シチリア・サマーのレビュー・感想・評価
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過渡期
いまではようやくLGBTQなんて言葉も一般に知られるようになってきて、当事者の人たちが街中でデモ行進したり、法制化を訴えたりと声を上げれる時代にはなってきた。でもまだまだ課題は山積してるけど。
本作はいまから40年以上前のシチリア。見るからに閉鎖的な田舎町となれば、当時同性愛者の人たちの苦悩はひとしおだったろう。今みたいに自己主張できるどころかそんな兆候が少しでもあれば矯正施設に入れられるくらいなのだから。本作のジャンニみたいに。
前半は結構緩い展開が続いて少々退屈だったけど、ジャンニのことがニーノの家族に知れてからが怒涛の展開で一気に物語は重くなる。ここまで周囲の人が同性愛者に対して拒絶反応示すんだとあらためて思い知らされた。まるで魔女裁判のごとく、一家の恥さらしであるかのように責められるニーノ。
こういうのを見せられるとやはり当事者の方のつらさがどれほどであったかが痛いほどわかる。結局二人の犠牲がきっかけで同性愛者に対する対応が改善されることになったんだけど、犠牲者が出ないとやっぱり変われないのかな。
固定観念に縛られた人々の意識を変えるにはやはりすぐには無理で徐々に変えていくしかないのかも。古い世代がまるまる新しい世代にそっくり入れ替わるくらいの時間が必要なのかもしれない。それでも性的マイノリティーの人々にとって良い方向に進めばいい。
一人一人の人権は尊重されるべきなんだから、個人の性的嗜好などで差別されるなんて絶対あってはならない。
ちなみにジャンニ役の子、錦戸君に似てたなあ。さわやかな笑顔が素敵だった。
決して腐女子向けのボーイズラブ映画ではない。恋愛の対象が男性だというだけで殺された実話らしい。
最初のほうで、ジャンニが同性愛であることを揶揄される場面がある。だけど上映時間2時間15分のうち1時間30分はキスはおろか手さえつながない。事故のときは人工呼吸だ。僕には2人が恋人というよりは、気が合うティーンエイジャーがつるんで遊んでるようにしか見えなかった。
予告編では2人が恋人だと言っている。特に前半は、イタリア美青年(少年?)2人のラブストーリーでもあり、風景明媚な夏のシチリアを背景に2人がとても楽しそうだった。
とにかく、前半2人は余りにも幸せだ。それが後半、恋愛、性の対象が同性だから許せないという理不尽な理由で否定され殺される。
かなり後半、ニーノの家族が2人が恋人であることを知る。そこからの同性愛憎悪の描写が凄まじい。同性愛は存在自体が許されない悪で、殺しても構わない、いや殺さなけれならないという考えだ。存在が否定される。ジャンニに嫌がらせをしていた奴らが立ちすくんで呆然としてしまうほどの憎しみと暴力だ。結局2人は殺されてしまう。
殺してしまうほどの憎悪は、宗教の教えが人生と密着してて生きる指針になってるからなのか? 僕は無宗教の人が多い日本のことしか知らないので、人生と宗教が不可分というのがサッパリ分からない。
イタリアはカトリックの総本山バチカン・ローマ教皇庁がある。ローマ教皇のお膝元、地元だ。カトリック教徒が多く、ローマ・カトリック教会は同性愛を罪としている。 モーゼさんは10Fで 「殺っちゃダメよ」とも言ってるのに。
絶句
実際の事件を元にしているからか妙な生々しさがある。終始美しいのに時折ドロっとした現実性を感じる様な。観終わった瞬間はどう考えてもバッドエンドだと思ったけど、もしかしたらハッピーエンドだったのかもしれない。
時代もあるよね...
はぁ...
彼らは、どうしたら良かったんだろうね...
40年前だから、余計に難しかっただろうな...
ふたりで、どこかに逃げてしまえば良かったのに...
