の上演に関する違和感を外野から表明するだけでなく、ここはやはり、中国系のプレイヤーに負けじと日本人関係者の奮起に期待するべきだろう。

パングロス