「設定は適当だけど、嫌いにはなれない」隣人X 疑惑の彼女 kenshuchuさんの映画レビュー(感想・評価)
設定は適当だけど、嫌いにはなれない
近年の日本映画で、人間社会で普通に暮らしている異星人が描かれる映画が増えた気がする。そうした映画では当然、人種や民族、宗教、性的指向等、自分とは異なる人のことをどう捉え、どう受け入れていくかのメタファーとして描かれる。社会が異質なるものをどう受け入れていけばいいのか、昔よりも苦悩しているということなのかもしれない。社会が成熟してきているってことなんだろう。
本作では、難民Xのことを「理解できない存在」として恐れ、忌み嫌い、排除しようとする社会の流れが描かれる。逆説的に選ぶべき道はそうではないでしょ!と最初から言っているようなもの。それを伝えたいんですよね?と訝ってしまう。だって、今の日本社会であそこまで排他的になるのかな?いや、一部の人は絶対にあんな感じになるよ、絶対。でも、大半の人はどうなんだろう。わからないから不安を感じる人は多いと思うけど。
たしかに、Xがどんな存在なのかあそこまで情報を伝えないんだから、そりゃ不安にもなるだろうよ。あんな情報開示なら、全面的に秘密裏なままひっそりと地球人に紛れてもらったほうがマシなんじゃないか。難民Xが地球に来た時期もわからないから、子どもができててもおかしくないくらいの年数が経っているのかもわからないし。そもそもトレースって…。適当にトレースさせるのか?、そして戸籍や住民登録は?ってあたりが曖昧なんだよな。
意外とシリアスな内容のくせにそのあたりの設定が適当だなと呆れていたのだが、結構惹き込まれている自分がいたのも事実。伝えたいことは別にあるから、上野樹里がXなのか?なんてどうでもいいんでしょ?なんて思っていたのに、そうだったのか!なんて彼女がXかを気にしている自分を確認したりする。不思議な映画だった。
いろいろと文句は出てくるのに嫌いではない。そんな珍しい評価の映画だった。