「堅実につくられた「名作ホラーの続編」だが、個人的にこのエンディングは感じ悪すぎる。」エクソシスト 信じる者 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
堅実につくられた「名作ホラーの続編」だが、個人的にこのエンディングは感じ悪すぎる。
通例、名作ホラーの最新VFXによるリメイク系作品には足を運ばないのだが、『ゲット・アウト』(17)のブラムハウスがやるのならちょっと興味があるというのと、この夏亡くなった旧版の監督ウィリアム・フリードキンの追悼を兼ねて、レイトショーで行ってきた。
先に言っておくと、出来はそれなりによかったと思う。
さすがはブラムハウスで、一定のクオリティはちゃんとクリアしてきたような。
テンポの上げ下げ(緊迫してくるとカットが目まぐるしく切り替わる)とか、ちょっとした不穏な風景や事物のショットの挿入の仕方とか、技術的には結構手の込んだことをしていたし。
旧作の持つ驚くべき画格の高さ(ジャンル映画感がまったくない)や、寒々としたひりひりするような緊迫感は望むべくもないが、少なくとも、一定のリスペクトと内容研究を経て作られた続編であることは、ちゃんと伝わってきた。
ただ、観終わって思ったことがいくつかあって、
●看板やポスターに使ってた、教会中の信徒がリーガン化してる絵柄見て、「ポゼッション(悪魔憑き)」×「ゾンビ化」という新機軸の展開を大いに期待して観に行ったのに、まるでそんな要素は皆無の映画だった! まあまあ詐欺じゃないのか、これは??
(なんか今回も『ハロウィン』と同様、実は三部作になる予定らしいから、この「あと」そういうアポカリプス的な展開が待っているのかもしれないが)
●「今度はダブル悪魔憑きだ!」って、黒人&白人の少女のセットなのかよ。
こんなジャンルにまで、「ファッションフォトの呪い」と同様の「ポリティカルコレクトネス」が広がってきてるのかと思うとげんなりしてくる……。
続編があったら、今度はトリプル悪魔憑きで、黒人&白人&東洋人の三色団子になるぞ、絶対……。
●細かいところにはネタバレになるから深入りしないけど、作中でくだらない下衆いこと言ったり、協調性に欠く行動とったり、相手に対して不寛容な態度をとったり、大事なところで心の弱さを見せてしくじったりするのが、全部「白人」サイドってつくりは、さすがにどうなんだろうね?? で結局あのラストでしょう?? なんだろ、このあまりの「落差」は? ここまでくると(監督が白人で主演が黒人っていう配置も含めて)なんだかいろいろ考えさせられるよなあ。
ま、このところ映画が始まる前の宣伝で、毎回毎回『ウィッシュ』の黒人少女が歌い踊ってるのを繰り返し観させられて、いいかげんうんざりしてきてるせいで、八つ当たりで癇に障ってるだけかもしれませんが(笑)。
●その割に番宣では基本お友達の「キャサリン」のほうのヴィジュアルばっかり使われてるのって、リンダ・ブレアのイメージを引っ張ってるんだろうけど、本来のヒロインは黒人の少女のほうなのに、本国としてはそれでOKなんだろうか??
