「法手続きへの信頼」リアリティ LSさんの映画レビュー(感想・評価)
法手続きへの信頼
観終えてどう受けとればいいのか戸惑った。
再現型のドキュメンタリーの一種と思っているのだが、圧倒的な演技力から生じるキャストの心情に自分(観客)の方が引っ張られてしまう。
台詞のテキストは全て被疑者と捜査官の実際の会話だという。だが台本から演者が読み取り監督が演出する感情は、現実の本人たちのものと同じとは限らない(被疑者は訴追・服役後出所しているそうなので、追加取材されているかもしれないが)。その意味では、現実の再現というより、同じ戯曲の別の演出家による再演のようなものかもしれない。
そこに留意した上で。作中一番印象に残ったのは、聴取にあたった2人のFBI捜査官のプロフェッショナリズムである。
突然自宅に現れて内心動揺しているであろう被疑者を落ち付かせ、明らかに利害が対立しているのに、寄り添いを示して自ら話したい気持ちに持っていく。正直、いつグッドコップ・バッドコップのロールプレイや、怒号や決めつけによる威圧が始まるかとドキドキしていたのだ(直接聴取した2人以外の捜査官たちには、やや冷淡にあたってプレッシャーを与える役割があったかとも憶測するが)。こうした会話術を含む行動様式自体が法の執行者としてのFBIの優秀さ、捜査官の規範意識と能力を示しているだろう。
映画の主題は「ジョーンの秘密」を思い出させるが、(作品内で描かれている限り)機密情報を漏洩した被疑者の動機は思想信条に基づくものではないようだ。とはいえ、外国による統治への介入可能性という情報を背景に、個人の意思と政府の利益の対立という論点は見い出し得る。(「クーリエ 最高機密の運び屋」のレビューに少し書いた)
こうした状況で一つ重要だと思うのは、聴取記録のテキストが(恐らくリークではなく正当な手段で)開示されることを含め、法の適正手続きがきちんと守られることへの確信である。「モーリタニアン 黒塗りの記録」でも感じたが、法の支配への信頼が社会に存在し、それを規範として行動する人たちが(弁護士だけでなく国の側にも)いるということの意義を考えさせられる。