実話ということで、彼らを悼み慈しみ、
とても丁寧に、優しい目で撮られた作品だなーと思いました。
シチリアの風景、街並みが非常に美しく、
さらに少年ふたりの美しさも重なって、
視覚的に眼福で魅力的で、音楽もとても良く、
気持ちは高まるのですが...
だから、余計にこの結末は、やるせない気持ちになります...。
母親ふたりの息子を大切に思う感情の演技が素晴らしかったです。
同性愛がダメな理由
何故同性愛がダメなのか。
政治家が言うには生産性が無いかららしい、子供出来ないでしょ、人口増えないから国家の生産下がるでしょ。
って理由らしい。
じゃ性的不能な人とか子供作れない体の人も不要なんじゃん、俺の親とかもうそれ出来ないし、知人とかゲイと子宮摘出者居るし、俺も未婚で一生独身やるつもりだけど。
政治的には全員ガス室送りですかね?
一部のキリスト教信者に言わせると聖書に居ないかららしい、男アダムと女イブ以外は間違いらしい。
え?聖書読み方フリー過ぎかよ。
じゃあアメリカ南部に多く見られる聖書そのまま信じる原理主義が正しいんか、聖書にゃ黒人も居ませんけど?家畜の後に人間生まれたて書いてますけどw
人居ないのに家畜てww
なんすよ、根拠探しても出て来ないんすよ。
冷静に思えば同性愛を否定する理由なんか世界の何処にも無いんすよ。
昔、上岡龍太郎が、そんなもんコーヒー好きか紅茶好きかみたいなモンやん、個人の自由やんほっといたれよ、て言っててカッコよかったな。
この子の性別はこのこが決めます、って言った神田伯山の嫁カッコいいぞ!
この映画ラストテロップで表示されるけど、70年代イタリアの田舎の出来事らしい。
日本じゃその頃、左利きの子供を無理矢理右利きに矯正してたなあ、世界中全員幼稚でアホだったんだなあ。
シチリアサマーから50年近く過ぎたぞ、ちょっとづつだけど世界は理解を示してるぞ、日本じゃ左利きローカルルールも無くなりつつ有るぞ。
でもまだアホが世界中に居て差別は無くなって無いぞ。
シチリアサマーの2人なんか優しくてキラキラしててステキだったのになあ。
世界はまだ着いて行けて無いよゴメンね。
予告に騙された感
君の名前で僕を呼んでくらいから同じような一見すると古きよき時代のオシャレな感じのゲイ映画が増えたけど、本作は割と酷い出来だと思う。実話を元にしているようだけど、脚本、演出、音楽のどれもが良くない。ストーリーはありきたりで、結末も大体想像通り。ジャンルというより、映画そのものが面白くないのでオススメしません。
得点者はロッシ 、タルデッリ 、アルトベッリ
扱っているテーマから『怪物』や『CLOSE』を思い出してしまうのだが、カトリック圏の保守的な地方が舞台であるだけに主人公達に向ける「普通の」人々の嫌悪感が最も露骨だ。
貧しさ故に身を寄せ合わなければならない閉鎖社会ではその結束が容易に排他性に結びつき、排他的行動によって団結を強める。こういう悪循環は教育現場でのある種の問題と通底するのではないか。
問題は、迫害される理由が同性愛である事ではなく、迫害する理由が弱者虐めの邪心である事でもなく、いわば無知に基づくある種の善意みたいなもの(コミュニティを守りたい!という意思)が彼らを殺したのではないか?という事だ。
理解者がちゃんといるよ、と見せかけておいてのあのエンディングは、母の愛も神様も助けにならない、救いのなさ、というイタリア映画のお家芸全開。
シチリアだった
ジャンニとニーノ二人がキラキラ輝いていた。ジャンニは辛いこと抱えている分、ニーノはまっすぐで素直で大家族に愛されて賢くて本当に優しくていい子だ。ジャンニがママを大切に思い一緒にダンスする場面がとても好きだ。まだ若くてできないことばかりだけれど、ママを救い出して二人で自由に過ごそうというジャンニの思いが純粋だった。ママはジャンニを愛しているからこそ、ニーノ、ニーノのママや家族のことを思ってしまう。
バールの前でうろついている奴らには本当にむかついた。ああいうホモソーシャル不良というか半グレ(?)というのは本当に苦手だ。サッカーWMの老若男女のあの反応も苦手。