「隠しネタ」ってより、日本の宣伝会社が「いやあ黒人の少女がリーガン化してもお客さんぜったい観に来ないっしょ」みたいなムーヴ見せてる感じがするんだけど。
本国がその「擬態」に無条件でOK出してるとするなら、それはそれでどうかと思うわけで。
●旧作は「母と娘の物語」でもあったが、今回は「父と娘」の物語。やっぱりそれも時代というものか。
ちなみに、この設定にすると、娘を風呂に入れたり、着替えさせたり、身体の傷を確認したり、性的暴行の有無を確認したりと、さまざまなシチュエイションにおいて「親が横についていてやると逆にセクハラ」みたいなことになってて、大変に気を遣う作劇上の難しさをかかえていた。
●楽曲として「チューブラーベルズ」を使うのは大いに結構なんだけど、あの曲のキモはメインの旋律にあるんじゃなくて、多重録音で上へ上へとダサいギターソロやらコケ威しの効果音やら人間の声やらが乗っかっていくのがミソなのに、ぜんぜんその要素はオミットされてるんだよなあ。
●前作の『エクソシスト』は、ホラーである以上にきわめてシリアスな「宗教映画」だったといってもいい。
転じて今回の作品は、旧態然とした信仰が力を喪うなかで、神の実在に確信がもてなくなった人々(民衆も教会も)が、「カトリックの儀礼」ではなく、さまざまな宗教勢力(カトリック、バプテスト派、ウィッカ、ブードゥー、無宗教などなど)の「紐帯」と「連帯」という形で、「なんとなく一神教のヤハヴェを信じてる連」でゆるやかにつながって悪魔に立ち向かおうとする。
そんなことできんのかよ、と思って観ていたら、案の定うまくいかない部分もどんどん出てくるわけだが、じゃあ本家本元のカトリック勢力の活躍ぶりはというと、儀式は公的に●●になるわ、飛び入りの神父は●●●●わと、ホントろくな扱いじゃない(笑)。
というか、カトリックの人これ見たらけっこう激怒するんじゃないの? アメリカでも福音派と同じくらいはいたと思うんだが……大丈夫なのかな?
●てか、見よう見真似で、元見習い修道女とか、ペンテコステ派とか、ブードゥーの呪い師あたりの素人集団が勝手に「エクソシズム(悪魔祓い)」の儀式をやるのって、普通に考えて「悪魔のつけ入る隙しかない」くらいに危険でヤバそうな行為だと思うんだけど、どうなんだろう? でも結局、「呪詛返し」のような形で「本当にひどい目に遇う」のは、適当やってる寄せ集めの民間人じゃなくて、●●のほうなので、さらにモヤっとする。
●なんか今回の悪魔って、強いんだか弱いんだかよくわからないんだよね。
しきりに「口」で煽って相手に付け込もうとするので、力の発現になんらかのセーブがかかってて出来ることに限界があるのかな、とか思ってたら、やにわに身体的暴力やポルターガイスト、テレキネシスを発揮して、相手にえげつない直接的攻撃を加えたりもしてくる。そのバランスが微妙にとれていないので、「おいおい、そんだけやれるんなら最初からやれよ」と思ったりもする。
あと「口」で煽るやり方も、「相手しか知らない秘密の暴露」一辺倒で、あまり芸がない。
で、言われた人間のほうも、それで思い悩んで葛藤したり信仰を揺るがせたりするのかというと、ほとんどそういう内面に踏み込んだシーンはない。ただ単に「ひるんで」「攻撃力が落ち」「敵の攻撃の当たり判定が高まる」という「ステータスの弱体化」がみられるだけである。このあたりがやっぱり、旧作にははるかに及ばない部分なんだろうなと。
●エンディング、すでに●●の存在すら忘れていたので、意外なオチだったといえば意外なオチだったが、なんか猛烈にデジャヴがあるなと思ったら、『インディ・ジョーンズと運命のダイアル』のラストでした(笑)。
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……と、あんまり下げることばっかり言ってるとなんだか感じが悪いので、観ていて面白かった部分についても一応列挙しておく。
●冒頭のハイチ地震。「震災」の悲惨な体験によって主人公のなかで従来のキリスト教信仰に疑念が生じて、無神論者になっている感覚は、日本人である我々にとっては「とても得心がいく」理由だと思う。
