「立体を色々な角度で撮れるから」JUNK WORLD 弁明発射記録さんの映画レビュー(感想・評価)
立体を色々な角度で撮れるから
舞台挨拶回日本語吹替版で観た。
舞台挨拶で監督が言っていたこと。
実写映画のドキュメンタリーを参考にしているのでセットも全部つくるやり方になる、という感じの発言
人形も小さいのと演技させる用のもっと大きいのがある
寺に数日こもって絵コンテを床にバラまいてストーリーを練った
映画を観てもらって作った立体も観てもらいたい
立体はオークションで売ろうと思っている
だいたいこんな感じのことを言っていた。
ラストはプレスいないかわりに観客の撮影タイム。看板と監督。
そして映画の感想。
よく作ったな!と思うのと同時に。
なんでこんな平行世界だらけのややこしい話にしたのかと。
おそらくやりたい展開、見せたい絵、作りたい造形物が先にあり、それらを色々練ってつなげたのではないか。
劇中で平気で数百年の時間が経ちさらにゲートで別世界に行くということをやる。
一幕はゲートから異世界に行ったロボットが戻ってくるシーンまで、二幕はそこに至るまでのロボットが異世界で文明を進化させてゲートで戻ってくるまで、しかしゲートから来たらご主人様の存在が消えてしまう。
更に次の幕でじいさんとピロピロくんが生き残る展開やり、更にそこからこの2人が別世界で消滅して。
そこからロボットが序盤の展開を大幅に変更する新たな歴史作って。
ラストはご主人様が死んだ未来でロボットがジャンクになる。そして拾われる前作の冒頭につながる構成。
こんだけ入り組んでいる、ともすれば分かりにくい構成にできるのはやはり個人、少数単位でやってるからなんだろう。
エンドロールのスタッフ数の少なさに対して支援者の多さが今作のスタンスをよく示していた。
ただ志、デザインがすごい反面、このストーリー展開はちょっとどうなのかと思った。
平行世界のゲートが他のフィクションでも観るような青い球体のような表面で中に入ると否応なく移動するのだが。
造形の面白さに対してゲートおよび平行世界的な展開があまり相性が良くない感じがした。
相性というか都合良い感じがした。
そういうものだと分かるが一本のストーリーラインでも良かったように思う。
いや、でもそれだとあの謎の体格いいフゴフゴマンの正体が実はゲートから来た小さな姫、という展開をやりにくいのか。
あと、数百年の時間が経ち文明が発展する展開自体も見せたい、となると、ああいう世界観にならざるをえないのか。
と、ここまで書いて思い出す。監督は舞台挨拶で「映画も観てもらいたいしイベントで展示している立体も観てもらいたい」的な発言をしていた。
ということはそもそも「色々な角度で観てもらいたい」という思いで作っている。となるとこの監督にとってはストーリーラインも色々な角度で見せていくのが当たり前になっているんじゃないか。
立体で造形を作っているからこそ人が倒れただけでも色々な角度から撮ることができる。倒れるに至った過程も思いつくままバージョンを作りたくなるんじゃないか。
そもそも日本語吹替バージョンとゴニョゴニョ語バージョンで公開してるし。
色々な角度でキャラを撮る=色々な角度でストーリーを見せる、なんだな。
だからこの監督は今後VR上映やプラネタリウム上映やヒプマイ映画のようなマルチエンド方式をやるかもしれない。
そう感じた。
この監督がそうならなくても今後の映画の上映スタイルがもっとジャンクになっていくのだろう。
この監督にはできればその先頭に立ってもらい観るタイミングや方式によって全然違うようなジャンクな映画体験作りを続けてもらいたい。