まだ10代の二人の恋は可愛い。一緒にいるだけで嬉しい。にこにこと微笑みあって手をつないでいるだけで幸せ。こういう気持ちは男女、女女、男男、どの組み合わせでもあると私は思う。
シチリアのいろんな所で撮影したんだろう。少ししかわからないけれど言葉も含めてあちこちにシチリアを感じた。そして事後、周りと社会が変わった、ということに私はそうか、変わるのかと思った。80年代、ソーシャルメディアもまだない頃、イタリアでも保守的な地域でその事件をきっかけに「彼ら」を守る意識、そしてグループができたことに驚きと感動を覚えた。
日本で可能だろうか?どんなに悲惨なことが起きても日本でそういったムーヴメントは起きるんだろうか?私はとても悲観的だ。イタリアはカトリックだからと言う人はいるけれど、そのイタリアの同性パートナーシップは日本のよりも正式な婚姻にずっとずっと近い。フランスもスペインもカトリックだけれど同性結婚をとっくに可能にした。日本は男色という歴史的文化的背景があるからなのか、それを犯罪にできなかったんだろう。(だから?)その後、60年代以降であれ、80年代、90年代以降であれ、皆が幸せになる権利がある、に日本は目を背け今に至る。隠しておけば百年だって続けられるなんて考え、もうやめろよ!
やや見にくい点があるものの一応おすすめ枠。
今年393本目(合計1,043本目/今月(2023年11月度)25本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
いわゆるLGBTQ問題を扱った映画で、このこと(実話である点ほか)はエンディングロールで実は流れます。
ストーリー自体は他の方が書かれているのでここではズバっとカットします。
表題に「やや見にくい」と書きましたが、この映画は1980年代が舞台です(よって、スマホだの何だのは一切でない)。ただ当時の映画の4Kリマスター版かといえばそうではなく、今現在2022~2023年で見ると妙に画面が「ざらついて」見えたり、字幕も何を言いたいのか日本語がこなれていない部分が結構あり、そこがかなり人を選ぶかな…という印象です(繰り返しますが、この映画はリマスター映画ではありません)。
この「字幕のわかりにくさ」はこの「リマスター映画ではない」映画でありながら1980年代を扱ったがためにそれを逆に意図してそうしている(言い回しが妙に古臭いなど)のかなと思ったくらいです。まさかイタリア語に精通している方が多くいらっしゃるわけではない日本ではどうしても字幕版でしか見ることはできず(日本語吹き替え版というものがない)、また、映画の特徴として「人名にせよ地名にせよ妙に多く出てくるので最初は何が何か情報整理が追いつかない」という点も挙げられます。
ただ途中からは明確にLGBTQ問題を扱った映画である点はわかるしエンディングロールでは明確にこのことが描かれ、イタリアという、フランスやドイツといった「よく知られる国」とは一ランク下がる(イタリア映画祭りは大阪市では年に1回くらい)イタリア映画でこの点を扱って放映した点は高く評価できます。
採点に関しては以下を気にしましたが、「以下の点を了知してみるなら」フルスコア切り上げにしています。
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(減点0.2/妙なまでに古臭い字幕や画面のざらつきなどが気になる)
リマスター映画であればそうなるのはまだ理解できるのですがそうではないので(正直、入るシアター番号間違えたのかとすら思ったくらい)、ちょっとここは好き嫌いが分かれるかなといったところです。
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ただイタリア映画でLGBTQ問題を扱った映画というのはやはり数が少なく、上記の点を押してでも本映画は推せます。
美しく儚いものに乗せたメッセージ
実在の事件をベースに、少年二人の出会いと行く末を描いた作品。