●『エクソシスト』の出だしが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)の「魔の森の探検」だったり、シスターフッド×失踪という『ピクニック at ハンギング・ロック』(75)みたいなネタだったりするのは、結構新鮮だった。
悪魔憑きのきっかけがコックリさん(みたいなの)というのも、今風のアレンジとしては王道で良かった。(ただこの二人がなんで憑かれたか、なんでWで憑かれたか、二人がお祈りしてた地下壕はもともとなんのための場所なのか、などの基本的な理由やロジックがあかされないので、ちょっともやもやする。)
●シンパパとひとり娘の距離感というのは、そこそこ上手く表現できていたと思う。悪魔憑きが始まってからも、旧作以上に「娘の考えていることがよくわからない恐怖」「昨日までなついてくれていた娘に急に反抗される恐怖」「娘のやってくる悪戯が得体が知れない執着を感じさせてなんか恐い」「娘の女の子特有の部分にずけずけ立ち入れない不便さ」といった、「娘親の抱きがちな日常的でリアルな悩み」に寄り添って、全般の描写がなされている感じがする。
●娘のふたりとも、「失踪から見つかった直後の不安定な状態」と「完全に悪魔憑きになって汚言と自傷で別人のようになった状態」の「あいだ」の時期がけっこうしっかり描かれていて、『エクソシスト』が「アンファン・テリブルもの」の一典型であることを強調してきている印象。あるいは、リアルに心に問題を抱えた児童や自閉スペクトラム症の児童をベースに敢えて意識した形で、それらに「寄せた」描写になっている点も見逃せない。
●特撮は総じてよく頑張っていたと思う。というか、敢えてVFXの最新技術を強調するよりも、特殊メイクアップで頑張ってる部分を強調していて、そうすることで旧作へのリスペクトを押し出そうとしているのはちゃんと伝わった。
●キャサリンの妹がめたくそ可愛い……でも弟もろとも途中でフェイドアウトして忘れ去られたように出てこなくなってしまった。ラストくらいはどうしてるかもうちょっとちゃんと描けばいいのに。
●脇役だと、やはりアン・ダウドの隣人が良い。
口うるさいけど、実はとても心根が優しく気にかけてくれている存在。
医者を生業としていて科学的な知識もあるのに、宗教的な秘儀にも知識が深いという清濁併せ呑むありようを、製作者が「現代に生きる人間の理想像」と見ているのがよくわかる。
あと、クリスを前作に引き続いて演じているエレン・バースティンは、佇まいにさすがの風格がある。てか、この人90過ぎてるんだよな。実はこの人がいちばんバケモンなのでは?(笑)
ちなみに、クリスが娘にやったことに対して抱えてる苦悩って、『積み木くずし』の穂積隆信が言ってたことと一緒だよね。実際、彼の場合は娘を35歳で亡くしてるわけで。
●キャサリンが教会で荒れ狂うシーン、何かに似ているなと思ったら、ジャック・ケッチャム原作の『ザ・ウーマン』シリーズの『ダーリン』(21)でした。
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というわけで、楽しめた・楽しめない、だけでいうと、スピーディーな展開とはったりのきいたスリラー演出がきちんと成されていて、ふつうに「楽しめた」。
点数自体、4くらい付けてもいいかな、と当初思っていたくらいなのだが、ではなぜ1点減点したかというと、どうしてもラストの処理に納得がいかなかったからだ。
まあ、話の流れ上、こうせざるを得なかったってことなんだろうけど……。
なんか結局、「党派的」な政治的スタンスのせいでこんな結末になっちゃった感じがして、違和感があったんだよね。
どうせ●●層の●●はバカで、蒙昧で、短絡的で、一生懸命教会通ってても宗教の本質すらわかってなくて、いざというときにもろくに役に立たないばかりか、要らないことして自滅してやがんの、だから言ってただろ、こういう連中がアメリカの癌なんだって――みたいな、これみよがしな「ざまーみろ」感をなんとなく感じちゃったんだよね。
だからって、そんなひどい「罰」与えちゃうんだ、みたいな違和感。
「連帯」とか「寛容」とか言う連中にかぎって、敵対的な相手勢力に対して攻撃的なのは今に始まったことじゃないが、ここまで露骨な形で、対比的に「天国と地獄」を設定されると、さすがにいい気分では劇場を後にできなかったということだ。