「死ぬまでを“生きる“→不条理劇」コンクリート・ユートピア 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
死ぬまでを“生きる“→不条理劇
大災害により機能を全て失った世界。
ソウルにただ一つだけのアパートが残った。
外はマイナス26度の寒気で餓死者が山積みしてる状況。
そのアパート・・・
多分10階建くらい。
住民2〜300人。
電気なし(エレベーター使用不可)
水無し、
国家無し(警察・消防・病院)
インターネット無し。
食糧(個々の家の備蓄のみ)
救難が来ないとなると餓死するまで、一ヶ月か?二ヶ月?
この映画はサバイバルして、どう生き抜くか?
という映画では無い。
アパートの外にいる部外者を排斥するために、
リーダーを立てて、少ない食糧を分配して、
いかに規律正しく人間的に最後の日までを過ごすか?
でもアパートの住民はそこをユートピアと錯覚している。
そこは外部と何一つ変わらぬ「ディストピア」なのだ。
死ぬまでを如何に人間的に生きるか?
という映画。
902号室の住民に全財産を騙し取られたヨンタク(イ・ビョンホン)が、
どさくさに紛れて《902号の住民を殺して》
アパートの住民にに“成りすます“
そして一階の火災を大活躍して消し止めた実行力から、
リーダーに祭り上げられる。
ともかく住民は《希望》というものに縋りたかった。
このままでは、
《死ぬ》
それを先延ばししたかった。
残った人間の悪あがき!!
車も使えないから、
川のそばに移動して、住み、
多少は暖かくなるだろうから、
畑を耕し、
鶏を飼い育てて、
なんてのも駄目なのね。
無意味なのね!!
全ては砂塵と化したディストピア。
早く死ねた者が勝利者・・・
なのだという《不条理》
セットとか、荒廃したアパート群、
草木も水も暖気も何も無い、
希望がまったく見えない。
ディストピア感は良く出ていた。
《死を受け入れよう》
(ゾンビのようになって生き延びるより)
このアパートは末期癌の患者ちたちの
“ホスピス”なのだから・・・
それしか思い付かなかった。