二人が向け合う憧憬や愛着、そして仲が深まっていく様子を言葉少なに描く数々のシーンが美しい。
実際の事件は約10歳差のカップルの事らしい。本作では二人をほぼ同じ年齢の、学業を終え自立し始める年頃に設定することで、心身も社会的にも子供から大人に変わる刹那の儚さや危なっかしさが強調されていた。二人が新生活をのびやかに謳歌しようとする姿が眩しかった。
二人を取り巻く環境が性的マイノリティを糾弾する理由は、宗教的な背景のみならず、家族や血縁を重視しそれらが固く連帯することで成り立つ島の「ムラ」と「群れ」の社会構造にも由来するのだろう。家業が無ければ日雇いで働き、手持ちがあるうちはカフェで屯していても許される緩い社会ではあるが、群れの秩序を乱す異端は許されない。仮に異端を許せば、群れ全体がよその群れに攻撃されてしまう。
その視点で観ればこの物語は、環境と生きづらさの間で喘ぐ全ての人の物語になり得るのではないか。
島の外で生活する選択肢がない中、二人が生き抜く術はあったのだろうか。島で集団が生活する術として培われた秩序と、個人の「自分らしさ」が共存する道はあったのか、無人のエンドロールに胸が詰まる思いがした。
映画.comさんからのご招待で試写会で観ました。ただただ悲しいなあ...
映画.comさんからのご招待で試写会で観ました。ただただ悲しいなあ、みんないい人なのに。
保守的な町での哀しき純愛
ポスターアートとかからLGBTQ+ストーリーと察していたが、顛末を知らずに観たのでラストで驚き、これが実話がベースで、イタリアでLGBTQ+の人権団体が誕生したというのにも驚いた。
実話の顛末は諸説あるらしいが、こうしたマイノリティへの差別・迫害事情もさることながら、根底にあるのはマチズモ意識の高さ。舞台がシチリア島の保守的な町というのも関係しているのだろうが、男性優位主義がもたらす弊害もチラつく。2016年に他のヨーロッパ諸国より遅れめで同性婚が認められたイタリアだが、シチリア界隈ではそれを良しとしない意識がいまだ根強いとか。『ゴッドファーザー』といい近作の『イコライザー THE FINAL』といい、映画に登場するシチリア住民が軒並み荒々しく描かれているあたりからもそれは伺える。もっともそうでない住民達にしてみればいい迷惑だろうし、そもそも同性婚が認められていない日本なんかよりかははるかに進んでいると言えるけど。
主役2人が美形というこの手の映画では外せない要素もしっかり抑えているので、ストーリーは悲劇だけど、やおい大好きな方も楽しめるのではなかろうか。
二人でいるだけでよかったのに
シチリアの美しい青の映像美の中、思春期の恋愛なので甘酸っぱいキラキラ感も漂ってくるし、背景の美しさもあって明るい世界観が続く。
それに反して二人でいられたらそれだけで幸せなのに、周囲からの目は優しくないので始終不幸観がつきまとうのがしんどい。
ラストのロミジュリ感に萌えた。
映画を通して、本当に人の価値観に合わせて生きている限り何一つ幸せになれない、ということを教えてもらっている。
個人の幸せは個人が決めるしかないのだ。
その上で家族の役割をやはり考えてしまう。
家族が世の中の多数に属さない考えを持って生まれてきた時に、家族はどう向き合うべきなのか。
子どもは家族のチーム一員であって、親の所有物ではないので、違いを受け入れてそれもいいね!と言い合える環境でいたいなといつもこういう映画を観ると思う。
血の繋がりだけが全てとは全く思わないのだけど、家の中に味方がいるというのは生きていく上でとても重要なんじゃないかと思ってしまう。
実話元に作られた作品だそうで、この事件をきっかけにデモ活動が起こり、イタリアではARCIGAYという非営利団体が出来たのだそうだが、現在の世界を見ても全く偏見のない世の中ではない。
皆が心から自分の好きを主張できる世界になることを願わずにはいられない。
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